あなたと私のサイコパス(元 潮の香り)

団子(仮)

文字の大きさ
27 / 27

娯楽

しおりを挟む
「絵里さん、こっち」
「あ! おはよう、稀ちゃん」
「おはようございます」

 次の日、稀は朝早くから食堂で絵里を待っていた。一緒に食事をしたいという訳ではなく、他に用があるのだ。
 絵里はもう何を食べるのか決めていたらしい。皿に次々と料理を盛っていき、席に着くとその勢いのまま食べ始めた。

「絵里さん、何だかご機嫌ですね」
「んー……」

 口の中が一杯で話せない絵里は曖昧に頷いた。二人の間に流れる空気は至って平穏そのもので、お互いに何があったか忘れてしまったかのようだった。しかしパンを千切っている絵里の手には昨夜の出来事を主張するかのように、大きめの絆創膏が稀によって貼られている。

「食べ終わったらそれ、貼り直しますね」
「……ん?」

 絵里はきょとんとして、それからコップの水で口の中のパンを流し込む。ふうと息を吐いて、絆創膏を擦りながらにこりと笑った。

「そんなのいいのに。大丈夫だよ」

 あっけらかんとして申し出を断る絵里は昨日までと違って見える。自ら手を差し出して血を吸っても構わないなんて、扇動されたとしても随分な暴挙にしか思えなかったが、この様子だとあながち間違いでもなかったらしい。

「……そういうわけにもいかないですよ。清潔にしておいた方が良いですし――」
「……?」
「いえ、ごめんなさい。まどろっこしいなって」

 そうだ、絵里の前でぐだぐだと理由を並べ立てる必要はないのだ。馬鹿々々しくなった稀は早々に取り繕うのをやめた。

「理由は何だっていいんですよ。別にあなたに断る理由なんてないし、素直に頷いてくれればいいんです。食べ終わったら貼り直しますね」
「……うん、分かった。ふふっ」
「笑ってないで、さっさと朝食を済ませてくださいね。待ってますから」

 にこにこと楽しそうに笑う絵里を見て、いつの間にか稀も心穏やかに過ごせていた。自分の声から硬さが抜けているなんて何時振りだろう。自分自身でさえ初めて聞いたかのように覚えがない。ずっと昔ではあるんだろうけど、今の気分は悪くなかった。
 絵里を友人と呼べるかといえば、きっとそうじゃない。しかし馬鹿々々しい演技をする必要がない存在というのは、こんなにも肩の力を抜いてくれるものなのか。
 黙々と食事をする絵里を無表情で眺めながら、稀はこの時を密かに楽しんだ。もしかしたらそんな内心は絵里に見透かされているのかもしれなかったが、それでも良かった。



 ***



「はい、もういいです……」
「うん、ありがとう」
「いえ。……それじゃあ、もう部屋に戻りますね」

 絵里の部屋で絆創膏を貼り直して、その工程に稀は満足する筈だった。しかし実際は違う。

 昨日は再現出来たのに――。

 消毒液を患部に垂らして絆創膏を貼って。昨日と同じ事をしたというのに何も感じられないのだ。

 楽しくないし、嬉しくもない。……あの時のような高揚感は微塵もない。どうして。

 残念に思いながらも、治療を終えてしまった今もうこの部屋に留まる理由がない。また後でと一言だけ残してドアを閉めた。
 自分の欲を満たす為の行為で何も得られないから、余計に気分が沈んでしまう。
 治療行為は人間社会で許された、悪行には決して数えられることのない稀にとっての娯楽だったのだ。それなのに、欲を満たせないと分かった今は何の意味も持たなくなってしまった。

「やめよう……」

 そう、考えたところでそもそも自分が何に喜んでいたのかも不明瞭なのだ。答えのないものにあれこれ頭を使うなんてこれ程無駄な事もない。
 稀は考えを頭から追い出すようにして自室の扉を開けた。

「――あれ……」

 足下を見れば、障害物になっていた箱が無くなっていた。福田がまた来ると言ってはいたが、部屋を空けている間に食器の入った箱を回収したらしい。
 滞在期間も長いから、留守にしている間に部屋の備品が補充されることはある。しかし福田の訪問はあくまでもプライベートで行われていたもので、従業員と客の関係ではなかった筈だ。実際に回収したのは福田本人ではなく他の従業員の可能性もあったが、それはそれで気に食わない。
 稀は部屋に入ると、まだポーチに仕舞ってなかった消毒液と絆創膏を取り敢えずごみ箱に捨てる。部屋をざっと見回して、ありもしない彼の痕跡を打ち消すように机上の埃を払った。椅子を引いて腰掛けると、絵里について書かれたメモを手元にパソコンを開いた。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

処理中です...