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四章
6 奇蹟を奪う小さな手
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婚儀当日の正午。
新月の日かつ最も太陽が強く照る時に、鎮神と真祈は、瓜に生米、ルッコラや清酒などのお供え物らしき食材を籠一杯に抱えて詩祈山を上っていた。
法衣の裾を足や木々に引っ掛けることなく捌く真祈は、歩きやすいはずのズボンやスニーカーを身に付けて来たにも関わらず遅れをとる鎮神を度々振り返る。
心配しているというよりは、ちゃんと付いて来ているか確認しているのだろう。
茂る森のお陰で、夏の日射しはいくらか遮られているし、詩祈山自体がたいして高くもないなだらかな起伏の山だ。
しかし、体力の無い鎮神にはどうにも厳しい。
やがて、中腹を少し過ぎた辺りで真祈が立ち止まる。
その足元には円形に大きな縦穴が口を開けており、真祈はその中へ今にも踏み出そうとしていた。
落ちる、と叫びそうになったが、すぐに縦穴から真下へ階段が続いていることに気付いた。
「何ですか、この階段」
「この下が詩祈神殿。
神殿は、山の中に塔が丸ごと埋まっているような構造をしていて、最下層が唯一の部屋にして祭祀場、帝雨荼の封印されている場所です」「なんか、独特ですね。
神様の家は人が足で踏むところより高い位置に置くものだと思ってたから……
下に神殿があるのは不思議な感じ」
「そうなのですか?
でも帝雨荼は海の女神ですから、天空よりは海に近い地下の方が良いんじゃないでしょうか。
或いは――神を縛るには山の一つでも乗せておかないと、大気では縛めが足りないのかも」
鎮神にも無関係ではない、カルーの民を創り、愛故に呪いを撒き、他でもないカルーの民に封印された神。
空磯を齎すための永い歴史の始まりの女神だ。
それに婚姻を報告しに向かうため、二人は石造りの螺旋階段を下りて行く。
僅かに注ぐ光を床や壁に埋め込まれた瑠璃のような石が拾い、地中の塔を青く照らしている。
そして壁には、階段を下りて行く者の目線に合わせたような高さで、神話を表したと思しき彫刻が螺旋状のスクロールとして彫られていた。
七度、円を大回りに歩かされて、やっと底に足がつく。
見上げれば外界の光は小指の爪ほどになるまで遠ざかっていた。
「さあ、祭壇に供物を」
真祈は空間の端を示す。
最下層は海につながっていた。
台の形に切り出された岩の上に、持って来たものを置く。
目前は閉じた海で、確かに潮の匂いも充ちているのに、ここにはカニの一匹も上ってくる様子はなく、フジツボや海藻、魚影も入ってはこないらしい。
それがなんとなく不気味で、用を済ませると鎮神はすぐに真祈の隣まで退った。
「ここで毎朝、安荒寿を捧げているんですか?」
「ええ、そうですよ」
「なんか、この海は不気味ですね。
生き物が全く居ない」
「言われてみれば、そうですね。
神が封印されているからでしょうか」
何千回とここに出入りしているはずなのに真祈は今初めて気付いたようだった。
研究に集中しすぎて生き物の有無など眼中に無かったのだろうな、と思いつつ、入れ替わるように進み出る真祈の背中と、その上で淡く緑の光を放つ銀髪を目で追う。
真祈は、ホーミーのような音を口腔から響かせ、抑揚のあまり無い歌を詠いだす。
音の中には、確かに言葉を紡いでいると思しき法則性があるが、日本語には聞こえない。
ゴシックロックで聴き慣れた英語やドイツ語とも雰囲気が異なる。
全くの印象だけで言えば、それは異星の言語のように感じられた。
途中で『シズカ』『マキ』『テイアマタ』『ウトゥ』という単語が混じったのが辛うじて聞き取れた程度だ。
