142 / 148
三年目
譲られた誇り 2
しおりを挟む
「純!」
千晶とは違う、嫌悪と憤怒。
廊下から出てきた爽太が、遠目から不快げに純をにらみつけている。純は背負っていたリュックをおろし、緑色のイヤーマフを取り出した。
「ごめん。ちょっと行ってくる。集中できないだろうからこれつけてて」
「お?」
リュックはイスに置いたまま、器用に月子の頭と耳に装着し、爽太のもとへ向かう。
なにがあったのか聞く前に、廊下の影からこちらを見る古橋と田波の姿をとらえた。眉尻を下げて困惑している表情から、なにがあったのか大体のことを察する。
「あの仕事、もともと純のものだったんだって?」
爽太は声を荒らげないよう、きわめて冷静にふるまおうとしていた。
「あの仕事?」
「とぼけんなよ。今日話したロケ番組だっつの」
純は古橋を見る。
古橋は首を振り、田波はただただ戸惑っていた。二人ではない。だからといって会長もわざわざ爽太本人に伝えるとは思えない。
「誰から聞いた?」
「社長だよ」
「あー……」
それなら合点がいく。おおかた偶然社長と爽太が会い、世間話の流れでそのような話になったのだろう。会長とは違って社交的であり、口数も多い人だから。
「純が、俺に仕事、譲ったってことだよな?」
失望と、困惑でにじむ声色。
「なんでそんなことしてくんの?」
――なんで、純まで俺のこと見下してくんの?
落ち着きながらも、その内ではドロドロとした劣等感を膨らませている。
こうなるから伝えるべきではなかったのだ。
「会長からわざわざ指名されてたんだろ? 受けろよ、おまえが。断んなよ」
――純に仕事を譲られるほど。俺は落ちぶれちゃいないのに。
「俺は、爽太がいいと思ったんだ」
いつものはかない笑みを消し、琥珀色の瞳をまっすぐに向ける。悪びれもせず、謝るでもない純に、爽太はさらにムッとした表情を浮かべた。
「俺よりも、今の爽太に合ってる仕事だと思ったんだ。爽太だって自分でそう思うだろ。この仕事で、得るものは多いって」
「だからって、こんなおこぼれみたいなのは嫌なんだよっ」
「形はどうあれ、これは、爽太が望んでた仕事だよ。誰とも比べられない、坂口千晶のバーターでもない、イノギフの端っこでもない。イノギフの和田爽太としての仕事。爽太だけの実力で評価される仕事なんだ」
「でも……俺が求められた仕事じゃない!」
「そうだね。誰でもいい仕事だ。どうしても爽太がやりたくないんだったら俺がやるよ」
爽太の喉に言葉が詰まる。純と目を合わせることにも耐えられず、視線を落とした。
それをわかっていながら純はなお、まっすぐに見つめ続ける。
「俺は、やりたくないから譲るわけじゃない。自分の立場で売れてるなんて断言する気もない。調子に乗ってるわけでもない。でも爽太は今、こう思ってるんだろ? 星乃純ごときに、仕事を譲られたって」
「……違う」
「違わないよ。かつてセンターをやってたほどの自分に、星乃純程度が務まるような仕事を回されたって。星乃純ごときが断った仕事をあてがわれたと思うから、腹が立ってしょうがないんだろ?」
爽太は口を閉ざす。否定も肯定も返さない。
「別に、無理強いはしないよ。俺の代わりにやれなんて言ってない。……やるかやらないかは爽太が選べばいい。自分に回された仕事をつかむか。プライドを優先して仕事を蹴飛ばすか」
爽太はゆっくりと視線をあげ、おそるおそる、琥珀色の目を見つめる。
「違う。俺はそんな、最低な、やつじゃない」
唇をわなわなと震わせながら、必死に、声を出した。
「最初から、言ってくれれば、それで、よかったんだ。これじゃ俺だけ、なにも知らずに喜んで、バカみたいで」
「ほんとに? さっきみたいに感情任せになって俺を責めない自信はある?」
その言葉にこわばる爽太の全身は、さまざまな感情や思考でぐちゃぐちゃににじんでいた。
「なんなんだよ、おまえ。最初から、なにもかもお見通し、みたいな顔して……」
純は爽太の言葉にうなずくことも、反論もしない。言葉の裏にある、仕事を受け入れる、という返事は、しっかりと受け取った。
「そうだね。ごめん。俺は、この仕事で爽太が結果を残すってわかってるんだ。仕事を譲った俺を許すか許さないかも、爽太が今悩んでいることも、このロケが終わってから考えなよ。じっくりね」
