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裸男
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エレーヌは勇気を振り絞って、国王に向けて口を開いた。
「母は、わたしの母は……、あの、どこに、母はどうなったのでしょうか………?」
エレーヌに母を想わない日は一日とてなかった。
エレーヌが塔を出てからもその姿を一度も見ないことから、おそらくは死んでしまったのだろう。しかし、どんな亡くなり方をしたのか。ちゃんと葬られたのか。少しでも知りたかった。
「そなたの母親か」
国王は目に慈愛を浮かべた。
「そなたの母は、安らかに死んだぞ。丁重に葬った。安心せよ」
国王は力強く言った。
(お母さま……、お母さま………! ありがとうございます。国王陛下、ありがとうございます……!)
エレーヌは涙をはらはらと流しながら、国王に何度もお辞儀した。
国王の言葉で、エレーヌは最後に母は国王を頼ったのだと思い込んだが、国王は気休めを言ったに過ぎなかった。昔手を付けた下女の顛末など、国王にとってはどうでも良かった。
実際は、エレーヌの母親は、塔を出た数日後、王都の外れで遺体で発見された。身元を詮索されることもなく遺体は共同墓地に埋葬された。干からびた体は、死期を悟ってみずから水断ちしたことを物語っており、その顔は安らかだった。娘を一人で生きて行けるまで守り育てた人生は、それなりに満足のいくものだったのかもしれない。
「安らかに死んだ」との国王の弁は偶然、真実を言い当てていたにすぎないが、エレーヌは心残りなく異国へと出発できることとなった。
***
ラクア王国に向かう馬車の中、帽子の男はエレーヌに話しかけてきた。しかし、エレーヌには何を言っているのか、さっぱりわからなかった。
男はエレーヌがその言葉を理解できるものだと思い込んでいたようで、エレーヌが理解できないと知ると、呆れた顔を向けてきた。男は側近と言葉を交わす。
『呆れたな。この王女は帝国語もわからんらしい』
『一国の王女なのに教養も身に着けておられぬとは』
『まあ、いい。あいつには、見目は良くとも中身はすっからかんの妃がお似合いだ』
『そうですな』
エレーヌには何を言っているのか理解できなかったが、侮蔑されているのはわかった。二人はエレーヌに向けてあからさまに馬鹿にした笑い声を上げている。
しかし、何をされるのか不安しかなかったエレーヌは、ひどいことでもされないか恐れるだけで、馬鹿にされることなど気にもならなかった。
(私が第三王女ではないとわかっているのかしら。下女の娘だとわかったら、どうなるのかしら)
第三王女のなりすましだとわかったら、どんな扱いになるかわからない。エレーヌには、王女らしさどころか、普通の娘らしさも良くわからなかったが、とにかくぼろを出さないようにするしかなかった。
馬車が止まると、帽子の男は、荷物のなかから板のようなものを出した。そして、エレーヌの足元に無造作に投げつけた。板は床に落ちた。
男たちはそのまま出て行った。それきり、男たちが乗ってこないまま馬車が走り始めた。帽子の男は、もうエレーヌの相手をすることをやめて、別の馬車に乗ったようだった。
馬車で一人になって、エレーヌはほっと息をついた。それでも、姿勢を崩すことも出来ず、じっとしていた。
辺りが暗くなり馬車は止まった。ガチャリとドアが開いて身構えると、かごとブランケットが投げ込まれた。かごには飲み物とパンにハムが入っていた。喉が渇いてたまらなかったエレーヌは、筒に入った飲み物に口をつけた。
パンをかじると少し気分が落ち着いてきた。ブランケットで身を包むと眠くなってきた。
いつのまにか眠ってしまったようで、馬車が動き出してから、目が覚めた。
婚姻使節団の一行は、まだ夜が明けきらないうちに、出発したようだった。エレーヌは座席に丸まって眠っていたために体の節々が痛かった。
少しずつ緊張が解けてきたエレーヌは、馬車の中で、腕や足を伸ばしたりした。そのうち、馬車の中にも朝陽が差し込んできた。
床に落ちたままの板に気がついた。エレーヌは拾い上げた。
板は枠に布を貼ったものであるらしかった。ひっくり返すと男の顔があった。
(これって、肖像画……?)
