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刺繍のハンカチ 4
しおりを挟むあれから季節がくるりとひとまわりして落ち葉が舞い散る季節がやってきたの——
刺繍のレッスンもずっとみんなと続けていたわ。
リリアンとエリーナはとっても刺繍が上手になっていて、不器用な私も――ストレート・ステッチで小さなうさぎやかごにはいったお花の刺繍でくるみボタンを作ることや、サテン・ステッチでつやつや光沢のあるりんごやてんとう虫の刺繍でカイのお洋服にお揃いのワンポイントを作ることができるようなっていたの。
今日も今日とてマリアンヌ先生の刺繍レッスンなの。
「今日はブランケット・ステッチをやりますよ。このステッチはね、大きなお花や葉っぱなんかを刺繍してもすてきになるし、縁がかりやとじ合わせなどに使うことができて便利なのよ」
マリアンヌ先生のお手本を見たあとに私たちも手を動かしはじめたわ。
二人はすぐに新しいステッチを覚えてしまうけれど、私は何度も何度も練習しないと覚えることができないの。
「はい、これはアリーの宿題よ」
マリアンヌ先生のこの言葉で刺繍レッスンがおわりになると、そのまま三人でちくちく刺繍をしながらおしゃべりするのがとっても楽しいの。
「アリー、ここを気をつけて刺すといいわよ」
「リリー、ありがとう」
「ねえ、ガイ様のお話を聞かせて――」
「もちろん――!」
三人でちくちく刺繍をする時間は、いつもお話がはずんですてきな時間が流れるし、私が上手に刺繍ができると二人ともとっても喜んでくれるのも嬉しいの。
庭の木からすべての葉っぱが落ちると暖炉の火がぱちぱち踊りはじめる季節がやってきたの――
ガイ様はずっと変わらずにウィンザー家に遊びにきてくれて、私と怪盗くまくま団や海賊くまくま船をしていつも遊んでくれたの。
今日も今日とてガイ様とほかほかあたたかな暖炉のある応接室に本を持ち込んで、一緒にならんで読んでいたの。
「ふわああ――」
「眠たいなら寝てもいいんだぞ」
ガイ様のとなりで読書をしているとガイ様のあたたかな体温とぱちぱちはぜる優しい火の音にうつらうつらしてきてしまうの。穏やかな声にさそわれてガイ様の太い腕に頭を預ける――ガイ様はいつも私が眠たくなると気づいてくれて大きな温かな手で優しく髪を撫でてくれるからいつもすぐにまぶたとまぶたが仲良しさんになってしまうわ。
うつらうつらしているとガイ様とアレクお兄様がお話をはじめたみたい。
「ガイはエトワル学園を卒業したら、すぐに王立騎士団に入隊するのか?」
「ああ、そのつもりだな」
「騎士団の寮住まいは一年間の決まりだった?」
「いや、寮住まいは二年間と決まっているからウィンザー家にくるのもあと数ヶ月だな――」
ガイ様の言葉に驚いて目をぱちりとひらいたの。
「えっ――!」
ぎゅっとガイ様の腕をつかんで見上げたわ。
「もうアリーと遊べないの?」
「桜が咲くまではアリーシア嬢と遊べるぞ」
ガイ様はまゆ毛を下げたような困った顔をしていたけれど、桜が咲くのはずっとずっと先のことだもの。
びっくりしたけれど安心したら、またまぶたとまぶたが仲良しさんになってきたわ。
「ふわああ――」
「アリーシア嬢、おやすみ」
ガイ様の穏やかな声が落ちてきて、大きな温かな手が背中をぽんぽんと撫でてくれると、ガイ様の腕をつかんだまま安心して眠りに落ちたの。
マフラーをぐるぐる巻いてお庭に出ると、はく息が白いけむりみたいになる季節がやってきたの――
ガイ様は前と変わらずにウィンザー家に遊びにきてくれて、真っ白な初雪がどっさり降った日はガイ様とくまのカイそっくりな大きな雪だるまと小さなアリー雪うさぎを作って遊んだの。最後にガイ様に抱っこしてもらって緑ボタンの瞳としなった木の枝で笑う口をつけたのよ。
今日も今日とて雪がどっさり降ったからみんなで雪合戦をして遊んだわ。
「アレクいくぞ――!」
「うわっ、ガイ本気だすなよ!」
「私もアレクお兄様に当てるわ! えいっ! えいっ!」
「ああ、もう――アリーに雪玉を投げるなんてできない――!」
アレクお兄様がガイ様の雪玉にあたって、遠くでなにかを話しているけれどちっとも聞こえないわ。
ガイ様と一緒に雪合戦をするとちっとも雪玉は当たらないし、どこまでも雪玉がびゅんと遠くまで飛んでいって魔法のようにアレクお兄様にあたるの。
冬は寒いけれど、ガイ様と雪合戦の作戦を考えるときに抱っこしていただくと心がぽかぽかになって、ちっとも寒くないの。雪遊びのあとにガイ様のとなりでうつらうつらすると、大きなあたたかな手がのびてきて髪を優しく撫でてくれると心もほわりとするの。
そんな毎日がつづくと思っていたある日――
「もうすぐ春だな」
お父様が朝の食卓で窓の外を見ながらつぶやいたの。
「いやよ! アリーはずっとずっと冬のままがいいの!」
「おやおや、そうなのかい? 春になれば、アリーの好きな桜も咲くよ」
「アリー、桜はいやなの! 雪がずっとずっと溶けないでほしいの――!」
「そうだな、雪が溶けない魔法陣はあったかな? 時間保存魔法と広域魔法を応用すれば、庭の雪くらいならば大丈夫かな――?」
大きな声で首を横にいやいやと振りつづけてしまう私をお父様は困った表情を浮かべながらも腕を組むと、雪が溶けない魔法陣を考えはじめたことを私は知らなかった。
春が近づいていることに本当は前から気づいていたの――
もう雪は降らなくなっていたこと。
積もっていた真っ白な雪が少しずつ溶けはじめていること。
雪うさぎのアリーはもういなくなってしまったこと。
雪だるまのカイの瞳と口が取れてしまったこと。
暖炉の火がぱちぱちと踊らない日があること。
春を知らせるピンク色の雪割草がお庭に生えていること。
もう春が近づいているの――
春がきて、桜が咲いたら――
もうガイ様と会うことができない――!
くまのカイにそっくりなガイ様。
優しいエメラルドグリーン色の瞳、柔らかそうなこげ茶の髪、甘くていい匂いのする大きな身体、穏やかな声、頭を撫でてくれる大きくてあたたかな手。
春がきたら、もう会うことができないの――?
ガイ様のことを考えて、心が凍えそうなくらいつめたくなるのははじめてのことだったの――。
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