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ごちそうさまでした!
しおりを挟むゼロ・イクスとイクス・アビスの衝突は熾烈を極めた。
お互いの技量、能力、威力から武器や肉体の強度に至るまで、全くの互角。
力任せに薙ぎ払うが如き断撃は拮抗し。
無数の刺突を繰り出せば刃の先端同士が火花を散らし。
剣舞のような斬り合いは、攻防一体の千日手の様相を見せる。
「無駄なあがきよ……!」
「……!」
しかし長きに渡る戦闘の果てに、ゼロ・イクスの頬をイクス・アビスの刃が掠めた。
『オメガ様!?』
「大丈夫だ!」
初めて見るゼロ・イクスの苦戦に狼狽えるアーレンハイトに対して、彼は答える。
が、それを皮切りにゼロ・イクスは徐々に劣勢に立たされ始めた。
「我はお前の写し鏡……だが、違う事が二つある。一つはお前の扱う霊装があくまでも精霊の巫女……すなわち限りある命の、脆弱な亜人どもに由来する代物でしかない事。もう一つは、オメガ。お前が限りなく人に近しい精神性を有するが故の弱点」
ゼロ・イクスは遂にイクス・アビスの双刃に両手の剣を弾き飛ばされた。
「―――即ち、疲労による集中力の低下、だ」
互角の戦闘は、体力の差が決着をつけた。
死体と、根源力そのもので作られたイクス・アビスに疲労はないのだ。
ゼロ・イクスの喉元に刃を突き付けて動きを止めたイクス・アビスは、悪意に満ちた声音で告げる。
「……我は人類に絶望し、救うべき意義を見いだせなかったお前自身だ……何故、お前が人類を救わねばならん? 我が身可愛さにお前を排除しようとしたこの世界の民衆、あれこそが人間の本性だ」
肉体的な敗北を与えた後は、その精神までも叩き折ろうというのか、イクス・アビスは言葉を重ねた。
「そんな事はない、と思うか? だがお前を作り出した者達も、自らが救われる為にお前を孤独に追いやったではないか……?」
「―――!」
寄り添ったゼロ・イクスの魂が揺らぐのを、アーレンハイトは感じ取る。
しかしその揺らぎに、彼女は違和感を覚えた。
「人等、ただお前を利用する事しか考えていない。そんな連中を、守ってやる価値が本当にあるのか?」
イクス・アビスの言葉に、ゼロ・イクスは両脇に垂らした拳を握り締めた。
「そんな程度の事を……俺サマが理解していない、とでも思っているのか? ナメられたもんだな」
「何……?」
ゼロ・イクスの静かな言葉に、イクス・アビスが初めて不審そうな声を出した。
「……人が愚かでちっぽけな存在なら、俺サマだって愚かでちっぽけな存在だよ」
彼の魂の揺らぎは、動揺によるものではない。
アーレンハイトの感じ取ったその気持ちは、怒り。
人を……彼が救うべきと定めている人類を、イクス・アビスが侮辱した事による怒りの為に、ゼロ・イクスの魂は乱れていた。
「人が俺サマを利用するなら、幾らでも利用すればいいさ。それで正解なんだからな」
イクス・アビスが吐くよりもなお黒い声音で、ゼロ・イクスは深淵から呼び掛ける虚無を嘲笑う。
「忘れてるんじゃねーよ、ニセモンが。俺サマが人間達に伝えた言葉を聞いてたんだろうが? 俺サマはな、『人を救いたい』という俺サマ自身の願いの為に……」
ゼロ・イクスは喉元に突きつけられた剣の切っ先に重ねるように、拳を解いた自分自身の親指を突きつける。
「〝苦しみに喘ぐ〟人々の存在を、望んだんだ。それが理解出来てなかったと思われてるなら、お前はやっぱり俺サマじゃねぇ」
彼は喉元に向けた指先を、今度は人指し指を立ててイクス・アビスへと振り向けた。
「俺サマの人を救いたいって願いはな、少しも、高潔な事でも崇高な事でもねぇ。自分勝手で、浅ましい願いなんだよ。ーーーそれは、人間が苦しむ事を望んでいるのと同じなんだ。あいつらの恨みなんか、ちっとも間違ってねぇよ。俺サマは人々に、俺サマの為に苦しんでいて欲しい、と、そう望んでたんだからな」
『オメガ様、それは!』
『それは違うだろう、オメガ!』
アーレンハイトとカルミナがたまらず声を上げるが、ゼロ・イクスは首を横に振る。
「違わねぇ。でもな、俺サマはお前の言う人間のちっぽけさが大好きなんだ。ちっぽけな料理に喜び、つまらない事で怒り、苦しみの中にあってなお、生きたいと願う人間達がな。その苦しみが終われば希望がある、と、そう信じて未来へ向かう人類が、大好きなんだ! 例え一人でも構わない。孤独に喘ぐくらい、なんて事はねぇ。苦し過ぎて死にたいと、殺してくれと、そう願われる絶望に比べれば、一人になる事くらい、何だってんだ!」
『オメガ様……オメガ様はもう、決して一人ではありません!』
アーレンハイトは、我慢出来なかった。
『私がいます! カルミナだって! オメガ様がご自身を否定して、それでも人類を救うと言うのなら……それを望む心が、自分の罪であると言うのなら! 私が肯定します! オメガ様の行いを! 私が許します! その魂を!』
アーレンハイトは、生まれて初めて吼えた。
『だって、苦しみの絶望から私を救って下さったのは、まぎれも無く、貴方なのです! オメガ様!』
「アーレンハイト……」
彼女の心からの言葉に、ゼロ・イクスは名前を呼んでくれる。
