蟲籠の島 夢幻の海 〜これは、白銀の血族が滅ぶまでの物語〜

二階堂まりい

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二章

6島に流れる血、クリューシッポスの追憶

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「島を出て行くということは」
 玖美の嘆きを掻き消すように真祈まきが言う。
「私に殺される覚悟があるということでしょうか」

 玖美の肩がびくりと跳ね、三和土たたきに脂汗が滴った。

「島の秘密を知る者を、島の外に出すわけにはいきません」
 真祈は玖美に笑いかける。

「私は、嫌いとか憎いとかそういう気持ちが分かりません。
 だから、無益を愛することは出来ます。
 しかし有害は早期に切り捨てなくてはならないと、心ではなく頭が判断する」

 切り捨てる、という言葉に反応した玖美は突如騒ぎ始める。
「待って! 私は貴方のために、真祈とさっさと寝ろって鎮神しずかを説得しただけ!
 それをあいつが逆切れして……」

「それが、何か?」
 真祈の手が玖美の上にかざされる。
 恵まれた体躯を、老いた魔女のように折って、這いつくばる女を覗き込む。
 銀色の髪が重力に従って瀑布ばくふのように垂れ、翳した手を覆い隠した。
 おそらくは港へ向かおうとうごめいていた玖美の体は、急に停止する。
 
 真祈は顔を上げ、艶子つやこに向き直る。
「艶子、荒津家に連絡して、玖美さんを片付けてもらって。
 私は鎮神を探してきます」
 
 医者ではなく荒津を呼べと言ったことの真意ははっきりしている。
 今しがた、手を翳しただけで真祈は玖美を殺したのだ。
 宇津僚うつのつかさ家は――特に真祈は、玖美の言う通り化け物だ。
 有沙も、二ツ河島の秘密や目的を知らされたときは、性質の悪い冗談かと思ったものだ。

「あいつなら多分、坨田いでんの方に逃げて行った」
「ありがとう、有沙」
 鎮神を最後に見たとき、彼は島の東へ駆けて行った。
 それを教えてやると、真祈は駆けて行く。
 もう、ここに居ても有沙にやるべきことは無い。
 さっさと忘れ物を取って川に行こうと玖美のむくろに背を向けた。



 宇津僚艶子からの呼び出しを受け、荒津楼夫たかおは車を走らせて島を北上していた。
 また、宇津僚家が死体を作ったのだ。
 
 別に珍しいことでもない。
 紀元前三八〇〇年頃より独自の信仰を守るのみならず、島の住人たちは宇津僚家に土地を借り受けて暮らしているという形をとり、未だ漁業組合が存在せず宇津僚家が網元のような役割をも担うという異様な島である。
 現代社会において、異端の神の崇拝というただ一点を理由にそのような無茶な制度を押し通そうとすれば、その手は綺麗ではいられまい。

 戦前も、ナントカ幕府の存在していたような頃も、その前もきっと、同じ理由でいくつもの屍を積み重ねてきた。
 そして荒津はしゅくとして彼らに、空磯がもたらされるまでの寝床を与えてきた。

 宇津僚の屋敷は堀に囲まれており、橋は車の進入できる幅ではない。
 島の外に出ようとしない宇津僚は、車を持っていないのだ。
 死体を運ぶのに車が必需品である荒津とは違う。
 
 宇津僚から財を分与され、冥府の長の任のみで食べている荒津を、島の者は、人の不幸で遊んで暮らす一族だと、蔑みと妬みを隠しもせずに囁き合う。
 しかし金なんて、仕事に使うだけで興味も無いような車の維持費と、父の酒代で持って行かれるのだ。
 
 車を私道の端に停めておき、楼夫は宇津僚家に足を踏み入れる。
 二ツ河島の長と、彼らに礼をもって冥府を委ねられたソトの王。
 対等のはずなのに、ももが哀れなほど震えている。
 
 長屋門を潜ると、前庭に遺体が見えた。

 しかし楼夫の目は、その男の物干し竿の下に吸い寄せられる。
 深夜美が、洗濯物を干している。
 それだけなのだが、その指先は常に意識を通わせ神経を張り詰めているかのように揃い、家事というよりは舞のようだった。
 青白い肌も、蘇芳すおう色の瞳も、夏の昼間の屋外にも関わらずひとりでに闇を帯びて、太陽を突っぱねている。
 束ねた髪を揺らして、深夜美が楼夫に振り向いた。
 見惚れていたのを悟られぬよう楼夫はできるだけ堅い言葉を選ぶ。

「お電話頂いたので、ご遺体を引き取りに伺いました」
 それに深夜美は笑みを返して、何か言いかけた。

 しかしそれは女の声で遮られる。
「御足労感謝いたします。
 ところで、ご遺体はこちらなのですが。見えませんでした?」
 艶子が濡れ縁から庭に降り立ち、楼夫を遺体の方へ招く。

