蟲籠の島 夢幻の海 〜これは、白銀の血族が滅ぶまでの物語〜

二階堂まりい

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五章

11 溢れる酸、血のぬかるみ

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「私は既に何人もの島民から負の感情を啜っている。
 荒津楼夫の父は私が半殺しにして土蔵に置かせてある。
 あの絵描きも、父子間の軋轢を刺激して掻き乱してやっている。
 艶子は実に単純に罠にかかり、誰にでも優しくする私のことを恨み、今度は怯えるようになった。
 その恐怖は有沙、君にも伝染し、さらに君らしくもない義憤が憎しみとして私を潤す」

 深夜美みやびは物騒なことをつらつらと並び立てる。

 半殺しなどという単語よりも、有沙の心の内が――
 自分でも認めたくないような、やっと幸せそうな顔をするようになった鎮神の世界を守りたいなどという馬鹿らしい義憤が見透かされていることの方が怖かった。

 深夜美の言葉を信じるなら、彼は倒そうとすればするほど呪力を成長させていくということになる。
 彼を恐れる感情さえも深夜美を強くしてしまうと、頭ではそう考えられても、感情はその何倍ものスピードで脳内を駆け巡る。

 その中に一つ、引っかかるものがあった。
「荒津楼夫たかおに、置かせてあるって……言ったのか、あんた」


 有沙は気付いてしまう。
 深夜美と楼夫は、悪意によって結託してており、不倫という形で艶子を罠にはめた。
 負の感情をすするため、脅して安荒寿を手に入れるため――。


「そう、荒津楼夫は私の剣。
 島の歴史に心を殺されていた彼に、私が希望を与えたのだ」
 深夜美は歌うように語る。


 脳に直に焼き鏝を押し付けられるような痛みと共に、意識の奥底へ、深夜美の瞳と同じ深紅が刻まれていく。
 有沙はとうとう膝をついた。


「有沙、君も私と共に来るか? 
 信仰の名の下に心を殺された君ならば、私の戦列に加わる意味はあるだろう」

 紅い怨嗟は記憶の中から、あの日のことを引きずり出してくる。
 当然の末路だと思っていても、悲しくなかったわけではない。
 真祈まきに助けられるより、両親共々潮路加ろかたちに殺されていた方が楽だったと、真祈に憎悪を向ける気持ちもどこかにはあった。

 追いやっていたはずの感情が肥えて熟れ、理性を食い破ろうとしている。
 潮路加に、真祈に、世界に復讐してしまえばどんなに清々しいだろうか、と『何か』が問うてくる。

 深夜美が手を伸べてくる。
 この手を取れば、きっと楽になれる。
 そう思ったとき、鎮神の姿が浮かんだ。
 

 有沙は歯を見せて笑い、深夜美を睨んだ。
「一日遅かったな。
 ついこの間までの私なら、生きてようが死んでようが同じだって思ってたが……
 ただ一つの光景を守るために突っ走ったなら死んでもいいって思うくらいには、今の私は生きてる」
 
 真祈は歪な存在だが、鎮神は確かに真祈に救われた。
 惨めな面をしていた少年がやっと年相応に笑うのを有沙は見たのだ。
 その姿を、深夜美の上っ面の何倍だって美しいと思うことはおかしくないはずだ。


「愚かだな……
 嘘でも手を取っていれば、懐に潜り込んで私を内側から破滅させることだって出来たし、残酷な死を迎えなくても済んだ」
 冷めきった声と共に、脳を侵す痛みが引いていく。
 
 よろけながらも有沙は立ち上がった。
「利口ってのがお前みたいな奴のことなら、私は馬鹿で構わねえよ」

 有沙は地を蹴り、握り込んでいた枝の切っ先を繰り出す。
 深夜美は退ってそれをかわすが、有沙の狙いは彼の腹に木切れを突き刺すことではなかった。
 迷うことなく飛び掛かり、頭突きをかます。

