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四章
2 アトリエに飛び交う思惑
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「士師宮さんは代々金物屋を営んでいて、神門に構えた店舗を、団さんの父である庄司さんが経営なさっています。
今からお邪魔するのはお店ではなく、住居兼団さんのアトリエの方です」
「アトリエ?」
「団さんは画家なのです」
先程より幾分か適当なゆるゆるした会話を交わしつつ、真祈が玄関のチャイムを鳴らす。
ややあって、少女趣味なエプロンを着け髪をバレリーナのようなシニヨンに纏めた女が出て来る。
「あら、吾宸子様。それに、奥方様。
うちに御用ですか?」
女は真祈と鎮神を興味津々で見つめてくる。
「先日、婚約者の鎮神が危ういところを団さんに助けられたとのことで。
ようやく快癒いたしましたので遅ればせながらお礼をと」
真祈が挨拶を述べた。
「あらあら、それはどうも」
女は深々と頭を下げ、次いで鎮神に目をつける。
「初めまして、奥方様。
私は団の母親の真理那です。
可愛い男の子ねえ、お人形みたいなお洋服がとても似合ってるわ~」
「は、初めまして、鎮神です」
真理那は鎮神のフリルに包まれた手首や、ズボンのバッスルを、動物園のふれあいコーナーで小動物を愛でる感覚で触ってくる。
不快ではないが、リアクションに困る。
「団さんはどちらに?」
助け舟などというつもりは一切無いだろうが真祈がそう口にしたことで、真理那は鎮神から離れてくれた。
「それが、アトリエで作業中でして。
アクリルガッシュ? とかいう難しい画材を使ってるみたいで、なかなか手が放せないそうで。
良ければ中でお待ちください」
「ええ。そうします」
団のアトリエは洋風の区画にあるらしく、そこに続くこれまた洋風のダイニングキッチンで待たせてもらうことになった。
真理那に供された紅茶を呑んでいると、アトリエとは反対側の廊下から男が入って来た。
口髭を蓄えた、紳士じみた男だ。
彼も鎮神に頭を下げてくる。
「奥方様、初めまして。
団の父の、士師宮庄司と申します」
「初めまして、鎮神です」
「家内からお話は伺っています。
吾宸子様にも奥方様にも、愚息の為に礼を尽くしていただき有難い限りです」
「いえ、元はといえばおれが悪いので、別にそんな……」
真理那と正反対の堅苦しい口上に、鎮神は緊張を隠せない。
そんな鎮神には目もくれず、庄司は真祈に訊ねる。
「今日、深夜美さんはご一緒ではないのですか?」
「ええ。深夜美さんには家政を任せてありますので」
真祈は庄司の質問に答える。
「そうですか。艶子様とご成婚なされたことのお祝いを申し上げたかったのですが……」
困ったように眉根を寄せると庄司は机に手を突き、身を乗り出してくる。
「どこに行けばお会い出来ますかね」
「そういえば、たまに『深海魚』で歌ってるというのは聞きました。
そこなら会えるのでは」
深海魚、とは二ツ河島唯一のカラオケスナックの名だ。
歌を披露すると他の客が奢ってくれるので、深夜美はまだ深海魚で自分の財布を出したことが無いらしい。
そんなつもりじゃないのに申し訳なくてね、と苦笑しながら言う深夜美に、
貰えるものは貰っておくべきですよ、と平然と返していた真祈のことも、よく覚えている。
突如、二人の会話を吹っ飛ばすようにアトリエの扉が開き、男が走り出て来るなり頭を下げた。
「お待たせして申し訳ありません!」
絵の具の泥くさい匂いを纏った、線の細い男だ。
彼が団らしい。
無造作な蓬髪をヘアバンドで後ろに流し、着古したオーバーオールに体を通していて、見るからに画家といった感じがする。
庄司は騒がしさに顔を顰めたようだったが、真祈はのほほんと茶を飲んでいる。
美味しいお茶が頂けたのだからむしろ待たされてラッキーだった、などと真祈ならば考えていそうなものだ。
鎮神は立ち上がり、菓子折りを団に差し出す。
「あの、先日はどうもすみませんでした。これ、お礼で……」
「いえ、ご無事なら何よりです!」
団は一転してぱっと顔を上げ、屈託なく笑う。
真理那の能天気さと庄司の湛えている緊張感を混ぜ合わせたような忙しない動きの男だった。
本題を済ませたところで、開けっ放しになっていた扉の向こう、アトリエの奥のキャンバスが目に入った。
描かれていたのは、首筋に刃物を宛がう銀髪の少年だった。
凶器はナイフ、服装は古代ギリシアのキトンのようなものを着ているが、高い画力は明らかに鎮神の顔の特徴をとらえていた。
「うあ、す、すみません!
