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◇12◇ 【マレーナ視点】あの方が良いと言いましたのに

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   ◇ ◇ ◇


(――――少し話しすぎてしまいましたわ)


 リリス・ウィンザーが出て行ったドアを見つめながら、わたくしは息を漏らしました。


(……あの者はまだ使える。余計なことを言って警戒させてはいけませんわね)


 もともと、わたくしと瓜二つの女優がいるという話は存じておりました。

 シンシアが、その女優がいかにすばらしいかを使用人たちに吹聴していたのが耳に入ったのです。

 次第に邸の使用人たちの中に、その女優の崇拝者が増えていき、なんとシンシアと親しいお兄様まで見に行っていたのだとか。
(高位貴族の跡継ぎが平民向けの芝居を見に行くなど、まことに嘆かわしいこと。お兄様こそご自分のお立場を考えていただきたいものです)

 とはいえ、わたくしは、そのわたくしにそっくりな女優が何かに使えるのではないか……と常々考えておりました。

 1か月ほど前に彼女が襲われて大怪我を負ったと聞き、一度は諦めましたが……そのリリス・ウィンザーがなぜかやしきに連れてこられていたときには驚きました。

 そして、試しに2回、なりゆきでわたくしの身代わりを務めさせ。
 見事に務めてみせたことに、内心舌を巻きました。

 このような便利な女、誰が手放せましょうか?


(どうしたら、このままずっとここにいさせることができるかしら?)


 わたくしはいま、何としても、彼女を手放すまいと考えております。
 まずは彼女の身辺調査をいたしましょう。何かそこにヒントがあるはずです。


(…………それにしても、昨夜は…………絶好の機会でしたのに)


 不意に唇を噛みました。

 またしても邪魔をされた。
 それも大嫌いな相手に。
 わたくしはそれが腹立たしくて仕方なかったのです。


   ◇ ◇ ◇


 ――――1年前。


「だからわたくしは、クロノス様が良いと申し上げたではございませんか!!」


 16歳のわたくしは、お祖父様の書斎で、淑女らしからぬ大声をあげておりました。


「お祖父様は、『貴族の娘たるもの、隙あらば王妃の座を狙え』とわたくしに教えてくださいましたわね?
 ところが、わたくしが6歳の頃には、前の王太子アトラス殿下には婚約者が決まってしまいました。
 お祖父様はどうにか婚約を解消させられないかと手を回しては、できなくて、落胆なさり……アトラス殿下の妃とすることを諦め、別の方々との婚約を検討なさった」

「そ、そうだ。だから私は、その中でも最も良い相手を……」

「わたくし、その頃何度も何度も申し上げましたわ。
 『ウェーバー侯爵家のクロノス様も国王陛下のお子。何かことあらば、アトラス殿下からクロノス様へと王太子が変わる可能性もございます。そうでなくてもとても優秀だと評判のお方であり、ウェーバー侯爵家の家格も、うちよりもずっと上です。お母様も王家の血を引くお方。クロノス様もぜひ、わたくしの結婚相手として検討していただけませんか……』と。
 お祖父様、わたくしの訴えを一顧だにされませんでしたわね」


 お祖父様は、蒼白となった顔をひきつらせました。


「『公妾が産んだ子であるクロノス・ウェーバーは、国王陛下からは気に入られているが王妃陛下からはこの上なく憎まれている。優秀であったとしても、王太子になることはおろか、重職につくこともないだろう』……と、にべもなくおっしゃった。
 時に、わたくしを折檻せっかんされることもありましたわ。
 ――――で、いまお祖父様はどのようなご気分でいらっしゃるの?
 そのクロノス様が、王太子になられた、いま?」

「やめろ、マレーナ…………」

「あの時お祖父様が、わたくしの言うことをきいてくださっていたら、わたくしは今ごろ未来の王太子妃となっていたかもしれないと、そう思いませんの?」

「やめろ、やめてくれ、マレーナ……」


 ……責め続けたその祖父は、秋口に風邪を引いてあっけなく亡くなってしまいましたけれど。


 婚約者が未来の大公だと信じているうちは、ギアン様の無邪気でかんに触る求愛もまだ耐えられました。
 ですが、いまとなってはそれも難しい。
 大公にならないと知り、あの方の好意を、わたくしは生理的に受け付けなくなってしまったのです。

 婚約解消が大問題になることは承知の上。
 ――――しかし、それが問題ではなくなるだけの相手とわたくしが結婚すれば、少なくともファゴット侯爵家とわたくしの名誉は保たれるはず。

 であれば……わたくしが考えるべき唯一のお相手は、王太子クロノス殿下なのです。

 それも、婚約を維持しているうちにお心を捕らえなければ。


   ◇ ◇ ◇


 ――――そして、昨夜。


 夜会に向かう両親とお兄様、そしてリリス・ウィンザーを見送ったあと、わたくしは、1人の侍女とともにこっそりと邸を抜け出しました。

 この侍女は、信頼できる『協力者』の紹介によるもので、普段はほかの使用人たちにまぎれて仕事をしておりますが、いざというときには、わたくしの手引きをするように動いてくれるのです。

 邸を出ると、『協力者』の差し向けた馬車に乗り、ひそかに王宮へと向かいます。


 …………社交シーズンのさなか、貴族たちはあちこちでダンスパーティーや晩餐会に興じていましたが、いまの王宮は比較的静かでございました。

 理由はふたつ。
 派手好みの王妃陛下と前王太子殿下が昨年春の不祥事により失脚したこと。
 そして現王太子クロノス殿下が、公務と王太子教育の並行で大変お忙しくなさっていること。

 よって……お仕事の時間に、タイミングを見計らって王宮に推参すれば、クロノス殿下にお会いすることも叶うのです。


   ◇ ◇ ◇


「…………いらっしゃいましたわ。
 執務室に灯りがともっていますもの」


 王宮の窓を見上げ確認してから、わたくしと侍女は宮殿の中に入りました。


 クロノス殿下――――天使が降臨したのかと思うような艶やかな銀髪に、どんな詩でも表現できない白皙の美貌。眼鏡の奥の、見つめられた瞬間魔法にかけられたようになる神秘的なアイスブルーの瞳。
 あのお顔を拝見できると思うだけで、心臓がとくんと震えます。

 6月から7月にかけて王太子殿下が外国に行かれることが決まっていました。
 ならば、いまはご不在の間のぶんもお忙しくしていらっしゃるはず、と、わたくしは踏みました。そして、当たっていたようです。


 『協力者』が開けてくれていたいつもと違うルートを使い、わたくしたちは、王太子殿下が休憩時にいらっしゃるはずの……執務室から一番近い談話室に入りました。
 そこでじっと、殿下を待ちます。


 ――――侍女の手には、焼き菓子。

 昨日の深夜、誰にも見つからないようにわたくしが焼いた、バタークッキーとアーモンドケーキを持たせておりました。
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