私を陥れたヒロインに盛大なバッドエンドを

文野多咲

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ヒロインと、王子と、罠に落ちた悪役令嬢2

クリスティーヌが目覚めたのは、それから二日後、公爵邸のベッドの上だった。

背中には痛みが残っていたが、顔に触れればどこにも痛みも傷もなかった。そのことにほっとする。

上体を起こし、頭が軽くなっていることに気づき、はっとする。頭に手をやると、髪は肩よりも短かった。

嗚咽が込み上げる。果てしなく惨めだ。

そばにひと気を感じ、慌てて嗚咽を飲み込んだ。見れば、小さな頭がベッドにあった。

五歳の弟、ノエルだ。三年前に両親を馬車事故で亡くしてより、二人きりの家族だ。

ノエルは、ずっとクリスティーヌの枕元についていたのだ。痛みと高熱とにうなされるなか、ときおり意識が回復すれば、献身的に看護する侍女と、ノエルの心配げな顔があった。

王宮から運ばれてきたクリスティーヌにノエルはさぞ驚いたことだろう。幼い心に恐怖を与えてしまわなかっただろうか。

ノエルの寝顔を窓から差し込んだ陽光が照らしている。丸いほっぺに、くるくると巻いた金髪。

(ごめんね、ノエル、情けないお姉さまで。もっと気を付けていればこんな目に遭わずに済んだのに)

マリアンナの悪だくみを防げなかったことを悔やむ。一人でバルコニーなど行かなければよかった。

ノエルの頬を撫でるクリスティーヌは、不意に手を止めた。クリスティーヌの頭は、これまでになかった『概念』で次第にあふれかえっていく。

(可愛いノエル。ああ、何てこと。ノエルはこのあと……)

クリスティーヌは、この先、聖王女に対する殺人未遂で断罪される。そして、ノエルは姉の咎を受けて、この国を追放されることになる。どの『ルート』をたどってもそうなる。

(これはゲームの世界……)

前世で繰り返しやっていたゲーム。病院のベッドの上で、ゲームが闘病の苦しみと不安を紛らわせてくれた。

(若くして死んだ私を憐れんで、神様がゲーム世界に飛ばしてくれたのかしら。でも、そうだとしたら神様は意地悪だわ。だって、クリスティーヌは悪役令嬢だもの)

そして、マリアンナはヒロイン。

だから、この世界は何もかもがマリアンナに都合の良いように出来ている。

ゲームの大筋は、ヒロインが王侯貴族の圧政から民衆を解放し、救世主になるというもの。

そして、悪徳貴族の象徴が、クリスティーヌ・ドラローシュ。贅沢三昧で無慈悲な公女。

クリスティーヌは国王を祖父に持つ身分至高の令嬢。エメラルドグリーンの目に、色鮮やかな赤毛、豊満な肉体を持つ。

そして、礼儀作法は完璧で、諸言語にも通じている。

しかし、性格は高慢で残虐。

マリアンナとは何もかもが対照的だ。マリアンナは庶民で、その外貌は可愛らしく、人懐っこくて心優しい。

そんなマリアンナがクリスティーヌにいじめられるたび、クリスティーヌが憎くなる。そして、最後に破滅が来ることを待ち望む。

実際、クリスティーヌは、どのルートでも、帝国へ奴隷送りとなり、老皇帝の慰みものとなり無残に殺される。

(私はこの先、破滅する……)

クリスティーヌは呆然としていた。

***

「お姉さま!」

クリスティーヌは、ノエルの声に我に返った。

ノエルを見れば、ぽろぽろと大粒の涙を目からこぼしている。

「ぼく、姉さまが死んでしまうんじゃないかって、しんぱいだったの。本当にしんぱいだったの」

ノエルはそう言って、クリスティーヌに抱き着いてきた。幼子のはかない感触が愛おしい。

この先、クリスティーヌは断罪される。どれだけ理不尽だろうと、それがゲームの『ことわり』なのだと『概念』が告げている。そして、ノエルは追放される。

(ああ、どうすれば……)

