四葉とお兄様

うしお

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夜の記憶

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「いってらっしゃいませ、お兄様」

「ああ。行ってくるよ、四葉」

使用人が入れ替わってから、陽一朗の見送りは四葉だけが行うものになっている。
お父様が生きていた頃、お出かけになる際は、お母様と四葉だけでなく、お屋敷で働く使用人すべてが集まってお見送りするものだった。
だが、陽一朗は使用人の仕事の手をわざわざ止めさせる必要はないとして、それをやめさせた。
それから、朝のお見送りは、陽一朗と四葉だけの朝の儀式となっている。

玄関ホールの階段横に置かれた小さなテーブルに鞄を置いた陽一朗に、四葉がコートを着せかける。
お父様がいた頃、これはお母様の仕事だった。
それをいま、四葉が陽一朗のためにしているのだと思うとどこか不思議な気持ちになった。
男性用の整髪料の香りが四葉の鼻腔をくすぐる。
大人の男性の香りだ。
それだけで、なんだか陽一朗が、四葉の知らない人になってしまったような気がして落ちつかなくなる。
四葉は、この瞬間が少し苦手だ。
陽一朗と四葉には身長差があるせいで、かなり膝を落としてもらわなくてはならないが、陽一朗はそれを喜んで受け入れてくれる。
四葉の差し出すコートの袖に、陽一朗の両腕を通してもらえば、あとは肩まで持ち上げるだけだ。
ほんの少し背の足りない四葉は、少しだけ体を寄せながら陽一朗の大きな背中にコートを羽織らせる。
そうすると、よく嗅ぎなれた陽一朗の匂いが感じられ、ざわめく四葉の心を落ち着かせてくれるのだ。

「四葉。今夜も続きをする予定だから、少しお昼寝をしておくといい。その方が、長くお勉強をしてあげられるからね」

四葉の差し出した鞄を受け取りながら、陽一朗が四葉を抱き締めて囁いた。
耳をかすめていくその声だけで、四葉の体はじんわりと温かくなる。

「四葉のためにも、早く帰ってくるからね」

階段横の僅かな暗がりで、陽一朗の唇が四葉の唇をそっと塞ぐ。
四葉はすぐに口を開いて、陽一朗の舌を待ちわびたが、陽一朗の舌は四葉の中に入ってくることなく離れて行った。

「続きは夜だよ、四葉。楽しみにしていて」

うっすらと開いた四葉の唇に、もう一度だけ触れるだけの口付けをしてから、陽一朗は仕事へと出かけていった。
残された四葉は、その大きな背中を見守りながら、自分の唇にそっと触れ、しばらく目の前で閉ざされた扉を見つめたまま動かなかった。

その日一日を、四葉はどう過ごしていたのか、自分でも思い出せない。
刺繍に精を出していたような気もするし、詩集を読んでいたような気もする。
気がつけば、まだ明るい時間だというのに、四葉はすでに整えられていたベッドを前にして立っていた。

「本日は、お昼寝をしていただくようにと、御当主様からの御命令でしたので、ご用意をしております」

「まあ……お兄様が、そんなことを……?」

「はい。そのように申しつかっております。ですが、四葉様がお望みにならないのなら、無理をすることはないように、とも伺っております。四葉様は、どうなさりたいですか?」

「……せっかくだから、お休みさせていただこうかしら」

自分が少しぼんやりしていた自覚のある四葉は、素直にそれを受け入れる。
水沢に手伝ってもらって夜着に着替え、ベッドに入るといつもよりも明るい部屋の中で眠る準備が整った。

「こちらのカーテンも引かせていただきますね」

「ありがとう、水沢」

「いえ。では、失礼いたします」

天蓋からぶら下がる分厚いカーテンを引かれたベッドの中は、思っていたよりも暗く、まるで一足早く、夜がきてしまったかのようだった。

(まるで、夜のよう、だなんて)

そう思うだけで、四葉の体は陽一朗に教えられた閨の作法を思い出して、疼きはじめる。
優しくやわらかな陽一朗の唇と、とても器用でなめらかに動く舌、それから、その舌が四葉の蜜壺に触れたのだということも。

(だめよ、だめ。お昼寝をしようというのに、こんなことを考えていては)

四葉はかぶりを振って、思い出してしまったあれこれを振り払いながら、枕に顔を埋めて悶える。
なんて、はしたないことなのか。
ただ部屋が暗いというだけで、閨のことを思い出してしまうだなんて。
けれど、顔を埋めた枕から陽一朗の香りがした瞬間、四葉は自分の蜜壺がその奥から蜜をとろりと溢れさせるのを感じてしまった。
それからは、どれだけ記憶を散らそうとしても上手くいかず、結局のところ四葉は、昼寝など一切できないまま、夜を迎えることになってしまうのだった。
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