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ヒロインと、王子と、罠に落ちた悪役令嬢
これは苦しい物語。何度も喪失を繰り返してきた。けれども結末には幸せを。負けを繰り返してきた愚者が、最後には勝利を得られるように。
***
王宮のホールでは、ロベール王子の成人を祝う会が盛大に開かれている。ロベールの周囲には幾重もの人垣ができていたが、ようやくそれも落ち着いたところで公女クリスティーヌは近づいて声をかけた。
「殿下、おめでとうございます。殿下の麗しい成長は国民のみんなの喜びでございま……」
しかし、ロベールの顔はクリスティーヌに向いた途端に、さも嫌なものを見たとばかりに歪んでしまった。その冷淡さにクリスティーヌも口を閉ざしてしまった。
ロベールと腕を組んだマリアンナが、気遣う声を出した。
「ロベールぅ、クリスティーヌが祝ってくれてるんだから、きちんと返事してあげなきゃダメでしょう?」
クリスティーヌには冷たかったロベールの顔が、マリアンナに向いた途端に甘く微笑む。
「マリー、お前は優しすぎるぞ。こんな女、放っておけばいいものを」
「ロベールぅ、クリスティーヌにそんな意地悪言わないであげて。あなたたちは、いずれ夫婦になるのよぉ?」
「好きで夫婦になるわけではない」
クリスティーヌはロベールの婚約者だ。今ではすっかり嫌われてしまったが。
クリスティーヌはそれでも笑みを浮かべていた。ロベールの冷たい言葉、マリアンナの勝ち誇る顔つき、そして、周囲からの蔑みの目。それらがどれだけクリスティーヌに突き刺さろうとも。
クリスティーヌにできることは、優雅に礼をし、その場を立ち去ることだけだった。
バルコニーに向かう。
一人になったところで涙がこぼれてきた。
(マリアンナさまはこの国を救った方なのだから、悪く思っては駄目)
マリアンナは救国の聖女だった。
数年前、辺境で、魔獣が出現した。王都近辺まで魔獣に攻め込まれていたところ、衛生兵だったマリアンナが、突如前線に立ち、祈りの力で魔獣を消滅させた。
町外れの宿屋の娘に生まれついたマリアンナは、伝説の聖女だったのだ。
マリアンナは、その功績により、王家の養女となり、聖王女マリアンナとなった。
マリアンナは天使のような外見をしていた。ピンクブロンドの巻き毛、水色の目、華奢な体つき。とっくに成人を迎えているというのに、少女のように見える。
マリアンナに、国じゅうが熱狂した。その存在には誰もがひれ伏すしかない。
だから、ロベールがクリスティーヌよりもマリアンナを優先するのも当然のことで、大した問題ではないのだ。
マリアンナが、妻や婚約者のいる男性と腕を組んだり、彼らを侍らせたりしていることも、同じく大した問題ではない。
そして、最初の方こそ、「私は聖女としての役目を果たしたまでです」と遠慮がちだったマリアンナが、ドレスを次々と仕立てるようになったり、宝石を購入したりと贅の限りを尽くすようになったことも、同じく些末事。
だが、その些末事が積み重なって、今ではいろいろなところでしわ寄せが起きている。
(ロベールさまも以前は温厚で知性的な方だったのに)
金髪碧眼の見目麗しいロベールは、内面もまた王子然としており誠実で優しかった。クリスティーヌは、同い年のこの従兄と、やがては国王と王妃になる身として、励まし合って成長してきた。
しかし、ロベールは、マリアンナに夢中になってしまった。そして、クリスティーヌを邪険に扱うようになった。今では、婚約者としても、王子としても、ふさわしくない振る舞いをすることが増えてきた。
(いつかまたもとのロベールさまに戻ってくれるはず)
クリスティーヌはそう信じてひたすら耐えている。
(マリアンナさまがどなたかと結ばれるまでの我慢よ)
マリアンナもいつか相手を一人に決めて、結婚するだろう。そうすればロベールもあきらめるはずだ。マリアンナがロベールを選べば、そのときは、クリスティーヌが身を引くつもりだ。
マリアンナの意志は何よりも優先する。
涼しい風に当たって気が落ち着いてきたクリスティーヌは、背後の足音に気づいた。
振り返ると、マリアンナがこちらにやってくるのが見えた。マリアンナはクリスティーヌと目を合わせると、雰囲気の良くない笑みを向けてきた。
マリアンナがこんな笑みを浮かべたあとは、大抵悪いことが起きる。マリアンナが自分で階段から落ちたのに、クリスティーヌが突き落としたことになったときにも、同じ笑みを浮かべていた。
いつも男性の取り巻きを引きつれているマリアンナが、一人でいることも余計に警戒させた。
(何かあるわ。逃げなければ)
クリスティーヌは礼をしてマリアンナの横を通り抜けようとした。
そのとき、意地の悪い声が聞こえてきた。
「逃げても無駄だよ」
意味がわからないながら、とにかくその場をあとにしようとしたとき、マリアンナが悲鳴を上げた。
「キャアアアーーーッ」
それから、ガシャン、と金属が床に落ちる音があった。見ればナイフが落ちており、マリアンナは恐怖に満ちた顔をクリスティーヌに向けていた。
ロベールに衛兵らが駆け付けてきた。
「マリアンナ、何ごとだっ」
「クリスティーヌが、わ、わたしをナイフで刺そうとっ」
「刺されたのかっ」
「だ、だいじょうぶ、何とか避けたからっ」
マリアンナの無事を確認したロベールは、クリスティーヌに近づいてきた。
顔には憤怒が浮かんでいる。
「お、まえっ」
「私は何も……っ」
言い終わる前に、クリスティーヌは頬に衝撃を受けた。ロベールがクリスティーヌを横に払ったのだ。クリスティーヌは床に倒れ込んだ。
ロベールの吐き捨てる声があった。
「おまえはっ、ついにマリアンナを殺そうとしたのかっ」
ロベールは、衛兵の腰から剣を抜くと、クリスティーヌに切っ先を向けた。
クリスティーヌは目を閉じた。剣は振りかざされ、そして、クリスティーヌに打ち落とされた。
クリスティーヌの頭部から、赤い塊がポトリと床に落ちた。
落ちたのはクリスティーヌの赤毛だった。ロベールが「血のようで気持ち悪い」と嫌うために、いつも後ろで小さくまとめている。
ロベールは床に剣を投げ出すとクリスティーヌを蹴りつけた。
衛兵がロベールを止めたときには、クリスティーヌは気を失っていた。
***
王宮のホールでは、ロベール王子の成人を祝う会が盛大に開かれている。ロベールの周囲には幾重もの人垣ができていたが、ようやくそれも落ち着いたところで公女クリスティーヌは近づいて声をかけた。
「殿下、おめでとうございます。殿下の麗しい成長は国民のみんなの喜びでございま……」
しかし、ロベールの顔はクリスティーヌに向いた途端に、さも嫌なものを見たとばかりに歪んでしまった。その冷淡さにクリスティーヌも口を閉ざしてしまった。
ロベールと腕を組んだマリアンナが、気遣う声を出した。
「ロベールぅ、クリスティーヌが祝ってくれてるんだから、きちんと返事してあげなきゃダメでしょう?」
クリスティーヌには冷たかったロベールの顔が、マリアンナに向いた途端に甘く微笑む。
「マリー、お前は優しすぎるぞ。こんな女、放っておけばいいものを」
「ロベールぅ、クリスティーヌにそんな意地悪言わないであげて。あなたたちは、いずれ夫婦になるのよぉ?」
「好きで夫婦になるわけではない」
クリスティーヌはロベールの婚約者だ。今ではすっかり嫌われてしまったが。
クリスティーヌはそれでも笑みを浮かべていた。ロベールの冷たい言葉、マリアンナの勝ち誇る顔つき、そして、周囲からの蔑みの目。それらがどれだけクリスティーヌに突き刺さろうとも。
クリスティーヌにできることは、優雅に礼をし、その場を立ち去ることだけだった。
バルコニーに向かう。
一人になったところで涙がこぼれてきた。
(マリアンナさまはこの国を救った方なのだから、悪く思っては駄目)
マリアンナは救国の聖女だった。
数年前、辺境で、魔獣が出現した。王都近辺まで魔獣に攻め込まれていたところ、衛生兵だったマリアンナが、突如前線に立ち、祈りの力で魔獣を消滅させた。
町外れの宿屋の娘に生まれついたマリアンナは、伝説の聖女だったのだ。