黒目黒髪の男が描かれている。
そういえば、帽子の男に出会ったとき、これを胸に掲げていたような気がしてきた。
国王はこの肖像画を指して「お前の夫だ」と言ったのだとそのときになって気づいた。どうりで帽子の男の態度が、妻に対するものにしては、やけに冷え冷えとしていたはずだった。
(この人が私の夫なのね………?)
黒目黒髪の男は、こちらを向いており、怖そうに見えた。しかし、エレーヌには目が離せなくなった。
(まっすぐに伸びた眉に、意志の強そうな目、引き締まった口元……。侍女が美男子だと言っていたわね)
エレーヌにも、男の姿形が好ましく見えた。
(夫になる人だから、そう思えるのかしら)
それからずっと、エレーヌは馬車の中で、向かいの座席に肖像画をおいて、いつも眺めた。
(あなたは何という名前なの? どんな声をしているの?)
肖像画に心で語りかけた。そうしているうちに、慕う気持ちが湧いてきた。
(怖そうにも見えるけど、きっと優しい人よ。だって、目がとても澄んでいるんだもの)
漆黒の目は夜空のようにどこまでも続いているように見える。
(優しい人でありますように。旦那さま、どうか私と心を通じ合わせてくださいませ)
馬車の中で、エレーヌは毎日、肖像画に語りかけた。
ラクア王国に入る前、エレーヌは馬車の外に出た。そこでブルガンの衣装を脱いで、上から下まですべてラクアの衣装に着替えた。
文字通り、身一つで輿入れすることになった。
***
ゲルハルト・アイクシュテットはラクア王国の第二王子としての立場をわきまえていた。つまり自分はスペアでしかない、とわかっていた。
そしてそれをゲルハルトは好都合として捉え、自由の身を謳歌していた。何か月も放浪の旅に出かけたり、かと思えば、王宮図書館にこもって本を枕に寝泊まりすることもあった。
廷臣らは、そんなゲルハルトに期待は寄せず、何か問題でも起こさないことを願うばかりだった。
「まだお若いからいいが、これから酒に女の味を知ったらどうなることか」
「とにかく精力旺盛で利かん気なゲルハルトさまのことだ。愛妾を100人抱えて、酒を満たした池を作っても驚かないぞ、俺は」
「そして、いきなり、その愛妾を全員追い出して、今度は博士を100人集めても驚かないぞ、俺も」
「とにかく問題を起こさなければいいが」
しかし、ゲルハルトの自由も、18歳で終わることになった。父親である国王が死んだ際、国王夫妻の婚姻を無効だとして、父方の血筋の公爵家が王位継承権を主張してきた。言いがかりも甚だしいが、理屈よりも武力が勝る。公爵家との間で内乱が起き、あろうことか兄が内乱に破れ死んだ。
王位は公爵家に移るかと思いきや、ゲルハルトは、大陸の覇者である帝国を味方につけ、公爵家を打ち破り、王位に着いた。
ゲルハルトは王位に着けば、博士を招いたり、商人に出資したり、自分まで船に乗って近海に出たり、再び自由を謳歌し始めた。
「まさか、今度は自分が新大陸を見つけようなどとは言い出しはすまいな」
「海賊の真似事をおっぱじめても、驚かんぞ」
そこへ、ブルガン王国との縁談が持ち上がった。ブルガン王国は小国だが大陸で最も古い国で、新興勢力であるラクア王国にとっては、またとない縁談だった。まだ結婚など視野に無さそうなゲルハルトだったが、廷臣らの予想に反して、婚姻を受け入れた。
「ゲルハルトさまも少しは政治をわかる人だったということだな」
ブルガン王国とのつながりは、国内の貴族へも、帝国へも、強力なけん制となる。
廷臣らの期待は膨らんだ。
「ようやく陛下も落ち着いてくださるということだ」
「ブルガン王国の王女なら、教養も高く、ゲルハルトさまをしつけ直してくださるかもしれんな」
「まだまだ少年のようなところのある陛下だ。案外尻に敷かれるかもしれん」
しかし、婚姻使節団が戻ってきて、団長の帽子公爵ことヴァロア公爵からの説明に、廷臣らはがっかりした。
