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一章
5 真祈の母と……妻!?
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「空磯……?」
「私たちの居るべき遠いところ、とでも言いましょうか。
語りすぎると、鎮神を島に連れてきた理由に触れることになるので、詳しくは言いませんが」
空磯――初めて聞く言葉だった。
二ツ河島独特の宗教、その信仰の中の一つの観念なのだろうか。
「私たちの居るべき遠いところ」と真祈は言った。
奇妙なことだが、とても心が惹かれている。私たちという表現の中に、鎮神も自然と含まれているような気がしたのだ。
しかし、絆されては駄目だ。
人の孤独や自信の無さから生まれ、またそういう気持ちに付け込んで発展するのが宗教だ、と近年多発した宗教絡みの事件以降、鎮神含む多くの人々が思っている。
島を逃げ出そうという考えは封印したが、だからといって思想まで二ツ河島の犯罪宗教に染まるのはなんとなく気分が悪い。
目的に突き進む厳めしさも、少女のような純真さも、そして銀色の髪も、真祈は自分のものとして完全に飼い慣らしている。
母に突きつけられた恩、楽しいことが無かったわけではないが「居るべきところ」とは程遠かった世界、自身の夢、真祈に求められた役割――それらに引き裂かれそうな鎮神とは、真逆に見える。
真祈がフォークを持ち直し、鎮神のことなど忘れてしまったかのように、再びスイーツに食らいついたので、会話は止まった。
鎮神だけが気まずい沈黙がしばらく続いた後、東屋に到る橋を歩いてくる二人ぶんの足音が聞こえてきた。
見ると、一人は銀髪の女。手の甲を見れば年の頃は六十前後と想像はつくが、背筋はしっかり伸びていて、威厳のある美人だ。
ギャザー(注1)で動きを持たせたアシンメトリーのケープ(注2)、タイトな白のロングドレスという明らかに平服とは思えない格好と、何よりその髪色から、彼女も宇津僚家の者であり、真祈のように二ツ河島の信仰において何らかの役割を持っているのだろうと察せられた。
もう一人は、綿のタンクトップと半ズボンという、真祈や老女と並んで立つとかえって浮くほどラフな格好の若い女だった。
真祈よりはいくらか年上かもしれない。髪は焦げ茶なので、宇津僚家に生まれついたのではなさそうだ。
「えっと、真祈……さん、あの二人は……」
鎮神が言って、やっと真祈はケーキから顔を上げる。
その頃には二人とも東屋の屋根の下まで来ていて、若い女の方が真祈の目前の皿からフルーツを摘まむ。悪びれた様子が無いのは、よほど親しいからか、無神経故か。
「そうか、無理矢理連れて来たのだから、何も説明されてませんよね。こちらは私の母、宇津僚艶子」
そう言って真祈は老女の方を示す。
「あ……どうも。諏訪部鎮神です……」
鎮神はとりあえず会釈するが、先ほどの沈黙の方が何億倍もましだったと思えるくらいに気まずい。
真祈の母ということは、鎮神の父――淳一といったか――の本妻だ。
あちらから見た鎮神は、夫が不倫して生まれた、存在してはならない命でしかない。
しかしそんな鎮神の思考が杞憂であったかのように、艶子は屈託なく笑う。
「よろしく、鎮神さん。
真祈は私から見ても少し風変わりな子ですけど、決して悪い子ではないの。
見知らぬ家や島で戸惑うことも多いと思いますが、姑のことを是非頼ってね」
「どこが少しだよ。めちゃくちゃ変わってるっつーの」
若い方の女が、鎮神の気持ちを代弁するように独り言ちる。
鎮神は黙って苦笑するしかない。
しかし気になるのは、艶子の髪だった。
鎮神の銀髪は淳一から受け継いだものだ。そしてその妻も銀髪である。
いとこ婚なら有り得ることなので、必ずしも鎮神と真祈のような異様な関係でないだろうが、真祈の両親もなかなかに血が近いらしい。
夫婦や結婚は質の悪い比喩などではないのだと、改めて思い知る。
「それで、こちらが有沙。私の妻」
若い方の女を指して、真祈が言い放つ。
有沙は鎮神を一瞥すると、そっぽを向いた。
朝から酷使されてきた鎮神の頭が、今度こそオーバーヒートしそうになる。
「あの……確かに髪はちょっと伸ばしてるし化粧もするけど、おれは男ですよ。というか、一夫多妻って法律上どうなって……」
戸惑う鎮神を見て、有沙は笑いとも嘆きともつかない呻き声を漏らした。
艶子も頭を抱えている。
「お前さあ、なんでそういう大事な説明を先にしとかねえの? ややこしくなるだろ」
「わざとじゃないです。忘れてただけ」
厳しい口調で有沙に言われるが、真祈は悪びれる様子もない。
有沙は呆れ返った様子で、東屋を去って行った。
「私、両性具有なんですよ」
真祈がさりげない調子で言った。