悪意は無いんです!
ただ、自殺しようとした人を見たのは初めてだったもので、なんだか綺麗っていうか、とにかくインスピレーションが来ちゃって」
鎮神の視線の先にあるものに気付いた団は、致命的に下手な言葉選びで必死に弁解している。
たいていの者は自分の命に関わる事を絵のネタにされてはいい気はしないだろうから、それは当然だろう。
しかし鎮神には別段、怒りも悲しみも湧いてはこなかった。
「いえ、あまり気にしないでください。
インスピレーションが降りて来てどうしようもなく作品にぶつけたくなる感じ、なんとなく分かるから……。
おれも服とか作ってて、そういうことありますし」
鎮神が言うと、団は言葉を失って目と口を開いたまま固まった。
何かおかしいことでも言ってしまったかと鎮神が窺っていると、呆けた顔は急に満面の笑みに変わる。
「嬉しいです……!
ぼくが何かやらかして気味悪がらなかったのは母と鎮神様だけだ」
なにやら喜んでもらえたらしく、ひとまずほっとする。
「これ、クリューシッポスの悲劇が画題なんです!
ギリシャ神話に登場する少年で……」
嬉々として語りだす団の声を掻き消すように、庄司の咳払いが響いた。
螺子が切れたかのように団は固まって、申し訳なさそうに目を伏せる。
「そろそろお暇しましょうか」
真理那と話し込んでいた真祈がやってきて、異様な空気感は払拭された。
しかしその後はずっと、見送りに出て来てくれた時にも、団の笑顔はじつに曖昧なものだった。
今からお邪魔するのはお店ではなく、住居兼団さんのアトリエの方です」
「アトリエ?」
「団さんは画家なのです」
先程より幾分か適当なゆるゆるした会話を交わしつつ、真祈が玄関のチャイムを鳴らす。
ややあって、少女趣味なエプロンを着け髪をバレリーナのようなシニヨンに纏めた女が出て来る。
「あら、吾宸子様。それに、奥方様。
うちに御用ですか?」
女は真祈と鎮神を興味津々で見つめてくる。
「先日、婚約者の鎮神が危ういところを団さんに助けられたとのことで。
ようやく快癒いたしましたので遅ればせながらお礼をと」
真祈が挨拶を述べた。
「あらあら、それはどうも」
女は深々と頭を下げ、次いで鎮神に目をつける。
「初めまして、奥方様。
私は団の母親の真理那です。
可愛い男の子ねえ、お人形みたいなお洋服がとても似合ってるわ~」
「は、初めまして、鎮神です」
真理那は鎮神のフリルに包まれた手首や、ズボンのバッスルを、動物園のふれあいコーナーで小動物を愛でる感覚で触ってくる。
不快ではないが、リアクションに困る。
「団さんはどちらに?」
助け舟などというつもりは一切無いだろうが真祈がそう口にしたことで、真理那は鎮神から離れてくれた。
「それが、アトリエで作業中でして。
アクリルガッシュ? とかいう難しい画材を使ってるみたいで、なかなか手が放せないそうで。
良ければ中でお待ちください」
「ええ。そうします」
団のアトリエは洋風の区画にあるらしく、そこに続くこれまた洋風のダイニングキッチンで待たせてもらうことになった。
真理那に供された紅茶を呑んでいると、アトリエとは反対側の廊下から男が入って来た。
口髭を蓄えた、紳士じみた男だ。
彼も鎮神に頭を下げてくる。
「奥方様、初めまして。
団の父の、士師宮庄司と申します」
「初めまして、鎮神です」
「家内からお話は伺っています。
吾宸子様にも奥方様にも、愚息の為に礼を尽くしていただき有難い限りです」
「いえ、元はといえばおれが悪いので、別にそんな……」
真理那と正反対の堅苦しい口上に、鎮神は緊張を隠せない。
そんな鎮神には目もくれず、庄司は真祈に訊ねる。
「今日、深夜美さんはご一緒ではないのですか?」
「ええ。深夜美さんには家政を任せてありますので」
真祈は庄司の質問に答える。
「そうですか。艶子様とご成婚なされたことのお祝いを申し上げたかったのですが……」
困ったように眉根を寄せると庄司は机に手を突き、身を乗り出してくる。
「どこに行けばお会い出来ますかね」
「そういえば、たまに『深海魚』で歌ってるというのは聞きました。
そこなら会えるのでは」
深海魚、とは二ツ河島唯一のカラオケスナックの名だ。
歌を披露すると他の客が奢ってくれるので、深夜美はまだ深海魚で自分の財布を出したことが無いらしい。
そんなつもりじゃないのに申し訳なくてね、と苦笑しながら言う深夜美に、
貰えるものは貰っておくべきですよ、と平然と返していた真祈のことも、よく覚えている。
突如、二人の会話を吹っ飛ばすようにアトリエの扉が開き、男が走り出て来るなり頭を下げた。
「お待たせして申し訳ありません!」
絵の具の泥くさい匂いを纏った、線の細い男だ。
彼が団らしい。
無造作な蓬髪をヘアバンドで後ろに流し、着古したオーバーオールに体を通していて、見るからに画家といった感じがする。
庄司は騒がしさに顔を顰めたようだったが、真祈はのほほんと茶を飲んでいる。
美味しいお茶が頂けたのだからむしろ待たされてラッキーだった、などと真祈ならば考えていそうなものだ。
鎮神は立ち上がり、菓子折りを団に差し出す。
「あの、先日はどうもすみませんでした。これ、お礼で……」
「いえ、ご無事なら何よりです!」
団は一転してぱっと顔を上げ、屈託なく笑う。
真理那の能天気さと庄司の湛えている緊張感を混ぜ合わせたような忙しない動きの男だった。
本題を済ませたところで、開けっ放しになっていた扉の向こう、アトリエの奥のキャンバスが目に入った。
描かれていたのは、首筋に刃物を宛がう銀髪の少年だった。
凶器はナイフ、服装は古代ギリシアのキトンのようなものを着ているが、高い画力は明らかに鎮神の顔の特徴をとらえていた。
「うあ、す、すみません!
悪意は無いんです!
ただ、自殺しようとした人を見たのは初めてだったもので、なんだか綺麗っていうか、とにかくインスピレーションが来ちゃって」
鎮神の視線の先にあるものに気付いた団は、致命的に下手な言葉選びで必死に弁解している。
たいていの者は自分の命に関わる事を絵のネタにされてはいい気はしないだろうから、それは当然だろう。
しかし鎮神には別段、怒りも悲しみも湧いてはこなかった。
「いえ、あまり気にしないでください。
インスピレーションが降りて来てどうしようもなく作品にぶつけたくなる感じ、なんとなく分かるから……。
おれも服とか作ってて、そういうことありますし」
鎮神が言うと、団は言葉を失って目と口を開いたまま固まった。
何かおかしいことでも言ってしまったかと鎮神が窺っていると、呆けた顔は急に満面の笑みに変わる。
「嬉しいです……!
ぼくが何かやらかして気味悪がらなかったのは母と鎮神様だけだ」
なにやら喜んでもらえたらしく、ひとまずほっとする。
「これ、クリューシッポスの悲劇が画題なんです!
ギリシャ神話に登場する少年で……」
嬉々として語りだす団の声を掻き消すように、庄司の咳払いが響いた。
螺子が切れたかのように団は固まって、申し訳なさそうに目を伏せる。
「そろそろお暇しましょうか」
真理那と話し込んでいた真祈がやってきて、異様な空気感は払拭された。
しかしその後はずっと、見送りに出て来てくれた時にも、団の笑顔はじつに曖昧なものだった。
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