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◇13◇ 【マレーナ視点】わたくしでなければ駄目ですわ。

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 ……以前、クロノス殿下とご友人がお話になっているのを横から聞き耳を立てましたときのこと。


 殿下のお母様であるウェーバー侯爵夫人は、貴族の夫人には珍しくお菓子作りが趣味だというお話をなさっていました。

 そして、
『素朴なお菓子をよく焼いてくれていたのですが、しばらく食べていないので、恋しくはありますね』
と、おっしゃっていたのです。

 貴族令嬢はお菓子作りなどできないのが普通です。
 手作りのお菓子を殿下に差し入れれば、ほかの王太子妃候補から頭ひとつ抜けられる、と思いました。

 まずは、どんなお菓子がお好みなのか、さりげなくクロノス殿下の身辺を調べさせます。すると、


『アーモンドなど、ナッツを使ったお菓子をよくお求めになっているようですので、お好きなのではないかと』


……とのこと。

 それでわたくしは、バタークッキーとアーモンドケーキの作り方を調べ、使用人たちが眠った深夜に何度も特訓をしたのです。


(絶対に美味しいと言っていただけるはずですわ)


 お兄様などは、

『まず、婚約者のいるおまえが王太子妃の候補に上がることはないよ』

と、言います。

『もちろんお顔がいいのもあって王太子殿下に憧れる令嬢は多い。
 だが、未来の王妃を選ぶというのは、そういう次元の問題ではないのだ。
 おそらくほかの国の姫君か、王家の血を引く令嬢が選ばれるだろう』

とも。

 ですが、わたくしが王太子殿下ご自身とねんごろになり、そして殿下にわたくしを妻にしたいと思っていただけたなら別でしょう。

 そしてわたくしは、大公子妃用とはいえ、妃教育を受けております。
 王太子交代のために通常よりも遅れて王太子教育を受けなければならなくなったクロノス殿下にとって、わたくしがお役に立てる場面は多いはずです。

 まずは仲良くなり、わたくしの力をアピールするのです。


 ――――廊下に人の気配がしましたので、いよいよ殿下がいらっしゃると、胸を弾ませました。


 が、次の瞬間…………殿下と、女性との会話の声が聴こえてきたのです。


「……ちょっと宰相厳しすぎない……?
 あんなにやり直したのに、あれでも承認してくれないとか……」

「今回の条約締結には宰相が同行できませんからね。細かく見てくれているのだから、指導を受けていると思ってありがたくもう一度やり直しましょう」

「ほんと、クロノスは強いね」


 心が洗われるような王太子殿下のお美しいお声に、男か女かわからないような行儀の悪い口調の声がかぶさってまいります。


(あの女が――――今日も一緒にいるんですのね!?)


 しかも、王太子殿下を堂々と呼び捨てに!?


「――――あれ? 先客がいる。マレーナ、こんなとこでどうしたの?」


 談話室に先に入ってきたのは、後頭部でまとめた漆黒の髪に、褐色の肌、眼鏡をかけた長身の女性でした。

 貴族令嬢とはとても思えない態度と話し方ですが、この女性、ファゴット家よりも家格が上のフォルクス侯爵家の長女です。

 わたくしよりも2歳上でクロノス殿下と同い年の、カサンドラ・フォルクスという名の、わたくしが大大大大大ッ嫌いな女性なのです。

 王宮事務官候補生、つまり官僚候補の学生で優秀らしいのですが、クロノス殿下の幼なじみだというのをいいことに、公務を手伝うと言って殿下にずっと付きまとっているのです。

 談話室にあとから王太子殿下が入っていらっしゃいました。

 わたくしは立ち上がり、礼をいたします。

 クロノス殿下は変わらずお美しい……。
 誰一人足を踏み入れていない雪原のように。
 冴え冴えと夜空に輝く月のように。
 天から遣わされた汚れなき天使のように。
 眼鏡の奥に輝くアイスブルーの神秘的な瞳は人類が手にした最高の宝石です。
 人間の造形美の極みと言えましょう。

