102 / 117
八章
9 帝雨荼の浮上、最後の戦い
しおりを挟む
「これより始まるは私たちの新たなるステージだ。
私を『恨んで』死んでいけ、楼夫」
一旦顔を上げ、深夜美は腕の中の獲物に囁く。
贄は、死を目前にした人間にしては、余りにも幸福そうに微笑んでいた。
「ええ……貴方様に命じられれば私は泣くも笑うも仰せのままに……。
愛を憎悪で塗り潰すことだって、おやすい御用です」
信じられないことに、楼夫はあれほど深夜美に心酔すると同時に、
求めに応じて強い憎悪をも生み出しているようであった。
深夜美の呪力が異常なまでに膨れ上がっているのが、
肌を炙られるような感覚として鎮神にも感じられた。
『深夜美さんはルルーの民として、永遠を手に入れられる。
でも荒津さんは違う……だからここで最も有用な死に方をして、
呪いとして深夜美さんの力の一部になることを選んだ……』
なんとなくではあるが、そう推察出来た。
楼夫の余りにも穏やかで満ち足りた表情が自然とその解を導いたのかもしれない。
頽れた楼夫に合わせて深夜美も屈み、腿で背を、手で頭を支えて目線を同じ高さに揃える。
白い衣に贄の血が最初の染みを広げた。
よく聞こえないが、何言か交わしているらしく、蒼い唇と血に塗れた唇が交互に動いているのが見てとれた。
何時も容赦の無い真祈は珍しく黙って二人を見守っていた。
真祈には負の感情は観測出来ないが、喜びや希望のようなものならば分かる。
攻撃しないのは真祈なりの楼夫への餞なのだろう。
やがて深夜美の足元から蟲が一匹、また一匹と上ってきたかと思うと、
それはやがて大群になって楼夫を覆い尽くし、再び深夜美の足元へ引っ込んで行った。
その頃には楼夫の姿は消えていた。
立ち上がった深夜美は高らかに叫ぶ。
「世界よ――我に蠱られよ!」
同時に波が湧き立ち、大きな影が海上に躍り出る。
それは長い頭を反らし、まだ大気に触れていない長大な胴を海いっぱいにのたくらせている。
「帝雨荼……あれが……」
団が呟く。
画家の目に、その神の姿はどう映るのだろう。
醜か、美か、或いはその両方か。
銀色の、ぶよぶよした円筒状の身体。
空洞の中には鋭い牙が幾重にも連なって生えており、それが口の役割を果たしているのだと分かる。
口の周りを、線状の瞳孔を持った眼球が無数に取り囲んでいて、
既存の生物の顔を全く為してはいない。
しかし上方に山羊のような耳と角、銀の鬣があることから、天地ははっきりしているらしい。
深夜美は灯台に蟲たちを巻きつけ、身体を引き上げさせて、するりと展望台に降り立つ。
次の瞬間には、彼が乗っていた倉庫は帝雨荼の上肢に踏み潰されていた。
帝雨荼の腕は人間のそれに似ている。
しかし指にあたる部分は無数のホース状の触手になっており、穴からは靄が噴出している。
おそらくあれがヒビシュを作りだす呪いの出処なのだろう。
突如、はるか上空、書き割りのような夜空に無数の穴が開いた。
アーモンド形の穴の向こうから覗く、赤い粘膜が鎮神たちを見下ろす。
「深夜美の、新しい能力……!」
路加が叫ぶ。
空を覆い尽くしたのは、紛れもなく深夜美の眼だった。
それよりは少し低い高度の、港の上空に、
黒雲のようなものが集まり、やがてそれはヒビシュたちの下へ降ってくる。
「これ、念動だ……しかも『眼』で見ることの出来る範囲が広すぎるし、複数の物を軽々と同時に動かしてる……」
自分と同じ、しかし出力が圧倒的に違う能力に、鎮神は感嘆すらしていた。
島中から念動で集めた凶器を、兵士たちにばら撒いているのだ。
「それだけじゃありません。
複数の視界を同時に処理し、一つ一つに的確な念を込める彼の脳は、異常なまでの高性能に進化しています。
これほどの処理能力があれば、神の領域に接触しても耐えきるかもしれない」
真祈は淡々と分析する――深夜美ならば忌風雷を手に入れられる、と。
「アルメルージュ!
