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それぞれの基準
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「う~んと、お疲れ様です。助かりました、書き始められそうです」
「本当? よかった~……はあ~、ちょっと疲れたよ」
質問攻めにされてもひとつひとつ丁寧に答えていった絵里は、流石に疲弊したのか声に疲れが滲み出ていた。途中休憩を挟んではみたものの、自分を曝け出すというのはどうしたって疲れてしまうらしい。
「う~ん……こんなに沢山自分のことを話したのは初めて……もう稀ちゃん、私の親より私に詳しいよ、絶対」
「――親?」
「絶対そう! だって子どもの頃に好きだった公園の遊具とか、最近好きな色が変わったとか……嫌いじゃないけど好きでもない食べ物とか、本当に何でも聞くんだもん。こんなの親だって把握してないよ」
「……でも、そういうものじゃないですか? 何でもかんでも親に話したりはしないでしょ」
「ふふ、そうだね。言っておいてなんだけど、言いながら私もそう思った」
「絵里さん、本当に疲れたみたいですね」
ペンを置いて絵里に目を向ければ、体を完全に椅子に預けて天井を見上げている。脚も投げ出して完全にお疲れモードだ。絵里のだらしない恰好を見るのはこれが初めてである。
「ちょっと休憩してから、お風呂に行きますか。絵里さんの好きなジュース奢りますよ」
***
――コンコン
「……絵里さんかな?」
風呂に入った後、少し外を歩いてくると言った絵里と別れたのだが、そろそろ夕食の時間だから誘いに来たのだろうか。
稀はノートパソコンを閉じて、誰が来たか確認せずに扉を開けた。
「はい」
「貝様、お食事をお持ちしました」
「え? 食事って……」
従業員の斜め後ろ、見れば量からしておそらく二人分の料理が載っているんであろうワゴンがあった。稀はいつも少な目に頼んでいるし、あの量で一人分ということはないだろう。
「どうかなされましたか?」
どうかなされましたかと聞かれても、聞きたいのはこっちだ。
「いや、その……。それって二人分ですか?」
「――え? はい、そうです。六時に瀬田様と、お部屋で召し上がられるとお聞きしましたので」
何か手違いがあったのかと困惑し始める女性に、稀は一つだけ聞いておくことにした。
「いえ、何でもないんです。こんなによくしてもらって申し訳なくて。私、誰に頼みましたっけ。わがまま言ってしまって」
稀が部屋に入りやすいよう道を空けると、女性は分かりやすいくらい安心した顔でワゴンと一緒に部屋に入って来た。まだ回収されていない予備のテーブルにも当然のように料理を並べていく。
「福田から聞きましたが」
「――ああ、そうだった。福田さん」
「瀬田様がいらっしゃらないようですが、お声掛けした方がよろしかったでしょうか」
「いえ、もう来ると思うので。ありがとうございます」
「そうですか。では、失礼します。ごゆっくりどうぞ」
さて、そろそろ部屋に帰って来ているだろう彼女を呼びに行かなくては。待っていれば絵里は訪ねて来てくれるかもしれないが、このままではせっかくの夕食が冷めてしまう。
読めてきたと思ったのに、どうやら稀に福田の行動を予測するのは難しいらしい。
***
「呼ばれたと思ったら、テーブルに料理が並んでるんだもん。びっくりしたよ」
「私もですよ。せめて一言言ってくれれば良かったのに。……あの人、何をするか分からないっていうか。押しが強いのかそうでもないのか。まあ、強引なのは間違いないです」
「強引? ふふ、確かに押しは強いかもね。でも良い人だよね」
「……そう思いますぅ~?」
「うん、どうして? 朝早くから釣りも手伝ってくれて、お昼御飯も御馳走してくれたんでしょ? 悪い人じゃないと思うよ?」
「そこ! そこなんですよね!」
稀は山菜の天ぷらに噛り付くと、福田からもらった日本酒で喉の奥に流し込んだ。口当たりが優しくてほんのり甘さがあって、大事に飲みたいのに風呂上がりのジュースのように気付けばぐいぐいと飲んでしまう。