純はいつものほほ笑みを浮かべて身をひるがえし、月子のもとへ戻っていく。
その後ろ姿を見ることができない爽太は、再び目を伏せた。見かねた古橋が近寄り、声をかける。
「和田さ」
「俺って、本当に嫌なヤツ。純が、嫌がらせでこんなことするようなやつじゃないって、わかってるのに。……こんなんだから、だめなんだな。俺」
悲痛な声に、古橋も田波も、それ以上かける言葉が見つからなかった。
テーブルに戻る純は、目を見開く。月子の耳に当てたはずのイヤーマフが外れ、首にかかっていた。
となりに腰を下ろすと、月子は箱からトリュフチョコレートを取り出し、口に入れる。
「純ちゃんにしては。珍しい物言いね」
「……聞かないでほしかったんだけどな」
「言ったそばから離れていった純ちゃんが悪い」
高慢にほほ笑む月子はイヤーマフを首から外し、まじまじと見つめる。
「いいね、これ。私も欲しい」
「結構カラバリあるよ。月子ちゃんの好きなラベンダー色も売ってるかも」
「純ちゃんが嫌じゃなきゃおそろいにしちゃおうかな」
「いいよ。月子ちゃんが気にしないなら」
純は穏やかな笑みで、差し出されたイヤーマフを受け取った。
千晶とは違う、嫌悪と憤怒。
廊下から出てきた爽太が、遠目から不快げに純をにらみつけている。純は背負っていたリュックをおろし、緑色のイヤーマフを取り出した。
「ごめん。ちょっと行ってくる。集中できないだろうからこれつけてて」
「お?」
リュックはイスに置いたまま、器用に月子の頭と耳に装着し、爽太のもとへ向かう。
なにがあったのか聞く前に、廊下の影からこちらを見る古橋と田波の姿をとらえた。眉尻を下げて困惑している表情から、なにがあったのか大体のことを察する。
「あの仕事、もともと純のものだったんだって?」
爽太は声を荒らげないよう、きわめて冷静にふるまおうとしていた。
「あの仕事?」
「とぼけんなよ。今日話したロケ番組だっつの」
純は古橋を見る。
古橋は首を振り、田波はただただ戸惑っていた。二人ではない。だからといって会長もわざわざ爽太本人に伝えるとは思えない。
「誰から聞いた?」
「社長だよ」
「あー……」
それなら合点がいく。おおかた偶然社長と爽太が会い、世間話の流れでそのような話になったのだろう。会長とは違って社交的であり、口数も多い人だから。
「純が、俺に仕事、譲ったってことだよな?」
失望と、困惑でにじむ声色。
「なんでそんなことしてくんの?」
――なんで、純まで俺のこと見下してくんの?
落ち着きながらも、その内ではドロドロとした劣等感を膨らませている。
こうなるから伝えるべきではなかったのだ。
「会長からわざわざ指名されてたんだろ? 受けろよ、おまえが。断んなよ」
――純に仕事を譲られるほど。俺は落ちぶれちゃいないのに。
「俺は、爽太がいいと思ったんだ」
いつものはかない笑みを消し、琥珀色の瞳をまっすぐに向ける。悪びれもせず、謝るでもない純に、爽太はさらにムッとした表情を浮かべた。
「俺よりも、今の爽太に合ってる仕事だと思ったんだ。爽太だって自分でそう思うだろ。この仕事で、得るものは多いって」
「だからって、こんなおこぼれみたいなのは嫌なんだよっ」
「形はどうあれ、これは、爽太が望んでた仕事だよ。誰とも比べられない、坂口千晶のバーターでもない、イノギフの端っこでもない。イノギフの和田爽太としての仕事。爽太だけの実力で評価される仕事なんだ」
「でも……俺が求められた仕事じゃない!」
「そうだね。誰でもいい仕事だ。どうしても爽太がやりたくないんだったら俺がやるよ」
爽太の喉に言葉が詰まる。純と目を合わせることにも耐えられず、視線を落とした。
それをわかっていながら純はなお、まっすぐに見つめ続ける。
「俺は、やりたくないから譲るわけじゃない。自分の立場で売れてるなんて断言する気もない。調子に乗ってるわけでもない。でも爽太は今、こう思ってるんだろ? 星乃純ごときに、仕事を譲られたって」
「……違う」
「違わないよ。かつてセンターをやってたほどの自分に、星乃純程度が務まるような仕事を回されたって。星乃純ごときが断った仕事をあてがわれたと思うから、腹が立ってしょうがないんだろ?」
