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八章
12 悪しき風、生命の剣
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深夜美の身体を柵の上へと押し上げ――灯台の外へ追い遣った。
水飛沫のあがる音が、風に乗って鎮神の耳にも届く。
落下する深夜美を路加が見届けたのであろう、鎮神と真祈の断たれた肉体や破れた服が元の状態に戻る。
失った血も多少補われたらしく、意識もはっきりしてきた。
見れば、真祈は刺された直後の割に元気で、既に上体を起こしつつある。
「やりましたね、鎮神。
早速、忌風雷を手に……」
珍しく掠れている真祈の声を、振動と轟音が遮った。
術者が消えたことで拘束が解けたのか、帝雨荼が動きだして、その頭を慈しむとも叩くともつかない仕草で灯台に擦りつけてきたのだ。
「汝、荒ぶる神を鎮める者か」
涅菩が呼びかけてくる。
顔にこびりついた血を拭いながら真祈は立ち上がり、枝を掴んだ。
「私の祈りが終わるまで、枝を握って放さないで」
真祈の手が一瞬のうちに蒸発しては復活する責め苦を繰り返し受ける。
涅菩の詠唱が淡々と始まった。
「永遠の欠片たちよ、陰府に流れる暗黒の水を辿りて唯一の深淵へ還れ」
一方で鎮神は、帝雨荼に向き合っていた。
力を振るえば創造主と被造物の間には罪と罰が生まれる。
それでも構わない。
真祈を守ると炎の中で誓った。
真祈もまた鎮神を信じてくれていると呪詛の海の中で気付いた。
一緒に映画を見ようと言ってくれた。
どんな罰が待っていようとも前に進むために、今ここに立っている。
「カーレッジウィングス……」
帝雨荼を止める方法を思い浮かべながら精神を集中させる。
自身とよく似た気配を感じとったためか、一つ一つが鎮神の背丈の倍はありそうな目玉が全て展望台を睨めつけてきた。
しかし怯んではいられない。
水辺に挟まれた地盤の緩そうな集落に念を込め、二〇〇メートル四方を切り出して宙へ浮かせる。
以前であれば持ち上げられなかったであろう質量だ。
さっきの船もかなり苦しかったが、今度はその比ではない――大地そのもの。
当然身体には再び負荷がかかるが、神殿の近くに居るからその力が味方してくれているのか、
それとも鎮神自身の能力が向上しているのか、どうにか耐えられる。
帝雨荼が前脚を上げ、呪いを噴き出し続ける触手を伸ばしてきた。
それが届くより早く帝雨荼を目掛けて地面を急降下させる。
神の姿は降り注いだ土砂に埋もれ、さらにその上に築かれていた家屋や電柱に縫い留められて再び動きを止めた。
「目覚めの鐘は無垢なる身体ではなく叡智によって鳴らされる。
聖なる鱗を見上げ、血の典儀にて新たなる神話をここに示さん」
涅菩の祈りはまだ続いているようだった。
鎮神はランプ室へ駆け込む。
真祈はずっと枝を握り続けていたようだが、試練のように燃え盛るそれに腕を振り落とされそうになっている。
涅菩が鎮神を手招く。
真祈を支えることを許可されたようだった。
真祈の正面に立ち、離れないように指先を軽く絡めてから枝を握りしめる。
同時に手が溶け、再びあの異様な幻――神の領域の光景が流れ込んでくる。
狂った角度を持つ天体、有機の身体を張り巡らせて中に文明を形成させる都市型生物、完全なる無の概念、そして、そして――。
何時とも何処ともつかない様々な恐るべき情報が流れ込んできて、脳を内側から喰い破ろうと暴れ回る。
矮小な生命如きに理解も共感も許しはしない、窮極の混沌にして普遍の秩序たる宇宙の法則が接触しているのだ。
今はただ狂気に呑まれないように、かつて天留津なる者がこの儀式を成功させた前例や、
指先に触れている守りたい者の存在を強く念じ続けて耐えるしかない。
その時、足元が少し傾いだのを感じた。
床に落ちていたナイフが、神殿の角まで滑っていく。
もう拘束を破られたか、と焦った鎮神は、遠くて小窓ほどに見える展望台への出入り口に振り向いた。
枝から浮きそうになったその五指を真祈が繋ぎとめる。
同時に頭上の大樹がずるずると動きだす。
光り輝く繊維が掌に集まり、流れ込んでくるのを感じる。
そして真祈と涅菩の銀髪は、自然の光を受けた緑とも人工の光に当たった赤紫とも異なる、
朝焼けのように淡く蕩けた紫色の光を放ちはじめ、呪いによって造られた闇夜を照らした。
心を乱している場合ではない、と思い直して鎮神は再び樹に向き直る。
「世界の始まりに立てるえりしゅが臣。
鉄の髪を燃やし、七つの慧き眼で文明を解き放ち、悪しき風を結ぶ者……御闇子子よ、その空の玉座に乞う」
空の玉座、という不自然な言葉に真祈が少し考え込む素振りを見せたが、結局どうでもいいとばかりに口を噤んだ。
「時代の曲がり角に知恵と生命の剣を再び授け給え――」
流出していった樹は頭上から消え、二人の手中に集束すると、剣を形作った。
水飛沫のあがる音が、風に乗って鎮神の耳にも届く。
落下する深夜美を路加が見届けたのであろう、鎮神と真祈の断たれた肉体や破れた服が元の状態に戻る。
失った血も多少補われたらしく、意識もはっきりしてきた。
見れば、真祈は刺された直後の割に元気で、既に上体を起こしつつある。
「やりましたね、鎮神。
早速、忌風雷を手に……」
珍しく掠れている真祈の声を、振動と轟音が遮った。
術者が消えたことで拘束が解けたのか、帝雨荼が動きだして、その頭を慈しむとも叩くともつかない仕草で灯台に擦りつけてきたのだ。
「汝、荒ぶる神を鎮める者か」
涅菩が呼びかけてくる。
顔にこびりついた血を拭いながら真祈は立ち上がり、枝を掴んだ。
「私の祈りが終わるまで、枝を握って放さないで」
真祈の手が一瞬のうちに蒸発しては復活する責め苦を繰り返し受ける。
涅菩の詠唱が淡々と始まった。
「永遠の欠片たちよ、陰府に流れる暗黒の水を辿りて唯一の深淵へ還れ」
一方で鎮神は、帝雨荼に向き合っていた。
力を振るえば創造主と被造物の間には罪と罰が生まれる。
それでも構わない。
真祈を守ると炎の中で誓った。
真祈もまた鎮神を信じてくれていると呪詛の海の中で気付いた。
一緒に映画を見ようと言ってくれた。
どんな罰が待っていようとも前に進むために、今ここに立っている。
「カーレッジウィングス……」
帝雨荼を止める方法を思い浮かべながら精神を集中させる。
自身とよく似た気配を感じとったためか、一つ一つが鎮神の背丈の倍はありそうな目玉が全て展望台を睨めつけてきた。
しかし怯んではいられない。
水辺に挟まれた地盤の緩そうな集落に念を込め、二〇〇メートル四方を切り出して宙へ浮かせる。
以前であれば持ち上げられなかったであろう質量だ。
さっきの船もかなり苦しかったが、今度はその比ではない――大地そのもの。
当然身体には再び負荷がかかるが、神殿の近くに居るからその力が味方してくれているのか、
それとも鎮神自身の能力が向上しているのか、どうにか耐えられる。
帝雨荼が前脚を上げ、呪いを噴き出し続ける触手を伸ばしてきた。
それが届くより早く帝雨荼を目掛けて地面を急降下させる。
神の姿は降り注いだ土砂に埋もれ、さらにその上に築かれていた家屋や電柱に縫い留められて再び動きを止めた。
「目覚めの鐘は無垢なる身体ではなく叡智によって鳴らされる。
聖なる鱗を見上げ、血の典儀にて新たなる神話をここに示さん」
涅菩の祈りはまだ続いているようだった。
鎮神はランプ室へ駆け込む。
真祈はずっと枝を握り続けていたようだが、試練のように燃え盛るそれに腕を振り落とされそうになっている。
涅菩が鎮神を手招く。
真祈を支えることを許可されたようだった。
真祈の正面に立ち、離れないように指先を軽く絡めてから枝を握りしめる。
同時に手が溶け、再びあの異様な幻――神の領域の光景が流れ込んでくる。
狂った角度を持つ天体、有機の身体を張り巡らせて中に文明を形成させる都市型生物、完全なる無の概念、そして、そして――。
何時とも何処ともつかない様々な恐るべき情報が流れ込んできて、脳を内側から喰い破ろうと暴れ回る。
矮小な生命如きに理解も共感も許しはしない、窮極の混沌にして普遍の秩序たる宇宙の法則が接触しているのだ。
今はただ狂気に呑まれないように、かつて天留津なる者がこの儀式を成功させた前例や、
指先に触れている守りたい者の存在を強く念じ続けて耐えるしかない。
その時、足元が少し傾いだのを感じた。
床に落ちていたナイフが、神殿の角まで滑っていく。
もう拘束を破られたか、と焦った鎮神は、遠くて小窓ほどに見える展望台への出入り口に振り向いた。
枝から浮きそうになったその五指を真祈が繋ぎとめる。
同時に頭上の大樹がずるずると動きだす。
光り輝く繊維が掌に集まり、流れ込んでくるのを感じる。
そして真祈と涅菩の銀髪は、自然の光を受けた緑とも人工の光に当たった赤紫とも異なる、
朝焼けのように淡く蕩けた紫色の光を放ちはじめ、呪いによって造られた闇夜を照らした。
心を乱している場合ではない、と思い直して鎮神は再び樹に向き直る。
「世界の始まりに立てるえりしゅが臣。
鉄の髪を燃やし、七つの慧き眼で文明を解き放ち、悪しき風を結ぶ者……御闇子子よ、その空の玉座に乞う」
空の玉座、という不自然な言葉に真祈が少し考え込む素振りを見せたが、結局どうでもいいとばかりに口を噤んだ。
「時代の曲がり角に知恵と生命の剣を再び授け給え――」
流出していった樹は頭上から消え、二人の手中に集束すると、剣を形作った。
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