武器を取り、邪魔者たちを押し留めろ!」
深夜美によって、ヒビシュへの命令が下される。
楼夫にあった支配権は、彼の死と同時に深夜美に譲渡されたようだった。
島民は各々が包丁や鉄パイプを持って、一部は灯台を取り囲んだまま、その他は全員が鎮神たちに襲い掛かる。
さらに深夜美は念動で辺りの電線を引っ張ってくると帝雨荼を雁字搦めにし、動きを封じた。
白銀の巨体は無様にのたうっている。
これで邪魔者は居なくなった――深夜美はランプ室へ入り、異様な神殿を見渡す。
中央、光を失ったランプのすぐ傍らに、ひとりでに輝くものが立っていた。
褐色の肌に銀の長い髪。
銀髪は自らが放つ光を受けて赤く色を変えている。
真祈と同じ、原初のカルーの民に近い特徴だ。
肌が透けるほどの薄手の綾で織られたエンパイアラインの法衣を着ていて、露出した腕やデコルテから頬にかけては、手甲や面頬のように白いレースを這わせている。
微笑を貼りつけたまま、広がった瞳孔でこちらを観察している様子は、真祈とよく似ていた。
「信仰の危機が迫る時、我は起動する。汝、荒ぶる母を鎮める者か」
空気を震わす音ではなく、心の中に直接響く意志として、そのような問いかけが聴こえた。
少し遅れて、目の前のカルーの民――涅菩の口が動く。
この身体はおそらく空中に投影された映像なのだろう。
「そうだ。私が帝雨荼を殺す」
深夜美は口に出して言ってはみたが、おそらく涅菩が五感を用いておらず、塔の内部に居る者の心を読んでいることは直感で理解していた。
これはほとんど自分に宣言しているようなものだった。
しばしの沈黙の後、天井が光に包まれた。
天から地へと伸びる逆さまの大樹がランプ室一杯に現れる。
「私の祈りが終わるまで、枝を握って放さないで」
促され、深夜美は頭上に広がる光輝の一端へ手を伸ばした。
私を『恨んで』死んでいけ、楼夫」
一旦顔を上げ、深夜美は腕の中の獲物に囁く。
贄は、死を目前にした人間にしては、余りにも幸福そうに微笑んでいた。
「ええ……貴方様に命じられれば私は泣くも笑うも仰せのままに……。
愛を憎悪で塗り潰すことだって、おやすい御用です」
信じられないことに、楼夫はあれほど深夜美に心酔すると同時に、
求めに応じて強い憎悪をも生み出しているようであった。
深夜美の呪力が異常なまでに膨れ上がっているのが、
肌を炙られるような感覚として鎮神にも感じられた。
『深夜美さんはルルーの民として、永遠を手に入れられる。
でも荒津さんは違う……だからここで最も有用な死に方をして、
呪いとして深夜美さんの力の一部になることを選んだ……』
なんとなくではあるが、そう推察出来た。
楼夫の余りにも穏やかで満ち足りた表情が自然とその解を導いたのかもしれない。
頽れた楼夫に合わせて深夜美も屈み、腿で背を、手で頭を支えて目線を同じ高さに揃える。
白い衣に贄の血が最初の染みを広げた。
よく聞こえないが、何言か交わしているらしく、蒼い唇と血に塗れた唇が交互に動いているのが見てとれた。
何時も容赦の無い真祈は珍しく黙って二人を見守っていた。
真祈には負の感情は観測出来ないが、喜びや希望のようなものならば分かる。
攻撃しないのは真祈なりの楼夫への餞なのだろう。
やがて深夜美の足元から蟲が一匹、また一匹と上ってきたかと思うと、
それはやがて大群になって楼夫を覆い尽くし、再び深夜美の足元へ引っ込んで行った。
その頃には楼夫の姿は消えていた。
立ち上がった深夜美は高らかに叫ぶ。
「世界よ――我に蠱られよ!」
同時に波が湧き立ち、大きな影が海上に躍り出る。
それは長い頭を反らし、まだ大気に触れていない長大な胴を海いっぱいにのたくらせている。
「帝雨荼……あれが……」
団が呟く。
画家の目に、その神の姿はどう映るのだろう。
醜か、美か、或いはその両方か。
銀色の、ぶよぶよした円筒状の身体。
空洞の中には鋭い牙が幾重にも連なって生えており、それが口の役割を果たしているのだと分かる。
口の周りを、線状の瞳孔を持った眼球が無数に取り囲んでいて、
既存の生物の顔を全く為してはいない。
しかし上方に山羊のような耳と角、銀の鬣があることから、天地ははっきりしているらしい。
深夜美は灯台に蟲たちを巻きつけ、身体を引き上げさせて、するりと展望台に降り立つ。
次の瞬間には、彼が乗っていた倉庫は帝雨荼の上肢に踏み潰されていた。