爽太は口を閉ざす。否定も肯定も返さない。
「別に、無理強いはしないよ。俺の代わりにやれなんて言ってない。……やるかやらないかは爽太が選べばいい。自分に回された仕事をつかむか。プライドを優先して仕事を蹴飛ばすか」
爽太はゆっくりと視線をあげ、おそるおそる、琥珀色の目を見つめる。
「違う。俺はそんな、最低な、やつじゃない」
唇をわなわなと震わせながら、必死に、声を出した。
「最初から、言ってくれれば、それで、よかったんだ。これじゃ俺だけ、なにも知らずに喜んで、バカみたいで」
「ほんとに? さっきみたいに感情任せになって俺を責めない自信はある?」
その言葉にこわばる爽太の全身は、さまざまな感情や思考でぐちゃぐちゃににじんでいた。
「なんなんだよ、おまえ。最初から、なにもかもお見通し、みたいな顔して……」
純は爽太の言葉にうなずくことも、反論もしない。言葉の裏にある、仕事を受け入れる、という返事は、しっかりと受け取った。
「そうだね。ごめん。俺は、この仕事で爽太が結果を残すってわかってるんだ。仕事を譲った俺を許すか許さないかも、爽太が今悩んでいることも、このロケが終わってから考えなよ。じっくりね」
純はいつものほほ笑みを浮かべて身をひるがえし、月子のもとへ戻っていく。
その後ろ姿を見ることができない爽太は、再び目を伏せた。見かねた古橋が近寄り、声をかける。
「和田さ」
「俺って、本当に嫌なヤツ。純が、嫌がらせでこんなことするようなやつじゃないって、わかってるのに。……こんなんだから、だめなんだな。俺」
悲痛な声に、古橋も田波も、それ以上かける言葉が見つからなかった。
テーブルに戻る純は、目を見開く。月子の耳に当てたはずのイヤーマフが外れ、首にかかっていた。
となりに腰を下ろすと、月子は箱からトリュフチョコレートを取り出し、口に入れる。
「純ちゃんにしては。珍しい物言いね」
「……聞かないでほしかったんだけどな」
「言ったそばから離れていった純ちゃんが悪い」
高慢にほほ笑む月子はイヤーマフを首から外し、まじまじと見つめる。
「いいね、これ。私も欲しい」
「結構カラバリあるよ。月子ちゃんの好きなラベンダー色も売ってるかも」
「純ちゃんが嫌じゃなきゃおそろいにしちゃおうかな」
「いいよ。月子ちゃんが気にしないなら」
純は穏やかな笑みで、差し出されたイヤーマフを受け取った。
0
あなたにおすすめの小説
月弥総合病院
御月様(旧名 僕君☽☽︎)
キャラ文芸
月弥総合病院。極度の病院嫌いや完治が難しい疾患、診察、検査などの医療行為を拒否したり中々治療が進められない子を治療していく。
また、ここは凄腕の医師達が集まる病院。特にその中の計5人が圧倒的に遥か上回る実力を持ち、「白鳥」と呼ばれている。
(小児科のストーリー)医療に全然詳しく無いのでそれっぽく書いてます...!!
朔望大学医学部付属病院/ White Dictator
御月様(旧名 僕君☽☽︎)
キャラ文芸
White Dictator______通称:『白衣の独裁者』
<ホワイト・ディクテイター>
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯
圧倒的な「実力」と「技術」で捩じ伏せ・現場を支配する凄腕たち。
___ ごく僅かな一瞬の隙も逃さない神手の集まり。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
診察室の午後<菜の花の丘編>その1
スピカナ
恋愛
神的イケメン医師・北原春樹と、病弱で天才的なアーティストである妻・莉子。
そして二人を愛してしまったイケメン御曹司・浅田夏輝。
「菜の花クリニック」と「サテライトセンター」を舞台に、三人の愛と日常が描かれます。
時に泣けて、時に笑える――溺愛とBL要素を含む、ほのぼの愛の物語。
多くのスタッフの人生がここで楽しく花開いていきます。
この小説は「医師の兄が溺愛する病弱な義妹を毎日診察する甘~い愛の物語」の1000話以降の続編です。
※医学描写はすべて架空です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる