蟲籠の島 夢幻の海 〜これは、白銀の血族が滅ぶまでの物語〜

二階堂まりい

文字の大きさ
46 / 117
四章

5 呪物の肖像

しおりを挟む
 明日はとうとう婚儀だ。
 気が重い鎮神しずかとは対照的に、真祈まきは朝からステーキを三枚も平らげている。
 鎮神が思わず漏らした溜め息も、真祈にはただの吐息としか映らないのだろう。

 ここ最近、鎮神は工場から送られてきた商品サンプルの点検をしていた。
 それに熱中している間も、戸籍の上でも真祈の妻となることに、背中にもう一つ顔でも生えてくるかのような言い知れぬ違和感が付き纏って離れてくれない。

「では、行ってきます。
 今日は神殿の中で調査をする予定ですので、帰りは昼頃かと」
 真祈は法衣を翻して出て行く。

「はい……行ってらっしゃい」
 座ったまま、鎮神は真祈を見送る。
 
 そう、決して真祈を嫌いな訳ではない。
 しかも真祈は鎮神の遺伝子を空磯のために必要としながらも、鎮神の意志を尊重して無理には接触しないと約束してくれた。
 しかし鎮神の頭を支配する夫婦像は今でも、自身を生んだ玖美と淳一の冷めた関係だった。

 ぼんやりとコーンフレークをつついていると、深夜美みやびが食堂に入って来た。
「おはよう、鎮神くん」
「おはよう……深夜美、さん」
 もう父子なのだからと、親しげな挨拶をする。
 
 見れば深夜美は朝早くからめかし込んでいた。
 不思議そうに見ていると、深夜美はそれを察して答えてくれた。
「昨晩、士師宮庄司さんと会ったよ。
 悪い人じゃなかったよ、心配してくれてありがとうね」
「いえ、それなら良かったです」
「それで、庄司さんに絵のモデルを頼まれたから、これからお家に行くんだ」
「絵って……団さんじゃなくて?」
「団さんって、息子さんだよね。
 その子も絵を描くの?」
「ええ、画家らしいです」
 庄司は息子の話をしなかったらしい。
 しかしああいう堅い物腰の大人ならそういうものかもしれない、と鎮神は勝手に納得する。

「そういえば真祈さんとの婚儀、明日だね」
 半ば冷やかすように深夜美が言った。
 鎮神は少し顔を伏せて、申し訳なさそうに訊ねる。
「よければなんですけど、教えてもらえませんか……失礼かもしれないですけど」
「いいよ、怒ったりしないから」
「深夜美さんって、お母さんのことは凄く大事に思ってますよね。
 でも、お父さんは酷い人で、いわば失敗した結婚を見て育ったわけじゃないですか。
 なのに結婚を決意できたなんて……どうしてそんな強くあれるんですか」
 鎮神が言うと、深夜美は紅い目を見開いた後、苦笑した。
 いつになく弱々しく子どもじみた、しかし疲れ果てた大人の自嘲も含んだ、あまりに優しく哀しい表情だった。

「確かに両親の結婚は、主観的に述べるならば完全に失敗だ。
 私は家では常に父の顔色を窺い、母を慰めるために多くの時間を費やした。
 君の前でこういうことを言うのは悪いけれど、私は自分が母の不貞で生まれた子であればどんなに幸せかと思っているよ。
 自分が父の血を受け継いでいることが憎くて、それこそ命なんていらないと思ったこともある。
 でも、一番悲しかったのは、父のような虫けらになじられた時なんかじゃない。
 母はぼくの慰めなんて必要としていなかったと気付いた時が……最も苦しかった」

 ふいに鎮神の脳裏を、西陽が差し込むアパートの一室に佇む小太りの女の姿が掠めた。
 無力で迷惑をかけてばかりの子どもだったから、せめて心だけでも彼女に寄り添おうとした。
 しかし結局、互いに何一つ分かり合えぬまま、二度と会えなくなった人。

「母がなぜ父と別れないのか昔は分からなかったが、ある時気付いてしまった。
 母は愛に溢れた家庭で生まれ、希望を育まれた。
 だから悪い男と夫婦になっても、それを掌の上で転がしながらどうにでも生きていける。
 希望を捨てなければ、人は案外強い。
 ただぼくには、捨てる希望さえ育まれなかった――それだけの違いだ。
 母にぼくの絶望は理解できない。
 その違いが虚しくて、母を恨みもした。
 ぼくが好きな優しい母と、残酷なまでの希望を掲げる母と、その二つの間で引き裂かれそうになることもあった」

