6 / 14
束の間の幸せを
4
しおりを挟む薄靄のかかる早朝。
あばら屋の庭先で、セディオスは重い荷を背負った師の見送りに出ていた。
「じゃあ、帰りは明日になるから。戸締りはしっかりね。あと、知らない人がきても出ちゃダメだからね」
「わかってます」
「お腹が空いたら家にあるものなんでも食べていいから。困ったことがあったらフェイおばさんのところに行ってね。お金も置いておくからね」
「わかりましたってば」
心配性にも、程がある。
セディオスは苦笑して、立ち去り難そうにしているシェリーを見上げた。彼女は昨夜からずっとこの調子だった。
「セディオスくんも連れて行けたらいいんだけど、山を越えるのは危ないし」と、悩みを延々と口に出して唸っていた。
彼女の不安を払拭することは出来ないだろうけれど──思いながら、セディオスは手にしていたマフラーを差し出した。
「先生、これ使ってください。僕の魔力を込めてみました」
「え?」
「あったかいと思いますよ」
不思議そうに受け取ったシェリーは、それを手にしたとたん、目を見開いた。
「本当、あったかい……どうして?」
「炎の魔法を応用してみたんです。明日ぐらいまでは持つと思うんですけど」
「……ありがとう」
シェリーはふんわりと笑って、セディオスのマフラーをいそいそと首に巻きつけた。そうして、名残惜しそうに口を開く。
「じゃあ、そろそろ行くね」
「はい。お気をつけて」
手を振ったシェリーが背を向ける。
一晩くらい。
なんてことはない。
いつものように庭の手入れをして、家の掃除をして、壊れているところを修繕して……空いた時間は読書にあてよう。
そうすれば一晩なんてすぐに過ぎる。
遠く小さくなっていく師の姿を見つめながら、セディオスは自由を満喫しようと冷たい空気を吸い込んだ。
昼食は、硬くなりかけのパンと、朝の残りのスープを飲んだ。
テーブルについてパンを齧りながら、横に広げた魔術書を、見るともなく読み込む。なるほど。炎の魔法が一番攻撃性があるらしい。
もしも本当に独り立ちをするのなら、シェリーのような薬草専門ではなく、やはり魔獣の討伐などを主とした方が儲かるのだろう。
だとしたら、防御魔法も覚えないとな。
考えつつ、次のページを捲る。
(そういえば先生は、防御の魔法って使えるのかな)
帰ってきたら聞いてみよう。
そう思った瞬間だった。
「あれ? シェリーは?」
男はノックもなし家に上がり込んできた。家の中を見回し、シェリーの姿を探す──セディオスは思わず立ち上がっていた。
「何の御用ですか」
セディオスがぎりと睨みつけても、不法侵入の男──マティアスは全く意に介した様子はなかった。寝室に続く扉に目をやりながら、歩み寄ってくる。
「坊、ひとりか? シェリーは?」
「……先生に何の御用ですか」
昨日、丹精込めて世話をしているハーブに唾を吐きかけられた屈辱は忘れていない。シェリーを馬鹿にしていた態度も。
セディオスは敵意も露わに、近づこうとするマティアスから距離をとった。
マティアスは「面倒くせ」と舌打ちをする。
「そう睨むなよ。あいつは? いつ帰ってくるんだ? 俺だって暇じゃないんだが」
「だったら来なきゃいいだろ。先生はあんたに薬草の一株も売る気はないってさ」
「ふん。言い値の倍は払うって言えば、あいつも喜ぶんじゃないか?」
「知りませんよ。とにかく先生はいません、お帰りください」
マティアスは「くそ」と舌打ちをして、首の後ろを乱暴に掻いた。
「せっかく助けてやろうとしてんのに。本当に可愛くない女だな……弟子も含めて」
「……助ける?」
あまりにもチグハグな表現に、セディオスは眉をひそめた。
「庭荒らしたり、先生をいじめてるくせに?」
言ったセディオスに、マティアスの両眼が不愉快そうに細められる。声が一段、低くなった。大人の男の声だった。
「だから、諦めさせてやろうとしてんだろうが。 あいつは魔術師には向いてない──このままだと、不幸になる」
廃れた小屋。ボロボロの衣服。食べる物さえまともにない生活。
確かにそれは、不幸なのかもしれない。はたから見れば。でも。
それでもシェリーは、魔術師を続けたいと言っていた。丁寧に大切に薬草を育てて、魔法が下手でも、できることをやっていた。そんな彼女を否定する権利は誰にもないはずだ。
セディオスは拳を握りしめて、悪魔のように自分を見下ろすマティアスを睨んだ。
「勝手なこと言うな。先生は不幸なんかじゃない。毎日笑ってるし、楽しそうだ。 少なくともあんたみたいに人を馬鹿にしたりしない」
