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◇45◇ 攻防
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◇ ◇ ◇
────ついこの間ギアン様に連れてきてもらった、レイエスの“血闘海岸”。
踏みしめる砂に、足が沈みそうになる。
「最後に、貴女の本当の名前を教えてくれ」
やっぱりバレていたのか。
うっすらと先ほどからあった諦めが、私の心を支配した。
いや、こうなれば、少しでも“マシ”な事態へとつなげなければならない。
私のしくじりなのだから。
「……それは、他のどなたかにはおっしゃいましたか?」
「いいや、私の他には誰にも」
「……そうですか」
────ギアン様は、顔には出していないけれど怒っているだろう。
あれだけマレーナ様を大切にしていたのに、彼と会っていたのは偽者の私だったのだから。
私は膝を折り、砂の上に座って、深く頭を下げた。
「……ギアン様を騙し、偽者の私がお会いしてきましたこと、まことに申し訳なく、謝罪申し上げます」
「やめてくれ。私は」
「マレーナ様と私が入れ替わりましたこと、マレーナ様のお身体の不調などの事情がありました。
それでも、今回のレイエスへのご招待で最後のつもりだったのです。いえ本当は、今回の旅はさすがにマレーナ様が」
「もう良い、わかった」
ギアン様が砂に膝をつき、私を抱きしめる。
お互いの服が、砂だらけだ。こんな状態じゃ帰れないのに。
「やはり今回で最後。
一時的な身代わりのつもりだった。
ファゴット家側に婚約解消の意思なし……レイエスに嫁ぐのはマレーナ。
貴女は雇われただけ。
そういうことなのだな?」
「! は、はい。ですが」
「ファゴット家に責は問わぬ。
他の誰にも言わず、私一人の胸にとどめよう」
……ホッとした。良かった。これでファゴット家に迷惑はかからない。
「だから、名前を教えてくれ。
私は、貴女をなんと呼べばいいのだ?」
少しためらい、「リリス・ウィンザーです」と答えた。
「…………少し前まで、役者をしていました。本名です。
やはり、あの髪色の話でお気づきになったんですか?」
しくじりで一番心当たりがあるのは、卒業式の謝恩パーティーの時に、ギアン様の黒髪について言及したことだ。
まさか、本物のマレーナ様が、ギアン様の髪色を責めて、変えさせようとしていたことなんて知らなかった。
少なくとも考えが変わったということであったとしても、ギアン様の黒髪を肯定するのなら、その“マレーナ”は過去の自分を否定しなければおかしいのだ。
「うむ。
それに、ハルモニアを演じた女優に似ていると、ヴィクターが。……エルドレッド商会の次男でな、彼女の子孫なのだ」
「子孫……それは盲点でした」
そんな人がギアン様の友人だったなんて。
「……貴女を咎めるつもりはない。
婚約はつつがなく継続される。明日私は何も変わらず、貴女をマレーナと呼び、見送る。
それからは、本物のマレーナが来るのだろう?
だから、貴女は何も、気に病むな。好きでもない男の婚約者のふりなどつらかったであろう」
「私は!」
思わず言い返しかけて、言うわけにはいかないと口をつぐむ。
あなたが好きだなんて、いまここで言えるわけがない。言ってはいけない。
ギアン様は信じられないほど最大限の情けをかけてくれているのだ。
「私は…………役者ですから」
抱きしめてくれるその腕、すがりつくように彼の袖を握りしめる。
「そうか。それは失礼なことを言ったな」
ぽん、ぽん、と、背に優しくふれる手。
耳に優しくささやくその唇は、いずれマレーナ様の唇と重なるのだろう。マレーナ様もギアン様を夫として愛するようになり、幸せな家庭を築くんだろう。
琥珀の瞳は私じゃなく、マレーナ様を見つめるようになる。
「重ねて言うが、私は貴女に感謝こそすれ、思うところは何もない。
さぁ、砂を払い、城に戻ろう」
「感謝……?」
感謝なんてされることを、私はしただろうか。
ただただ、ギアン様を騙していただけ。そうして、勝手に好きになっただけだ。
ただ、もし、
「そう言っていただけるなら」
ギアン様の唇が目についた。
その瞬間無意識に手を伸ばし、ギアン様の頭を両手で包み、私は、一瞬だけ自分の唇を押し付けた。
驚きのあまりなのか、声も出せなかったギアン様。
すぐに唇を離した私に一瞬ポカンとし、「いっ、いったい、何を」と上ずった声をあげる。
私は、妖艶さを意識してギアン様に笑んだ。舞台の上じゃないキスは初めて。だけど、それはにじませない。
「おやすみなさいませ。
少し夜風に当たってから帰りますわ」
マレーナ様風の物言いをして、私は立ち上がり、砂を払う。
ギアン様を残して、私は砂浜にはいる前に脱いだ靴を手に取った。
◇ ◇ ◇
────ついこの間ギアン様に連れてきてもらった、レイエスの“血闘海岸”。
踏みしめる砂に、足が沈みそうになる。
「最後に、貴女の本当の名前を教えてくれ」
やっぱりバレていたのか。
うっすらと先ほどからあった諦めが、私の心を支配した。
いや、こうなれば、少しでも“マシ”な事態へとつなげなければならない。
私のしくじりなのだから。
「……それは、他のどなたかにはおっしゃいましたか?」
「いいや、私の他には誰にも」
「……そうですか」
────ギアン様は、顔には出していないけれど怒っているだろう。
あれだけマレーナ様を大切にしていたのに、彼と会っていたのは偽者の私だったのだから。
私は膝を折り、砂の上に座って、深く頭を下げた。
「……ギアン様を騙し、偽者の私がお会いしてきましたこと、まことに申し訳なく、謝罪申し上げます」
「やめてくれ。私は」
「マレーナ様と私が入れ替わりましたこと、マレーナ様のお身体の不調などの事情がありました。
それでも、今回のレイエスへのご招待で最後のつもりだったのです。いえ本当は、今回の旅はさすがにマレーナ様が」
「もう良い、わかった」
ギアン様が砂に膝をつき、私を抱きしめる。
お互いの服が、砂だらけだ。こんな状態じゃ帰れないのに。
「やはり今回で最後。
一時的な身代わりのつもりだった。
ファゴット家側に婚約解消の意思なし……レイエスに嫁ぐのはマレーナ。
貴女は雇われただけ。
そういうことなのだな?」
「! は、はい。ですが」
「ファゴット家に責は問わぬ。
他の誰にも言わず、私一人の胸にとどめよう」
……ホッとした。良かった。これでファゴット家に迷惑はかからない。
「だから、名前を教えてくれ。
私は、貴女をなんと呼べばいいのだ?」
少しためらい、「リリス・ウィンザーです」と答えた。
「…………少し前まで、役者をしていました。本名です。
やはり、あの髪色の話でお気づきになったんですか?」
しくじりで一番心当たりがあるのは、卒業式の謝恩パーティーの時に、ギアン様の黒髪について言及したことだ。
まさか、本物のマレーナ様が、ギアン様の髪色を責めて、変えさせようとしていたことなんて知らなかった。
少なくとも考えが変わったということであったとしても、ギアン様の黒髪を肯定するのなら、その“マレーナ”は過去の自分を否定しなければおかしいのだ。
「うむ。
それに、ハルモニアを演じた女優に似ていると、ヴィクターが。……エルドレッド商会の次男でな、彼女の子孫なのだ」
「子孫……それは盲点でした」
そんな人がギアン様の友人だったなんて。
「……貴女を咎めるつもりはない。
婚約はつつがなく継続される。明日私は何も変わらず、貴女をマレーナと呼び、見送る。
それからは、本物のマレーナが来るのだろう?
だから、貴女は何も、気に病むな。好きでもない男の婚約者のふりなどつらかったであろう」
「私は!」
思わず言い返しかけて、言うわけにはいかないと口をつぐむ。
あなたが好きだなんて、いまここで言えるわけがない。言ってはいけない。
ギアン様は信じられないほど最大限の情けをかけてくれているのだ。
「私は…………役者ですから」
抱きしめてくれるその腕、すがりつくように彼の袖を握りしめる。
「そうか。それは失礼なことを言ったな」
ぽん、ぽん、と、背に優しくふれる手。
耳に優しくささやくその唇は、いずれマレーナ様の唇と重なるのだろう。マレーナ様もギアン様を夫として愛するようになり、幸せな家庭を築くんだろう。
琥珀の瞳は私じゃなく、マレーナ様を見つめるようになる。
「重ねて言うが、私は貴女に感謝こそすれ、思うところは何もない。
さぁ、砂を払い、城に戻ろう」
「感謝……?」
感謝なんてされることを、私はしただろうか。
ただただ、ギアン様を騙していただけ。そうして、勝手に好きになっただけだ。
ただ、もし、
「そう言っていただけるなら」
ギアン様の唇が目についた。
その瞬間無意識に手を伸ばし、ギアン様の頭を両手で包み、私は、一瞬だけ自分の唇を押し付けた。
驚きのあまりなのか、声も出せなかったギアン様。
すぐに唇を離した私に一瞬ポカンとし、「いっ、いったい、何を」と上ずった声をあげる。
私は、妖艶さを意識してギアン様に笑んだ。舞台の上じゃないキスは初めて。だけど、それはにじませない。
「おやすみなさいませ。
少し夜風に当たってから帰りますわ」
マレーナ様風の物言いをして、私は立ち上がり、砂を払う。
ギアン様を残して、私は砂浜にはいる前に脱いだ靴を手に取った。
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