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刺繍のハンカチ 3
しおりを挟むあれから私の毎日は、ガイ様と親友と刺繍できらきらと彩られていたの――。
サラやお母様に教えてもらい、何度も針を指に刺しながらマリアンヌ先生にいただいていた宿題が終わると刺繍レッスンの日がやってきたの。
「今日はバック・ステッチをやってみましょうね。これは返し縫いという基本的なステッチのひとつなの」
マリアンヌ先生が刺繍枠と糸を手に持つと縫い目の進む方向と反対の方向に糸をすいすい縫って見本をみせてくださったの。
ランニング・ステッチの途切れた線ではなくて、今度はきれいにつながった線になったわ。
これなら私もすぐにできそうだわ。
私たちも刺繍枠と針をもってランニング・ステッチはじめたの。
ちくちく、ちくちく、ちくちく――
すぐにできそうと思ったのは誰だったかしら?
リリーとエリーの刺繍はきれいにつながった丸を描いているのに、私の刺繍だけがつながらないままだったの。どうしてきれいな丸にならないのかしら……。
「アリーもたくさん練習すれば上手になるわよ――はい、これは宿題ね」
にっこりと笑みを深めたマリアンヌ先生から練習用の布をたくさんいただいてしまったわーー!
刺繍レッスンのない日は、ガイ様と遊んだの。
ある日には、優しいガイ様の手を引っぱって怪盗くまくま団はお宝を見つけたの。
「ガイ様、お宝のマフィンを一緒に食べましょう!」
「ああ、いいぞ。怪盗くまくま団はすごいな」
「はいっ! 怪盗くまくま団は、世紀の怪盗なの」
ガイ様がぶはっと大きな声で笑うと、大きなあたたかな手で黒いうさ耳帽子をなでてくださったの。
ふたりで食べるマフィンはとびきり美味しくて、最後のひとつを半分こすると、とっても心がぽかぽかになってしまうの。
「アリーシア嬢、頬にマフィンがついているぞ」
ガイ様の大きな指が、ふいにほっぺたにふれると恥ずかしくて顔が赤くなってしまったわ。
あわてて自分でマフィンをぬぐうとガイ様が穏やかに笑ったの――。
ざあざあと雨が降る日には、読書部屋で本を読んであそんだの。
「ガイ様、この本を読んでほしいの」
「ああ、いいぞ。おもしろそうな怪盗の本だな」
「はいっ! 怪盗のお勉強をするの!」
ぶはっと大きな声で笑ったガイ様は、ひょいと膝の上に座らせてくれたの。私の膝の上にもカイが座ると、ガイ様は穏やかな声で本を読みはじめたの――ゆっくりしたあたたかな声とぽかぽかの体温、それになんだか甘い匂いがして――いつもガイ様の近くにいるとほわわんといい気持ちになるのよ。
「ふわああ――」
「アリーシア嬢、寝てもいいんだぞ」
「ん、まだ、だい、じょうぶ……な、の――」
あくびをひとつこぼすとガイ様の大きなあたたかな手が頭をなでていく。本を読んでほしいけれど、大きなふとい腕に頭を乗せるとまぶたとまぶたが仲良しさんみたい――
すぐに後ろで控えているサラが声をかける。
「アリー様を寝かせてまいります」
「アリーシア嬢はぐっすり寝ているし、洋服をつかんでいるから起きるまでこのままで大丈夫だ」
「まあまあ――!」
私が寝てしまった日は、いつもガイ様の洋服をぎゅっとつかんで離さないことを私は知らない。
「ガイ、アリーのこと変な目で見てないよね?」
「あのなアレク、俺は変態じゃないぞ」
「アリーのこと変な目で見ているならウィンザー家は出入り禁止だからね」
私が寝てしまった日は、いつもガイ様がアレクお兄様にじと目で話しかけられていたことを私は知らない――。
ガイ様とアレクお兄様の夏休みの日は、一日中お家で遊んだの。
「えっと、これは、その――赤の結界があるのです」
「ああ、そうみたいだな」
ぶはっと大きな声で笑ったガイ様は肩をふるわせたわ。
三人でいただく昼食に私の苦手なトマトが小さくなってサラダに乗っていたからフォークでえいっ、えいっとお皿のすみっこに集めていたところをガイ様にばっちり見られてしまったの。
ガイ様は笑っているけれど、トマトには赤の結界があるのよ、とガイ様にほっぺたをぷうっとふくらませたの――。
夏の陽射しがきらきらまぶしい日は、ガイ様がオルランド領地から帰ってきた日だったの。
「アリーシア嬢にお土産だぞ」
「わあ――! とってもかわいらしいですね」
「ああ、オルランド領の特産品なんだ」
ガイ様がしゃがみ込み、穏やかな瞳で私に差し出してくださったのは、手編みのかごいっぱいに入った小さな愛らしい赤い実だったの。
さくらんぼより少し大きい実ははじめて見るものだったけれど、ガイ様におみやげをいただいたことが嬉しかったの。
「とっても美味しそうです! ガイ様も一緒に食べましょう!」
赤い実の入ったかごをうきうき持つと、涼やかな風が吹き抜ける大きなひまわりを見ることができるテラス席に座ったの。
「この実は、このまま食べると美味しいぞ」
ガイ様が赤い実をひと粒つまみ口にほおりこむと、とても美味しそうに召し上がるから、思わずごくって喉がなってしまったの。
私もガイ様の真似をして、ひと粒をぱくりと口に運んだわ――ぷちっと皮がはじけると、じゅわりと甘くてさわやかな果汁が口いっぱいに広がって、あまりの美味しさに三粒もぱくぱくと食べてしまったのよ。
「ガイ様、甘くてとっても美味しいです! この赤い実はなんという名前ですか?」
「これはトマトを品種改良して小さくしたミニトマトだぞ」
「えっ、これがトマト――?」
目をまんまるにしている私の頭にガイ様の大きな手が伸びてきて、ぽんっと撫でてくださったの。
「アリーシア嬢の赤い結界は解けたみたいだな」
「えっ、あっ――はいっ! ガイ様、ありがとうございます――!」
お母様にも見てもらいたくて、ミニトマトをそっとにぎりしめて走ったの。
「なあガイ、とある領地から王家に献上したばかりの入手困難な赤い実にそっくりだな」
「すごい偶然もあるもんだな。俺は、たまたまオルランド領地の視察に行って、ミニトマト栽培をしている者と話をしたら、ミニトマトはトマトが苦手なむすめを克服させるために品種改良したものだと言っていたから、たまたまアリーシア嬢の話をしたらぜひ食べさせてほしいとかごいっぱいにもらっただけだ」
「ガイ、やっぱりアリーのこと――?」
「あのなアレク、俺を変態にしようとするな」
「アリーのこと変な目で見ているならウィンザー家は出入り禁止だからね」
私の赤い結界が解けてお母様にたくさんほめていただいた日、ガイ様がアレクお兄様にじっとりじと目で話しかけられていたことを私は知らない――。
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