アーレンハイトの事を、人ではない、と言いながら、彼は決して、アーレンハイトらエルフを無下に扱おうとはしなかった。
ゼロ・イクスは、優しく、明るく、気高く、強い、まぎれもなく彼女にとっての英雄だ。
『アーレンハイト様の仰る通りだ!』
カルミナも、言葉を尽くしてゼロ・イクスに想いを伝える。
『いかに絶望が襲おうと、そこから這い上がるのもまた、人間だ! 人類や亜人の全てが、イクス・アビス、貴様の言うような浅ましく他人に責をなすりつけて嘆くだけの存在ではない! 我々に希望をもたらした勇者アヒムと、オメガは……そして私もアーレンハイト様も! 貴様などとは、違うのだ!』
「……だってよ、アヒム」
どこか面映気な声で、ゼロ・イクスが呼び掛けると、彼の胸元に、ぽう、と白い燐光が宿った。
「そうか」
しかしイクス・アビスは心を動かされた様子も無くぽつりと呟き、ゼロ・イクスの喉に突きつけたのと逆の手に握った剣を、刺突の形に構えて無造作に突き抜いた。
「ならば、このまま死ぬが良い」
しかし、イクス・アビスの剣はゼロ・イクスの胸を貫く直前で止まった。
「む、体が……!」
『既に命を失った器であろうとも……我が肉体を、絶望を振り撒く道具にはさせぬ……!』
胸に宿った燐光から、アヒムが姿を見せてその剣先の前に浮かんでいた。
イクス・アビスの腕を握る光の精霊力による幻影が、彼の死したる肉体を支配する虚無と拮抗しているのが、アーレンハイトの目に映る。
「そうだよな、アヒム」
アヒムの幻影の腕に自分の腕を重ねたゼロ・イクスは、イクス・アビスの腕ごと切っ先を自分からずらした。
「俺サマ達の心は同じだ。……俺サマ達にとって大切なのは、人にどう思われるかじゃねぇ。自らの魂に科した誓いを、守りたいものを守る為に、自分に何が出来るのか、だ!」
ゼロ・イクスはイクス・アビスの逆の腕も掴んで全身に力を込め、根源力を心臓から噴出させた。
「アヒムの肉体よ……人に害を為す事を望まねぇんなら、今こそ、俺サマと一つになりな!」
『人に仇なす者に……報いを』
ゼロ・イクスらの宣告と同時に。
根源力によって実体化していたイクス・アビスの深淵の鎧ごと、アヒムの肉体が虚無を排して純粋な根源力に還元されて。
ゼロ・イクスの中に、吸い込まれた。
「馬鹿な……その還元吸収能力は、我ら放浪者の基となった存在の力だ! 何故、貴様が扱える!?」
空間を形成する深淵そのものであるファーザーは、イクス・アビスを失った事と、ゼロ・イクスの為した事に狼狽えた声を上げた。
答えたのは、アーレンハイトとカルミナだった。
『霊装したオメガ様には、バタフラム様の浄化の力と……!』
『ドラグォラ様の吸収能力が備わっているのだ!』
二人の言葉を受けて、ゼロ・イクスは周囲を包む空間そのものに、自身の纏う根源力を広げて行く。
遠くへ弾かれていた神剣と魔刀が浮き上がって再びゼロ・イクスの両腕に収まり、彼はさらに光の精霊力と闇の精霊力を領域に重ねて行った。
「還元と吸収……二つの力を備えた俺サマは、虚無と化した根源力すら吸収する機能を新たに自分自身へと生み出した! まぁ、今の今まで作ってたからちっと時間が掛かっちまったがなッ!」
「こんな、こんな事が!」
「ファーザーとか言ったな。お前が、俺に与えられる絶望はこんなモンか!? 俺サマを折るには、全然足りなかったどころか、お前が口にしたのは絶望ですらない戯れ言だったなぁ! さぁ……てめーを存在ごと喰い尽くしてやるぜ、ファーザー!」
自らの用いうる全てのエネルギーで、空間を埋め尽くしたゼロ・イクスは。
両手の神魔の刃を柄尻で連結し、双頭剣として両手で握ったまま、風車のように回転させ始めた。
その乱流に、周囲の虚無によって形成された空間がゼロ・イクス自身が展開したエネルギーによって剥がされ、引き寄せられて凝縮されてゆく。
ぎゅるるるる、と音を立てて、空間に偏在していたファーザーの『核』がゼロ・イクスのエネルギーのよって完全な球体として封印された。
姿を見せる事を強要されて、ゼロ・イクスの前に浮かび上がった『核』。
ファーザーの本体とも言えるそれを前に、剣を足場に突き刺したゼロ・イクスは、ばちぃん! と両掌を打ち合わせて。
高々と、宣言した。
「ーーーい・た・だ・き、まぁああああああああああすッ!!!」
同時に、ゼロ・イクスの鉄仮面の口元に、黒い球体が吸い寄せられて……。
「ぐぁあああ! やめろぉ! こ、この我が! 我の体がぁァあアアァァーーー……!」
ちゅぽん! とゼリーを吸うような音を立てて、一気に吸い込んだ黒い球体をもぐもぐごくん、と呑み込んだゼロ・イクスは腕を組んだ。
「……なんか、ローヤルゼリーみてーな味と舌触りだな。美味いが胃もたれしそうだ…ま、不幸の味は蜜の味って言うしな!」
「オメガ様……それは何か違うような」
「全く、お前は全然変わらんな」
いつも通りのゼロ・イクスにアーレンハイトは首を傾げ、カルミナが苦笑する。
「ま、何でもいいだろ!」
ゼロ・イクスは引き抜いた双頭剣を無意味に振り回した後に、腰だめに完璧な角度で構える、完璧なポーズで宣言した。
「とりあえず、救済完了だ! ごちそうさまでした!」
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