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八章
9 帝雨荼の浮上、最後の戦い
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「これより始まるは私たちの新たなるステージだ。
私を『恨んで』死んでいけ、楼夫」
一旦顔を上げ、深夜美は腕の中の獲物に囁く。
贄は、死を目前にした人間にしては、余りにも幸福そうに微笑んでいた。
「ええ……貴方様に命じられれば私は泣くも笑うも仰せのままに……。
愛を憎悪で塗り潰すことだって、おやすい御用です」
信じられないことに、楼夫はあれほど深夜美に心酔すると同時に、
求めに応じて強い憎悪をも生み出しているようであった。
深夜美の呪力が異常なまでに膨れ上がっているのが、
肌を炙られるような感覚として鎮神にも感じられた。
『深夜美さんはルルーの民として、永遠を手に入れられる。
でも荒津さんは違う……だからここで最も有用な死に方をして、
呪いとして深夜美さんの力の一部になることを選んだ……』
なんとなくではあるが、そう推察出来た。
楼夫の余りにも穏やかで満ち足りた表情が自然とその解を導いたのかもしれない。
頽れた楼夫に合わせて深夜美も屈み、腿で背を、手で頭を支えて目線を同じ高さに揃える。
白い衣に贄の血が最初の染みを広げた。
よく聞こえないが、何言か交わしているらしく、蒼い唇と血に塗れた唇が交互に動いているのが見てとれた。
何時も容赦の無い真祈は珍しく黙って二人を見守っていた。
真祈には負の感情は観測出来ないが、喜びや希望のようなものならば分かる。
攻撃しないのは真祈なりの楼夫への餞なのだろう。
やがて深夜美の足元から蟲が一匹、また一匹と上ってきたかと思うと、
それはやがて大群になって楼夫を覆い尽くし、再び深夜美の足元へ引っ込んで行った。
その頃には楼夫の姿は消えていた。
立ち上がった深夜美は高らかに叫ぶ。
「世界よ――我に蠱られよ!」
同時に波が湧き立ち、大きな影が海上に躍り出る。
それは長い頭を反らし、まだ大気に触れていない長大な胴を海いっぱいにのたくらせている。
「帝雨荼……あれが……」
団が呟く。
画家の目に、その神の姿はどう映るのだろう。
醜か、美か、或いはその両方か。
銀色の、ぶよぶよした円筒状の身体。
空洞の中には鋭い牙が幾重にも連なって生えており、それが口の役割を果たしているのだと分かる。
口の周りを、線状の瞳孔を持った眼球が無数に取り囲んでいて、
既存の生物の顔を全く為してはいない。
しかし上方に山羊のような耳と角、銀の鬣があることから、天地ははっきりしているらしい。
深夜美は灯台に蟲たちを巻きつけ、身体を引き上げさせて、するりと展望台に降り立つ。
次の瞬間には、彼が乗っていた倉庫は帝雨荼の上肢に踏み潰されていた。
帝雨荼の腕は人間のそれに似ている。
しかし指にあたる部分は無数のホース状の触手になっており、穴からは靄が噴出している。
おそらくあれがヒビシュを作りだす呪いの出処なのだろう。
突如、はるか上空、書き割りのような夜空に無数の穴が開いた。
アーモンド形の穴の向こうから覗く、赤い粘膜が鎮神たちを見下ろす。
「深夜美の、新しい能力……!」
路加が叫ぶ。
空を覆い尽くしたのは、紛れもなく深夜美の眼だった。
それよりは少し低い高度の、港の上空に、
黒雲のようなものが集まり、やがてそれはヒビシュたちの下へ降ってくる。
「これ、念動だ……しかも『眼』で見ることの出来る範囲が広すぎるし、複数の物を軽々と同時に動かしてる……」
自分と同じ、しかし出力が圧倒的に違う能力に、鎮神は感嘆すらしていた。
島中から念動で集めた凶器を、兵士たちにばら撒いているのだ。
「それだけじゃありません。
複数の視界を同時に処理し、一つ一つに的確な念を込める彼の脳は、異常なまでの高性能に進化しています。
これほどの処理能力があれば、神の領域に接触しても耐えきるかもしれない」
真祈は淡々と分析する――深夜美ならば忌風雷を手に入れられる、と。
「アルメルージュ!
