蟲籠の島 夢幻の海 〜これは、白銀の血族が滅ぶまでの物語〜

二階堂まりい

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八章

11 異界との接触

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 鎮神しずかが気付いた時には、流れるような動きで首を斬りつけられ、蟲たちに四肢を絡め取られると投げ飛ばされていた。

 身体が宙に放り出され、一瞬、光に手が触れた。

 その時見えたものは自身の手首より先が消失する様と、
油膜が張った水溜まりのように不気味に煌めく山脈、
そこに蠢く粘性で不定形の生物たちの姿だった。


 床に叩きつけられて再び目を開くと、その異様な光景は失せていた。
 手も消えてなどいない。

 幻だったのだろうか、と思っているうちにも血はどんどん流れ出し、目の前が霞んでくる。


 深夜美みやびが必ず鎮神を間に挟むような位置をとっていたため、真祈まきはなかなか深夜美に近付けずにいた。
 しかし鎮神が倒れたことで、かえって動きやすくなったのか、一気に肉薄すると深夜美の利き手を掴んだ。
 そのまま擦れ違うようにして後ろへ回り込み、膝を裏から蹴りつける。
 床に叩きつけられた深夜美に真祈が匕首を振り下ろした。

 しかし急に、鎮神の視界から二人の姿が消えた。
 代わりに目の前に紅玉が現れる――深夜美だ。
 いつの間にか鎮神は深夜美の上に伏せていた。
 念動で引き寄せられたのだろう。

 深夜美は肉の盾を掴んで笑う。

 虚ろな意識の中、深夜美に捕らえられながら鎮神は、勝った、と思った。
 人質を取られたところで、真祈が怯むはずがない。
 
 背後で、刃が風を切り迫ってくる音が鳴る。
 肩に鋭い痛みが走る。
 真祈ではない。
 深夜美が鎮神の首筋に噛みつき、肩を握り潰したのだ。

 溢れた血肉が真祈の顔に投げつけられて視界を奪う。
 目潰しを喰らってもなお、真祈は止まらなかった。
 向けられた殺気を読み取って身を翻し、迷いなく敵を薙ぎ払う。
 確かな手応えがあった。

「……勘が良すぎることが仇になったな、宇津僚うつのつかさ真祈」
 真祈が斬りつけた方向は、退避した深夜美が居るのとは真逆であった。
 そこには主と同じくらいの質量になるように固まった蟲の群れが居るだけだ。

 元から深夜美は殺気など放っていなかった。
 蟲で作った偽の気配で真祈を惑わせたのだ。


 そして真祈の腹には、攻撃を掻い潜った蟲たちが迫り、ナイフを突き立てていた。
 覗く臓腑を押さえながら展望台へ出て行こうとした真祈の背中に追い打ちがかかる。
「潮路加に傷を治してもらうつもりなら、そうはさせない」

「……面白いくらい……私の行動を先読みしてきますね」
 手品でも見たかのように好奇心で輝いた瞳を向けてから、真祈は頽れる。
 正面からも背後からも斬られた胴は、深夜美の邪悪な眼の色で染め上げられたかのようになっていた。
 
 
 微動だにしなくなった二人を見下ろして、深夜美は光へ手を伸ばす。
「さあ……忌風雷いむふらを我が手に」
 雪のように白い、しかし多くの血を啜ってきた右手が、枝を掴む。


 異界に触れた手は突如として骨まで蒸発し無に還り、そして再生させられるという現象を見せた。
 神の領域に触れる以上、何が起きてもおかしくないと覚悟はしていた。
 しかし母の写し身であるその身体が一瞬失われた時、深夜美は微かに動揺した。

 そしてその一瞬の隙に、深夜美の心臓と右脚を二本の匕首が抉り飛ばしていた。


「さっき貴方の蟲に放り投げられた時……神の領域を一足先に体験したのは、おれです。
 身体が傷つけられれば貴方は絶対に怯むと思って、この時を待ってました」
 鎮神はよろめきつつも立ち上がって、倒れた深夜美の左脚を掴むと引き摺った。

 頭上には大樹が、側には涅菩ねぼの幻が、何事も無かったかのように在る。

「この程度で止まるなどと……
血脈が、母が、信念が許しはしない……」
 深夜美が譫言のように呟いているが、あながち虚仮威しでもないらしい。
 蟲たちが飛び散った肉片を持って集い、治癒能力を行使し始めている。

 しかしいくら治癒能力により疑似的な不死を手に入れた深夜美でも、あの海に落ちて無事でいられるはずは無い。

 目の前が真っ暗になって脚から力が抜け、ランプ室を出た辺りで鎮神はへたり込むが、
それでもどうにか深夜美の身体を柵の上へと押し上げ――灯台の外へ追い遣った。
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