「ブルガン王女には何の教養もなく、帝国語もわからないそうだ。ひょっとしたら声も出ないかもしれない。マナーもなっておらず、田舎娘のようだとさ」
大陸では帝国語が貴族らの共通語だった。母国語で喋るのは家族間のみで、貴族同士では帝国語を使う。そのため、帝国語は宮廷語とも呼ばれた。
貴族なのに帝国語を喋ることができないのは全く教育を受けていないとしか思えなかった。
「そのような娘を寄越すとは、ブルガン王国はラクア王国を馬鹿にしているのではないか」
そんな囁き声さえある。
当のゲルハルトは、ヴァロア公爵の報告ですっかり興味をなくしたのか、政略結婚にもともと興味がなかったのか、花嫁を出迎えるというその日、港に出てしまった。
それもあり、花嫁を出迎えるために王宮に集まった貴族らは、冷淡さのこもる目で、花嫁の乗った馬車の到着を待っていた。
王宮前に、婚姻使節団の馬車が止まった。王宮の正面で止まった馬車はブルガンからきた王女の乗る馬車だった。
馬車が開き、花嫁が降り立った。
嘲笑してやろうと集まった貴族らは、まるで人形のような生気のない花嫁に、毒気を抜かれた。
衣装だけは王女らしく豪華なものの、異様に色が白く、痩せっぽちだ。
花嫁は多くの視線に耐えられなくなったかのように、うつむいてしまった。
(突然、一人で外国に嫁がされて可哀相だな。そのうえ、夫となる国王にもそっぽを向かれて)
貴族らは同情を寄せ始めたが、それでも、一部の貴族は、野次を飛ばした。
「挨拶もしないで、うつむいてしまうなんて、礼儀作法も知らないのだな」
「まるで人形にドレスを着せたみたいだ」
「人形というより死体だぞ」
しかし、そう言った人たちは不意に現れた嵐のような存在に、いきなり殴られた。
ゲルハルトだった。
ゲルハルトは次々と花嫁を嘲笑った貴族らを殴っていく。
「妻を侮辱するのは俺が許さん」
怒鳴りながら、花嫁のもとに近づいていく。
ゲルハルトが花嫁の目の前に立ったときには、花嫁は怯え切っていた。
ゲルハルトが声をかけようとすれば、花嫁の体がぐらりと揺れた。ゲルハルトは慌ててその体を支えるも、その顔色がひどく悪く、怯えて歯をがちがちを鳴らしていることに気づいた。
「大丈夫か、あなたはどうしてこんなに震えているのだ」
そう訊いても、花嫁は目に涙を浮かべるばかりで、ゲルハルトの腕のなかで、ごとごとと全身を震わせている。
ゲルハルトの側近が、苦笑しながら答えた。
「陛下が怖いんじゃないっすかね」
「俺のどこが怖いんだ?」
出迎えに間に合うように港から帰ってきたゲルハルトは、無精ひげを蓄え、腰布を巻いただけの、ほぼ裸だった。
「その格好で、人を殴りながら近づいてこられれば、俺だって怖いです」
「殴ってない。小突いただけだ」
振り返れば、ゲルハルトが殴った貴族は痛そうにはするものの、怪我などは負っていない。
ゲルハルトは花嫁を抱え上げた。花嫁は呆れるほどに軽かった。ゲルハルトの腕の中で、花嫁は震えている。
ゲルハルトは、花嫁と目を合わせると、にこっと笑って見せた。花嫁は、それを見て、ついに気を失った。
※身一つで輿入れ(例、マリーアントワネット)
※宮廷語(例、欧州におけるフランス語)
「母は、わたしの母は……、あの、どこに、母はどうなったのでしょうか………?」
エレーヌに母を想わない日は一日とてなかった。
エレーヌが塔を出てからもその姿を一度も見ないことから、おそらくは死んでしまったのだろう。しかし、どんな亡くなり方をしたのか。ちゃんと葬られたのか。少しでも知りたかった。
「そなたの母親か」
国王は目に慈愛を浮かべた。
「そなたの母は、安らかに死んだぞ。丁重に葬った。安心せよ」
国王は力強く言った。
(お母さま……、お母さま………! ありがとうございます。国王陛下、ありがとうございます……!)