常人の半分しか感情を持たない真祈が報告のために捧げる歌は、上手くはあるが機械的で空虚であった。
しかしそれに心を打たれてはならない道理は無い。
世界の終末を告げる角笛があるとしたら、きっとこんな複雑かつ無慈悲な音色だろう。
飽きもせず聴き入っているうちに、歌は終わってしまった。
真祈は供物を回収し、鎮神に振り向く。
「さあ、帰って婚姻届を書かなくては。行きましょう」
真祈が先行して螺旋階段を上りだす。またも鎮神はそれに続いた。
「さっきの歌、何語で歌われてたんですか」
「カルーの民の古語――おそらく、この文字に対応した音でしょうね」
そう答えながら真祈は、壁の彫刻を指す。
下りは気付いていなかったが、薄暗さに目が慣れてくると、絵の間に見たこともない図形を羅列した箇所が確認できた。
これがカルーの民を用いた文字、文章のようだった。
「これが、真祈さんが研究してる文字……」
「ええ。多少解読は出来ても、どの文字にどの音が対応するのかまでは分からないので、まだ音読したり歌を文に直すことは難しいのですが」
「それはつまり、意味の分からない歌を音だけで口伝してきたってことですか」
「はい。婚儀のときはこのように、代替わりのときはこのように歌いなさいと、先代吾宸子の艶子から幼い頃より何度も耳で覚えさせられました」
「安荒寿も、そうやって?」
「ええ。ですが安荒寿は吾宸子から吾宸子へと、特に秘かに伝えられるもの。
宇津僚の家人であっても、吾宸子でない者が安荒寿の調べを知ることはありません」
話しているうちに地上が近付いてくる。
逆光の中、振り向きもせずに真祈が呟いた。
「安荒寿の秘密を暴く者、安荒寿の神秘を流出させる者には、死を与えなくてはならない」
安荒寿を盗み出す。
プロメテウスにでもなったつもりなのか、まさに炎のような紅い瞳を輝かせながら、あの夜、彼はそう告げた。
そして楼夫は、そんな彼を命に代えても守ると決めた。
彼は、艶やかな黒髪の流れる小さな背に、宇宙さえ揺るがすような呪いを、災いを、憎しみを背負い破滅の歩みを進めていく。
他者の痛みに敏く、寄り添うことができる、救世主の素質さえ持って生まれた少年は、尤も身近な不和と悪意に引き裂かれ、愛する人の死を契機に反転した。
つまり、他者の痛みに敏く、その傷を抉ることができる絶対悪に。
彼は楼夫の世界を壊し、新たな世界へと導いてくれた。
彼の、深夜美の幼気な願いのためならば、自分は何だって出来る。
運命の男が、島を狂わせる。
新月の日かつ最も太陽が強く照る時に、鎮神と真祈は、瓜に生米、ルッコラや清酒などのお供え物らしき食材を籠一杯に抱えて詩祈山を上っていた。
法衣の裾を足や木々に引っ掛けることなく捌く真祈は、歩きやすいはずのズボンやスニーカーを身に付けて来たにも関わらず遅れをとる鎮神を度々振り返る。
心配しているというよりは、ちゃんと付いて来ているか確認しているのだろう。
茂る森のお陰で、夏の日射しはいくらか遮られているし、詩祈山自体がたいして高くもないなだらかな起伏の山だ。
しかし、体力の無い鎮神にはどうにも厳しい。
やがて、中腹を少し過ぎた辺りで真祈が立ち止まる。
その足元には円形に大きな縦穴が口を開けており、真祈はその中へ今にも踏み出そうとしていた。
落ちる、と叫びそうになったが、すぐに縦穴から真下へ階段が続いていることに気付いた。
「何ですか、この階段」
「この下が詩祈神殿。
神殿は、山の中に塔が丸ごと埋まっているような構造をしていて、最下層が唯一の部屋にして祭祀場、帝雨荼の封印されている場所です」「なんか、独特ですね。
神様の家は人が足で踏むところより高い位置に置くものだと思ってたから……
下に神殿があるのは不思議な感じ」
「そうなのですか?
でも帝雨荼は海の女神ですから、天空よりは海に近い地下の方が良いんじゃないでしょうか。
或いは――神を縛るには山の一つでも乗せておかないと、大気では縛めが足りないのかも」
鎮神にも無関係ではない、カルーの民を創り、愛故に呪いを撒き、他でもないカルーの民に封印された神。
空磯を齎すための永い歴史の始まりの女神だ。
それに婚姻を報告しに向かうため、二人は石造りの螺旋階段を下りて行く。
僅かに注ぐ光を床や壁に埋め込まれた瑠璃のような石が拾い、地中の塔を青く照らしている。
そして壁には、階段を下りて行く者の目線に合わせたような高さで、神話を表したと思しき彫刻が螺旋状のスクロールとして彫られていた。
七度、円を大回りに歩かされて、やっと底に足がつく。
見上げれば外界の光は小指の爪ほどになるまで遠ざかっていた。
「さあ、祭壇に供物を」
真祈は空間の端を示す。
最下層は海につながっていた。
台の形に切り出された岩の上に、持って来たものを置く。
目前は閉じた海で、確かに潮の匂いも充ちているのに、ここにはカニの一匹も上ってくる様子はなく、フジツボや海藻、魚影も入ってはこないらしい。
それがなんとなく不気味で、用を済ませると鎮神はすぐに真祈の隣まで退った。
「ここで毎朝、安荒寿を捧げているんですか?」
「ええ、そうですよ」
「なんか、この海は不気味ですね。
生き物が全く居ない」
「言われてみれば、そうですね。
神が封印されているからでしょうか」
何千回とここに出入りしているはずなのに真祈は今初めて気付いたようだった。
研究に集中しすぎて生き物の有無など眼中に無かったのだろうな、と思いつつ、入れ替わるように進み出る真祈の背中と、その上で淡く緑の光を放つ銀髪を目で追う。
真祈は、ホーミーのような音を口腔から響かせ、抑揚のあまり無い歌を詠いだす。
音の中には、確かに言葉を紡いでいると思しき法則性があるが、日本語には聞こえない。
ゴシックロックで聴き慣れた英語やドイツ語とも雰囲気が異なる。
全くの印象だけで言えば、それは異星の言語のように感じられた。
途中で『シズカ』『マキ』『テイアマタ』『ウトゥ』という単語が混じったのが辛うじて聞き取れた程度だ。
常人の半分しか感情を持たない真祈が報告のために捧げる歌は、上手くはあるが機械的で空虚であった。
しかしそれに心を打たれてはならない道理は無い。
世界の終末を告げる角笛があるとしたら、きっとこんな複雑かつ無慈悲な音色だろう。
飽きもせず聴き入っているうちに、歌は終わってしまった。
真祈は供物を回収し、鎮神に振り向く。
「さあ、帰って婚姻届を書かなくては。行きましょう」
真祈が先行して螺旋階段を上りだす。またも鎮神はそれに続いた。
「さっきの歌、何語で歌われてたんですか」
「カルーの民の古語――おそらく、この文字に対応した音でしょうね」
そう答えながら真祈は、壁の彫刻を指す。
下りは気付いていなかったが、薄暗さに目が慣れてくると、絵の間に見たこともない図形を羅列した箇所が確認できた。
これがカルーの民を用いた文字、文章のようだった。
「これが、真祈さんが研究してる文字……」
「ええ。多少解読は出来ても、どの文字にどの音が対応するのかまでは分からないので、まだ音読したり歌を文に直すことは難しいのですが」
「それはつまり、意味の分からない歌を音だけで口伝してきたってことですか」
「はい。婚儀のときはこのように、代替わりのときはこのように歌いなさいと、先代吾宸子の艶子から幼い頃より何度も耳で覚えさせられました」
「安荒寿も、そうやって?」
「ええ。ですが安荒寿は吾宸子から吾宸子へと、特に秘かに伝えられるもの。
宇津僚の家人であっても、吾宸子でない者が安荒寿の調べを知ることはありません」
話しているうちに地上が近付いてくる。
逆光の中、振り向きもせずに真祈が呟いた。
「安荒寿の秘密を暴く者、安荒寿の神秘を流出させる者には、死を与えなくてはならない」
安荒寿を盗み出す。
プロメテウスにでもなったつもりなのか、まさに炎のような紅い瞳を輝かせながら、あの夜、彼はそう告げた。
そして楼夫は、そんな彼を命に代えても守ると決めた。
彼は、艶やかな黒髪の流れる小さな背に、宇宙さえ揺るがすような呪いを、災いを、憎しみを背負い破滅の歩みを進めていく。
他者の痛みに敏く、寄り添うことができる、救世主の素質さえ持って生まれた少年は、尤も身近な不和と悪意に引き裂かれ、愛する人の死を契機に反転した。
つまり、他者の痛みに敏く、その傷を抉ることができる絶対悪に。
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