メイドさんは最強の鑑定師

からあげ定食

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1.5話 寺田兎海の穏やかならざる非日常

1.5話

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 その日、彼女は狭い1Kの部屋で缶ビールを煽っていた。未だ太陽は沈まぬ昼間から、「春限定!」の文字と桜の花が描かれたごく普通の発泡酒を、一本、また一本と空にしていく。

「ふうぅ~~~ざけんじゃねぇわよぉ!」

 空き缶をちゃぶ台に叩き付けるように戻す。中身は入っていないので、カァン!と小気味いい音が狭い室内に響く。少々へしゃげたそれをコンビニのビニール袋に突っ込んでから、また別の缶を手にする。プルタブを持ち上げればぷしゅっ!と炭酸の抜ける音がして、しゅわしゅわと泡の弾ける音が耳をくすぐる。すぐにプルタブを倒し、開いた口に唇を寄せる。天井を仰げば缶から勢いよく流れ込むビールを躊躇いなく嚥下する。口腔を冷やし喉を流れる爽やかなのど越しなどもう感じない。この女、それはもうしたたか酔っているのである。

「あたしはぁ! 開店時の立ち上げめんばぁで! 今まで! 安い時給で! 文句も言わず! やって!来た!」

 管を巻きながらビールの缶をめきめきと握り潰す。アルミなので女子の腕力でも簡単に潰れてしまうのだ。缶が破れると縁で手を切ったりすると危険なので真似はしない方がいい。

「そ・れ・を! あのハゲと来たら! なぁ~にが、ラビちゃんもイイ年だし裏方に回ろうよぉ~、だ! あたしはまだ26だっつーの!」

 自分以外誰もいない部屋の中で、あのハゲ──店長のモノマネを遣って退ける。


 つい先日、彼女ことラビ──寺田兎海は、とある繁華街にあるメイドリフレの従業員を自主退職した。理由は兎海が語った通り、「年齢を理由にメイド業務から裏方業務に回されそうになったから」である。尚、立ち上げ当時はゴシック調の落ち着いた内装で、メイド服もクラシカルなものだったのだが、年々萌え化してきたというか、カラフルな壁紙、ミニスカートのメイド服とリニューアルしていった。それ故に、四捨五入して三十路になった兎海には少々荷が重くなってきたところはあった。
 別にメイドに未練がある訳ではない。リフレもただ客の身体にオイルを塗るだけの、無資格で出来る簡単なボディケアだ。しかし、やってみるとこれがなかなか楽しい。オイルに何か一工夫できないかとアロマに手を出してみたり、オイルの自作をしてみたり、ついでにネイルケアなんかも始めてみたりしたし、そっちは一番簡単な資格は取った。古株で顔見知りや常連は多かったのでそれなりに指名は取れていたし、ネイルケアのおかげで女性客にも人気があった。それなのに。それなのに、である。

「年齢なんて! 自分じゃどーしよーもないじゃない~~~!」

 喚きながら空き缶を放り投げると、その缶は床に置いてあったパステルピンクの紙袋にすぽりと入ってしまった。その中には、退職祝いと称して押し付けられた、リニューアル前のクラシカルなメイド服が詰まっている。流石に飲み残したビールで汚れてはいけないと慌てて手を突っ込むと、懐かしい感触を思い出した。紙袋から手を抜き、がばっと逆さまにする。黒いメイド服と白のフリルエプロン、そして空き缶が順番に落ちてきた。クリーニングに出されて返ってきてから一度も手が付けられていなかったそれを、まるでブティックで試着するかのように体に這わせた。ゆっくりと立ち上がり、膝下まであるスカートの感触を確かめる。分厚く重量感のある黒いワンピースは、開店当時は数が少なく替えも利かなかったので大切に扱われていたのである。

「よし、記念に一回着ておくか!」

 クリーニングのタグを取り、まるで出勤したばかりのような足取りで姿見の前まで移動した。安いくたびれたスウェットの部屋着を脱ぎ捨て、普段使いには適さない真っ白なタイツを取り出して履き、その上からメイド服に袖を通す。フリルエプロンを肩にかけ、慣れた手つきで腰でリボンを結ぶ。あの店にヘッドドレスは無かったので、これだけで出来上がりである。
 一人で何やってるんだか、と若干酔いも冷めて冷静になりながら、姿見にその身を写す。髪は適当に散らしているが、先程ビールを買いに出かけたので薄く化粧はしている。数年前に比べれば多少──そう、多少歳を重ねてもどうということは無い。萌え系のミニスカフリフリメイド服でなくクラシカルメイドなのだから、ちょっとぐらい年齢が高くても良いではないか。逆に、寧ろいい感じなのではないか。フフン、と鼻を鳴らして得意げに微笑むも、どこか心がうら寂しい。悲しそうな表情をしたメイドが、その場でへにゃりと座り込んだ。
 安月給でも愉快な仲間と好きなお客さんに囲まれて、ちょっと恥ずかしいけど可愛いメイド服が着れて、たまの休日には安いビールで一人乾杯して……そんな楽しかった毎日が、もう送れないのだと。この古めかしいメイド服と共に、すべてが思い出に変わってしまうのだと。今更ながら、心に大きな穴が開いた気がした。
 兎海はそのままバタンと勢いよく後ろに倒れ込んだ。柔らかなカーペットのおかげで背中は痛めずに済んだが、頭には床に転がっている固い何かにぶつけたようで、ゴンと鈍い音がした。襲い来る鈍痛にその場で蹲り、ぬおおおと大凡うら若き女性とは思えぬ呻き声を上げながらゴロゴロと身悶える。
 悲しい、つらい、痛い──じわり、と兎海の目に涙が滲む。これくらいで泣くものかと唇を横に引き締め、寝転んだまま伸びをして勢いよく鼻から息を吸う。胸いっぱい吸い込んだ春の空気が気持ちいい。清々しい晴れ間と、緑の草の匂い。


「…………草の匂い?」


 春の季節は良いとして、兎海は室内にいるのだ。ベランダに通じる窓を開けようが、緑など感じようがない。
 の、だが。


「何処、ここ……!?」


 兎海は今、大草原のど真ん中にいた。
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