64 / 117
五章
13 怪死の理由は
しおりを挟む
有沙の死を知り、艶子と真祈、鎮神は、島民であってもほとんど近寄らないような雑木林へ駆けつけた。
「焼けている……というか、溶けているのですか」
第一発見者の路加ですらまだ震えと吐き気が止まらないというのに、真祈は淡々と妻の死体を検めている。
鎮神は怯えて真祈に縋り付いている。
真祈のこういうところが嫌いだ――と、生みの親ながら、艶子は思う。
「有沙さんは、酸で骨まで蝕まれて形を失い、亡くなられています」
路加が所見を述べる。
しかし、路加の意見だけでは納得がいかないようで、真祈は首を傾げている。
「単純に酸を振りかけられたにしては、下半身と上半身であまりに損傷の程度が異なってはいませんか。
下半身の方が酷い状態だ。
辺りの草木も焼けていないようですし」
真祈はためらわず死体へ近付き、その耳を覗き込む。
「比較的損傷の少ない上半身ですが、体内はぐずぐずに焼けている。
むしろ耳孔や眼窩から流れ出した血が上半身の火傷の原因か……。
足の方からじわじわと溶かし、嬲り殺していったということでしょうが、拘束もせずにこんなことが出来るのは……」
「真祈様? つまり、何が仰りたいので……」
「血が酸に変えられた、とでも言うのですか?
それも、足の方から徐々に」
低い声が、真祈と路加の会話に割って入って来た。
振り向くと、走って来たらしく息も髪も乱れ切った深夜美が立っていた。
艶子は、夫のためにさっと道を空けた。
親切でやったわけではなく、怖かったのだ。
有沙がこの人気の無い場所で、誰と何を話そうとしていたのかは、艶子が一番知っている。
深夜美の言葉に対し、真祈は首肯する。
二ツ河島に住む者で、神秘的な力の存在へ疑問を抱く者は、かつての鎮神を最後に居なかった。
「この島に、血を酸に変える能力を持ってて――
もしかしたら他の能力の応用かもしれないけど――
人を殺す奴が居るってことですか?
早く、みんなに知らせないと……」
「いえ、逆です。
有沙は病死ということにします」
鎮神の不安げな声を、真祈は遮った。
「宇津僚家のものも含め、超能力というのは精神世界と密接に関係している。
精神世界が誰のどのような能力に、どのような影響を与えるのか分からない以上は、無闇に人々に感情を動かすような発表をしてはなりません」
確かに、有沙の惨死を知れば、島の人々は動揺するだろう。
現に、鎮神だって恐怖で全身が震えている。
この状態で念動能力を使ってみろと言われても、ろくに力は発揮出来ないと思う。
逆に、有沙を殺した者が、自分のやったことで皆が恐怖している様を見て力を増してもおかしくないのだ。
「有沙を害したということは、宇津僚家を害し、信仰を脅かす可能性があるということです。
下手人は私が消します」
睦まじくなかったとはいえ、何年も共に過ごした妻が惨殺されたというのに、そう宣言する真祈の表情は凪いでいる。
――ああ、腹を痛めて真祈を産んだのは私だというのに、
安荒寿を深夜美に教えてしまったのが私だと判明すれば、真祈は私を容赦なく殺し、悼みはしないだろう。
深夜美による恐怖と、真祈による死が眼前に迫り、気が狂いそうになる艶子の肩を、嫋やかな手指が掴んだ。
「艶子、顔色が優れませんよ……帰って休むといい。
後は真祈さんたちに任せよう」
深夜美の、優しく甘く、今何よりも聞きたくなかった声が降る。
真祈はというと、艶子には目もくれず、路加に話をしていた。
「今から仕事場をお借りして有沙の検死のようなものをしますので、路加さんは一足先に医院へ戻って、お人払いをお願いします」
「え……真祈様がやるんですか!?」
「はい。もちろん本格的な検死とは程遠いですが、ちょっと切って調べるくらいは。
鎮神はどうしますか?」
「……一緒に行きます」
一方で艶子は押されるがまま、深夜美と共に慣れ親しんだ、そして何よりも危険な我が家への帰路につくこととなった。
二人きりで、誰もいない砂利道を歩く。
突き刺さるかのような太陽の光は、二人の真下に底なし沼かのように濃い影を描いている。
「もう平気ですよ……そろそろ放して」
深夜美は支えてあげると言いながら、ずっと艶子の腰に手を回していた。
振りほどこうとすると、余計に力が込められる。
返事が無いことに怖くなって、見ないように努めていた彼の顔を見上げてしまう。
硝子のように無機質な二つの角膜の奥、血より紅く太陽より苛烈なものが煮えたぎりながら、艶子を射竦めていた。
その思惑通り、艶子の足はその場で縫い留められたようになる。
深夜美は口元だけで笑った。
「艶子って案外ロマンが無いですね。
罪深い秘密を二人きりで背負うってのが耽美なのに、有沙さんに打ち明けてしまうなんて」
「やっぱり……貴方がやったのですね……。
血を酸に変える能力、ですって? いつの間にそんなものを身につけたの?