マリアンナは、その功績により、王家の養女となり、聖王女マリアンナとなった。
マリアンナは天使のような外見をしていた。ピンクブロンドの巻き毛、水色の目、華奢な体つき。とっくに成人を迎えているというのに、少女のように見える。
マリアンナに、国じゅうが熱狂した。その存在には誰もがひれ伏すしかない。
だから、ロベールがクリスティーヌよりもマリアンナを優先するのも当然のことで、大した問題ではないのだ。
マリアンナが、妻や婚約者のいる男性と腕を組んだり、彼らを侍らせたりしていることも、同じく大した問題ではない。
そして、最初の方こそ、「私は聖女としての役目を果たしたまでです」と遠慮がちだったマリアンナが、ドレスを次々と仕立てるようになったり、宝石を購入したりと贅の限りを尽くすようになったことも、同じく些末事。
だが、その些末事が積み重なって、今ではいろいろなところでしわ寄せが起きている。
(ロベールさまも以前は温厚で知性的な方だったのに)
金髪碧眼の見目麗しいロベールは、内面もまた王子然としており誠実で優しかった。クリスティーヌは、同い年のこの従兄と、やがては国王と王妃になる身として、励まし合って成長してきた。
しかし、ロベールは、マリアンナに夢中になってしまった。そして、クリスティーヌを邪険に扱うようになった。今では、婚約者としても、王子としても、ふさわしくない振る舞いをすることが増えてきた。
(いつかまたもとのロベールさまに戻ってくれるはず)
クリスティーヌはそう信じてひたすら耐えている。
(マリアンナさまがどなたかと結ばれるまでの我慢よ)
マリアンナもいつか相手を一人に決めて、結婚するだろう。そうすればロベールもあきらめるはずだ。マリアンナがロベールを選べば、そのときは、クリスティーヌが身を引くつもりだ。
マリアンナの意志は何よりも優先する。
涼しい風に当たって気が落ち着いてきたクリスティーヌは、背後の足音に気づいた。
振り返ると、マリアンナがこちらにやってくるのが見えた。マリアンナはクリスティーヌと目を合わせると、雰囲気の良くない笑みを向けてきた。
マリアンナがこんな笑みを浮かべたあとは、大抵悪いことが起きる。マリアンナが自分で階段から落ちたのに、クリスティーヌが突き落としたことになったときにも、同じ笑みを浮かべていた。
いつも男性の取り巻きを引きつれているマリアンナが、一人でいることも余計に警戒させた。
(何かあるわ。逃げなければ)
クリスティーヌは礼をしてマリアンナの横を通り抜けようとした。
そのとき、意地の悪い声が聞こえてきた。
「逃げても無駄だよ」
意味がわからないながら、とにかくその場をあとにしようとしたとき、マリアンナが悲鳴を上げた。
「キャアアアーーーッ」
それから、ガシャン、と金属が床に落ちる音があった。見ればナイフが落ちており、マリアンナは恐怖に満ちた顔をクリスティーヌに向けていた。
ロベールに衛兵らが駆け付けてきた。
「マリアンナ、何ごとだっ」
「クリスティーヌが、わ、わたしをナイフで刺そうとっ」
「刺されたのかっ」
「だ、だいじょうぶ、何とか避けたからっ」
マリアンナの無事を確認したロベールは、クリスティーヌに近づいてきた。
顔には憤怒が浮かんでいる。
「お、まえっ」
「私は何も……っ」
言い終わる前に、クリスティーヌは頬に衝撃を受けた。ロベールがクリスティーヌを横に払ったのだ。クリスティーヌは床に倒れ込んだ。
ロベールの吐き捨てる声があった。
「おまえはっ、ついにマリアンナを殺そうとしたのかっ」
ロベールは、衛兵の腰から剣を抜くと、クリスティーヌに切っ先を向けた。
クリスティーヌは目を閉じた。剣は振りかざされ、そして、クリスティーヌに打ち落とされた。
クリスティーヌの頭部から、赤い塊がポトリと床に落ちた。
落ちたのはクリスティーヌの赤毛だった。ロベールが「血のようで気持ち悪い」と嫌うために、いつも後ろで小さくまとめている。
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