17 / 47
(16)静かに交差する矢印
しおりを挟む夜が訪れると、ギルフォード邸の中庭に、思いがけない賑わいが広がった。
松明の灯りに照らされた空間には、手作りの長机が並び、湯気の立つ料理や甘い香りの果実酒が所狭しと置かれていた。里の人々が次々と集まり、誰彼かまわず杯を交わしながら笑い合っている。普段は厳格な表情が多いルナルディまでもが、酒に頬を赤らめ、肩を揺らしていた。
アイザックとテオは、まさか自分たちのためにこんな宴が用意されているとは思わず、目を丸くしていた。
「なんで歓迎されてんだ。俺たちは、リアを連れ戻しに来たんだぞ?」
困惑するアイザックの呟きに、すぐ傍で杯を口に運んでいたギルフォードが肩をすくめた。
「どんな理由であれ、来客は来客だろうが」
言葉こそ素っ気ないが、その言い草は、どこか申し訳なさを誤魔化すようだった。そして、確かな気遣いが含まれている。
気がつけば、中庭は騒然としていた。
「ギル、お庭ぐちゃぐちゃ!」
「お前がこの前暴れて壊したんだわ! ったく、おかげで庭が広ぇったらありゃしねえ」
子供たちが駆け回り、転び、立ち上がり、また笑う。
大人たちもそれに負けじと声を上げ、飲み交わし、手拍子を打つ。夜風に混じって流れてくる笛の音が、不思議と胸を温めた。この空間だけが、世界から切り離されているようだった。
――この場所は、本当に、ただの異郷だっただろうか。
アイザックとテオは、それぞれにそんな思いを抱きながら、目の前の賑わいを見つめていた。
数刻が過ぎた中庭の片端、少し外れた木の根元に背を預け、一人で腰を下ろしたのはテオだった。人に囲まれるのに疲労したのか、遠巻きに賑わう人々の笑い声を聞いていた。
そんな彼に、ふいに声がかかる。
「こんばんは。私のこと、覚えてる?」
振り向くと、そこにいたのはリーゼロッテだった。薄い布のショールを肩にかけ、月明かりの下で涼やかな眼差しを向けている。
「あ……はい。もちろん」
テオは少し驚きながらも答えた。初対面の時の印象が強かったこともあり、彼女の声色がこんなにも穏やかだったことに、今さらながら気付く。
リーゼロッテは、小さく微笑むだけで何も言わない。そのまま彼の隣に腰を下ろし、膝に手を重ねた。
「リアのことが好きなのね」
突然の言葉だった。テオは思わず彼女の顔を見る。
だが、その視線はテオには向けられていなかった。リーゼロッテの瞳は、人混みの向こうを見つめていた。他の者に笑いかけられても、煙たそうにして応じているギルフォード。その姿を、じっと見つめていた。
「……あなたも、好きなんですか」
気がつけば、テオはそう口にしていた。誰のことを、と言わずとも、それはもう明らかだった。
リーゼロッテは、ゆるく首を傾け、月の光を受けながら静かに答える。
「ええ。ずっと前から……これからもずっと、かしらね」
風が枝葉を揺らし、影が地面に揺れた。
その声音は、とても静かだったけれど、どこかで長い時間を経て削られた石のように、寂しさと諦めが混ざっていた。
テオは何も言えなかった。彼女もまた、変化が寂しいのだと、ただそう思った。ふと、視線を輪の中へ戻す。そこには、笑いながらアルバンを含む子供たちと手遊びをしているリアの姿があった。
どこも変わっていないはずだった。幼なじみとして隣にいた彼女と、目の前で人々に囲まれる彼女は、同じはずだ。
けれど――今のリアは、まるで別人のようだった。
穏やかに笑い、誰にでも優しく、けれどきちんと距離をとる。その姿は、彼女がこの場所で、誰かとして生きてきたことをはっきりと語っていた。
そして、ギルフォードの隣に立つとき、リアの表情は微かに変わる。その変化を、誰よりも敏感に感じ取ったのは、きっとテオ自身だった。彼の知らない笑い方、知らない距離のとり方。そのすべてが、遠く感じられた。
宴の灯火は、まだ消えそうにない。
夜の風に混じって、誰かの笑い声と、遠くで鳴る笛の音が響いていた。
◇
宴は、いつしか自然にお開きとなった。
火の粉が静かに舞う中、皆がそれぞれ名残を惜しむように、使った食器や椅子を片付け始める。頬を赤らめたままの大人たちがふらつきながらも器を重ね、子供たちははしゃいだ余韻のまま、最後のいたずらのようにテーブルの下をくぐっていた。
「お前らはもう戻って休め。客なんだからよ」
ギルフォードの声に、リアとテオ、アイザックは一度は頷いたものの――そのまま引き下がるような性格でもなかった。
「いえ、手伝います。兄たちのために用意してくださったのですし」