 不意打ちで喰らわされた衝撃に眩暈を起こしたらしく、白い顔をして深夜美は有沙から距離をとる。
 その隙に踵を返して、有沙は走り出した。

 自分も含め、人々が深夜美に抱いてしまった悪感情は止めることはできない。
 それは刻一刻と深夜美の呪力を強くしている。

 真祈であれば深夜美に対抗できるかもしれない。
 とにかく、島に忍び込んでいたこの悪意の存在を伝えなくてはならない。

 無我夢中で走る有沙の耳に、微かな破壊音が届いた。
 深夜美が何かしたのだろうか。
 何にせよ戦う術が無く、奇襲という奥の手も一度使ってしまった今、止まることは下策だ。

 奥の池で釣りをするために有沙はこの林を度々訪れているので、深夜美を撒くことが出来るはずだ。


 有沙の体に降り注いでいた木洩れ日が、すうっと消えた。
 上を見れば、まだ若い木の幹が根元から折れ、何本も有沙に倒れ掛かってくる。
 有沙はそのまま倒木に圧し潰された。


「私の呪力は、食い荒らし、侵し尽くすという概念そのもの。
 腐らせることができるのは金属だけだと思わないことだな」

 深夜美が歩いて来て、有沙の血塗れの顔を覗き込んだ。
 眉だけは哀れみを表すように少し下がっていたが、眼は酸鼻極まる光景を焼きつけようとばかりに見開かれ、口は三日月のように吊り上がっている。

「その顔の方が、家で猫被ってる時よりは……ちょっとはマシなツラなんじゃねえか」
 有沙は血を吐きながら、軽口を叩いてやる。
 力では勝てなくても、心では勝ちたかった。
 全て自分の思い通りにいって当然だと思っていそうな野郎に、小さくてもいいから敗北感を与えてやりたかった。

 すると深夜美の表情が、少し引き攣ったような気がした。
「母の生き写しであるこの私に、美しくない瞬間なんてあると思うのか?」

 軽口そのものに怒るかと思いきや、わけの分からぬ理屈を持ち出してきたことは少々不気味ではあったが、深夜美は確かに悔しげだった。

「何でそこでママの話が出るんだ? その歳で乳離れできてないとか言うなよ。
 それともお前、ママとはそういう関係だったのかな……
 そのご自慢のツラで女なんか選び放題だろうに、わざわざババアの艶子と結婚するくらいだからな」


 突然、林の空気が歪むのを感じた。
 風が吹き抜けていくような爽やかなものではなく、目に見えない何かが空間を握りつぶそうとしているかのような威圧感。

「お前も……父と同罪だ」

 虚ろな表情で深夜美が呟く。
 彼は暫く神がかりのように揺れていたかと思うと、今度は目を見開いて叫びだした。
「赤松家を、母を侮辱する奴は、母がオレに託した崇高なる遺産によって果てろ!」

 その時、木の下敷きになってひしゃげ、感覚を失いかけていた脚に、じんわりと鋭い痛みが戻ってきた。
 火でも着けられたか、と思ったが、そうではないらしい。
 冷静に事態を見極めようとするが、その前に痛みで思考が焼き切れた。


「……クソ、もう少し遊んでやるつもりだったのに……ムカつきすぎて壊してしまった」
 自らが放つ絶叫の向こうで、些か落ち着きを取り戻したらしき深夜美の独り言を有沙は聞いた。
 彼は暫く苛ついたように辺りをうろついていたが、やがて気を緩めた気配がした。

「まあ、貴女の下卑た言葉に対しては当然の報いですよね。
 さようなら、有沙さん……」
 仮面を被って、怪物は血なまぐさい雑木林を去って行く。
 何事も無かったような振りをして、日常へと合流していく。

 ふざけるな、と叫びながら有沙が藻掻くと、体が少し前に進んだ。
 振り向くと、脚が溶けてしまったために、図らずも木々の縛めから逃れられていたのが分かった。
 血の泥濘に気が遠のきかけたが、土に爪を立てて、真っ直ぐ前を見据えた。


【おことわり】
この次の回なのですが、ホラー映画とかスプラッタ映画が好きな人に見せたところ、「オエッ…」と言われてしまった、曰く付きの回になっております。

グロいのが苦手な方は自衛のほどお願いいたします。
ざっくりした内容は、次の各章あらすじに載せるつもりですので、苦手でしたら飛ばしていただいても大丈夫です!
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