バーレーンナイト

ミムラ

文字の大きさ
2 / 2

後編

しおりを挟む
そして私の淡い夢は唐突に終わりを告げた。会社がチームとの契約の更新を行わないことを決定したのだ。私たちがそれを知らされたのは今から7日前、記者発表と同時だった。最古参のテオやフレディはもしかしたら何か知っていたかもしれないが、会社側のメンバーで知っていたのはごく少数だったのだろう。莉子さんはもちろん、前田さんも何も知らされていなかったようだった。

日本の会社は技術力が高いけど、哲学がない。そうヨーロッパの企業に言われる理由を自らの身で経験することになってしまった。最終戦まで後1ヶ月、13戦目のバーレーングランプリを迎えていた私達は、優勝は難しいかもだけど、良い位置では頑張れてたのに…。最終戦が終了後、私たちには「迅速に」帰国するよう指示が来ている。どうやらレースに理解があった前の経営陣への今の経営陣の当てつけらしい。

「せめてしっかりお別れを言いたいな…。」

本当に何してるんだろう、わざわざ東京の大学まで行かせてもらい、3年間精一杯頑張ったのに技術者としては結果が出ず、結局歳下のスペイン人と爛れた関係を一年ほど続けて帰国する。田舎の父ちゃんが聞いたら卒倒するんじゃなかろうか、母ちゃんにはぶっ飛ばされるな、きっと…。

ああだめだ、何だかんだ言っても涙が出てくる。結局私はレースの仕事から離れるのも辛いが、フレディと離れるのも辛いのだ。ただの爛れた関係だったと言われるかもしれないけど、私はフレディを愛していたのだ。

「ジュンコ?大丈夫?」

テオが私の事を気遣ってくれる。でも上手く返事が返せない。気持ちの踏ん切りがつかないことに加えて、引き継ぎや帰国の準備、それに普段のレース活動も行なっていた私達はとても大丈夫とは言えない状態だった…。私は半分涙目になりながら、必死に笑おうとする。ここは今期13戦目のバーレーンレース場のピット横、レース終了後、最終戦に向かってマシンを送り出すための作業場だ。自分のチームのスタッフはもちろん、他のチームスタッフからの目もある。平静を保たないと。

ああっ、でも駄目だ。上手く笑えない。フレディに会いたい。話がしたい。

「ジュンコ、泣いてるの?」

私の願いが通じたのか、そこにはフレディがいた。

「まさか、泣いてなんていませんよ、Mr.アルフレド…。」

私は必死に返事を返す。ここは色々な人の目がある。迷惑をかけないようにしないと…。でも会えた。話ができた。それだけで心から込み上げる喜び、安堵を隠しきれていないような気がする。

「それに、どうしたんですか?Mr.アルフレド?」

フレディはレース場に似つかわしくないダーク系のスーツを着ていた。ただでさえドライバーは注目を集めやすい。そのドライバーがチームユニホームではなく、スーツを着ていれば、注目の的だ。視界に入った前田さんも、困ったように耳タブを触っている。

「彼、本当にテンパってる時は耳たぶを触るのよ。」莉子さんから教えてもらったくせ、長い付き合いだが、目にするのは三度目だ。

「本当にごめん、僕、日本の習慣をちゃんと理解してなくて…。そんなに不安にさせてるなんて、全然分かってなかった。」

フレディが上品な作りの小箱を取り出す。キャっと思わず声を上げたのは莉子さんだ。普段は作業場に入らない莉子さんも今日は作業場にいるらしい。異変を感じたスタッフは、もう誰も作業を続けていない。周囲はみんなこっちを見ている。

「本当は結論を出そうって言いたいんだけど、急すぎるのも良くないって聞いたから…。」

フレディが、ゆっくりと近づいてくる。

「ジュンコ、僕の大切な人、僕を叱り、支え、癒してくれる人…。」

粗末なデスクにチームのユニフォームであるポロシャツとズボンを着て座る私の前に、フレディがひざまづく。

「僕の婚約者になってくれませんか?」

小箱の中身は指輪なのだろう。でも私には涙で何も見えない。その場にいるオーディエンス、つまり優秀なメカニック、仕事のできる広報、百戦錬磨のチームマネージャー、は完璧に沈黙を守る。私は必死に言葉を紡ぐ。

「私、あなたよりおばさんだよ?」

「関係ないよ」

「お金もちでもないよ?」

「関係ないよ」

「でも…。」

「ジュンコ、良いんだ。問題は何かあったとしても二人で解決していこう…」

フレディが私の手をとり、涙ぐむ私を覗き込む。

「ただ、僕を愛してるなら、イエスといって。」

ああっ、もう駄目だ、自分を抑えきれない。私がデスクチェアからフレディに飛び込むとフレディがしっかりと抱き止めてくれる。するとそれまで背景になることに徹していたオーディンエンスたちは一斉に歓声を上げる。その歓声を聞いた他のチームのスタッフたちも集まってくる。

莉子さんが泣きながら私を抱きしめてくれて、メンバーから次々に祝福の言葉を受ける。私はフレディと一緒にみんなにもみくちゃにされながら、これば夢ならば覚めないでと、バーレーンの月夜に祈るのだった。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

新人メイド桃ちゃんのお仕事

さわみりん
恋愛
黒髪ボブのメイドの桃ちゃんが、働き先のお屋敷で、旦那様とその息子との親子丼。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

完全なる飼育

浅野浩二
恋愛
完全なる飼育です。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

暴君幼なじみは逃がしてくれない~囚われ愛は深く濃く

なかな悠桃
恋愛
暴君な溺愛幼なじみに振り回される女の子のお話。 ※誤字脱字はご了承くださいm(__)m

処理中です...