私を陥れたヒロインに盛大なバッドエンドを

文野多咲

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不愉快な客人

クリスティーヌが目覚めてから数日、王宮からの沙汰はまだない。

体は順調に回復しているが、クリスティーヌは自室から出ることなく過ごしていた。

短い髪がはばかれる。この国の女性で髪が短いのは、子どもか、罪人である。ジゼル以外の使用人にも頭を見られたくはなかった。

ロベールは髪を切ることで、クリスティーヌにこの上ない辱めを与えたのだ。

そんな昼下がり、ジゼルが手のひらサイズの赤い布を見せてきた。

「姫さま、これを頭に着けてみてくださいませ」

「まあジゼルったら、何をちまちま縫っているかと思えばヘッドドレスを作っていたのね。ちょっと派手過ぎるわ」

「姫さまの髪はもっと華やかでございますよ! シルクサテンよりも眩しく輝いているんですから、これなんか地味なくらいです!」

一度も髪のことを口にしてないのに、ジゼルはちゃんとクリスティーヌが髪を気に病んでいるのを知っているのだ。

サイドの髪をピンでとめて、後頭部をヘッドドレスで覆うと、生地の色が髪色に寄せているために、長い髪を後ろにまとめているような感覚になる。

クリスティーヌは大いに気持ちが慰められた。

そうやって穏やかな日を過ごしていると、断罪のことを忘れてしまいそうになる。

公爵邸に馬車が入ってきたのはそんな折だった。見慣れたその馬車の持ち主は、クリスティーヌの父方の叔父、ギョーム・ドラローシュ。

ギョームは、若干25歳にして一国の宰相たる不世出の切れ者。攻略対象の一人である。

現在、クリスティーヌとノエルの後見人であるが、ノエルのことをギョームに託さなかったのはそのせいだ。王子ルートが濃厚だが、まだ確定していない以上、攻略されてしまうかもしれない相手に大切なノエルは預けられない。

ドレスに着替えて出迎えると、ギョームは険しい目を向けてきた。

プラチナブロンドの長髪を後ろで一つにまとめ、鋭い眼光を片眼鏡の奥から光らせるギョームは、いかにも怜悧な宰相閣下だ。攻略対象らしく、外貌も麗しい。

「お帰りなさい、叔父さま」

宰相府で寝泊まりすることも多いギョームだが、ギョームにとって帰る家と言えば公爵邸だ。

ギョームは、意外にもクリスティーヌを気遣うような声をかけてきた。

「体は大丈夫なのか」

「はい、この通り」

「ロベール殿下にひどい暴行を受けたことは聞いている」

ギョームからはロベールへの憤慨を感じられて、クリスティーヌは戸惑った。記憶にある宰相ルートでは、ひどい暴行をギョーム自身から受けたものだった。

「丈夫にできておりますので、すっかり元気ですわ。叔父さまが帰っていらしたということは、私は裁判にかけられますの?」

「お前の沙汰はないものとなった。そこは安心してほしい」

目の前にいるギョームはクリスティーヌを案じる気配がある。

マリアンナの攻略を受けてないとすれば、クリスティーヌにとって、ギョームは頼れる味方だ。

「では、私の無実がわかってもらえたのね? マリアンナさまが私を冤罪に陥れようとしているとわかってくれたのね?」

しかし、そう言ったクリスティーヌに、ギョームは鋭い目を向けてきた。

「聖王女殿下に失礼なことを言うのはよせ」

「えっ?」

「殿下が嘘を言うはずがないのだ」

ギョームは語尾に怒りを見せた。普段はほとんど感情を見せないだけに、迫力があった。

ギョームの言い方は、マリアンナに攻略されているからなのか、聖王女への畏敬の念からなのか、判断つかなかった。

「私はマリアンナさまに危害をくわえようとした覚えはいっさいありません」

ギョームにも、クリスティーヌを疑う気持ちはなかったらしく、うなずいてきた。

「そんなことはわかっている」

ギョームの言葉にクリスティーヌはほっとするも、続く言葉に目を見張る。

「殺すつもりならお前のことだから必ずや仕留めるだろう、人目に付かない場所でな。自ら罪を晒すような愚かなことはすまい」

「私に殿下への害意はありません! 周囲の証言は取ったのでしょうか。ナイフは誰のものなのか、調べはついたのですか。叔父さまならあのナイフは私のものではないとおわかりでしょう」

「もちろんだ。おそらく殿下は、お疲れになっていたのだ。誰かが落としたナイフを見て、勘違いをなさったのだ。それだけお前を恐れているのだよ。とにかく今回の件はなかったことになった」

ギョームはそう説明したが、クリスティーヌには納得できない。

「では私がロベールさまにされたことはどうなるのです?」

「それもなかったことになった。聖王女殿下の勘違いがなかったならば、ロベール殿下がお前に暴行を加えることもなかったのだからな。この件はそう決着し、聖王女殿下もそれを受け入れてくれた。殿下の慈悲に感謝するのだ」