(注1)ギャザー…布を縫い縮めて作ったひだ。
(注2)ケープ…袖の無い外套。
「私たちの居るべき遠いところ、とでも言いましょうか。
語りすぎると、鎮神を島に連れてきた理由に触れることになるので、詳しくは言いませんが」
空磯――初めて聞く言葉だった。
二ツ河島独特の宗教、その信仰の中の一つの観念なのだろうか。
「私たちの居るべき遠いところ」と真祈は言った。
奇妙なことだが、とても心が惹かれている。私たちという表現の中に、鎮神も自然と含まれているような気がしたのだ。
しかし、絆されては駄目だ。
人の孤独や自信の無さから生まれ、またそういう気持ちに付け込んで発展するのが宗教だ、と近年多発した宗教絡みの事件以降、鎮神含む多くの人々が思っている。
島を逃げ出そうという考えは封印したが、だからといって思想まで二ツ河島の犯罪宗教に染まるのはなんとなく気分が悪い。
目的に突き進む厳めしさも、少女のような純真さも、そして銀色の髪も、真祈は自分のものとして完全に飼い慣らしている。
母に突きつけられた恩、楽しいことが無かったわけではないが「居るべきところ」とは程遠かった世界、自身の夢、真祈に求められた役割――それらに引き裂かれそうな鎮神とは、真逆に見える。
真祈がフォークを持ち直し、鎮神のことなど忘れてしまったかのように、再びスイーツに食らいついたので、会話は止まった。
鎮神だけが気まずい沈黙がしばらく続いた後、東屋に到る橋を歩いてくる二人ぶんの足音が聞こえてきた。
見ると、一人は銀髪の女。手の甲を見れば年の頃は六十前後と想像はつくが、背筋はしっかり伸びていて、威厳のある美人だ。
ギャザー(注1)で動きを持たせたアシンメトリーのケープ(注2)、タイトな白のロングドレスという明らかに平服とは思えない格好と、何よりその髪色から、彼女も宇津僚家の者であり、真祈のように二ツ河島の信仰において何らかの役割を持っているのだろうと察せられた。
もう一人は、綿のタンクトップと半ズボンという、真祈や老女と並んで立つとかえって浮くほどラフな格好の若い女だった。
真祈よりはいくらか年上かもしれない。髪は焦げ茶なので、宇津僚家に生まれついたのではなさそうだ。
「えっと、真祈……さん、あの二人は……」
鎮神が言って、やっと真祈はケーキから顔を上げる。
その頃には二人とも東屋の屋根の下まで来ていて、若い女の方が真祈の目前の皿からフルーツを摘まむ。悪びれた様子が無いのは、よほど親しいからか、無神経故か。
「そうか、無理矢理連れて来たのだから、何も説明されてませんよね。こちらは私の母、宇津僚艶子」
そう言って真祈は老女の方を示す。
「あ……どうも。諏訪部鎮神です……」
鎮神はとりあえず会釈するが、先ほどの沈黙の方が何億倍もましだったと思えるくらいに気まずい。
真祈の母ということは、鎮神の父――淳一といったか――の本妻だ。
あちらから見た鎮神は、夫が不倫して生まれた、存在してはならない命でしかない。
しかしそんな鎮神の思考が杞憂であったかのように、艶子は屈託なく笑う。
「よろしく、鎮神さん。
真祈は私から見ても少し風変わりな子ですけど、決して悪い子ではないの。
見知らぬ家や島で戸惑うことも多いと思いますが、姑のことを是非頼ってね」
「どこが少しだよ。めちゃくちゃ変わってるっつーの」
若い方の女が、鎮神の気持ちを代弁するように独り言ちる。
鎮神は黙って苦笑するしかない。
しかし気になるのは、艶子の髪だった。
鎮神の銀髪は淳一から受け継いだものだ。そしてその妻も銀髪である。
いとこ婚なら有り得ることなので、必ずしも鎮神と真祈のような異様な関係でないだろうが、真祈の両親もなかなかに血が近いらしい。
夫婦や結婚は質の悪い比喩などではないのだと、改めて思い知る。
「それで、こちらが有沙。私の妻」
若い方の女を指して、真祈が言い放つ。
有沙は鎮神を一瞥すると、そっぽを向いた。
朝から酷使されてきた鎮神の頭が、今度こそオーバーヒートしそうになる。
「あの……確かに髪はちょっと伸ばしてるし化粧もするけど、おれは男ですよ。というか、一夫多妻って法律上どうなって……」
戸惑う鎮神を見て、有沙は笑いとも嘆きともつかない呻き声を漏らした。
艶子も頭を抱えている。
「お前さあ、なんでそういう大事な説明を先にしとかねえの? ややこしくなるだろ」
「わざとじゃないです。忘れてただけ」
厳しい口調で有沙に言われるが、真祈は悪びれる様子もない。
有沙は呆れ返った様子で、東屋を去って行った。
「私、両性具有なんですよ」
真祈がさりげない調子で言った。
(注1)ギャザー…布を縫い縮めて作ったひだ。
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