「絵里さん、ありがた迷惑ってあるでしょ」
「ええ……うん」
まあまあ辛辣な言葉が飛び出したものだから、絵里は口の端をひくりと震わせた。
「よくしてくれるのは構わないんですよ。でも、私はここのホテルで波風立てたくないんですよね。だから部屋に夕食を運ぶって、そう事前に言ってくれればまだ良いですよ。……でも、それもなかったんですよ」
「それは、サプライズのつもりだったのかな……?」
「さぷらいずぅ~? まあ絵里さんの分も用意してくれたからいいんですけど、料理を運ぶのは違う人ですよね。だって彼、今日は休みですし。動くのは自分じゃないんですから、せめて間違いがないよう私達に確認を取るべきでしたね……!」
眉間に皺を寄せて不満を口にする稀に、絵里はまたひくりと笑ってみせる。
「落ち着いて。でも、そんな風に思ってたんだ」
「あれ、もしかして性格悪いですか?」
二回、三回と酒に口を付けてから、絵里が首を振って否定する。
それを見て内心で笑う。絵里はもう稀を悪いようには言えないのだ。
「ううん、そうじゃなくて。……何が良くて良くないのか、ちゃんと自分の基準を持ってるのって凄いことだと思う。私、人に流されてばっかりだから。でもこれからは自分で考えていかなくちゃね!」
「…………」
新しく酒を注ぎ始める絵里を見ながら、稀は割とどうでもよかった怒りを引っ込めた。
意外……いや、そうでもないのか。
思えば、きっかけになればと神島神社に参拝しに来たのもそうだが、稀に会いにわざわざ引き返してくるほどの行動力はあるのだ。流されてしまっている部分は否定できないだろうが、自分を見失っていたわけではない。ちゃんと自分の考えで動き、今も自分の言葉で稀を評価している。
絵里は扱い易そうに見えて実はそうではないのかもしれない。
「絵里さんだって自分の基準を持ってると思います」
目をぱちくりとさせる彼女が面白くて、どうして気付いてないんだと思ってしまう。
「今の私に対する評価、絵里さんが自分を持ってなきゃできないと思います。今思ったことを正しいこととして、これから自分の考えで動いていけばいいじゃないですか。気にすることなんかないですよ、皆好き勝手やってますって。……あっ、そうそう、福田もそうだったし」
「――――わ、凄い。稀ちゃんって本当に凄いんだね」
目を真ん丸にして体の動きを止めてしまった彼女は、さながら周りを警戒し始めた猫を見ているようだ。そんなに驚かなくたっていいのに。
「その評価は大袈裟ですって」
「はあ、そっかあ、私ってもう自分の考えを持ってたんだね……。何だか嘘みたい、急に視界が開けた感じ。こんなに自分を認識できたのって初めてかも――」
そう言って自分の腕を数回擦って、また思い出したように擦る。心なしか明るくなったその表情は、憑き物が落ちたようだった。
「稀ちゃんが小説を書いてるっていうのも、納得するっていうか、頷けちゃうなあ」
「そうですか? でも今時は小説家なんてわんさかいますし、私はタイミングが良かっただけだからなあ」
「あっ、謙遜するんだ。でも多いっていうのは、もしかして小説家擬きなんじゃない?」
「――ええ、擬きって」
吹っ切れるのはいいけれど、自分を抑え込んでいた反動が大きく出たようだ。
「言いますね。小説家ってそんな簡単じゃないんですよ。その、私が小説家になるのに苦労したかと言われると、微妙ですけど……でも、一方を見下したうえで褒められても嬉しくなんかないです」
「ごめんっ、そうだよね。稀ちゃんは正真正銘の小説家なんだなって言いたかっただけなの。ごめんね、ちょっと出しゃばったこと言っちゃった」
「……」
口で謝ってはいるものの、顔を見ればそんなに反省していないことが分かる。発言自体を撤回する気は全くなさそうだ。
「……まあ、いいですけど。私は擬きじゃないみたいですし」
「ふふ、きっと苦労しなかったのも、その洞察力があったからなんだろうなあ」
「さあ、どうでしょう」
「……稀ちゃんって、優しいよね」
――――優しい……?
「本当? よかった~……はあ~、ちょっと疲れたよ」
質問攻めにされてもひとつひとつ丁寧に答えていった絵里は、流石に疲弊したのか声に疲れが滲み出ていた。途中休憩を挟んではみたものの、自分を曝け出すというのはどうしたって疲れてしまうらしい。
「う~ん……こんなに沢山自分のことを話したのは初めて……もう稀ちゃん、私の親より私に詳しいよ、絶対」
「――親?」
「絶対そう! だって子どもの頃に好きだった公園の遊具とか、最近好きな色が変わったとか……嫌いじゃないけど好きでもない食べ物とか、本当に何でも聞くんだもん。こんなの親だって把握してないよ」
「……でも、そういうものじゃないですか? 何でもかんでも親に話したりはしないでしょ」
「ふふ、そうだね。言っておいてなんだけど、言いながら私もそう思った」
「絵里さん、本当に疲れたみたいですね」
ペンを置いて絵里に目を向ければ、体を完全に椅子に預けて天井を見上げている。脚も投げ出して完全にお疲れモードだ。絵里のだらしない恰好を見るのはこれが初めてである。
「ちょっと休憩してから、お風呂に行きますか。絵里さんの好きなジュース奢りますよ」
***
――コンコン
「……絵里さんかな?」
風呂に入った後、少し外を歩いてくると言った絵里と別れたのだが、そろそろ夕食の時間だから誘いに来たのだろうか。
稀はノートパソコンを閉じて、誰が来たか確認せずに扉を開けた。
「はい」
「貝様、お食事をお持ちしました」
「え? 食事って……」
従業員の斜め後ろ、見れば量からしておそらく二人分の料理が載っているんであろうワゴンがあった。稀はいつも少な目に頼んでいるし、あの量で一人分ということはないだろう。
「どうかなされましたか?」
どうかなされましたかと聞かれても、聞きたいのはこっちだ。
「いや、その……。それって二人分ですか?」
「――え? はい、そうです。六時に瀬田様と、お部屋で召し上がられるとお聞きしましたので」
何か手違いがあったのかと困惑し始める女性に、稀は一つだけ聞いておくことにした。
「いえ、何でもないんです。こんなによくしてもらって申し訳なくて。私、誰に頼みましたっけ。わがまま言ってしまって」
稀が部屋に入りやすいよう道を空けると、女性は分かりやすいくらい安心した顔でワゴンと一緒に部屋に入って来た。まだ回収されていない予備のテーブルにも当然のように料理を並べていく。
「福田から聞きましたが」
「――ああ、そうだった。福田さん」
「瀬田様がいらっしゃらないようですが、お声掛けした方がよろしかったでしょうか」
「いえ、もう来ると思うので。ありがとうございます」
「そうですか。では、失礼します。ごゆっくりどうぞ」
さて、そろそろ部屋に帰って来ているだろう彼女を呼びに行かなくては。待っていれば絵里は訪ねて来てくれるかもしれないが、このままではせっかくの夕食が冷めてしまう。
読めてきたと思ったのに、どうやら稀に福田の行動を予測するのは難しいらしい。
***
「呼ばれたと思ったら、テーブルに料理が並んでるんだもん。びっくりしたよ」
「私もですよ。せめて一言言ってくれれば良かったのに。……あの人、何をするか分からないっていうか。押しが強いのかそうでもないのか。まあ、強引なのは間違いないです」
「強引? ふふ、確かに押しは強いかもね。でも良い人だよね」
「……そう思いますぅ~?」
「うん、どうして? 朝早くから釣りも手伝ってくれて、お昼御飯も御馳走してくれたんでしょ? 悪い人じゃないと思うよ?」
「そこ! そこなんですよね!」
稀は山菜の天ぷらに噛り付くと、福田からもらった日本酒で喉の奥に流し込んだ。口当たりが優しくてほんのり甘さがあって、大事に飲みたいのに風呂上がりのジュースのように気付けばぐいぐいと飲んでしまう。
「絵里さん、ありがた迷惑ってあるでしょ」
「ええ……うん」
まあまあ辛辣な言葉が飛び出したものだから、絵里は口の端をひくりと震わせた。
「よくしてくれるのは構わないんですよ。でも、私はここのホテルで波風立てたくないんですよね。だから部屋に夕食を運ぶって、そう事前に言ってくれればまだ良いですよ。……でも、それもなかったんですよ」
「それは、サプライズのつもりだったのかな……?」
「さぷらいずぅ~? まあ絵里さんの分も用意してくれたからいいんですけど、料理を運ぶのは違う人ですよね。だって彼、今日は休みですし。動くのは自分じゃないんですから、せめて間違いがないよう私達に確認を取るべきでしたね……!」
眉間に皺を寄せて不満を口にする稀に、絵里はまたひくりと笑ってみせる。
「落ち着いて。でも、そんな風に思ってたんだ」
「あれ、もしかして性格悪いですか?」
二回、三回と酒に口を付けてから、絵里が首を振って否定する。
それを見て内心で笑う。絵里はもう稀を悪いようには言えないのだ。
「ううん、そうじゃなくて。……何が良くて良くないのか、ちゃんと自分の基準を持ってるのって凄いことだと思う。私、人に流されてばっかりだから。でもこれからは自分で考えていかなくちゃね!」
「…………」
新しく酒を注ぎ始める絵里を見ながら、稀は割とどうでもよかった怒りを引っ込めた。
意外……いや、そうでもないのか。
思えば、きっかけになればと神島神社に参拝しに来たのもそうだが、稀に会いにわざわざ引き返してくるほどの行動力はあるのだ。流されてしまっている部分は否定できないだろうが、自分を見失っていたわけではない。ちゃんと自分の考えで動き、今も自分の言葉で稀を評価している。
絵里は扱い易そうに見えて実はそうではないのかもしれない。
「絵里さんだって自分の基準を持ってると思います」
目をぱちくりとさせる彼女が面白くて、どうして気付いてないんだと思ってしまう。
「今の私に対する評価、絵里さんが自分を持ってなきゃできないと思います。今思ったことを正しいこととして、これから自分の考えで動いていけばいいじゃないですか。気にすることなんかないですよ、皆好き勝手やってますって。……あっ、そうそう、福田もそうだったし」
「――――わ、凄い。稀ちゃんって本当に凄いんだね」
目を真ん丸にして体の動きを止めてしまった彼女は、さながら周りを警戒し始めた猫を見ているようだ。そんなに驚かなくたっていいのに。
「その評価は大袈裟ですって」
「はあ、そっかあ、私ってもう自分の考えを持ってたんだね……。何だか嘘みたい、急に視界が開けた感じ。こんなに自分を認識できたのって初めてかも――」
そう言って自分の腕を数回擦って、また思い出したように擦る。心なしか明るくなったその表情は、憑き物が落ちたようだった。
「稀ちゃんが小説を書いてるっていうのも、納得するっていうか、頷けちゃうなあ」
「そうですか? でも今時は小説家なんてわんさかいますし、私はタイミングが良かっただけだからなあ」
「あっ、謙遜するんだ。でも多いっていうのは、もしかして小説家擬きなんじゃない?」
「――ええ、擬きって」
吹っ切れるのはいいけれど、自分を抑え込んでいた反動が大きく出たようだ。
「言いますね。小説家ってそんな簡単じゃないんですよ。その、私が小説家になるのに苦労したかと言われると、微妙ですけど……でも、一方を見下したうえで褒められても嬉しくなんかないです」
「ごめんっ、そうだよね。稀ちゃんは正真正銘の小説家なんだなって言いたかっただけなの。ごめんね、ちょっと出しゃばったこと言っちゃった」
「……」
口で謝ってはいるものの、顔を見ればそんなに反省していないことが分かる。発言自体を撤回する気は全くなさそうだ。
「……まあ、いいですけど。私は擬きじゃないみたいですし」
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