 楼夫は慌てて深夜美に背を向け遺体に走り寄る。
 
 艶子の表情には、荒津への侮蔑が浮かんでいた。
 宇津僚家ももう、自分の先祖たちが冥府の王の座に荒津を、敬意をもって就けたことを忘れているのだ。
 真祈だけはその歴史を理解しているようだが、負の感情を持たない真祈には、荒津家が島民から迫害されている事実が分からないらしい。
 結局宇津僚は、荒津を救ってはくれないのだ。

「こちらは真祈の奥方である鎮神さんの御母堂ごぼどうですが……真祈と鎮神は正式に結婚していませんので、当然彼女は宇津僚の者としては弔いません。
 余所者相当の形式で、儀式はせずに山へ送ってください」
 なぜそんな立場の人物が尋常ならざる惨死を迎えたかなど、楼夫は訊いてはならないし、関心も無い。
 脳まで達しそうなほど刺さった鋏も、少し焦げくさい匂いが漂っているのも、どうでもいい。
 片付けて冥府へ休ませる、それだけだ。
 
 話の最中、楼夫は神経質特有の観察眼で、艶子の目線を読み取っていた。
『ああ、この女は、赤松深夜美のことが好きなのだ』
 
 艶子の夫であった宇津僚淳一は、亭主関白のくせに軽薄な男だった。
 そして家のことを放っておいて、余所で生まれたのが真祈の妻となった鎮神という少年であろう。淳一に飽いていた艶子が、家庭的で中性的な若い男に魅かれるのは、当然なのかもしれない。
 だが艶子の愛は、得られなかったものを求めるばかりの自分本位なものではないか。
 そう一言、心の中でけちをつけると、心にどす黒い濁りがふわりと広がった。



 ルッコラ畑に建つ農具などのための物置の中で、鎮神は右手を握りしめながら蹲っていた。
 
 人を傷つけたのに、母の眼に刃物を刺したのに、この手には何の感触も無い。
 そのせいなのか、母への憎しみの証左しょうさなのか、心の痛みは鈍く遠い。

 自分の力――念動とかサイコキネシスとか言うらしい――に気付いたのは、小学生の頃だった。
 テレビで見た超能力者の水晶浮遊を、家から大量のビー玉を持参して再現しようと試していた級友がいた。

 男子数人でそれっぽく顔をしかめて念を込めていたが、変化は無い。
 そして、一人で寂しげに本を読んでいた鎮神に、その中の親切な一人がビー玉を渡して、やってみるよう促した。
 奇異な銀髪の自分に、家庭環境に関する噂故に周囲から避けられてきた自分に話しかけてきた子がいたのが嬉しくて――ビー玉が浮いたら皆盛り上がってくれるかもしれない、彼の親切に報いることができるかもしれない、とだけ考えながらてのひらを差し出した。

 しかしビー玉が鎮神の手に落ちてくることは無かった。
 ビー玉は鎮神の掌の上、空中でぴたりと静止したのだ。

 辺りは喜ぶどころか静まりかえり、しばらくしてクラス中が泣き喚きはじめ、教師が駆けつけてきた。
 ビー玉が浮いた件は集団ヒステリーが見せた錯覚として片付けられたが、そんな理屈で納得できるはずもなく、鎮神は周囲からますます避けられるようになっていった。

 こうして一度自覚した力は、どんどん強力なものになり、今では軽い物体を浮かすぐらいであれば容易なものとなっていた。

 十年近く隠し続けていた念動を、よりによって母に振るってしまった。
 初めてそれを目の当たりにした母の、呆けた顔を思い起こす。
 化け物を見たかのような目。
 情けないことに、鎮神は未だ、母に見捨てられることを恐れていた。
 
 しかしもう帰る場所などどこにも無い。

 物置小屋の床に転がっていた鉈を手に取ると、首にあてがい、一息に叩きつけた。



 清陽高校にて。
 放課後、星奈せいなと翔は演劇部の部室に行く前に、パソコン室に寄った。
 パソコン部がブラウザゲームとやらを製作している傍らで、二人は『マドカ画廊』にアクセスする。
 鎮神が失踪して以来、初めて日記が更新されていた。

『赦しと救いは存外遠い しかしいずれ 私は希望を棄てはしない 今はただ安らかに』
 そうつづられた後に、クロッキー帳に描かれた畑の素描の画像が添付されていた。

「この人の画は好きだけど、はっきりしないものいいは嫌いだな」
 星奈が呟く。

 その横で翔は声にならない悲鳴をあげ、画像の端を指差した。
 クロッキー帳の端に、赤黒い染みがついている。
 乾いて粉を吹くそれは、とても絵の具の赤とは思えなかった。

 赦しと救いの兆しである「白銀」、それが遠ざかるということは何を示しているのだろう。

 この血が鎮神のものであることなど、あってはいけない。この世界で、あるはずが無い――。
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