そこへ、侍女のジゼルが入ってきた。起き上がっているクリスティーヌを見て、声を上げた。

「姫さま! お目覚めで、よ、よかった!」

2か月早く生まれた乳姉のジゼルは、クリスティーヌにとっては、もっとも頼れる相手。

ジゼルを見て、クリスティーヌは急に気持ちがしっかりしてきた。

(ぼやぼやしている場合じゃないわ)

「ジゼル、お願いがあるの。ノエルをジゼルの実家に預けたいの。今すぐに」

(どのルートでも、男爵は無事だったはず)

ジゼルの実家の男爵領は王都に近い。馬で数時間ほどの場所だ。にもかかわらず、今後起きる王都の混乱の影響はさほど受けなかった。男爵は善良な領主で領民が反乱を起こすこともなかったからだ。

戸惑うジゼルにクリスティーヌは言った。

「私はこれから断罪されるわ。聖王女殺害未遂の罪で」

ジゼルの顔は青ざめていた。ジゼルには、もちろんクリスティーヌが無実だとわかっている。

「姫さま、また、あの女に陥れられたのでしょう? 真実を訴えましょう。陛下ならきっとわかってくださいますわ」

「ジゼル、お願い、私のせいでノエルも追放される。ノエルだけは逃がしたいの」

「では、姫さまも一緒に……」

窓の外、門前に衛兵が立っている。クリスティーヌの逃亡を阻止するためだ。

クリスティーヌが目覚めたことを知られれば、王宮へ引き渡されることになるだろう。

「私のことは何とかする。でも、今はノエルをお願い」

クリスティーヌの切羽詰まった顔つきに、ジゼルはうなずいた。

「わかりました。若さまのことは男爵家にお任せください。でも、私は姫さまのそばを離れません。若さまを送ってくれば、また戻ってきます」

ノエルとジゼルは、使用人の母子を装うことになった。

「男爵家にいる間は、男爵さまをお父さまと、公子さまたちをお兄さまと呼びなさい」

ノエルは不安そうな顔をしている。ノエルもまた何かを感じ取っているのだろう。

「お姉さまもあとから行くわ。ジゼルの家のシチューを私も食べたくてしようがないもの」

クリスティーヌが笑って言うと、ノエルは唇を結んだまま、うん、とうなずいた。

クリスティーヌはノエルをギュッと抱きしめたのち、その背中を見送った。

翌朝、ジゼルは帰ってきた。

「若さまは、もうすっかりうちの末っ子になっておりましたわ」

ジゼルは笑顔を浮かべていたが、目の奥にはクリスティーヌへの心配が隠しきれていなかった。

***

(何とかして、破滅を回避しなければ)

ゲームの主要ルートは、前世で経験済みだ。

そして、おそらくこれは王子ルート。王子と結婚したヒロインは、王妃エンドを迎え、善政を敷くことで民衆を救う。

ゲームを思い出すうちにクリスティーヌの体はガタガタと震えてきた。

前世のゲームクリアの経験は、クリスティーヌの身にあっては不可解なことに、いや、むしろ当然のことに、それぞれ生々しい実体験として記憶に残っているのだ。

これまでは公女として正しい振る舞いを考えて生きてきたが、ヒロインを楽しませるための存在として生き、そして、無残に死ぬなどまっぴらごめんだ。

(神様はただ意地悪なわけがない。私に『概念』を与えたのにも何か思し召しがあるはず。精一杯、あがいてみせるわ)

そう決意したクリスティーヌは祖父である国王に手紙を書くために机に向かった。

(現実では私の無実を信じてくれる人は多いはず)

プレーヤーのときには、クリスティーヌは高慢で残虐で、マリアンナは心優しき乙女に見えていたが、現実ではそうではない。マリアンナがすべて裏で仕組んでいた。

大っぴらではないが、マリアンナを批判的に見る向きも多い。

(きっとお祖父さまも私を信じてくださる)

これはゲームではない。現実には現実の『ことわり』がある。クリスティーヌはそれを信じることにした。

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