 育った環境は全く同じではないが、いつからか自分のことを言われているような気がして、鎮神はだんだんと恐ろしくなってきていた。
 
 しかし、そこまで語ってから、深夜美ははたと止まってしまう。
 子どもに戻ったようだった表情は、いつもの温和な大人の顔に覆われていった。
 紅い瞳は光を鈍くし、行き場が無いといったふうに湯呑みに注がれる。
「まあ――なんだかんだ言っても恋はタイミングだよ。
 私は艶子さんに出会って、こういう優しくて温かな人と居られたら、生まれ育ちのことを忘れられる気がしたから夫婦になった。
 いつまでも過去にとらわれてないで、自分の血と戦うって決めたんだ」
「そう、ですか……ありがとうございました、話してくれて……」

 正直、最後の方の深夜美の言葉は、それまでと比べて余りにも軽薄であった。
 痛々しいまでの悲しみを語る、子どもじみた彼の方が鎮神には好ましかった。
 
 ただ、戦うという言葉だけは、軽薄な口調の中で唯一重く響いた。

 深夜美に茶を注いでやりながら、今頃神に安荒寿あらずを捧げているであろう婚約者のことを想った。
 自分が見るべきは玖美の幻影ではない、真祈だ。
 たとえ母が、この身に染みわたる覆せない血縁だとしても、自分はそれと戦い、真祈と向き合うのだ。



 自ら運営しているサイト『マドカ画廊』の更新を終えると、まどかはクロッキー帳とコンテを手に、一階へと下りた。
「母さん、ちょっと出かけるよ。お昼には帰るね」
 居間で小説を読んでいる真理那に声を掛けると、彼女は行ってらっしゃいのキスとばかりに口を突き出してくる。
 さすがに恥ずかしいので、それを軽くあしらって出て行く。

 玄関にある真っ赤なキンキーブーツが目に入った。
 今、アトリエは父に占拠されている――深夜美と共に。

 団が生まれて間もなく絵を描くことをやめたはずの父が、二時間だけでいいからアトリエを使いたいと申し出て来た時は驚いた。
 そして、画題として連れて来たのが、噂には聞いていたが面識は無かった、宇津僚うつのつかさ艶子の後夫ということにも。

 布陣ふぶる川のほとり、適当な岩の上に腰を据えて、流れる水を捉えようと画材を構えて息を詰める。
 しかし聞こえてくるのは異なる音楽だった。
 清らかな流れは遠く、渇き、うねった、重々しい調べ――蛇が泥濘を這うようなイメージが頭を支配する。
 紙にコンテを滑らせ、叩きつける。
 
 蛇は媚びるような姿態の青年と、靡くその黒髪へと変わっていく。
 媚びるといっても、彼の凜とした上がり目には、誘った獲物を喰らわんばかりの棘がある。
 
 素描があらかた出来上がってから、団は苦笑した。
 無意識のうちに描いていたのは、今まさに父が描いているであろう深夜美であった。
 本人の物腰が柔らかいのに対し、些か蠱惑的に描きすぎた気もする。
 しかし、長年絵から離れていた父が彼の美貌に中てられて創作意欲を掻き立てられる程なのだ。
 職業画家として常にアンテナを張っている団が彼を見て何も感じないはずがない。

 ページを変え、新たに深夜美を模した青年の、最も良い形に筋肉が跳ねる一瞬を、右手で生み出し始めた。

 
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

大切に──蒲生氏郷

国香
歴史・時代
百万石を守るためは、一人の男への操を捨てるしかないのか…… 太閤豊臣秀吉に求婚された右大臣織田信長の娘。 秀吉の長年の執着に気付きながらも、さりげなく彼女を守る参議蒲生氏郷。 父母の教えを守り、貞淑に生きてきた彼女は、イタリア人の言葉によって本心に気付く。その百万石を懸けた行動。 それが、関ヶ原の合戦の遠因になっていく……???

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話

登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

《完結》「パパはいますか?」ある日、夫に似た子供が訪ねて来た。

ヴァンドール
恋愛
嫁いですぐに夫は戦地に赴いた。すると突然一人の男の子が訪ねて来た「パパはいますか?」 その子供の顔は戦地に行った夫にそっくりだった。

処理中です...