魔女と魔術師のしあわせな日々

koma

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束の間の幸せを

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腰を抜かしたマティアスは、逃げるように帰っていった。
その背に冷たい視線を送りながら、セディオスはぼんやりと考えた。
脅しは、あれで十分だったろうか。
先日のように自分が留守にしている間に、また訪れないとも限らない。

「……結界ってどうやって張るんだろ」

独語して、シェリーの本棚を漁る。
平穏な暮らしを守るためだ。せめて自分が独り立ちをするまでは、シェリーには無事でいてもらわなくては困る。
分厚い魔術書をめくりながら、手のかかる師匠を思ってセディオスは淡く微笑んだ。全くこれじゃ、どちらが師弟かわからない。けれど仕方がないのだ。彼女は教師のくせに魔術が得意ではなくて、自分の方にはどうやら才能があるらしいのだから。

魔術書を片手に、居間の使い古したソファに座り込む。
いつもは彼女とふたりで身を寄せ合うから暖かいけれど、暖炉に火もくべてない(もったいないので)今、室内はひんやりと寒かった。
明日には戻るぬくもりは、山を無事越えられただろうか。
思考の端で思いながら、冷たい指先でページを捲る。案外、結界の魔法は簡単そうだった。それともこれも、シェリーには使いこなせない魔術なのだろうか。

と、何かが視界を横切って、セディオスは窓の外に目をやった。
ちらちらと粉のような雪が降り始めていた。
どうりで冷えるわけだと身震いする。シェリーに渡したマフラーがまだ温度を保っているといいのだけれど。

──……魔術師か。
本当に目指してみようか。
そうすれば、あの目障りな男を完全に追い払うことも出来るし、自分を玩具にした貴族の少年に復讐もできる。
何よりも、自分が優秀な魔術師となればシェリーの評判もひっくり返るはずだった。依頼も今より増えて、彼女も喜ぶ。
それを想像したとたん、不思議とやる気がみなぎってきた。
最高ランクの資格を取れば、きっとシェリーは驚きながら、そうしていつもみたいに手放しで褒めてくれるのだろう。
あの笑顔は、好きだった。



簡素な夕食を終えたセディオスは、そろそろ眠ろうと寝室に向かった。
いつもはシェリーと眠るベッドも今夜はひとりで堪能できる。自由に手足を伸ばせるし、寝返りだって打ちたい放題だ。なのに、どうしてか物足りない。毎晩『狭くてごめんね』と自分を抱きしめてくれるシェリーがそばにいないからだろう。
少し前にシェリーは、セディオスくん用のベッドも買わなくちゃねと話していた。
そんなものはいらないと猫みたいに丸くなりながら、思う。
隙間だらけのあばら屋でのひとり寝は、寒すぎた。




事件が起きたのは、その翌日だった。
昼過ぎには帰るといったシェリーが、昼を過ぎても、夕方になっても、夜になっても、帰ってこなかったのだ。
人探しの魔法でもあればいいのに、シェリーの家にある魔術書のどこを探しても、そんな方法は見つからなかった。

どうすればいいか分からなくなったセディオスは、近隣に住むフェイという親切な主婦を訪ねた。

「雪で立ち往生してるんでしょう。大丈夫、よくあることよ」

安心させるために、フェイはそう言ってくれたのだろう──しかし、それでも不安が拭えなかったセディオスは、家を飛び出してシェリーが通るはずの道を辿った。
昨日から降り始めた雪はそこかしこに舞い降り、森中を白く染め上げていた。

真っ暗な夜空から、音もなく降り頻る雪。
セディオスは祈るような思いでシェリーを探した。
まともな防寒をしていないセディオスは、すぐに手足の感覚を奪われた。痛みさえも鈍る中、師を求めて山への道を進む。
困るのだ、彼女がいなくなるのは。

「先生」

ささやけば、白い息が暗闇に浮かんだ。
この地域で、雪は珍しいことではない。
予定が一日遅れるのだって以前にもあったことだと、フェイは話していた。
セディオスだってわかっている。
家で大人しく待っていればいいのだと。
自分が今、とても無駄な行為をしていることを。
けれど。

『じゃあね、セディオス』

ふと、さようならと手を振った、母親の満面の笑みが蘇った。

「……」

あの日セディオスは、嫌だと首を横に振った。
全身で暴れた。あの頃は、身体も心も本当に子供だった。
みっともなく涙をぼろぼろとこぼし、母に両手を差し出した。
助けてと。

『お母さん……っお母さん……っ嫌だ、怖いよ……!』

無理矢理荷車に乗せられる感覚、馬のいななき、遠くなる生家。
金貨ばかりを見つめて、家に入って行く両親。
もう二度とあんな思いはしたくない。耐えられない。
セディオスはだから、誰も信用しないと決めた。ひとりで生きていこうと、決めた。

けれどーー師匠になってくれたシェリーは、いつだってやさしくて温かくて。
いつの間にかセディオスはすっかり、彼女を好きになっていた。
捨てられたくない、今度こそ。
だから俺は、一流の魔術師になる。
シェリーが自分をそばに置いておきたいと思えるような、手放したくなくなるような、そんな人間になるのだ。なりたい。

「先生……」

なるから。
だから帰ってきて欲しい。
そう強く願った瞬間だった。

「あれ? セディオスくん?」

辺りに、驚いたような声が響いた。
それから、さくさくと雪を踏みしめる足音が近づいてくる。

「やっぱりセディオスくんだ……! どうしたの、こんなところで」

怒ったような焦ったような顔をしたシェリーが、セディオスの前にかがんだ。元気そうだ。よかった、とセディオスは安堵する。

「先生が、遅かったから」

呟けば、シェリーは一瞬息をのんだ。

「もしかして、迎えにきてくれたの? ひとりで?」

頷けば、シェリーの顔が泣き出しそうにくしゃりと歪んだ。そうしてすぐにぎゅうっときつく抱きしめられる。驚いたことに、渡したマフラーはまだ熱を持っていた。ひどく暖かい。

「ダメじゃない。こんな時間にひとりで外に出ちゃ。セディオスくん可愛いんだから誘拐されちゃうよ」
「……されませんよ」

笑いながら、シェリーの胸の中で囁く。
ハーブと土の混ざった、いい匂いがした。
愛しかった。

「ごめんね。遅くなっちゃって、途中で迷子の子と会っちゃって、送ってたらこんな時間に」
「ダメですよ。そういう時は、ちゃんと連絡してくれなきゃ」

セディオスはゆっくりとシェリーの胸から顔を上げた。そうして背を伸ばし、シェリーの頬に唇を寄せる。

「お帰りなさい」

微笑んだセディオスの目と鼻の先で、顔を真っ赤にしたシェリーが「た、だいま……」と掠れた声をあげた。

「今度遠くに行く時は、俺も連れていってくださいね。絶対に」
「……うん」
「頷きましたね、約束ですよ」

セディオスは満足して「帰りましょう」と手袋に包まれた彼女の手を引いた。
家に着いたら、暖炉に火を灯そう。
夕食も温め直して、遅い食事にありつく。
そうして最後は、ふたりで一緒にあの小さなベッドで眠りにつくのだ。
昨日は寒くてよく眠れなかったけれど、今夜はきっと大丈夫。

束の間の幸せを、永遠にしてみせる。
セディオスは途方もない望みを抱きながら、道の先にある小さな家を見つめた。

どうか、ずっとここにいられますように。

輝く星々に、そう、願った。

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