 ……隣の邪魔な女がいなければ、もっと存分に殿下の美しさに浸れたのに。


「どうかしたのですか? ――――ここは王政関係者と憲兵以外の立ち入りは禁じていますが」


 殿下が直接わたくしに話しかけてくださいます。お声が尊い。天上の音楽のようでいつまでも聞いていたいお声です。


「わたくし、お忙しい王太子殿下に差し入れをさせていただきたいと思ってうかがいましたの」

「差し入れ? こんな時間にですか?」

「バタークッキーと、アーモンドケーキを焼きましたの。
 もしよろしければ、お二方、休憩のおともに召し上がっていってくださいませ」


 侍女からバスケットを受け取ってふたを開けて中を見せ、にこりと笑んでみました。
 この際、カサンドラ・フォルクスが入るのは仕方がありませんわ。本当、次にはカサンドラ用に毒入りを準備しましょうか。


「どうぞ召し上がっ……」

「厚意はありがたく受けとります。ですが」

「――――あ、ごめんねマレーナ。先に私に毒味させてくれるかな?」


(……毒味!?)

 王太子殿下とわたくしの間に入ってきたカサンドラの物騒な言葉に、わたくしは血の気が引きました。


「王太子の口に入るものだろう?
 差し入れも、必ず近くにいる王政関係者が毒味して、時間がたってから殿下が食べる規則なんだ。
 せっかく殿下のためにがんばって作ったところ、悪いけど」

「そ、そうなのですね?
 失礼いたしましたわ。では、どうぞ」


 カサンドラが手袋をはずし、褐色の指でお菓子をつまんだとき、この女に対する何百回目かの殺意が湧いてきましたが、必死でこらえました。


 クッキーを2枚、それからアーモンドケーキを2切れ、いずれも舌の上で吟味検証するように食べたカサンドラは、こう言いました。


「うん、どっちも美味しい。改めて差し入れありがとう。
 ただアーモンドケーキは少しラム酒が入ってるかな? この量なら大丈夫だと思うけど、できれば次から控えてもらえると嬉しい」


(なんですの? その言い方は)


 幼なじみだからって、殿下の保護者気取りですの!?


「……そうですね。せっかくカサンドラが毒味してくれたものですし、ありがたくいただきましょう。
 ただ、婚約者以外の男にこのようなものを渡すのは誤解を招くもとですね」


 殿下の、冷たいお声とわたくしを心配してくださるお言葉。ああ、なんて素敵なのでしょうか。


「……それと今夜はレイエス大公の夜会と聞いていますが、大公子婚約者の君はここにいて良いのですか?」

「あ、ええ…………じ、実はこれから仕度いたしますの。
 では、失礼いたしますわ」


 ――――王太子殿下、気遣ってくださるのは嬉しいですわ、こんなときでなければ。

 バスケットを置いて、カサンドラの
「気をつけて帰ってね。次から勝手に入っちゃダメだよ!」
という腹立たしい声を背に、わたくしたちは早々に退出することになってしまったのでした。


   ◇ ◇ ◇


(…………大公邸での、暗殺未遂騒ぎがあったことを考えると、あまり長居しなかったのは良かったのかも知れませんけれど)


 それにしても、カサンドラ・フォルクス。本っ……当に腹立たしい女ですわ。
 貴族令嬢なのに侍女もシャペロンもつけずに行動し、仕事にかこつけて王太子殿下と2人きりになるなど……。


(やはり、あの女にだけは、王太子妃の座は譲れませんわ)


 『協力者』の方々がおっしゃるように、あのような女がクロノス王太子殿下の妃に選ばれてしまっては、王家そのものの品位にかかわるでしょう。
 王太子交代後も前王太子を支持する、“反王太子派”の貴族たちが勢いづく可能性もございます。

 そして、クロノス殿下とカサンドラが幼なじみであることでもわかるように、フォルクス侯爵はウェーバー侯爵と元々近しい立場。
 それゆえに、あの女が選ばれてしまえば、『王妃にふさわしくない女を身内びいきで選んだ』という批判も上がりうる……と、『協力者』の皆様はおっしゃいました。


 …………そう、だからこそ、父が派閥的に中立の立場であり、かつ、妃としての品位を持つと認められ、妃教育も受けたわたくしでなければならないのです。
 わたくしでなければ……。


(クロノス殿下。わたくしが必ず、あの不埒な女の魔手からお救い申し上げますわ)


   ◇ ◇ ◇
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