蟲籠の島 夢幻の海 〜これは、白銀の血族が滅ぶまでの物語〜

二階堂まりい

文字の大きさ
26 / 117
二章

5 異様な傷口

しおりを挟む
 宇津僚うつのつかさ家の地所を出て数十メートル歩いたところで、ライフジャケットを忘れていたことを有沙は思い出す。
 
 『あの日』から、もはや有沙に生死の拘りは無い。
 救命胴衣も無しに川岸に立ってその結果死のうがどうでもいい。
 しかし同じく川に集まってくる面倒見の良い太公望たちはそれを許さず、救命胴衣を着ろとしつこい。
 あれをあしらうことに比べれば大した手間ではない、と家に引き返して、橋を渡り、長屋門をくぐる。

 すると勢いよく母屋の玄関が開くのが見えた。
 飛び出てきたのは、鎮神しずかであった。
 平生へいぜいから決して明るくはない顔を真っ青にして、擦れ違う有沙を無視して走り去って行く。

 嫌な予感を覚え、鎮神の部屋に駆け上がった。

 裁縫道具が広げられた部屋の中央に、玖美がうつ伏せに倒れていた。
 頭の下の畳に、血が染みを広げていく。

 有沙のただならぬ足音に気付いた艶子つやこと田村、深夜美みやびも追って来て、部屋を覗き込むと悲鳴をあげた。

 うつぶせで呻く玖美を深夜美が抱き起こしたことで、流れる血の源流が露わになった。

「おい、大丈夫かよ……! さっきあんたんとこの息子が走って出てったけど、まさかあいつにやられたとか言わねえよな!」
 有沙は、意識の遠のいている玖美に呼びかける。

 玖美の右目には、裁ちはさみが刺さっていた。
 持ち手まで眼窩がんかにめり込んでおり、そこから際限なく血が流れている。
 眼球がどうなったかなど、想像したくもない。

 本当に鎮神が、あのひょろひょろした白い腕で、十数年を共に過ごした母の眼にこうも深々と鋏を押し込んだのだろうか。
 よほど殺意があったのかもしれないが、それでも他人の痛みを少しでも察することができる人間なら、裂ける肉、千切られる神経のきしみを凶器ごしに肌で感じ、生理的な恐怖や嫌悪から手が緩みそうなものだ。
 この凶行には、そういった皮膚感覚が欠如しているような気がした。
 人の手を介さず、憎悪がそのまま傷として刻み込まれたような気味の悪さがあった。

「鎮神さんも心配ですが、今はとりあえず玖美さんを……」
 艶子がそう言うと、玖美は弾かれたばねのように背筋を伸ばした。
 恐れるように、艶子を見つめている。

「化け物……」
 
 玖美はそれだけ呟くと、深夜美の手を振り払って部屋を走り出て行く。
 すぐに、小太りの体が階段の最上段から一階の廊下まで転げ落ちていく音がした。

 訳も分からぬまま、四人は玖美を追う。
 土間にうずくまって、玄関へ利き手の右腕を伸ばしているが、恐怖で力が入らないうえに右眼が失われて視界が悪いせいか、何度も空振りしている。

 すると、外側から扉を開く者があった。
 玄関先に、法衣姿の真祈が立ち、玖美を見下ろす。
 その銀髪が放つ緑の光が、玖美の血塗られた顔を照らした。

 真祈は、しゃがんで怪我人を気遣うような素振りも無く、仁王立ちのまま微笑すら浮かべている。
 それを見て有沙は悟る。
 真祈も、玖美の眼の傷に不気味なものを感知し、距離をとっているのだ。

「酷いお怪我だ。何があったのですか? 今日は島に医師がおりますが、呼びましょうか?」
 探るように問いかける真祈の足許を、玖美は這い擦りながら通り抜けようとする。
「もう、一秒だってこんな島に居たくない……まさか、あいつがあんな……! 全部、宇津僚の血のせいよ! あんたらが化け物だから……!」
「玖美さんには、連絡を取り始めて早いうちから粗方お話していたはずですが」
「だって、信じるわけないでしょ、神とか呪いとか、そのうえ超能力だなんて……! まさか鎮神がそんな……」
「島を出て行くということは」

 玖美の嘆きを掻き消すように真祈が言う。

「私に殺される覚悟があるということでしょうか」
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話

登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。

大切に──蒲生氏郷

国香
歴史・時代
百万石を守るためは、一人の男への操を捨てるしかないのか…… 太閤豊臣秀吉に求婚された右大臣織田信長の娘。 秀吉の長年の執着に気付きながらも、さりげなく彼女を守る参議蒲生氏郷。 父母の教えを守り、貞淑に生きてきた彼女は、イタリア人の言葉によって本心に気付く。その百万石を懸けた行動。 それが、関ヶ原の合戦の遠因になっていく……???

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

織田信長 -尾州払暁-

藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。 守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。 織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。 そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。 毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。 スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。 (2022.04.04) ※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。 ※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

処理中です...