「先生先生って」
ふん、とマティアスが歪な笑顔を浮かべた。
「お前、ずいぶんあいつのこと尊敬してるみたいだけど、本気で魔術師になりたいんなら弟子は降りた方がいいぜ。シェリーはまともな魔術師じゃない──攻撃魔法なんて、もってのほかだ」
笑いながらマティアスが見つめたのは、セディオスが呼んでいた魔術書だ。
「そこに書いてある魔法、シェリーに発動させてみろよ。できねえから。もしかしたら泣いちゃうかもなあ? あいつ、昔から泣き虫だか──」
マティアスが言い終えないうちに、目に見えぬ刃が彼の頬をかすめた。
氷層の魔法。
こんな寒い日には特に向いているのだと、セディオスは知った。だって、初めてだというのに、こんなにも簡単に出来てしまったのだから。
「え」
マティアスの頬に赤い線が走り、同時にいく筋かの髪が散った。
凍てついた空気を刃に変える術。人の目で視認することの難しい、上級魔法だった。
「先生は確かに、魔法は得意ではないかもしれません」
セディオスはゆっくりと魔術書を閉じた。
もしも本当に、自分がシェリーの言う通りの天才なら、独学でもなんとかなるのかもしれない。
「でも、教えるのはとても上手なんですよ」
ね、と脅せば、マティアスは顔面を蒼白にし、後ずさった。
「お、お前」
「もう二度とここには来ないでください」
シェリーには、助けてもらった恩がある。
これで半分くらいは返せただろうか。
セディオスはほんの少し、誇らしく思った。
0
あなたにおすすめの小説
好きでした、さようなら
豆狸
恋愛
「……すまない」
初夜の床で、彼は言いました。
「君ではない。私が欲しかった辺境伯令嬢のアンリエット殿は君ではなかったんだ」
悲しげに俯く姿を見て、私の心は二度目の死を迎えたのです。
なろう様でも公開中です。
侯爵夫人のハズですが、完全に無視されています
猫枕
恋愛
伯爵令嬢のシンディーは学園を卒業と同時にキャッシュ侯爵家に嫁がされた。
しかし婚姻から4年、旦那様に会ったのは一度きり、大きなお屋敷の端っこにある離れに住むように言われ、勝手な外出も禁じられている。
本宅にはシンディーの偽物が奥様と呼ばれて暮らしているらしい。
盛大な結婚式が行われたというがシンディーは出席していないし、今年3才になる息子がいるというが、もちろん産んだ覚えもない。
悪役令嬢として、愛し合う二人の邪魔をしてきた報いは受けましょう──ですが、少々しつこすぎやしませんか。
ふまさ
恋愛
「──いい加減、ぼくにつきまとうのはやめろ!」
ぱんっ。
愛する人にはじめて頬を打たれたマイナの心臓が、どくん、と大きく跳ねた。
甘やかされて育ってきたマイナにとって、それはとてつもない衝撃だったのだろう。そのショックからか。前世のものであろう記憶が、マイナの頭の中を一気にぐるぐると駆け巡った。
──え?
打たれた衝撃で横を向いていた顔を、真正面に向ける。王立学園の廊下には大勢の生徒が集まり、その中心には、三つの人影があった。一人は、マイナ。目の前には、この国の第一王子──ローランドがいて、その隣では、ローランドの愛する婚約者、伯爵令嬢のリリアンが怒りで目を吊り上げていた。
なんども濡れ衣で責められるので、いい加減諦めて崖から身を投げてみた
下菊みこと
恋愛
悪役令嬢の最後の抵抗は吉と出るか凶と出るか。
ご都合主義のハッピーエンドのSSです。
でも周りは全くハッピーじゃないです。
小説家になろう様でも投稿しています。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
完結 愚王の側妃として嫁ぐはずの姉が逃げました
らむ
恋愛
とある国に食欲に色欲に娯楽に遊び呆け果てには金にもがめついと噂の、見た目も醜い王がいる。
そんな愚王の側妃として嫁ぐのは姉のはずだったのに、失踪したために代わりに嫁ぐことになった妹の私。
しかしいざ対面してみると、なんだか噂とは違うような…
完結決定済み
婚約破棄したら食べられました(物理)
かぜかおる
恋愛
人族のリサは竜種のアレンに出会った時からいい匂いがするから食べたいと言われ続けている。
婚約者もいるから無理と言い続けるも、アレンもしつこく食べたいと言ってくる。
そんな日々が日常と化していたある日
リサは婚約者から婚約破棄を突きつけられる
グロは無し
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる