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五章
13 怪死の理由は
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有沙の死を知り、艶子と真祈、鎮神は、島民であってもほとんど近寄らないような雑木林へ駆けつけた。
「焼けている……というか、溶けているのですか」
第一発見者の路加ですらまだ震えと吐き気が止まらないというのに、真祈は淡々と妻の死体を検めている。
鎮神は怯えて真祈に縋り付いている。
真祈のこういうところが嫌いだ――と、生みの親ながら、艶子は思う。
「有沙さんは、酸で骨まで蝕まれて形を失い、亡くなられています」
路加が所見を述べる。
しかし、路加の意見だけでは納得がいかないようで、真祈は首を傾げている。
「単純に酸を振りかけられたにしては、下半身と上半身であまりに損傷の程度が異なってはいませんか。
下半身の方が酷い状態だ。
辺りの草木も焼けていないようですし」
真祈はためらわず死体へ近付き、その耳を覗き込む。
「比較的損傷の少ない上半身ですが、体内はぐずぐずに焼けている。
むしろ耳孔や眼窩から流れ出した血が上半身の火傷の原因か……。
足の方からじわじわと溶かし、嬲り殺していったということでしょうが、拘束もせずにこんなことが出来るのは……」
「真祈様? つまり、何が仰りたいので……」
「血が酸に変えられた、とでも言うのですか?
それも、足の方から徐々に」
低い声が、真祈と路加の会話に割って入って来た。
振り向くと、走って来たらしく息も髪も乱れ切った深夜美が立っていた。
艶子は、夫のためにさっと道を空けた。
親切でやったわけではなく、怖かったのだ。
有沙がこの人気の無い場所で、誰と何を話そうとしていたのかは、艶子が一番知っている。
深夜美の言葉に対し、真祈は首肯する。
二ツ河島に住む者で、神秘的な力の存在へ疑問を抱く者は、かつての鎮神を最後に居なかった。
「この島に、血を酸に変える能力を持ってて――
もしかしたら他の能力の応用かもしれないけど――
人を殺す奴が居るってことですか?
早く、みんなに知らせないと……」
「いえ、逆です。
有沙は病死ということにします」
鎮神の不安げな声を、真祈は遮った。
「宇津僚家のものも含め、超能力というのは精神世界と密接に関係している。
精神世界が誰のどのような能力に、どのような影響を与えるのか分からない以上は、無闇に人々に感情を動かすような発表をしてはなりません」
確かに、有沙の惨死を知れば、島の人々は動揺するだろう。
現に、鎮神だって恐怖で全身が震えている。
この状態で念動能力を使ってみろと言われても、ろくに力は発揮出来ないと思う。
逆に、有沙を殺した者が、自分のやったことで皆が恐怖している様を見て力を増してもおかしくないのだ。
「有沙を害したということは、宇津僚家を害し、信仰を脅かす可能性があるということです。
下手人は私が消します」
睦まじくなかったとはいえ、何年も共に過ごした妻が惨殺されたというのに、そう宣言する真祈の表情は凪いでいる。
――ああ、腹を痛めて真祈を産んだのは私だというのに、
安荒寿を深夜美に教えてしまったのが私だと判明すれば、真祈は私を容赦なく殺し、悼みはしないだろう。
深夜美による恐怖と、真祈による死が眼前に迫り、気が狂いそうになる艶子の肩を、嫋やかな手指が掴んだ。
「艶子、顔色が優れませんよ……帰って休むといい。
後は真祈さんたちに任せよう」
深夜美の、優しく甘く、今何よりも聞きたくなかった声が降る。
真祈はというと、艶子には目もくれず、路加に話をしていた。
「今から仕事場をお借りして有沙の検死のようなものをしますので、路加さんは一足先に医院へ戻って、お人払いをお願いします」
「え……真祈様がやるんですか!?」
「はい。もちろん本格的な検死とは程遠いですが、ちょっと切って調べるくらいは。
鎮神はどうしますか?」
「……一緒に行きます」
一方で艶子は押されるがまま、深夜美と共に慣れ親しんだ、そして何よりも危険な我が家への帰路につくこととなった。
二人きりで、誰もいない砂利道を歩く。
突き刺さるかのような太陽の光は、二人の真下に底なし沼かのように濃い影を描いている。
「もう平気ですよ……そろそろ放して」
深夜美は支えてあげると言いながら、ずっと艶子の腰に手を回していた。
振りほどこうとすると、余計に力が込められる。
返事が無いことに怖くなって、見ないように努めていた彼の顔を見上げてしまう。
硝子のように無機質な二つの角膜の奥、血より紅く太陽より苛烈なものが煮えたぎりながら、艶子を射竦めていた。
その思惑通り、艶子の足はその場で縫い留められたようになる。
深夜美は口元だけで笑った。
「艶子って案外ロマンが無いですね。
罪深い秘密を二人きりで背負うってのが耽美なのに、有沙さんに打ち明けてしまうなんて」
「やっぱり……貴方がやったのですね……。
血を酸に変える能力、ですって? いつの間にそんなものを身につけたの?
貴方は、誰……いえ、何なの?」
「知ってどうするのです?