エレーヌは涙をはらはらと流しながら、国王に何度もお辞儀した。
国王の言葉で、エレーヌは最後に母は国王を頼ったのだと思い込んだが、国王は気休めを言ったに過ぎなかった。昔手を付けた下女の顛末など、国王にとってはどうでも良かった。
実際は、エレーヌの母親は、塔を出た数日後、王都の外れで遺体で発見された。身元を詮索されることもなく遺体は共同墓地に埋葬された。干からびた体は、死期を悟ってみずから水断ちしたことを物語っており、その顔は安らかだった。娘を一人で生きて行けるまで守り育てた人生は、それなりに満足のいくものだったのかもしれない。
「安らかに死んだ」との国王の弁は偶然、真実を言い当てていたにすぎないが、エレーヌは心残りなく異国へと出発できることとなった。
***
ラクア王国に向かう馬車の中、帽子の男はエレーヌに話しかけてきた。しかし、エレーヌには何を言っているのか、さっぱりわからなかった。
男はエレーヌがその言葉を理解できるものだと思い込んでいたようで、エレーヌが理解できないと知ると、呆れた顔を向けてきた。男は側近と言葉を交わす。
『呆れたな。この王女は帝国語もわからんらしい』
『一国の王女なのに教養も身に着けておられぬとは』
『まあ、いい。あいつには、見目は良くとも中身はすっからかんの妃がお似合いだ』
『そうですな』
エレーヌには何を言っているのか理解できなかったが、侮蔑されているのはわかった。二人はエレーヌに向けてあからさまに馬鹿にした笑い声を上げている。
しかし、何をされるのか不安しかなかったエレーヌは、ひどいことでもされないか恐れるだけで、馬鹿にされることなど気にもならなかった。
(私が第三王女ではないとわかっているのかしら。下女の娘だとわかったら、どうなるのかしら)
第三王女のなりすましだとわかったら、どんな扱いになるかわからない。エレーヌには、王女らしさどころか、普通の娘らしさも良くわからなかったが、とにかくぼろを出さないようにするしかなかった。
馬車が止まると、帽子の男は、荷物のなかから板のようなものを出した。そして、エレーヌの足元に無造作に投げつけた。板は床に落ちた。
男たちはそのまま出て行った。それきり、男たちが乗ってこないまま馬車が走り始めた。帽子の男は、もうエレーヌの相手をすることをやめて、別の馬車に乗ったようだった。
馬車で一人になって、エレーヌはほっと息をついた。それでも、姿勢を崩すことも出来ず、じっとしていた。
辺りが暗くなり馬車は止まった。ガチャリとドアが開いて身構えると、かごとブランケットが投げ込まれた。かごには飲み物とパンにハムが入っていた。喉が渇いてたまらなかったエレーヌは、筒に入った飲み物に口をつけた。
パンをかじると少し気分が落ち着いてきた。ブランケットで身を包むと眠くなってきた。
いつのまにか眠ってしまったようで、馬車が動き出してから、目が覚めた。
婚姻使節団の一行は、まだ夜が明けきらないうちに、出発したようだった。エレーヌは座席に丸まって眠っていたために体の節々が痛かった。
少しずつ緊張が解けてきたエレーヌは、馬車の中で、腕や足を伸ばしたりした。そのうち、馬車の中にも朝陽が差し込んできた。
床に落ちたままの板に気がついた。エレーヌは拾い上げた。
板は枠に布を貼ったものであるらしかった。ひっくり返すと男の顔があった。
(これって、肖像画……?)