「でも」

「この件はもう終わりだ」

ギョームの強い語調にクリスティーヌはもう何も言えなくなった。

ともかく断罪は回避できたのだ。これで良しとするほかない。

黙り込んだクリスティーヌに、ギョームは言ってきた。

「しかし、それではお前の気は済まないだろう。誇り高い公女であるお前が、暴力を振るわれ、髪まで切られたのだ。たとえ王子でもそんなことをやっていいはずがないんだ」

ギョームからは、ぞわっと怒気が上がった。

「お前はまだロベール殿下と婚約を続けられるか」

ギョームの声には、クリスティーヌへのいたわりが感じられた。姪への愛情は抱いているらしい。

叔父の気遣いに戸惑いながらも、クリスティーヌはギョームに気を許せなかった。

まだ王子ルートと確定したわけではない。ヒロインは王子と出会った後に宰相に出会う。宰相ルートに進んだから、今回の断罪も延びたのかもしれないのだ。

それでも、婚約解消は願ってもない話だ。お家のために婚約維持を押し付けられるかと思っていたが、ギョームにはそんなつもりはないようだ。

クリスティーヌは黙って首を横に振った。

「では、ロベール殿下との縁談は破談としよう」

ギョームはあっさりとそう言った。姪のことを想うと同時に、ロベールの今後を危ぶんでのことかもしれなかった。

ロベールの父親である王太子が病に伏せって以降、ロベールの存在感は高まったが、マリアンナに夢中になるあまり、暴言や失態を繰り返すようになった。このまま威信が失墜し続ければ、ロベールの弟が次期王太子になる可能性は十分にある。

ギョームにしても、情勢を見極めたいところだろう。

どちらにせよ、クリスティーヌはもうロベールのことを思えば、惨めさに胸が引き裂かれるだけだ。

クリスティーヌは表情こそ崩さなかったが、その目から涙が一筋こぼれた。婚約解消にほっとすると同時に、王妃になるために過ごしたこれまでの人生がひどく虚しい。

さりげなく手を当ててそれをぬぐう。

(もう王都を出よう。外国にでも逃げて、ノエルと生きぬくわ)

涙を拭いて毅然と背を伸ばしたところで、ギョームが口を開いた。

「実は、お前に頼みがある」

ギョームの声にクリスティーヌはギクリとする。どこか威圧的な声だ。

「これは宰相としての頼みだ。公爵邸で客人をもてなして欲しい」

「客人、ですか」

「外国からの重要な客人だ」

一刻も早く王都を出たい。客人なんかもてなしている場合ではない。クリスティーヌは断るしかなかった。

「私、もてなす自信がありませんわ。どうか他の方にお願いしてくださいませ」

「他にふさわしい者はいない。礼儀も教養もお前に適う者はいない」

「マリアンナさまには誰も適いませんわ。マリアンナさまにお願いしてくださいませ」

ギョームは一瞬、言葉に詰まった。さすがにギョームも、マリアンナを客前に出せるような淑女とは考えていないようだ。

「聖王女殿下は外交には不向きだ。それにこれは客人の希望なのだ。客人はお前にもてなしを希望している」

「私に?」

しかし、思い当たる外国の客人などクリスティーヌには一人もない。

「客人は、おそらくお前の絵姿でも見たのだろう。お前の絵姿は聖王女殿下の次に出回っているからな」

「ですが、私は気が退けます。正直、ロベールさまとのことがあってより、人と会うのが怖くなってしまったの」

「今まで以上に護衛をつける。それに身構えなくてもいい。相手は商人だ」

「いやですわ。できません!」

声を張り上げたクリスティーヌをギョームは見返した。

「どうした、いつものお前らしくもない。とにかく、お前にはこの役目を受けてもらう。この国の存亡がかかっている。かの方の機嫌を損ねたら、国が干からびる。民は飢えてしまう。クリスティーヌ、お前だけが頼りなんだ」

ギョームは冷たく命令してきた。

***

客人は、七つの海を股にかける大商人、ダン・エヴァンズ。傭兵上がりが、報奨金で船を買って、今では当代一の大商人。

波の音にカモメの声、潮の匂いが辺りに満ちている。

クリスティーヌは港に来ていた。物陰から港を眺めている。

もてなし役を引き受けるしかなかった。民が飢える、と聞かされれば、クリスティーヌには断れなかった。

ジゼルが興奮した声を上げた。

「ひ、姫さま、化け物のように大きな船がたくさんありますわ」

港はエヴァンズ商会の帆船でひしめいている。

荷捌きをする人々の熱気が埠頭から伝わってくる。まだ肌寒いというのに、彼らは半裸で立ち働いている。

(エヴァンズ商会、利用できるかもしれない)

これだけの商人ならば、クリスティーヌの王都脱出に手を貸してくれるかもしれない。

クリスティーヌは双眼鏡を覗き込んだ。出迎えの刻限にはまだ時間があるが、どんな人物か先に捉えておきたい。

(うまく取り入らなければ)

この国のためにも、クリスティーヌ個人のためにも、良好な関係を築くしかない。

ギョームによると、ダン・エヴァンズは、黒目黒髪の巨木のような人らしい。

荷運びの人ごみに、それらしき人を探すもこれといって見当たらなかった。

(どこかしら?)

目を凝らしたところで、双眼鏡が暗くなった。

「きゃっ」とジゼルが小さく叫んだのが聞こえてきた。

双眼鏡を外すと、目の前に背の高い男がいた。

ターバンで髪は隠れているが、ひげは黒く、その目は吸い込まれるような漆黒だ。じっとクリスティーヌを見つめている。

剣の柄に手をかける護衛騎士らを手で制すると、クリスティーヌは男に正面を向いた。

黒目黒髪の大男。

(ダン・エヴァンズ……)

男は迷いのない手つきでクリスティーヌの手を取ると、ひざまずいた。クリスティーヌを敬って見上げる。

『公女クリスティーヌ、俺がダンだ』

帝国語でそう言い、指先にキスをしてくる。その間じゅう、クリスティーヌから視線を外さない。

不意を突かれて格好のつかない出迎えとなってしまった。気まずいものの、それでも毅然と背筋を伸ばして、にこやかな笑みを向ける。公女クリスティーヌの、冷たくも美麗な笑みだ。

「ダン・エヴァン……」

出迎えの言葉を口にしようとしたクリスティーヌは、立ち上がったダンに腰を引き寄せられ、あごを持ち上げられた。

『生きているあなたはこの上なく美しいな』

ダンはクリスティーヌに唇を寄せてきた。
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