武器を取り、邪魔者たちを押し留めろ!」
深夜美によって、ヒビシュへの命令が下される。
楼夫にあった支配権は、彼の死と同時に深夜美に譲渡されたようだった。
島民は各々が包丁や鉄パイプを持って、一部は灯台を取り囲んだまま、その他は全員が鎮神たちに襲い掛かる。
さらに深夜美は念動で辺りの電線を引っ張ってくると帝雨荼を雁字搦めにし、動きを封じた。
白銀の巨体は無様にのたうっている。
これで邪魔者は居なくなった――深夜美はランプ室へ入り、異様な神殿を見渡す。
中央、光を失ったランプのすぐ傍らに、ひとりでに輝くものが立っていた。
褐色の肌に銀の長い髪。
銀髪は自らが放つ光を受けて赤く色を変えている。
真祈と同じ、原初のカルーの民に近い特徴だ。
肌が透けるほどの薄手の綾で織られたエンパイアラインの法衣を着ていて、露出した腕やデコルテから頬にかけては、手甲や面頬のように白いレースを這わせている。
微笑を貼りつけたまま、広がった瞳孔でこちらを観察している様子は、真祈とよく似ていた。
「信仰の危機が迫る時、我は起動する。汝、荒ぶる母を鎮める者か」
空気を震わす音ではなく、心の中に直接響く意志として、そのような問いかけが聴こえた。
少し遅れて、目の前のカルーの民――涅菩の口が動く。
この身体はおそらく空中に投影された映像なのだろう。
「そうだ。私が帝雨荼を殺す」
深夜美は口に出して言ってはみたが、おそらく涅菩が五感を用いておらず、塔の内部に居る者の心を読んでいることは直感で理解していた。
これはほとんど自分に宣言しているようなものだった。
しばしの沈黙の後、天井が光に包まれた。
天から地へと伸びる逆さまの大樹がランプ室一杯に現れる。
「私の祈りが終わるまで、枝を握って放さないで」
促され、深夜美は頭上に広がる光輝の一端へ手を伸ばした。
私を『恨んで』死んでいけ、楼夫」
一旦顔を上げ、深夜美は腕の中の獲物に囁く。
贄は、死を目前にした人間にしては、余りにも幸福そうに微笑んでいた。
「ええ……貴方様に命じられれば私は泣くも笑うも仰せのままに……。
愛を憎悪で塗り潰すことだって、おやすい御用です」
信じられないことに、楼夫はあれほど深夜美に心酔すると同時に、
求めに応じて強い憎悪をも生み出しているようであった。
深夜美の呪力が異常なまでに膨れ上がっているのが、
肌を炙られるような感覚として鎮神にも感じられた。
『深夜美さんはルルーの民として、永遠を手に入れられる。
でも荒津さんは違う……だからここで最も有用な死に方をして、
呪いとして深夜美さんの力の一部になることを選んだ……』
なんとなくではあるが、そう推察出来た。
楼夫の余りにも穏やかで満ち足りた表情が自然とその解を導いたのかもしれない。
頽れた楼夫に合わせて深夜美も屈み、腿で背を、手で頭を支えて目線を同じ高さに揃える。
白い衣に贄の血が最初の染みを広げた。
よく聞こえないが、何言か交わしているらしく、蒼い唇と血に塗れた唇が交互に動いているのが見てとれた。
何時も容赦の無い真祈は珍しく黙って二人を見守っていた。
真祈には負の感情は観測出来ないが、喜びや希望のようなものならば分かる。
攻撃しないのは真祈なりの楼夫への餞なのだろう。
やがて深夜美の足元から蟲が一匹、また一匹と上ってきたかと思うと、
それはやがて大群になって楼夫を覆い尽くし、再び深夜美の足元へ引っ込んで行った。
その頃には楼夫の姿は消えていた。
立ち上がった深夜美は高らかに叫ぶ。
「世界よ――我に蠱られよ!」
同時に波が湧き立ち、大きな影が海上に躍り出る。
それは長い頭を反らし、まだ大気に触れていない長大な胴を海いっぱいにのたくらせている。
「帝雨荼……あれが……」
団が呟く。
画家の目に、その神の姿はどう映るのだろう。