黒目黒髪の男が描かれている。
そういえば、帽子の男に出会ったとき、これを胸に掲げていたような気がしてきた。
国王はこの肖像画を指して「お前の夫だ」と言ったのだとそのときになって気づいた。どうりで帽子の男の態度が、妻に対するものにしては、やけに冷え冷えとしていたはずだった。
(この人が私の夫なのね………?)
黒目黒髪の男は、こちらを向いており、怖そうに見えた。しかし、エレーヌには目が離せなくなった。
(まっすぐに伸びた眉に、意志の強そうな目、引き締まった口元……。侍女が美男子だと言っていたわね)
エレーヌにも、男の姿形が好ましく見えた。
(夫になる人だから、そう思えるのかしら)
それからずっと、エレーヌは馬車の中で、向かいの座席に肖像画をおいて、いつも眺めた。
(あなたは何という名前なの? どんな声をしているの?)
肖像画に心で語りかけた。そうしているうちに、慕う気持ちが湧いてきた。
(怖そうにも見えるけど、きっと優しい人よ。だって、目がとても澄んでいるんだもの)
漆黒の目は夜空のようにどこまでも続いているように見える。
(優しい人でありますように。旦那さま、どうか私と心を通じ合わせてくださいませ)
馬車の中で、エレーヌは毎日、肖像画に語りかけた。
ラクア王国に入る前、エレーヌは馬車の外に出た。そこでブルガンの衣装を脱いで、上から下まですべてラクアの衣装に着替えた。
文字通り、身一つで輿入れすることになった。
***
ゲルハルト・アイクシュテットはラクア王国の第二王子としての立場をわきまえていた。つまり自分はスペアでしかない、とわかっていた。
そしてそれをゲルハルトは好都合として捉え、自由の身を謳歌していた。何か月も放浪の旅に出かけたり、かと思えば、王宮図書館にこもって本を枕に寝泊まりすることもあった。
廷臣らは、そんなゲルハルトに期待は寄せず、何か問題でも起こさないことを願うばかりだった。
「まだお若いからいいが、これから酒に女の味を知ったらどうなることか」
「とにかく精力旺盛で利かん気なゲルハルトさまのことだ。愛妾を100人抱えて、酒を満たした池を作っても驚かないぞ、俺は」
「そして、いきなり、その愛妾を全員追い出して、今度は博士を100人集めても驚かないぞ、俺も」
「とにかく問題を起こさなければいいが」
しかし、ゲルハルトの自由も、18歳で終わることになった。父親である国王が死んだ際、国王夫妻の婚姻を無効だとして、父方の血筋の公爵家が王位継承権を主張してきた。言いがかりも甚だしいが、理屈よりも武力が勝る。公爵家との間で内乱が起き、あろうことか兄が内乱に破れ死んだ。
王位は公爵家に移るかと思いきや、ゲルハルトは、大陸の覇者である帝国を味方につけ、公爵家を打ち破り、王位に着いた。
ゲルハルトは王位に着けば、博士を招いたり、商人に出資したり、自分まで船に乗って近海に出たり、再び自由を謳歌し始めた。
「まさか、今度は自分が新大陸を見つけようなどとは言い出しはすまいな」
「海賊の真似事をおっぱじめても、驚かんぞ」
そこへ、ブルガン王国との縁談が持ち上がった。ブルガン王国は小国だが大陸で最も古い国で、新興勢力であるラクア王国にとっては、またとない縁談だった。まだ結婚など視野に無さそうなゲルハルトだったが、廷臣らの予想に反して、婚姻を受け入れた。
「ゲルハルトさまも少しは政治をわかる人だったということだな」
ブルガン王国とのつながりは、国内の貴族へも、帝国へも、強力なけん制となる。
廷臣らの期待は膨らんだ。
「ようやく陛下も落ち着いてくださるということだ」