そう言ったリアに、アイザックも「あぁ」と頷き、テオはそれに続くように黙って器を拾い上げた。それぞれが持ち場を探し、静かに動き出す。少し落ち着いた宴の空気の中にも、まだ温かい名残が残っていた。
◇
中庭の隅、果実の皮を捨てる木箱のあたりで、リアが一人で後片付けをしていると、ふいに気配が近づく。
「リア」
「あ、テオ。どうしたの?」
「そこの、まとまった皿、運ぼうと思って」
素朴な言葉に、リアはくすりと笑った。
「ありがとう。助かる。これ、そっちの木箱に下げてもらっていい?」
「あぁ」
差し出された器を受け取るその手に、一瞬、指が触れた。けれどリアはそれに気づいたふうもなく、続けて布を取りに歩き出す。
並んで器を集めながら、二人は何気ない話を交わす。村のこと、今日の子供たちのいたずら、アイザックが果実酒を飲んでむせていたこと――そんな些細なことで、声を出して笑い合う。まるで以前のような、無邪気な時間だった。
だが、その様子を、少し離れた場所から眺めている者たちがいた。
◇
「リアに、べったりね」
リーゼロッテの言葉に、横で桶を運んでいたエルマーが首を傾げた。
「ん? ……ああ、テオのことか」
彼の目もまた、器を手に笑い合うリアとテオへ向いていた。
リーゼロッテは、何でもないような口ぶりで言葉を継ぐ。
「ええ。きっと、あの子、リアのことが好きなのよ」
「………。」
エルマーは返事をしなかった。ただ一拍の沈黙の後で、顔を拭うように額に手をやりながら、ぽつりと呟いた。
「リーゼ」
「なあに?」
「……いや」
言いかけて、エルマーは視線を前に戻す。リアとテオ、そしてその先で静かに何かを片付けているギルフォードの背が見える。ギルフォードは、腰に巻いた布を結び直しながら、器の山を手際よくまとめていた。
「お前がギルを好きなのも、分かってるけどよ」
エルマーの声は低く、けれど穏やかだった。
「……あんまり、リアにちょっかい出すなよ」
一瞬、風の音が間を埋めた。
リーゼロッテは、ほんの僅かに目を細めたあと、からかうように口元を緩めてみせる。
「そんなことしないわよ。私、そんなに子供じゃないもの」
返答は柔らかで、どこまでも自然だった。
けれど――エルマーの目は、その笑みの奥にあるものを見逃さなかった。
彼は知っている。式の衣装合わせに来たリーゼロッテが、リアに対して“自分はギルフォードの婚約者だった”と伝えたことを。なぜその話をしたのか、それを語った彼女の真意は、結局のところ、何ひとつ明かされてはいない。
エルマーは、彼女の横顔をちらと見やった。
――笑っているけど、本心は見せてない。
けれど、問い詰めるでもなく、彼はただ片付けの作業に戻る。やがて桶の中の皿を整え、腕を拭いながら、低く鼻を鳴らした。
「まぁ……なんだかんだ、良い夜だったな」
それに対しての返事の代わりに、リーゼロッテがひとつ笑った。月はすでに高く、夜気は少しずつ冷えてきていたが、中庭にはまだ温かな気配が残っていた。
3
あなたにおすすめの小説
【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜
一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m
✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。
【あらすじ】
神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!
そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!
事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます!
カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。
身代わりで呪いの公爵に嫁ぎましたが、聖女の力で浄化したら離縁どころか国一番の溺愛妻になりました〜実家が泣きついてももう遅い〜
しょくぱん
恋愛
「お前のような無能は、死神の生贄にでもなっていろ」
魔力なしの無能と蔑まれ、家族に虐げられてきた伯爵令嬢レティシア。 彼女に命じられたのは、近づく者すべてを病ませるという『呪いの公爵』アレクシスへの身代わり結婚だった。
鉄格子の馬車で運ばれ、たどり着いたのは瘴気に満ちた死の城。 恐ろしい怪物のような男に殺される――。 そう覚悟していたレティシアだったが、目の前の光景に絶望よりも先に別の感情が湧き上がる。
(な、何これ……汚すぎるわ! 雑巾とブラシはどこ!?)
実は、彼女が「無能」と言われていたのは、その力が『洗浄』と『浄化』に特化した特殊な聖女の魔力だったから。
レティシアが掃除をすれば、呪いの瘴気は消え去り、枯れた大地には花が咲き、不気味だった公爵城はまたたく間にピカピカの聖域に塗り替えられていく。 さらには、呪いで苦しんでいたアレクシスの素顔は、見惚れるほどの美青年で――。
「レティシア、君は一体何者なんだ……? 体が、こんなに軽いのは初めてだ」
冷酷だったはずの公爵様から、まさかの執着と溺愛。 さらには、呪いが解けたことで領地は国一番の豊かさを取り戻していく。
一方で、レティシアを捨てた実家は、彼女の『浄化』を失ったことで災厄に見舞われ、今さら「戻ってきてくれ」と泣きついてくるが……。
「私は今、お城の掃除と旦那様のお世話で忙しいんです。お引き取りくださいませ」
これは、掃除を愛する薄幸令嬢が、その愛と魔力で死神公爵を救い、最高に幸せな居場所を手に入れるまでのお話。
魔法師団長の家政婦辞めたら溺愛されました
iru
恋愛
小説家になろうですでに完結済みの作品です。よければお気に入りブックマークなどお願いします。
両親と旅をしている途中、魔物に襲われているところを、魔法師団に助けられたティナ。
両親は亡くなってしまったが、両親が命をかけて守ってくれた自分の命を無駄にせず強く生きていこうと決めた。
しかし、肉親も家もないティナが途方に暮れていると、魔物から助けてくれ、怪我の入院まで面倒を見てくれた魔法師団の団長レオニスから彼の家政婦として住み込みで働かないと誘われた。
魔物から助けられた時から、ひどく憧れていたレオニスの誘いを、ティナはありがたく受ける事にした。
自分はただの家政婦だと強く言い聞かせて、日に日に膨らむ恋心を抑え込むティナだった。
一方、レオニスもティナにどんどん惹かれていっていた。
初めはなくなった妹のようで放っては置けないと家政婦として雇ったが、その健気な様子に強く惹かれていった。
恋人になりたいが、年上で雇い主。
もしティナも同じ気持ちでないなら仕事まで奪ってしまうのではないか。
そんな思いで一歩踏み出せないレオニスだった。
そんな中ある噂から、ティナはレオニスの家政婦を辞めて家を出る決意をする。
レオニスは思いを伝えてティナを引き止めることができるのか?
両片思いのすれ違いのお話です。
追放された味噌カス第7王子の異種族たちと,のんびり辺境地開発
ハーフのクロエ
ファンタジー
アテナ王国の末っ子の第7王子に産まれたルーファスは魔力が0で無能者と言われ、大陸の妖精族や亜人やモンスターの多い大陸から離れた無人島に追放される。だが前世は万能スキル持ちで魔王を倒し英雄と呼ばれていたのを隠し生まれ変わってスローライフを送る為に無能者を装っていたのだ。そんなルーファスはスローライフを送るつもりが、無人島には人間族以外の種族の独自に進化した先住民がおり、周りの人たちが勝手に動いて気が付けば豊かで平和な強国を起こしていく物語です。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
【完結】島流しされた役立たず王女ですがサバイバルしている間に最強皇帝に溺愛されてました!
●やきいもほくほく●
恋愛
──目が覚めると海の上だった!?
「メイジー・ド・シールカイズ、あなたを国外に追放するわ!」
長年、虐げられてきた『役立たず王女』メイジーは異母姉妹であるジャシンスに嵌められて島流しにされている最中に前世の記憶を取り戻す。
前世でも家族に裏切られて死んだメイジーは諦めて死のうとするものの、最後まで足掻こうと決意する。
奮起したメイジーはなりふり構わず生き残るために行動をする。
そして……メイジーが辿り着いた島にいたのは島民に神様と祀られるガブリエーレだった。
この出会いがメイジーの運命を大きく変える!?
言葉が通じないため食われそうになり、生け贄にされそうになり、海に流されそうになり、死にかけながらもサバイバル生活を開始する。
ガブリエーレの世話をしつつ、メイジーは〝あるもの〟を見つけて成り上がりを決意。
ガブリエーレに振り回されつつ、彼の〝本来の姿〟を知ったメイジーは──。
これは気弱で争いに負けた王女が逞しく島で生き抜き、神様と運を味方につけて無双する爽快ストーリー!
転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました
桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。
言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。
しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。
──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。
その一行が、彼の目に留まった。
「この文字を書いたのは、あなたですか?」
美しく、完璧で、どこか現実離れした男。
日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。
最初はただの好奇心だと思っていた。
けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。
彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。
毎日19時に更新予定です。
美男美女の同僚のおまけとして異世界召喚された私、ゴミ無能扱いされ王城から叩き出されるも、才能を見出してくれた隣国の王子様とスローライフ
さら
恋愛
会社では地味で目立たない、ただの事務員だった私。
ある日突然、美男美女の同僚二人のおまけとして、異世界に召喚されてしまった。
けれど、測定された“能力値”は最低。
「無能」「お荷物」「役立たず」と王たちに笑われ、王城を追い出されて――私は一人、行くあてもなく途方に暮れていた。
そんな私を拾ってくれたのは、隣国の第二王子・レオン。
優しく、誠実で、誰よりも人の心を見てくれる人だった。
彼に導かれ、私は“癒しの力”を持つことを知る。
人の心を穏やかにし、傷を癒す――それは“無能”と呼ばれた私だけが持っていた奇跡だった。
やがて、王子と共に過ごす穏やかな日々の中で芽生える、恋の予感。
不器用だけど優しい彼の言葉に、心が少しずつ満たされていく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる