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第1章 修道院での子供時代
20、降誕祭の準備
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「シチリアと違ってこのあたりは冬の寒さは厳しく、食料も限られてくる。降誕祭の準備もシチリアとは違ったやり方で行わなければならない」
ニコラス先生は本の後ろの方のページを開いて読み始めた。
「寒さが厳しくなる降誕祭の頃に骨のついた鶏肉を食べ、果物の香りをつけ蜂蜜を加えたワインを温めて飲む習慣は理にかなっている。体を作るのに必要な骨と肉、さらに血液となる赤ワインを飲むことで、私たちは活力を与えられ冬を乗り切ることができる」
「そんなことはわかっている」
先生は本の続きを読んだ。
「私は降誕祭の前夜に近くに住む村人を集め、肉料理とワインを振る舞い、焼き菓子を配ることを始めた。キリストが生まれた日の喜びを、修道士だけでなく多くの者と分かち合いたかった。評判を聞いて村人だけでなく遠い街の医者や学者、時には異教徒の学者や吟遊詩人、魔術師と呼ばれる者がここを訪れることもあった。私は彼らの話を聞くことを楽しみにしていた。吟遊詩人は広場で村人を前にして楽器を奏でながら昔の宮廷の物語を聞かせてくれた。最後に私は訪れてくれた者すべてと抱き合い、祝福を与えて再会を誓って別れた」
カルロス先生が口を挟んだ。
「ここは修道院だ。王宮のような豪華な祝宴はできない」
「確かに王宮のような祝宴はできません。でも近くに住む村人を招き、肉料理とワイン、それから菓子などを配ることは十分可能かと思います」
「修道士ニコラのようにか?」
ニコラス先生は本から目を話して話し始めた。
「はい、修道士ニコラが亡くなる数年前には評判を聞きつけて生きている者だけでなく大勢の死者も集まったようです。当時もまた戦乱や疫病の流行などで臨終の秘蹟を受けられぬまま亡くなる者も多数いました。もちろんそのように亡くなった死者もほとんどは聖職者や修道士の祈りの力で行くべきところへ行かれるようになります。ですが死ぬ間際の苦痛や恨みがあまりにも強い場合、魂に傷がついて地上にとどまってしまうのです。修道士ニコラはそうした死者の魂の傷を癒し、光を与えて道を示すことができる特別な力を持っていました」
少しづつカルロス先生の顔つきが険しくなってきた。機嫌が悪いに違いない。私はハラハラした。
「私は修道士ニコラではない。恨みを持つ死者の魂を癒すことなどできるわけない」
「修道士ニコラの話はあくまでも伝説です。私たちにそのような力はありません。でもいつもはこの修道院の敷地内だけで祝っていた降誕祭を近隣の村人を招き、多めに作ったご馳走や菓子を分け与えれば、彼らと一緒にキリストの誕生を喜ぶことができるのです」
カルロス先生はしばらく黙っていたが、やがて少し顔を緩めて話し出した。
「そなたは本当に口がうまい。いいだろう。今年の降誕祭で肉や菓子を準備する世俗の仕事はそなたに任せる。私は降誕祭から公現祭までの日々は非常に忙しくなる。祝宴の準備は暇を持て余しているそなたが担当すればよかろう。助手としてアルバロやフェリペなど修道院の子、それからミゲルとフアンも自由に使っていいぞ」
「ミゲルもですか?」
「ミゲルもまだ8歳の子供だ。私と厳粛なミサの準備をするより彼らと一緒の菓子作りの方が楽しめるだろう」
「ありがとうございます」
降誕祭の前夜まで、私たちはニコラス先生の助手をして菓子作りをすることになった。修道士の食堂の隣にある厨房に孤児院の子供10人と私とフアンが並んだ。厨房に入る前にきれいな作業着に着替え、手もきちんと洗っている。
「今日は君たちにジンジャー入りのビスケットを作ってもらう。ビスケットは大量に作るから、多少形が変になってもかまわない。孤児院の子は毎年作っているから作り方はよくわかっているだろう」
「はい、先生。でも僕たちは今まで孤児院の厨房で自分たちが食べる分だけビスケットを作っていました。ここの厨房に入るのは初めてです。今日作るビスケットは僕たち以外の人も食べるのですか?」
「もちろんうまく作れたものは大人にも配る。だが失敗作は君たちが食べていい」
「それなら失敗作を多く作れば俺たちの口に入るビスケットも多くなるわけだ」
「アルバロ、だめだよ。他の人にも食べてもらえるようにきれいに作らないと」
「材料はたくさんある。失敗作ばかり作られても困るが、それほど緊張しなくてもよい。楽しんで作ってくれ。私は他の準備をしてくる」
ニコラス先生は厨房を出て行き、子供だけが残された。アルバロとフェリペは慣れた手つきでテーブルの上に置かれた小麦粉、砂糖、卵、蜂蜜、香辛料などを量って大きな鍋に入れ、手でこねていた。その鍋は小さな子供たちに手渡され、彼らはそれを丸くして押しつぶし、細い棒を使って星や人形の形に切り抜いていた。私とフアンにもビスケットの生地と細い棒が手渡された。フアンは背が低いので踏み台に乗ってテーブルの上で形を作ろうとした。初めてにしては器用に星の形を切り出している。私も真似をした。
「わー、ミゲルお兄ちゃんは何作っているの?」
「人形のつもりだけど・・・」
「人形には見えないよ。頭が大きくて手が細すぎるから」
他の子供が次々と私の作った人形を見に来た。
「ミゲルって絵だけでなくてこういうのも下手なんだね」
「この人形は頭が体の半分ぐらいあるし胴体がなくて頭から直接手足が出ている」
「ほんとだー、これ人間には見えないよ」
みんなが私の作った人形を見てゲラゲラ笑っている。確かにあまりうまくないがそれほど下手でもない。
「みんな、ミゲルはこういう作業は初めてやるんだ。うまくできなくて当たり前だ。ミゲル、気にしないでどんどん作ってくれ。失敗作は全部俺たちが食べてやるから」
「アルバロ、その言い方ミゲルを励ましているようには聞こえない。いいか、人形はこういう形にすればいい」
フェリペが私の前に見本として自分の切り取ったビスケットの人形を置いてくれた。
「わかった!ミゲルお兄ちゃんは人形ではなくてアレを作ったんだ!」
フアンが突然大声で叫んだ。
3歳のフアンはまだ言葉をよく知らなくて、アレという言葉をよく使う。そのアレがなんなのかこちらが想像しなければいけないのだが、アレが何をさしているのかうまく当てないとフアンは癇癪を起し、ひっくり返って泣き喚く。私はフェリペに助けを求めた。
「フェリペ、僕の作ったビスケットを見てフアンがアレと言ったけど、君にはなんのことだかわかるか?」
「このビスケットがアレに似ているというのか。これだけだとよくわからない。もう少しフアンから情報を引き出してみる」
「頼むよ」
フェリペは1度手を洗いフアンを抱き上げた。
「ねえ、フアン。アレはどれくらいの大きさなの?どんな色をしていた?」
「これくらいの大きさで赤い色をしている」
フアンは手で大きさを示した。
「君はアレを前に見たことがあるの?」
「うん、ミゲルお兄ちゃんと一緒に市場に行った時に見た。たくさんの魚と一緒にアレも並んでいた」
「君が言っているのは、もしかしてタコのこと?」
「そう、タコだよ。タコがたくさん並んでいた」
「お前たち仕事の手を止めて何話しているんだ?」
いつのまにかアルバロや他の子供たちもフェリペとフアンの周りに集まっていた。
「フアンがアレについて話し出したから、フェリペが事情を聞いている」
「そうか、フアンがアレと言い出したら面倒なことになるからな。フェリペ、こっちの仕事はいいからフアンの相手をしてくれ。お前たちも仕事にもどれ」
「はーい」
子供たちはアルバロに命じられてまた作業に戻った。
「そうか、市場でたくさんのタコが並んでいたんだね。それでフアン、君はその時タコを食べた?」
「うん、ミゲルお兄ちゃんが小さく切って串に刺さって焼いてあるタコを買ってくれて一緒に食べた」
「おいしかった?」
「うん、すごくおいしかったよ!」
「ちょっと待って、僕はフアンと一緒に市場に行ったりタコを食べたりはしていない」
私が思わず口を挟むと、フェリペはフアンを床に下して私の手を引き少し離れた場所で小声で話した。
「ミゲル、君は修道士ニコラの書いた幻の本の最初の部分を読んでいる?」
「読んではいないけどカルロス先生が声を出して読んでいるのが聞こえた。市場でタコを食べるあたり」
「それだよ、それ。君、今の時期は寒いからフアンと一緒に同じベッドで寝ているだろう?」
「うん、そうしているけど」
「寝ている間に君の聞いた記憶がフアンの心の中にも入った。フアンはまだ小さいから君の聞いた話をごちゃ混ぜにしてしまった。フアンの夢の中で君は市場に行ってタコを食べたことになっているんだ」
「そんなこと言われても・・・」
「とにかく今はフアンに話を合わせていればいい」
私とフェリペはフアンのところに戻った。
「ミゲルお兄ちゃん。市場に行ってタコ買ってこようよ」
「タコと言われても・・・」
私はなんて答えたらいいかわからない。目で合図してフェリペに助けを求めた。
「フアン、よく聞いて。ここはシチリアでなくてスペイン、それも海から遠く離れた場所だ。この近くには市場はないし、魚やタコも売っていない。本物のタコは食べられないけどこれでどうだ?」
フェリペは私の作ったできそこないのビスケットに少し手を加えてタコの形にし、踏み台の上にフアンを乗せた。
「わー、すごい。タコの形をしている。フェリペお兄ちゃんありがとう」
フェリペは器用にビスケットの生地をタコの形に切り取り、足には丸い模様まで加えていた。先に作ってあったビスケットから次々と焼かれ、厨房の中はいい匂いでいっぱいになった。フェリペの作ったタコの形をしたビスケットも焼かれてテーブルの上に置かれた。そこにニコラス先生が戻ってきた。
「先生、見て。タコだよ」
フアンがニコラス先生に近付き、フェリペの作ったタコのビスケットを嬉しそうに見せた。
「ほう、これを作ったのはフェリペか?よくできている」
「カルロス先生にも見せてくる」
フアンはビスケットを持って厨房の外に歩いて出ようとしたが、ニコラス先生に止められた。
「待ちなさい、フアン。カルロス院長にはこれは見せない方がいい」
「どうして?」
「カルロス院長はタコはお好きでないらしい。それに今の時期、院長はとてもお忙しい。さあ、ビスケットの生地はまだ残っている。君たちはこれを全部成型して焼いてくれ」
「わかりました」
その後もビスケットはたくさん作られ、降誕祭の前夜に配られるものと孤児院の子供が食べていいものに分けられた。私が作ったものはフェリペが手直ししてタコにしたもの以外、すべて食べていいものに分けられていた。
ニコラス先生は本の後ろの方のページを開いて読み始めた。
「寒さが厳しくなる降誕祭の頃に骨のついた鶏肉を食べ、果物の香りをつけ蜂蜜を加えたワインを温めて飲む習慣は理にかなっている。体を作るのに必要な骨と肉、さらに血液となる赤ワインを飲むことで、私たちは活力を与えられ冬を乗り切ることができる」
「そんなことはわかっている」
先生は本の続きを読んだ。
「私は降誕祭の前夜に近くに住む村人を集め、肉料理とワインを振る舞い、焼き菓子を配ることを始めた。キリストが生まれた日の喜びを、修道士だけでなく多くの者と分かち合いたかった。評判を聞いて村人だけでなく遠い街の医者や学者、時には異教徒の学者や吟遊詩人、魔術師と呼ばれる者がここを訪れることもあった。私は彼らの話を聞くことを楽しみにしていた。吟遊詩人は広場で村人を前にして楽器を奏でながら昔の宮廷の物語を聞かせてくれた。最後に私は訪れてくれた者すべてと抱き合い、祝福を与えて再会を誓って別れた」
カルロス先生が口を挟んだ。
「ここは修道院だ。王宮のような豪華な祝宴はできない」
「確かに王宮のような祝宴はできません。でも近くに住む村人を招き、肉料理とワイン、それから菓子などを配ることは十分可能かと思います」
「修道士ニコラのようにか?」
ニコラス先生は本から目を話して話し始めた。
「はい、修道士ニコラが亡くなる数年前には評判を聞きつけて生きている者だけでなく大勢の死者も集まったようです。当時もまた戦乱や疫病の流行などで臨終の秘蹟を受けられぬまま亡くなる者も多数いました。もちろんそのように亡くなった死者もほとんどは聖職者や修道士の祈りの力で行くべきところへ行かれるようになります。ですが死ぬ間際の苦痛や恨みがあまりにも強い場合、魂に傷がついて地上にとどまってしまうのです。修道士ニコラはそうした死者の魂の傷を癒し、光を与えて道を示すことができる特別な力を持っていました」
少しづつカルロス先生の顔つきが険しくなってきた。機嫌が悪いに違いない。私はハラハラした。
「私は修道士ニコラではない。恨みを持つ死者の魂を癒すことなどできるわけない」
「修道士ニコラの話はあくまでも伝説です。私たちにそのような力はありません。でもいつもはこの修道院の敷地内だけで祝っていた降誕祭を近隣の村人を招き、多めに作ったご馳走や菓子を分け与えれば、彼らと一緒にキリストの誕生を喜ぶことができるのです」
カルロス先生はしばらく黙っていたが、やがて少し顔を緩めて話し出した。
「そなたは本当に口がうまい。いいだろう。今年の降誕祭で肉や菓子を準備する世俗の仕事はそなたに任せる。私は降誕祭から公現祭までの日々は非常に忙しくなる。祝宴の準備は暇を持て余しているそなたが担当すればよかろう。助手としてアルバロやフェリペなど修道院の子、それからミゲルとフアンも自由に使っていいぞ」
「ミゲルもですか?」
「ミゲルもまだ8歳の子供だ。私と厳粛なミサの準備をするより彼らと一緒の菓子作りの方が楽しめるだろう」
「ありがとうございます」
降誕祭の前夜まで、私たちはニコラス先生の助手をして菓子作りをすることになった。修道士の食堂の隣にある厨房に孤児院の子供10人と私とフアンが並んだ。厨房に入る前にきれいな作業着に着替え、手もきちんと洗っている。
「今日は君たちにジンジャー入りのビスケットを作ってもらう。ビスケットは大量に作るから、多少形が変になってもかまわない。孤児院の子は毎年作っているから作り方はよくわかっているだろう」
「はい、先生。でも僕たちは今まで孤児院の厨房で自分たちが食べる分だけビスケットを作っていました。ここの厨房に入るのは初めてです。今日作るビスケットは僕たち以外の人も食べるのですか?」
「もちろんうまく作れたものは大人にも配る。だが失敗作は君たちが食べていい」
「それなら失敗作を多く作れば俺たちの口に入るビスケットも多くなるわけだ」
「アルバロ、だめだよ。他の人にも食べてもらえるようにきれいに作らないと」
「材料はたくさんある。失敗作ばかり作られても困るが、それほど緊張しなくてもよい。楽しんで作ってくれ。私は他の準備をしてくる」
ニコラス先生は厨房を出て行き、子供だけが残された。アルバロとフェリペは慣れた手つきでテーブルの上に置かれた小麦粉、砂糖、卵、蜂蜜、香辛料などを量って大きな鍋に入れ、手でこねていた。その鍋は小さな子供たちに手渡され、彼らはそれを丸くして押しつぶし、細い棒を使って星や人形の形に切り抜いていた。私とフアンにもビスケットの生地と細い棒が手渡された。フアンは背が低いので踏み台に乗ってテーブルの上で形を作ろうとした。初めてにしては器用に星の形を切り出している。私も真似をした。
「わー、ミゲルお兄ちゃんは何作っているの?」
「人形のつもりだけど・・・」
「人形には見えないよ。頭が大きくて手が細すぎるから」
他の子供が次々と私の作った人形を見に来た。
「ミゲルって絵だけでなくてこういうのも下手なんだね」
「この人形は頭が体の半分ぐらいあるし胴体がなくて頭から直接手足が出ている」
「ほんとだー、これ人間には見えないよ」
みんなが私の作った人形を見てゲラゲラ笑っている。確かにあまりうまくないがそれほど下手でもない。
「みんな、ミゲルはこういう作業は初めてやるんだ。うまくできなくて当たり前だ。ミゲル、気にしないでどんどん作ってくれ。失敗作は全部俺たちが食べてやるから」
「アルバロ、その言い方ミゲルを励ましているようには聞こえない。いいか、人形はこういう形にすればいい」
フェリペが私の前に見本として自分の切り取ったビスケットの人形を置いてくれた。
「わかった!ミゲルお兄ちゃんは人形ではなくてアレを作ったんだ!」
フアンが突然大声で叫んだ。
3歳のフアンはまだ言葉をよく知らなくて、アレという言葉をよく使う。そのアレがなんなのかこちらが想像しなければいけないのだが、アレが何をさしているのかうまく当てないとフアンは癇癪を起し、ひっくり返って泣き喚く。私はフェリペに助けを求めた。
「フェリペ、僕の作ったビスケットを見てフアンがアレと言ったけど、君にはなんのことだかわかるか?」
「このビスケットがアレに似ているというのか。これだけだとよくわからない。もう少しフアンから情報を引き出してみる」
「頼むよ」
フェリペは1度手を洗いフアンを抱き上げた。
「ねえ、フアン。アレはどれくらいの大きさなの?どんな色をしていた?」
「これくらいの大きさで赤い色をしている」
フアンは手で大きさを示した。
「君はアレを前に見たことがあるの?」
「うん、ミゲルお兄ちゃんと一緒に市場に行った時に見た。たくさんの魚と一緒にアレも並んでいた」
「君が言っているのは、もしかしてタコのこと?」
「そう、タコだよ。タコがたくさん並んでいた」
「お前たち仕事の手を止めて何話しているんだ?」
いつのまにかアルバロや他の子供たちもフェリペとフアンの周りに集まっていた。
「フアンがアレについて話し出したから、フェリペが事情を聞いている」
「そうか、フアンがアレと言い出したら面倒なことになるからな。フェリペ、こっちの仕事はいいからフアンの相手をしてくれ。お前たちも仕事にもどれ」
「はーい」
子供たちはアルバロに命じられてまた作業に戻った。
「そうか、市場でたくさんのタコが並んでいたんだね。それでフアン、君はその時タコを食べた?」
「うん、ミゲルお兄ちゃんが小さく切って串に刺さって焼いてあるタコを買ってくれて一緒に食べた」
「おいしかった?」
「うん、すごくおいしかったよ!」
「ちょっと待って、僕はフアンと一緒に市場に行ったりタコを食べたりはしていない」
私が思わず口を挟むと、フェリペはフアンを床に下して私の手を引き少し離れた場所で小声で話した。
「ミゲル、君は修道士ニコラの書いた幻の本の最初の部分を読んでいる?」
「読んではいないけどカルロス先生が声を出して読んでいるのが聞こえた。市場でタコを食べるあたり」
「それだよ、それ。君、今の時期は寒いからフアンと一緒に同じベッドで寝ているだろう?」
「うん、そうしているけど」
「寝ている間に君の聞いた記憶がフアンの心の中にも入った。フアンはまだ小さいから君の聞いた話をごちゃ混ぜにしてしまった。フアンの夢の中で君は市場に行ってタコを食べたことになっているんだ」
「そんなこと言われても・・・」
「とにかく今はフアンに話を合わせていればいい」
私とフェリペはフアンのところに戻った。
「ミゲルお兄ちゃん。市場に行ってタコ買ってこようよ」
「タコと言われても・・・」
私はなんて答えたらいいかわからない。目で合図してフェリペに助けを求めた。
「フアン、よく聞いて。ここはシチリアでなくてスペイン、それも海から遠く離れた場所だ。この近くには市場はないし、魚やタコも売っていない。本物のタコは食べられないけどこれでどうだ?」
フェリペは私の作ったできそこないのビスケットに少し手を加えてタコの形にし、踏み台の上にフアンを乗せた。
「わー、すごい。タコの形をしている。フェリペお兄ちゃんありがとう」
フェリペは器用にビスケットの生地をタコの形に切り取り、足には丸い模様まで加えていた。先に作ってあったビスケットから次々と焼かれ、厨房の中はいい匂いでいっぱいになった。フェリペの作ったタコの形をしたビスケットも焼かれてテーブルの上に置かれた。そこにニコラス先生が戻ってきた。
「先生、見て。タコだよ」
フアンがニコラス先生に近付き、フェリペの作ったタコのビスケットを嬉しそうに見せた。
「ほう、これを作ったのはフェリペか?よくできている」
「カルロス先生にも見せてくる」
フアンはビスケットを持って厨房の外に歩いて出ようとしたが、ニコラス先生に止められた。
「待ちなさい、フアン。カルロス院長にはこれは見せない方がいい」
「どうして?」
「カルロス院長はタコはお好きでないらしい。それに今の時期、院長はとてもお忙しい。さあ、ビスケットの生地はまだ残っている。君たちはこれを全部成型して焼いてくれ」
「わかりました」
その後もビスケットはたくさん作られ、降誕祭の前夜に配られるものと孤児院の子供が食べていいものに分けられた。私が作ったものはフェリペが手直ししてタコにしたもの以外、すべて食べていいものに分けられていた。
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