バーレーンナイト

ミムラ

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後編

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そして私の淡い夢は唐突に終わりを告げた。会社がチームとの契約の更新を行わないことを決定したのだ。私たちがそれを知らされたのは今から7日前、記者発表と同時だった。最古参のテオやフレディはもしかしたら何か知っていたかもしれないが、会社側のメンバーで知っていたのはごく少数だったのだろう。莉子さんはもちろん、前田さんも何も知らされていなかったようだった。

日本の会社は技術力が高いけど、哲学がない。そうヨーロッパの企業に言われる理由を自らの身で経験することになってしまった。最終戦まで後1ヶ月、13戦目のバーレーングランプリを迎えていた私達は、優勝は難しいかもだけど、良い位置では頑張れてたのに…。最終戦が終了後、私たちには「迅速に」帰国するよう指示が来ている。どうやらレースに理解があった前の経営陣への今の経営陣の当てつけらしい。

「せめてしっかりお別れを言いたいな…。」

本当に何してるんだろう、わざわざ東京の大学まで行かせてもらい、3年間精一杯頑張ったのに技術者としては結果が出ず、結局歳下のスペイン人と爛れた関係を一年ほど続けて帰国する。田舎の父ちゃんが聞いたら卒倒するんじゃなかろうか、母ちゃんにはぶっ飛ばされるな、きっと…。

ああだめだ、何だかんだ言っても涙が出てくる。結局私はレースの仕事から離れるのも辛いが、フレディと離れるのも辛いのだ。ただの爛れた関係だったと言われるかもしれないけど、私はフレディを愛していたのだ。

「ジュンコ?大丈夫?」

テオが私の事を気遣ってくれる。でも上手く返事が返せない。気持ちの踏ん切りがつかないことに加えて、引き継ぎや帰国の準備、それに普段のレース活動も行なっていた私達はとても大丈夫とは言えない状態だった…。私は半分涙目になりながら、必死に笑おうとする。ここは今期13戦目のバーレーンレース場のピット横、レース終了後、最終戦に向かってマシンを送り出すための作業場だ。自分のチームのスタッフはもちろん、他のチームスタッフからの目もある。平静を保たないと。

ああっ、でも駄目だ。上手く笑えない。フレディに会いたい。話がしたい。

「ジュンコ、泣いてるの?」

私の願いが通じたのか、そこにはフレディがいた。

「まさか、泣いてなんていませんよ、Mr.アルフレド…。」

私は必死に返事を返す。ここは色々な人の目がある。迷惑をかけないようにしないと…。でも会えた。話ができた。それだけで心から込み上げる喜び、安堵を隠しきれていないような気がする。

「それに、どうしたんですか?Mr.アルフレド?」

フレディはレース場に似つかわしくないダーク系のスーツを着ていた。ただでさえドライバーは注目を集めやすい。そのドライバーがチームユニホームではなく、スーツを着ていれば、注目の的だ。視界に入った前田さんも、困ったように耳タブを触っている。

「彼、本当にテンパってる時は耳たぶを触るのよ。」莉子さんから教えてもらったくせ、長い付き合いだが、目にするのは三度目だ。

「本当にごめん、僕、日本の習慣をちゃんと理解してなくて…。そんなに不安にさせてるなんて、全然分かってなかった。」

フレディが上品な作りの小箱を取り出す。キャっと思わず声を上げたのは莉子さんだ。普段は作業場に入らない莉子さんも今日は作業場にいるらしい。異変を感じたスタッフは、もう誰も作業を続けていない。周囲はみんなこっちを見ている。

「本当は結論を出そうって言いたいんだけど、急すぎるのも良くないって聞いたから…。」

フレディが、ゆっくりと近づいてくる。

「ジュンコ、僕の大切な人、僕を叱り、支え、癒してくれる人…。」

粗末なデスクにチームのユニフォームであるポロシャツとズボンを着て座る私の前に、フレディがひざまづく。

「僕の婚約者になってくれませんか?」

小箱の中身は指輪なのだろう。でも私には涙で何も見えない。その場にいるオーディエンス、つまり優秀なメカニック、仕事のできる広報、百戦錬磨のチームマネージャー、は完璧に沈黙を守る。私は必死に言葉を紡ぐ。

「私、あなたよりおばさんだよ?」

「関係ないよ」

「お金もちでもないよ?」

「関係ないよ」

「でも…。」

「ジュンコ、良いんだ。問題は何かあったとしても二人で解決していこう…」

フレディが私の手をとり、涙ぐむ私を覗き込む。

「ただ、僕を愛してるなら、イエスといって。」

ああっ、もう駄目だ、自分を抑えきれない。私がデスクチェアからフレディに飛び込むとフレディがしっかりと抱き止めてくれる。するとそれまで背景になることに徹していたオーディンエンスたちは一斉に歓声を上げる。その歓声を聞いた他のチームのスタッフたちも集まってくる。

莉子さんが泣きながら私を抱きしめてくれて、メンバーから次々に祝福の言葉を受ける。私はフレディと一緒にみんなにもみくちゃにされながら、これば夢ならば覚めないでと、バーレーンの月夜に祈るのだった。
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