「ブルガン王国の王女なら、教養も高く、ゲルハルトさまをしつけ直してくださるかもしれんな」
「まだまだ少年のようなところのある陛下だ。案外尻に敷かれるかもしれん」
しかし、婚姻使節団が戻ってきて、団長の帽子公爵ことヴァロア公爵からの説明に、廷臣らはがっかりした。
「ブルガン王女には何の教養もなく、帝国語もわからないそうだ。ひょっとしたら声も出ないかもしれない。マナーもなっておらず、田舎娘のようだとさ」
大陸では帝国語が貴族らの共通語だった。母国語で喋るのは家族間のみで、貴族同士では帝国語を使う。そのため、帝国語は宮廷語とも呼ばれた。
貴族なのに帝国語を喋ることができないのは全く教育を受けていないとしか思えなかった。
「そのような娘を寄越すとは、ブルガン王国はラクア王国を馬鹿にしているのではないか」
そんな囁き声さえある。
当のゲルハルトは、ヴァロア公爵の報告ですっかり興味をなくしたのか、政略結婚にもともと興味がなかったのか、花嫁を出迎えるというその日、港に出てしまった。
それもあり、花嫁を出迎えるために王宮に集まった貴族らは、冷淡さのこもる目で、花嫁の乗った馬車の到着を待っていた。
王宮前に、婚姻使節団の馬車が止まった。王宮の正面で止まった馬車はブルガンからきた王女の乗る馬車だった。
馬車が開き、花嫁が降り立った。
嘲笑してやろうと集まった貴族らは、まるで人形のような生気のない花嫁に、毒気を抜かれた。
衣装だけは王女らしく豪華なものの、異様に色が白く、痩せっぽちだ。
花嫁は多くの視線に耐えられなくなったかのように、うつむいてしまった。
(突然、一人で外国に嫁がされて可哀相だな。そのうえ、夫となる国王にもそっぽを向かれて)
貴族らは同情を寄せ始めたが、それでも、一部の貴族は、野次を飛ばした。
「挨拶もしないで、うつむいてしまうなんて、礼儀作法も知らないのだな」
「まるで人形にドレスを着せたみたいだ」
「人形というより死体だぞ」
しかし、そう言った人たちは不意に現れた嵐のような存在に、いきなり殴られた。
ゲルハルトだった。
ゲルハルトは次々と花嫁を嘲笑った貴族らを殴っていく。
「妻を侮辱するのは俺が許さん」
怒鳴りながら、花嫁のもとに近づいていく。
ゲルハルトが花嫁の目の前に立ったときには、花嫁は怯え切っていた。
ゲルハルトが声をかけようとすれば、花嫁の体がぐらりと揺れた。ゲルハルトは慌ててその体を支えるも、その顔色がひどく悪く、怯えて歯をがちがちを鳴らしていることに気づいた。
「大丈夫か、あなたはどうしてこんなに震えているのだ」
そう訊いても、花嫁は目に涙を浮かべるばかりで、ゲルハルトの腕のなかで、ごとごとと全身を震わせている。
ゲルハルトの側近が、苦笑しながら答えた。
「陛下が怖いんじゃないっすかね」
「俺のどこが怖いんだ?」
出迎えに間に合うように港から帰ってきたゲルハルトは、無精ひげを蓄え、腰布を巻いただけの、ほぼ裸だった。
「その格好で、人を殴りながら近づいてこられれば、俺だって怖いです」
「殴ってない。小突いただけだ」
振り返れば、ゲルハルトが殴った貴族は痛そうにはするものの、怪我などは負っていない。
ゲルハルトは花嫁を抱え上げた。花嫁は呆れるほどに軽かった。ゲルハルトの腕の中で、花嫁は震えている。
ゲルハルトは、花嫁と目を合わせると、にこっと笑って見せた。花嫁は、それを見て、ついに気を失った。
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