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80、王女は不摂生を反省する
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◇ ◇ ◇
────二度と戻らない、と決めていたはずのトリニアス王城に私が戻ったのは、それからすぐに父が亡くなり、葬儀を行うことになったからだ。
ウィルヘルミナは王都に戻ると、葬儀までに立て続けに、トリニアス国王の死とそれがダンテス兄様の手によるものであること、イルネアとエルミナの王族籍剥奪を発表した。
立て看板でのお触れだけじゃなく、活版印刷の機械を使って王家の名で、詳細を伝える新聞を作成。
王家の公式の発表を浸透させることで、ここのところ色々な情報が錯綜して混乱が起きている国内を落ち着かせようと、試みていた。
────そして今日行われた父の葬儀は、驚くほど質素なものだった。
これは、先だって兄様が生母とその夫が国王夫妻に何をされたのかを暴露していたせいらしい。
国民のなかで国王への反感が強まっており、やむを得ず、簡素な葬儀にしたのだとウィルヘルミナは言っていた。
運搬途中の棺には、生卵やゴミがぶつけられたとか。
これまでは国王として立派なイメージで慕われていたから、反動が大きかったのかもしれない、と私は思う。
その簡素な葬儀に、私とイーリアス様は出席した。
父が亡くなったときもだけど、葬儀中に、涙がこぼれることはなかった。
……何といえば良いのか、父に対する感情が麻痺してしまっている。
ダンテス兄様の暴露にも、信じられないというよりは、どこか、私の父と母ならやりかねないという思いがあった。
トリニアスに帰る船のなかで、父の死自体には心の準備はできていた……とはいえ、自分にとって血がつながった父親なのに。
ほんの少し前まで毎日顔をあわせて仕事をしていた人なのに。
(…………冷たいかしら)
そんな風に考えてしまい、さらにそれを口にしたら、
「肉親の死を悼むのが必ずしも当たり前ということではありません。
ただ、人間の感情は、溶け出すまで時間がかかることもありますから」
と、イーリアス様が言った。
まだ、私のなかで、父をどう位置付けて良いかわからないのかもしれない。
葬儀を終え、教会を退出していく。
すっかり初夏に入った青空の下で、イーリアス様の顔を見上げた。
「お顔の傷跡……治しきれなくてごめんなさい」
「こちらですか? お気になさらず」
イーリアス様は顔に増えた新しい傷跡に触れながら言う。
「私はむしろ気に入っているのですよ。
殿下に〈治癒魔法〉して頂いたことを、鏡を見るたび思い出せるのですから」
「それで良いのですか?」
「良いのです。妻を守った証だと、誇らせてください」
そう言ってもらえれば、少しは気が楽ではある。
〈治癒魔法〉をかけるとき、初めてイーリアス様が上半身を脱いだところを見た。
その肌は、お顔に負けず劣らず傷だらけで……きっとこの人の傷は、私だけじゃなくたくさんの人を守るなかで肌に重ねられてきたのだろう……そう、想像させるものだった。
そんなイーリアス様が素敵だと思う。この世で一番美しい人だと、私は思う。
◇ ◇ ◇
母は……王妃陛下は、ウィルヘルミナの新体制の面々の合意のもと、魔法が封印され解毒もされないまま、辺境の城へと送られた。
封印されながらも、なまじ元の魔力が強いために意識を失うこともできず、母は毒の苦痛に苛まれ続けた。
馬車からこぼれる恐ろしい呻き声は、道行く人を震え上がらせるほどだったという。
時折、王子の名を呼んで泣く声も聴こえたという噂もあるけれど、真偽はわからない。
島から戻ってきた重臣たちもまた毒の後遺症に苦しんだ。国政に戻るどころか、意識を失って眠りについては悪夢にうなされる日々だそうだ。
…………国は潰せなくても、ダンテス兄様の生母と夫を苦しめて命を奪った人々は制裁を受けたのだ。
また、私の元婚約者についても触れておくと、一度ウィルヘルミナと婚約を解消したにもかかわらず、彼女の戴冠を知って、自分が婚約者だと擦り寄ろうとしたのだそう。
一方ウィルヘルミナは私の報告から
『ベネディクト王国との間に大きな外向問題を起こそうとした』
という容疑で彼を捕らえ、青くなった彼の両親は、彼を廃嫡、公国は急遽彼の弟が継ぐことに。
だけど、元婚約者は囚人として裁判にかけられることになり、追求は彼の両親のもとまでいきそうだ。
────明日はウィルヘルミナの戴冠式。
王城に戻った私は、ウィルヘルミナから執務室に呼ばれ、向かった。
扉を開けると面食らう。
明日女王になるはずのウィルヘルミナが、机の上で古くて固そうなパンをかじって水で流し込んでいるところだった。
「ごめんなさい。
朝から何も食べる時間がなくて、限界だったものだから」
「…………あのね、ウィルヘルミナ」
過去の自分と思いきり重なるその姿に、私は思わず、彼女の両肩を掴んだ。
「な、なに?」
「……お願いだから、もう少し栄養のあるものを食べて?」
「姉様?」
「パンとか具の少ないサンドイッチとかじゃなくてね、お肉も入れるとか!
いえ、主菜と副菜の入ったバランスの良い、できれば美味しいものを遠慮せず用意してもらって! 忙しいとどんどん食事がないがしろになってしまうから!!」
(↑言いながら自分にダメージが刺さっている)
……人の振り見て我が振り直せ、なんて言葉があるけれど、本当に……私、どれだけ自分の健康を削ってたのかしら。
あの時は、食べてる暇なんてない、時間がないんだから少しでも削れるところを削るしかない、って思ってしまったのよ。
イーリアス様が私の感覚を正しく戻してくれたから、それがどれだけ自分の心をも蝕んだかよくわかる。
「ごめんなさい、あと、お節介って言われるかもだけど、ちゃんと眠って! ちゃんと下の人に適切に仕事振って、全部抱え込んだりとかしないでね!! お願いだから!!」
「えっと……わ、わかったわ??
というか、姉様じゃないんだから私そんなに1人で何でもできないわよ。わかんないことばっかりだし、ほとんど重臣たち頼りなんだから」
それなら、と安堵して、ついつい冷静じゃなくなってしまった自分が恥ずかしくなり、咳払いする。
「────ごめんなさい、そういう話じゃなかったわね。
どうしたの?」
────二度と戻らない、と決めていたはずのトリニアス王城に私が戻ったのは、それからすぐに父が亡くなり、葬儀を行うことになったからだ。
ウィルヘルミナは王都に戻ると、葬儀までに立て続けに、トリニアス国王の死とそれがダンテス兄様の手によるものであること、イルネアとエルミナの王族籍剥奪を発表した。
立て看板でのお触れだけじゃなく、活版印刷の機械を使って王家の名で、詳細を伝える新聞を作成。
王家の公式の発表を浸透させることで、ここのところ色々な情報が錯綜して混乱が起きている国内を落ち着かせようと、試みていた。
────そして今日行われた父の葬儀は、驚くほど質素なものだった。
これは、先だって兄様が生母とその夫が国王夫妻に何をされたのかを暴露していたせいらしい。
国民のなかで国王への反感が強まっており、やむを得ず、簡素な葬儀にしたのだとウィルヘルミナは言っていた。
運搬途中の棺には、生卵やゴミがぶつけられたとか。
これまでは国王として立派なイメージで慕われていたから、反動が大きかったのかもしれない、と私は思う。
その簡素な葬儀に、私とイーリアス様は出席した。
父が亡くなったときもだけど、葬儀中に、涙がこぼれることはなかった。
……何といえば良いのか、父に対する感情が麻痺してしまっている。
ダンテス兄様の暴露にも、信じられないというよりは、どこか、私の父と母ならやりかねないという思いがあった。
トリニアスに帰る船のなかで、父の死自体には心の準備はできていた……とはいえ、自分にとって血がつながった父親なのに。
ほんの少し前まで毎日顔をあわせて仕事をしていた人なのに。
(…………冷たいかしら)
そんな風に考えてしまい、さらにそれを口にしたら、
「肉親の死を悼むのが必ずしも当たり前ということではありません。
ただ、人間の感情は、溶け出すまで時間がかかることもありますから」
と、イーリアス様が言った。
まだ、私のなかで、父をどう位置付けて良いかわからないのかもしれない。
葬儀を終え、教会を退出していく。
すっかり初夏に入った青空の下で、イーリアス様の顔を見上げた。
「お顔の傷跡……治しきれなくてごめんなさい」
「こちらですか? お気になさらず」
イーリアス様は顔に増えた新しい傷跡に触れながら言う。
「私はむしろ気に入っているのですよ。
殿下に〈治癒魔法〉して頂いたことを、鏡を見るたび思い出せるのですから」
「それで良いのですか?」
「良いのです。妻を守った証だと、誇らせてください」
そう言ってもらえれば、少しは気が楽ではある。
〈治癒魔法〉をかけるとき、初めてイーリアス様が上半身を脱いだところを見た。
その肌は、お顔に負けず劣らず傷だらけで……きっとこの人の傷は、私だけじゃなくたくさんの人を守るなかで肌に重ねられてきたのだろう……そう、想像させるものだった。
そんなイーリアス様が素敵だと思う。この世で一番美しい人だと、私は思う。
◇ ◇ ◇
母は……王妃陛下は、ウィルヘルミナの新体制の面々の合意のもと、魔法が封印され解毒もされないまま、辺境の城へと送られた。
封印されながらも、なまじ元の魔力が強いために意識を失うこともできず、母は毒の苦痛に苛まれ続けた。
馬車からこぼれる恐ろしい呻き声は、道行く人を震え上がらせるほどだったという。
時折、王子の名を呼んで泣く声も聴こえたという噂もあるけれど、真偽はわからない。
島から戻ってきた重臣たちもまた毒の後遺症に苦しんだ。国政に戻るどころか、意識を失って眠りについては悪夢にうなされる日々だそうだ。
…………国は潰せなくても、ダンテス兄様の生母と夫を苦しめて命を奪った人々は制裁を受けたのだ。
また、私の元婚約者についても触れておくと、一度ウィルヘルミナと婚約を解消したにもかかわらず、彼女の戴冠を知って、自分が婚約者だと擦り寄ろうとしたのだそう。
一方ウィルヘルミナは私の報告から
『ベネディクト王国との間に大きな外向問題を起こそうとした』
という容疑で彼を捕らえ、青くなった彼の両親は、彼を廃嫡、公国は急遽彼の弟が継ぐことに。
だけど、元婚約者は囚人として裁判にかけられることになり、追求は彼の両親のもとまでいきそうだ。
────明日はウィルヘルミナの戴冠式。
王城に戻った私は、ウィルヘルミナから執務室に呼ばれ、向かった。
扉を開けると面食らう。
明日女王になるはずのウィルヘルミナが、机の上で古くて固そうなパンをかじって水で流し込んでいるところだった。
「ごめんなさい。
朝から何も食べる時間がなくて、限界だったものだから」
「…………あのね、ウィルヘルミナ」
過去の自分と思いきり重なるその姿に、私は思わず、彼女の両肩を掴んだ。
「な、なに?」
「……お願いだから、もう少し栄養のあるものを食べて?」
「姉様?」
「パンとか具の少ないサンドイッチとかじゃなくてね、お肉も入れるとか!
いえ、主菜と副菜の入ったバランスの良い、できれば美味しいものを遠慮せず用意してもらって! 忙しいとどんどん食事がないがしろになってしまうから!!」
(↑言いながら自分にダメージが刺さっている)
……人の振り見て我が振り直せ、なんて言葉があるけれど、本当に……私、どれだけ自分の健康を削ってたのかしら。
あの時は、食べてる暇なんてない、時間がないんだから少しでも削れるところを削るしかない、って思ってしまったのよ。
イーリアス様が私の感覚を正しく戻してくれたから、それがどれだけ自分の心をも蝕んだかよくわかる。
「ごめんなさい、あと、お節介って言われるかもだけど、ちゃんと眠って! ちゃんと下の人に適切に仕事振って、全部抱え込んだりとかしないでね!! お願いだから!!」
「えっと……わ、わかったわ??
というか、姉様じゃないんだから私そんなに1人で何でもできないわよ。わかんないことばっかりだし、ほとんど重臣たち頼りなんだから」
それなら、と安堵して、ついつい冷静じゃなくなってしまった自分が恥ずかしくなり、咳払いする。
「────ごめんなさい、そういう話じゃなかったわね。
どうしたの?」
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