醜か、美か、或いはその両方か。
銀色の、ぶよぶよした円筒状の身体。
空洞の中には鋭い牙が幾重にも連なって生えており、それが口の役割を果たしているのだと分かる。
口の周りを、線状の瞳孔を持った眼球が無数に取り囲んでいて、
既存の生物の顔を全く為してはいない。
しかし上方に山羊のような耳と角、銀の鬣があることから、天地ははっきりしているらしい。
深夜美は灯台に蟲たちを巻きつけ、身体を引き上げさせて、するりと展望台に降り立つ。
次の瞬間には、彼が乗っていた倉庫は帝雨荼の上肢に踏み潰されていた。
帝雨荼の腕は人間のそれに似ている。
しかし指にあたる部分は無数のホース状の触手になっており、穴からは靄が噴出している。
おそらくあれがヒビシュを作りだす呪いの出処なのだろう。
突如、はるか上空、書き割りのような夜空に無数の穴が開いた。
アーモンド形の穴の向こうから覗く、赤い粘膜が鎮神たちを見下ろす。
「深夜美の、新しい能力……!」
路加が叫ぶ。
空を覆い尽くしたのは、紛れもなく深夜美の眼だった。
それよりは少し低い高度の、港の上空に、
黒雲のようなものが集まり、やがてそれはヒビシュたちの下へ降ってくる。
「これ、念動だ……しかも『眼』で見ることの出来る範囲が広すぎるし、複数の物を軽々と同時に動かしてる……」
自分と同じ、しかし出力が圧倒的に違う能力に、鎮神は感嘆すらしていた。
島中から念動で集めた凶器を、兵士たちにばら撒いているのだ。
「それだけじゃありません。
複数の視界を同時に処理し、一つ一つに的確な念を込める彼の脳は、異常なまでの高性能に進化しています。
これほどの処理能力があれば、神の領域に接触しても耐えきるかもしれない」
真祈は淡々と分析する――深夜美ならば忌風雷を手に入れられる、と。
「アルメルージュ!
武器を取り、邪魔者たちを押し留めろ!」
深夜美によって、ヒビシュへの命令が下される。
楼夫にあった支配権は、彼の死と同時に深夜美に譲渡されたようだった。
島民は各々が包丁や鉄パイプを持って、一部は灯台を取り囲んだまま、その他は全員が鎮神たちに襲い掛かる。
さらに深夜美は念動で辺りの電線を引っ張ってくると帝雨荼を雁字搦めにし、動きを封じた。
白銀の巨体は無様にのたうっている。
これで邪魔者は居なくなった――深夜美はランプ室へ入り、異様な神殿を見渡す。
中央、光を失ったランプのすぐ傍らに、ひとりでに輝くものが立っていた。
褐色の肌に銀の長い髪。
銀髪は自らが放つ光を受けて赤く色を変えている。
真祈と同じ、原初のカルーの民に近い特徴だ。
肌が透けるほどの薄手の綾で織られたエンパイアラインの法衣を着ていて、露出した腕やデコルテから頬にかけては、手甲や面頬のように白いレースを這わせている。
微笑を貼りつけたまま、広がった瞳孔でこちらを観察している様子は、真祈とよく似ていた。
「信仰の危機が迫る時、我は起動する。汝、荒ぶる母を鎮める者か」
空気を震わす音ではなく、心の中に直接響く意志として、そのような問いかけが聴こえた。
少し遅れて、目の前のカルーの民――涅菩の口が動く。
この身体はおそらく空中に投影された映像なのだろう。
「そうだ。私が帝雨荼を殺す」
深夜美は口に出して言ってはみたが、おそらく涅菩が五感を用いておらず、塔の内部に居る者の心を読んでいることは直感で理解していた。
これはほとんど自分に宣言しているようなものだった。
しばしの沈黙の後、天井が光に包まれた。
天から地へと伸びる逆さまの大樹がランプ室一杯に現れる。
「私の祈りが終わるまで、枝を握って放さないで」
促され、深夜美は頭上に広がる光輝の一端へ手を伸ばした。
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