貴方は、誰……いえ、何なの?」
「知ってどうするのです?
貴女さえ黙っていてくれれば、こんな自分でも吐き気がするような能力は使わなくて済んだのです。
これからもね」
罪の重さに負けて、有沙を巻き込んでしまった。
いつからこんな、取り返しのつかないことになってしまったのか。
全ては、あの雨の日――母を喪った少年の寂しげな横顔に惹かれてしまった時から、始まっていたのだろう。
自分はこの恐怖に立ち向かえない。
この美しい怪物を裁くことは出来ない。
「さあ、帰りましょう、私たちの家へ」
少し落ち込んでいるような表情を作り直して、深夜美は再び歩を進めた。
艶子は彼にただ引き摺られていった。
「焼けている……というか、溶けているのですか」
第一発見者の路加ですらまだ震えと吐き気が止まらないというのに、真祈は淡々と妻の死体を検めている。
鎮神は怯えて真祈に縋り付いている。
真祈のこういうところが嫌いだ――と、生みの親ながら、艶子は思う。
「有沙さんは、酸で骨まで蝕まれて形を失い、亡くなられています」
路加が所見を述べる。
しかし、路加の意見だけでは納得がいかないようで、真祈は首を傾げている。
「単純に酸を振りかけられたにしては、下半身と上半身であまりに損傷の程度が異なってはいませんか。
下半身の方が酷い状態だ。
辺りの草木も焼けていないようですし」
真祈はためらわず死体へ近付き、その耳を覗き込む。
「比較的損傷の少ない上半身ですが、体内はぐずぐずに焼けている。
むしろ耳孔や眼窩から流れ出した血が上半身の火傷の原因か……。
足の方からじわじわと溶かし、嬲り殺していったということでしょうが、拘束もせずにこんなことが出来るのは……」
「真祈様? つまり、何が仰りたいので……」
「血が酸に変えられた、とでも言うのですか?
それも、足の方から徐々に」
低い声が、真祈と路加の会話に割って入って来た。
振り向くと、走って来たらしく息も髪も乱れ切った深夜美が立っていた。
艶子は、夫のためにさっと道を空けた。
親切でやったわけではなく、怖かったのだ。
有沙がこの人気の無い場所で、誰と何を話そうとしていたのかは、艶子が一番知っている。
深夜美の言葉に対し、真祈は首肯する。
二ツ河島に住む者で、神秘的な力の存在へ疑問を抱く者は、かつての鎮神を最後に居なかった。
「この島に、血を酸に変える能力を持ってて――
もしかしたら他の能力の応用かもしれないけど――
人を殺す奴が居るってことですか?