貴女さえ黙っていてくれれば、こんな自分でも吐き気がするような能力は使わなくて済んだのです。
これからもね」
罪の重さに負けて、有沙を巻き込んでしまった。
いつからこんな、取り返しのつかないことになってしまったのか。
全ては、あの雨の日――母を喪った少年の寂しげな横顔に惹かれてしまった時から、始まっていたのだろう。
自分はこの恐怖に立ち向かえない。
この美しい怪物を裁くことは出来ない。
「さあ、帰りましょう、私たちの家へ」
少し落ち込んでいるような表情を作り直して、深夜美は再び歩を進めた。
艶子は彼にただ引き摺られていった。
「焼けている……というか、溶けているのですか」
第一発見者の路加ですらまだ震えと吐き気が止まらないというのに、真祈は淡々と妻の死体を検めている。
鎮神は怯えて真祈に縋り付いている。
真祈のこういうところが嫌いだ――と、生みの親ながら、艶子は思う。
「有沙さんは、酸で骨まで蝕まれて形を失い、亡くなられています」
路加が所見を述べる。
しかし、路加の意見だけでは納得がいかないようで、真祈は首を傾げている。
「単純に酸を振りかけられたにしては、下半身と上半身であまりに損傷の程度が異なってはいませんか。
下半身の方が酷い状態だ。
辺りの草木も焼けていないようですし」
真祈はためらわず死体へ近付き、その耳を覗き込む。
「比較的損傷の少ない上半身ですが、体内はぐずぐずに焼けている。
むしろ耳孔や眼窩から流れ出した血が上半身の火傷の原因か……。
足の方からじわじわと溶かし、嬲り殺していったということでしょうが、拘束もせずにこんなことが出来るのは……」
「真祈様? つまり、何が仰りたいので……」
「血が酸に変えられた、とでも言うのですか?
それも、足の方から徐々に」
低い声が、真祈と路加の会話に割って入って来た。
振り向くと、走って来たらしく息も髪も乱れ切った深夜美が立っていた。
艶子は、夫のためにさっと道を空けた。
親切でやったわけではなく、怖かったのだ。
有沙がこの人気の無い場所で、誰と何を話そうとしていたのかは、艶子が一番知っている。
深夜美の言葉に対し、真祈は首肯する。
二ツ河島に住む者で、神秘的な力の存在へ疑問を抱く者は、かつての鎮神を最後に居なかった。
「この島に、血を酸に変える能力を持ってて――
もしかしたら他の能力の応用かもしれないけど――
人を殺す奴が居るってことですか?
早く、みんなに知らせないと……」
「いえ、逆です。
有沙は病死ということにします」
鎮神の不安げな声を、真祈は遮った。
「宇津僚家のものも含め、超能力というのは精神世界と密接に関係している。
精神世界が誰のどのような能力に、どのような影響を与えるのか分からない以上は、無闇に人々に感情を動かすような発表をしてはなりません」
確かに、有沙の惨死を知れば、島の人々は動揺するだろう。
現に、鎮神だって恐怖で全身が震えている。
この状態で念動能力を使ってみろと言われても、ろくに力は発揮出来ないと思う。
逆に、有沙を殺した者が、自分のやったことで皆が恐怖している様を見て力を増してもおかしくないのだ。
「有沙を害したということは、宇津僚家を害し、信仰を脅かす可能性があるということです。
下手人は私が消します」
睦まじくなかったとはいえ、何年も共に過ごした妻が惨殺されたというのに、そう宣言する真祈の表情は凪いでいる。
――ああ、腹を痛めて真祈を産んだのは私だというのに、
安荒寿を深夜美に教えてしまったのが私だと判明すれば、真祈は私を容赦なく殺し、悼みはしないだろう。
深夜美による恐怖と、真祈による死が眼前に迫り、気が狂いそうになる艶子の肩を、嫋やかな手指が掴んだ。
「艶子、顔色が優れませんよ……帰って休むといい。
後は真祈さんたちに任せよう」
深夜美の、優しく甘く、今何よりも聞きたくなかった声が降る。
真祈はというと、艶子には目もくれず、路加に話をしていた。
「今から仕事場をお借りして有沙の検死のようなものをしますので、路加さんは一足先に医院へ戻って、お人払いをお願いします」
「え……真祈様がやるんですか!?」
「はい。もちろん本格的な検死とは程遠いですが、ちょっと切って調べるくらいは。
鎮神はどうしますか?」
「……一緒に行きます」
一方で艶子は押されるがまま、深夜美と共に慣れ親しんだ、そして何よりも危険な我が家への帰路につくこととなった。
二人きりで、誰もいない砂利道を歩く。
突き刺さるかのような太陽の光は、二人の真下に底なし沼かのように濃い影を描いている。
「もう平気ですよ……そろそろ放して」
深夜美は支えてあげると言いながら、ずっと艶子の腰に手を回していた。
振りほどこうとすると、余計に力が込められる。
返事が無いことに怖くなって、見ないように努めていた彼の顔を見上げてしまう。
硝子のように無機質な二つの角膜の奥、血より紅く太陽より苛烈なものが煮えたぎりながら、艶子を射竦めていた。
その思惑通り、艶子の足はその場で縫い留められたようになる。
深夜美は口元だけで笑った。
「艶子って案外ロマンが無いですね。
罪深い秘密を二人きりで背負うってのが耽美なのに、有沙さんに打ち明けてしまうなんて」
「やっぱり……貴方がやったのですね……。
血を酸に変える能力、ですって? いつの間にそんなものを身につけたの?
貴方は、誰……いえ、何なの?」
「知ってどうするのです?
貴女さえ黙っていてくれれば、こんな自分でも吐き気がするような能力は使わなくて済んだのです。
これからもね」
罪の重さに負けて、有沙を巻き込んでしまった。
いつからこんな、取り返しのつかないことになってしまったのか。
全ては、あの雨の日――母を喪った少年の寂しげな横顔に惹かれてしまった時から、始まっていたのだろう。
自分はこの恐怖に立ち向かえない。
この美しい怪物を裁くことは出来ない。
「さあ、帰りましょう、私たちの家へ」
少し落ち込んでいるような表情を作り直して、深夜美は再び歩を進めた。
艶子は彼にただ引き摺られていった。
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