帝雨荼の腕は人間のそれに似ている。
しかし指にあたる部分は無数のホース状の触手になっており、穴からは靄が噴出している。
おそらくあれがヒビシュを作りだす呪いの出処なのだろう。
突如、はるか上空、書き割りのような夜空に無数の穴が開いた。
アーモンド形の穴の向こうから覗く、赤い粘膜が鎮神たちを見下ろす。
「深夜美の、新しい能力……!」
路加が叫ぶ。
空を覆い尽くしたのは、紛れもなく深夜美の眼だった。
それよりは少し低い高度の、港の上空に、
黒雲のようなものが集まり、やがてそれはヒビシュたちの下へ降ってくる。
「これ、念動だ……しかも『眼』で見ることの出来る範囲が広すぎるし、複数の物を軽々と同時に動かしてる……」
自分と同じ、しかし出力が圧倒的に違う能力に、鎮神は感嘆すらしていた。
島中から念動で集めた凶器を、兵士たちにばら撒いているのだ。
「それだけじゃありません。
複数の視界を同時に処理し、一つ一つに的確な念を込める彼の脳は、異常なまでの高性能に進化しています。
これほどの処理能力があれば、神の領域に接触しても耐えきるかもしれない」
真祈は淡々と分析する――深夜美ならば忌風雷を手に入れられる、と。
「アルメルージュ!
武器を取り、邪魔者たちを押し留めろ!」
深夜美によって、ヒビシュへの命令が下される。
楼夫にあった支配権は、彼の死と同時に深夜美に譲渡されたようだった。
島民は各々が包丁や鉄パイプを持って、一部は灯台を取り囲んだまま、その他は全員が鎮神たちに襲い掛かる。
さらに深夜美は念動で辺りの電線を引っ張ってくると帝雨荼を雁字搦めにし、動きを封じた。
白銀の巨体は無様にのたうっている。
これで邪魔者は居なくなった――深夜美はランプ室へ入り、異様な神殿を見渡す。
中央、光を失ったランプのすぐ傍らに、ひとりでに輝くものが立っていた。
褐色の肌に銀の長い髪。
銀髪は自らが放つ光を受けて赤く色を変えている。
真祈と同じ、原初のカルーの民に近い特徴だ。
肌が透けるほどの薄手の綾で織られたエンパイアラインの法衣を着ていて、露出した腕やデコルテから頬にかけては、手甲や面頬のように白いレースを這わせている。
微笑を貼りつけたまま、広がった瞳孔でこちらを観察している様子は、真祈とよく似ていた。
「信仰の危機が迫る時、我は起動する。汝、荒ぶる母を鎮める者か」
空気を震わす音ではなく、心の中に直接響く意志として、そのような問いかけが聴こえた。
少し遅れて、目の前のカルーの民――涅菩の口が動く。
この身体はおそらく空中に投影された映像なのだろう。
「そうだ。私が帝雨荼を殺す」
深夜美は口に出して言ってはみたが、おそらく涅菩が五感を用いておらず、塔の内部に居る者の心を読んでいることは直感で理解していた。
これはほとんど自分に宣言しているようなものだった。
しばしの沈黙の後、天井が光に包まれた。
天から地へと伸びる逆さまの大樹がランプ室一杯に現れる。
「私の祈りが終わるまで、枝を握って放さないで」
促され、深夜美は頭上に広がる光輝の一端へ手を伸ばした。
20
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
大切に──蒲生氏郷
国香
歴史・時代
百万石を守るためは、一人の男への操を捨てるしかないのか……
太閤豊臣秀吉に求婚された右大臣織田信長の娘。
秀吉の長年の執着に気付きながらも、さりげなく彼女を守る参議蒲生氏郷。
父母の教えを守り、貞淑に生きてきた彼女は、イタリア人の言葉によって本心に気付く。その百万石を懸けた行動。
それが、関ヶ原の合戦の遠因になっていく……???
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話
登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
《完結》「パパはいますか?」ある日、夫に似た子供が訪ねて来た。
ヴァンドール
恋愛
嫁いですぐに夫は戦地に赴いた。すると突然一人の男の子が訪ねて来た「パパはいますか?」
その子供の顔は戦地に行った夫にそっくりだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる