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1話 癒しの店「ラ・ヴィ・アン・ローズ」
1話④
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この世界の冒険者は、背中を他人に触れられるのを嫌う節がある。なぜなら、自分の熟練度が背面に浮かび上がるからだという。浮かび上がると言っても万人にそれが見えるわけではない。ある一部の職業──鑑定師の力、或いは鑑定専用の魔力を帯びた道具によって、それは人が可視出来るものへと変わる。
例えばこの街の冒険者ギルドでは、冒険者を目指すものに対し専用の魔法道具で熟練度の鑑定を行い、それを羊皮紙の書類に書き込むのである。日々研鑽を積み、ギルドで定期的に鑑定を繰り返して冒険者はより高い格付けがなされ、更にその上を目指す。向上心の高い冒険者にとって、熟練度鑑定は有難い指針なのであるが、一つ、難点があった。
それは、鑑定の出来る存在の絶対数が少ないこと。魔法道具は過去の偉人が世に齎した遺物であり、現在生産はおろか代用品を用意することすら可能な代物ではない。また、職業である鑑定師、つまり魔法道具無しに鑑定を行える人間に至っては、ほぼほぼ先天的な能力であり、顕現率が極端に少ない。因みに、宝石商などの持つ鑑定能力はこれの下位互換である。彼らの鑑定眼はどちらかと言うと努力と知識の賜だ。
そういう訳でこの世界の人々はただの一般人であっても背中を他人に触れられ、見られるのを厭う。熟練度──背中を見られるということは、弱点を晒すのと同義なのだ。ここがギルドの鑑定所であるとか、相手が鑑定師でない限り熟練度を見られることは無いのだが、それでも何処かほの暗い意識が向いてしまうのだろう。それはスクーダルにも覚えがあった。
「皆様背中の施術は嫌がられますから、お断りいただいても構いませんわ」
「……むぅ」
スクーダルは唸るしかなかった。この屋敷に赴いた理由が件の裏メニューの内容を確かめる為なのだから、背中を見せないことには話が進まない。だからといって軽々しく背中を見せることにも抵抗がある。
暫く逡巡していると、ラビは小さな頭をこてりと横に倒し、困ったような表情でスクーダルの顔を覗き込んできた。今度はまるで、駄々を捏ねる子どもを諭す母親のような塩梅である。その視線を受けて居心地悪そうに、スクーダルは無精髭の散る角張った顎を撫でた。
「……ええと。施術と、その紙の束は関係があるのか?」
施術するしないに関わらず、先ずは気になったことを尋ねてみる。裏メニューの話をした後に持ってきたのだから、関係がない筈はないのだが、何のために用意されたものなのかを確認する必要はあると思った。
「ご主人様一人一人に専用の診断書をお作りしております。その準備も御座いますの」
受付のアルファトから受け取った書類と一纏めにしてある羊皮紙を手繰り寄せ、此方にご主人様のお名前が御座いますね、と指差して見せる。確かに、羊皮紙の隅にはスクーダルの名前と年齢が書き記されていた。先程までラビは両手を使って施術していたのだから、その間書き込む暇はなかったのだろう、それ以外は何も書かれてはいない。ラビは一度その羊皮紙を自分の手元に引き寄せると、華奢な羽ペンをさらさらと動かしてからもう一度その書面をスクーダルに差し出した。
「……これは」
「診断書、と申し上げましたでしょ?」
スクーダルの名前の下に、本日の日付と、数行の文字列が増えている。幾つか見慣れない単語が混ざっていたが、どうやら腕を揉み解したときの症状──筋肉や皮膚の張り具合、疲労度などが書き足されているようだ。
「成る程、施術の度にこれに書き足していくのだな。しかし何故、羊皮紙なのだ? この羊皮紙は、ギルドで使われているものだろう、……と」
なるべく平生を保っているつもりではあったが、どうも尋問するような態度になってしまう。長年剣士をやってきた無骨者ゆえに、表情が硬いと言うか、厳つい自覚がある。慣れた街なら良いが、初めて赴いた土地では幼子に泣かれることも少なくない。老剣士の険しい表情と重く低い声音で問い質された華奢な女は竦まずには居られまい。そんな意図は微塵もないと、遅まきながら弁明しようと口を開こうとしたが、思いもよらぬ明るい声がそれを遮った。
「流石はご主人様、良くご存知でいらっしゃいますね!」
何ともない、寧ろ若干興奮気味にラビは上機嫌そうな笑みを讃えており、スクーダルは呆気に取られるほかなかった。
「如何にも、こちらはギルド御用達の羊皮紙で御座います。未使用品を定期的に纏めて卸して頂いておりまして」
だから何故、とスクーダルは口を挟もうとするのだが、ラビがニィ、と唇を吊り上げて見せた。先ほどまでの穏やかな笑みではない。仄かに色づく程度に紅が差された艶やかな唇が鋭い弧を描き、そこに一本、指を立てる。まるで内緒話をする少女のような所作だった。
「秘密、ですよ。わたくし、鑑定師を生業としておりますの」
例えばこの街の冒険者ギルドでは、冒険者を目指すものに対し専用の魔法道具で熟練度の鑑定を行い、それを羊皮紙の書類に書き込むのである。日々研鑽を積み、ギルドで定期的に鑑定を繰り返して冒険者はより高い格付けがなされ、更にその上を目指す。向上心の高い冒険者にとって、熟練度鑑定は有難い指針なのであるが、一つ、難点があった。
それは、鑑定の出来る存在の絶対数が少ないこと。魔法道具は過去の偉人が世に齎した遺物であり、現在生産はおろか代用品を用意することすら可能な代物ではない。また、職業である鑑定師、つまり魔法道具無しに鑑定を行える人間に至っては、ほぼほぼ先天的な能力であり、顕現率が極端に少ない。因みに、宝石商などの持つ鑑定能力はこれの下位互換である。彼らの鑑定眼はどちらかと言うと努力と知識の賜だ。
そういう訳でこの世界の人々はただの一般人であっても背中を他人に触れられ、見られるのを厭う。熟練度──背中を見られるということは、弱点を晒すのと同義なのだ。ここがギルドの鑑定所であるとか、相手が鑑定師でない限り熟練度を見られることは無いのだが、それでも何処かほの暗い意識が向いてしまうのだろう。それはスクーダルにも覚えがあった。
「皆様背中の施術は嫌がられますから、お断りいただいても構いませんわ」
「……むぅ」
スクーダルは唸るしかなかった。この屋敷に赴いた理由が件の裏メニューの内容を確かめる為なのだから、背中を見せないことには話が進まない。だからといって軽々しく背中を見せることにも抵抗がある。
暫く逡巡していると、ラビは小さな頭をこてりと横に倒し、困ったような表情でスクーダルの顔を覗き込んできた。今度はまるで、駄々を捏ねる子どもを諭す母親のような塩梅である。その視線を受けて居心地悪そうに、スクーダルは無精髭の散る角張った顎を撫でた。
「……ええと。施術と、その紙の束は関係があるのか?」
施術するしないに関わらず、先ずは気になったことを尋ねてみる。裏メニューの話をした後に持ってきたのだから、関係がない筈はないのだが、何のために用意されたものなのかを確認する必要はあると思った。
「ご主人様一人一人に専用の診断書をお作りしております。その準備も御座いますの」
受付のアルファトから受け取った書類と一纏めにしてある羊皮紙を手繰り寄せ、此方にご主人様のお名前が御座いますね、と指差して見せる。確かに、羊皮紙の隅にはスクーダルの名前と年齢が書き記されていた。先程までラビは両手を使って施術していたのだから、その間書き込む暇はなかったのだろう、それ以外は何も書かれてはいない。ラビは一度その羊皮紙を自分の手元に引き寄せると、華奢な羽ペンをさらさらと動かしてからもう一度その書面をスクーダルに差し出した。
「……これは」
「診断書、と申し上げましたでしょ?」
スクーダルの名前の下に、本日の日付と、数行の文字列が増えている。幾つか見慣れない単語が混ざっていたが、どうやら腕を揉み解したときの症状──筋肉や皮膚の張り具合、疲労度などが書き足されているようだ。
「成る程、施術の度にこれに書き足していくのだな。しかし何故、羊皮紙なのだ? この羊皮紙は、ギルドで使われているものだろう、……と」
なるべく平生を保っているつもりではあったが、どうも尋問するような態度になってしまう。長年剣士をやってきた無骨者ゆえに、表情が硬いと言うか、厳つい自覚がある。慣れた街なら良いが、初めて赴いた土地では幼子に泣かれることも少なくない。老剣士の険しい表情と重く低い声音で問い質された華奢な女は竦まずには居られまい。そんな意図は微塵もないと、遅まきながら弁明しようと口を開こうとしたが、思いもよらぬ明るい声がそれを遮った。
「流石はご主人様、良くご存知でいらっしゃいますね!」
何ともない、寧ろ若干興奮気味にラビは上機嫌そうな笑みを讃えており、スクーダルは呆気に取られるほかなかった。
「如何にも、こちらはギルド御用達の羊皮紙で御座います。未使用品を定期的に纏めて卸して頂いておりまして」
だから何故、とスクーダルは口を挟もうとするのだが、ラビがニィ、と唇を吊り上げて見せた。先ほどまでの穏やかな笑みではない。仄かに色づく程度に紅が差された艶やかな唇が鋭い弧を描き、そこに一本、指を立てる。まるで内緒話をする少女のような所作だった。
「秘密、ですよ。わたくし、鑑定師を生業としておりますの」
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