だから、私は愛した。

惰眠

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第六章

樹木を啄む

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 彼は少しずつ、腐っていった。

 私という毒に侵され、内部から蝕まれていったのだ。

 今では、彼から手を繋いでくる。

 気まぐれで手を離すと、彼は怯えた顔をして握り直そうとする。

「ねぇ、寂しいの?」

「大丈夫。」

 彼は、怯えているのだ。

 私が彼らのように、いじめる側に回るのではないのだろうかと彼は恐怖しているのだろう。

 彼は、怯える小動物のようなかわいさがある。

 私は、いつ彼のことを襲ってもおかしくないだろう。

 なにせ、私は猛獣よりも質の悪い怪物の一つであるはずだ。

 彼の思いを一心に奪い、彼の体の支配権を少しずつ掌握していく。

「ねぇ、今度は一週間後にしか会えないけど待てる?」

「頑張る。」

 今では、彼は私の従順なペットだ。

 私は、余裕がないという演技をする。

 特にバイトをしているわけでもないので、会おうと思ったら会えなくもない。

 彼が、毎回のように悲しそうにする姿が好きだ。
 彼が、私に傷つけられた時の落ち込んだ顔が好きだ。
 彼が、日に日に私に会えることがうれしくて、尻尾を振りそうになるのが好きだ。

 彼は、今日も飛び跳ねるように目の前に現れる。

 彼が私に気づくまで、死んだようなその顔は、登校する時のあの顔だ。

 きっと、彼は私に隠すように演じ切ろうとしているのだろう。

 詐欺師に詐欺は働けないように、彼の異変には私が一番詳しいと自負している。

 彼がどんなに苦しんでいようが、私が見ていない所で苦しむくらいなら、目の前で泣いていてほしい。
 なぜなら、私の生きる糧は、彼の苦しみそのものだからだ。

 その苦しみに恋をし、愛している。

 彼が、一時見せる不気味な能面のようなその真顔に、私は甚く感動を覚えるのだ。

 彼が、壊れていると自覚できるその瞬間に、彼を殺めたいと思うのは自然なことだろう。

 私は、彼のことをこよなく愛すのだから、彼の命の一端くらいは握っても文句はないだろう。


 私は、彼を強く抱きしめても、文句を言われなくなった。
 彼に爪を立てて困らせても、文句を言われなくなった。
 彼の首を少しだけ強く抱きしめても、文句を言われなくなった。


 彼は私に夢中だ。

 彼は今日もいじめられる。

 彼は孤独だ。
 私という存在に縋るしか生き方を知らない。

 彼は寂しがり屋だ。
 私が離れたら、今にも死にそうな顔をする。

 私は、彼をこよなく愛し、正しく歪んだ殺意の笑顔で、いつも彼のことを見つめる。

 彼が動かなくなるその時まで、私はこの目を大事にしたい。
 彼が荒れ狂い、壊れ、朽ちるその時を一瞬たりとも見逃さないように見ていたい。

 私は、彼が大事に守ってきたものを少しずつ壊す。

 プライド、忍耐力、優しさ。
 彼が壊れていけばいくほど、私は、私に弱さを見せ続けていてくれるようで、うれしくて仕方がない。


 彼は、今日も壊される。

 私や彼らによって、彼は壊される。

 彼が死にたいといっても、私は許せない。

 ならば、私を殺してほしいくらいだ。

 私の純愛は、酷く綺麗なものだ。

 誰にも負けない彼への愛は、彼にも伝わらないほどに強く、大きい。

 彼は、その背中を私に見せ、私は愉快に爪を立てるのだ。

 彼が、私を裏切らないように。

 愛し続けるように。
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