早く、みんなに知らせないと……」
「いえ、逆です。
有沙は病死ということにします」
鎮神の不安げな声を、真祈は遮った。
「宇津僚家のものも含め、超能力というのは精神世界と密接に関係している。
精神世界が誰のどのような能力に、どのような影響を与えるのか分からない以上は、無闇に人々に感情を動かすような発表をしてはなりません」
確かに、有沙の惨死を知れば、島の人々は動揺するだろう。
現に、鎮神だって恐怖で全身が震えている。
この状態で念動能力を使ってみろと言われても、ろくに力は発揮出来ないと思う。
逆に、有沙を殺した者が、自分のやったことで皆が恐怖している様を見て力を増してもおかしくないのだ。
「有沙を害したということは、宇津僚家を害し、信仰を脅かす可能性があるということです。
下手人は私が消します」
睦まじくなかったとはいえ、何年も共に過ごした妻が惨殺されたというのに、そう宣言する真祈の表情は凪いでいる。
――ああ、腹を痛めて真祈を産んだのは私だというのに、
安荒寿を深夜美に教えてしまったのが私だと判明すれば、真祈は私を容赦なく殺し、悼みはしないだろう。
深夜美による恐怖と、真祈による死が眼前に迫り、気が狂いそうになる艶子の肩を、嫋やかな手指が掴んだ。
「艶子、顔色が優れませんよ……帰って休むといい。
後は真祈さんたちに任せよう」
深夜美の、優しく甘く、今何よりも聞きたくなかった声が降る。
真祈はというと、艶子には目もくれず、路加に話をしていた。
「今から仕事場をお借りして有沙の検死のようなものをしますので、路加さんは一足先に医院へ戻って、お人払いをお願いします」
「え……真祈様がやるんですか!?」
「はい。もちろん本格的な検死とは程遠いですが、ちょっと切って調べるくらいは。
鎮神はどうしますか?」
「……一緒に行きます」
一方で艶子は押されるがまま、深夜美と共に慣れ親しんだ、そして何よりも危険な我が家への帰路につくこととなった。
二人きりで、誰もいない砂利道を歩く。
突き刺さるかのような太陽の光は、二人の真下に底なし沼かのように濃い影を描いている。
「もう平気ですよ……そろそろ放して」
深夜美は支えてあげると言いながら、ずっと艶子の腰に手を回していた。
振りほどこうとすると、余計に力が込められる。
返事が無いことに怖くなって、見ないように努めていた彼の顔を見上げてしまう。
硝子のように無機質な二つの角膜の奥、血より紅く太陽より苛烈なものが煮えたぎりながら、艶子を射竦めていた。
その思惑通り、艶子の足はその場で縫い留められたようになる。
深夜美は口元だけで笑った。
「艶子って案外ロマンが無いですね。
罪深い秘密を二人きりで背負うってのが耽美なのに、有沙さんに打ち明けてしまうなんて」
「やっぱり……貴方がやったのですね……。
血を酸に変える能力、ですって? いつの間にそんなものを身につけたの?
貴方は、誰……いえ、何なの?」
「知ってどうするのです?
貴女さえ黙っていてくれれば、こんな自分でも吐き気がするような能力は使わなくて済んだのです。
これからもね」
罪の重さに負けて、有沙を巻き込んでしまった。
いつからこんな、取り返しのつかないことになってしまったのか。
全ては、あの雨の日――母を喪った少年の寂しげな横顔に惹かれてしまった時から、始まっていたのだろう。
自分はこの恐怖に立ち向かえない。
この美しい怪物を裁くことは出来ない。
「さあ、帰りましょう、私たちの家へ」
少し落ち込んでいるような表情を作り直して、深夜美は再び歩を進めた。
艶子は彼にただ引き摺られていった。
20
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話
登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。
大切に──蒲生氏郷
国香
歴史・時代
百万石を守るためは、一人の男への操を捨てるしかないのか……
太閤豊臣秀吉に求婚された右大臣織田信長の娘。
秀吉の長年の執着に気付きながらも、さりげなく彼女を守る参議蒲生氏郷。
父母の教えを守り、貞淑に生きてきた彼女は、イタリア人の言葉によって本心に気付く。その百万石を懸けた行動。
それが、関ヶ原の合戦の遠因になっていく……???
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
織田信長 -尾州払暁-
藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。
守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。
織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。
そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。
毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。
スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。
(2022.04.04)
※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。
※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる