おとぎ話の悪役令嬢のとある日常(番外編)

石狩なべ

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キッド

SOULD OUTにご注意(3)

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 再び抱きしめられて、また押し倒される。背中から、ぽすっと、再びベッドにお世話になって、あたしの顔は一気に真っ青に成り代わる。

「あばばばばばばばばばばば!!!」

(なんか、違う!!)

 思ってた反応と違う!!!

「キッド! ちょっと待って!」
「恥ずかしがらなくても大丈夫。怖くないよ。テリー。何も怖くないから。素直になることは、何も怖くないし、恥ずかしいことじゃない」
「そうじゃないの! あのね!? そうじゃないの!!」
「ほら、暴れない」

 右手をひょいと掴まれて、

「あ」

 左手をぎゅっと握られて、

「ちょ」

 ――ちゅ。

 キッドの唇が、額に落とされる。

「……ゃっ……」
「ん、よくなるまで」

 もう一回。

 ――ちゅ。

「……んんっ……」

 唸ると、

「ここも」

 ――ちゅ。

 眉にキスされて、

「ここも」

 ――ちゅ。

 瞼にキスされて、

「ここも」

 ――ちゅ。

 鼻にキスされて、

「テリー」

 優しい声で、

「ん」


 ――むに。


 キッドの唇が、あたしの唇にくっついた。

(なっ……!?)

「んっっ!」

 びくっ、と体が揺れたのを見て、キッドの左手があたしの頬に触れてきた。唇がそっと離れる。

「ちょ……、キ、キッド!」
「……やわらかい……」

 もう一回。

 ――むに。

「んんんっ……!」

 体を強張らせ、キッドの肩をぐっと前に押す。

(なんでよ! お前! キスをする前に! 香水の! 匂いを嗅げ! 匂いを!!)

 テリーの花の匂いは人気がない。人気がないということは、みんな、この匂いを好きではないということよ。つまり、匂いさえ嗅がせれば、こっちのもの!!

(でもその前に……!)

 キスが長いのよ!!!!!

「んんんんっ!」

 ぽす、とキッドの肩を拳で叩くと、キッドが微笑み、一度離れた。

「はっ……」

(い、息が…!)

 そして、また近づいたと思えば、またくっつく。

 ――むに。

「んっ」

 ――ちゅ。

「んっ」

 ――むに。

「んんっ」

 ――ちゅ。

「ちょっ!」
「……テリー……」

 頬を赤く染めて、うっとりした目で、キッドが熱くなったあたしの顔を覗き込む。

「……くくっ。……可愛いな。テリーってば。……やっぱりキスに慣れてないんだ?」

 体を縮こませてしまって、まるで怯える子猫だ。

「大丈夫。……俺が優しく教えてあげるから」

 艶のある低い声で囁いて、また、あたしの唇にキスしようとしてくるキッドの口を、解放された右手で押さえ、ぐっと押す。

「キッド! タイム! その前に! 匂い! 匂い!!」
「……匂い?」

 キッドがきょとんとして、

「ああ、匂いね」

 また微笑む。

「そうだね。テリー。……今日のお前は、前に俺があげた香水の匂いだ」

(そ、そうなのよ! もっと重い女だと思ってもらうために、あえてつけてきた、お前から11歳の誕生日プレゼントとしてもらった赤い香水! ベリー系の香り!!)

 苺とか、ラズベリーとか、なんか、そこら辺のやつの匂い!! 一度目の世界のあたしだったら、喜んで使いそうな甘いフルーティーな匂い!!

「お前さ、俺が苺ケーキ好きだって知ってるよな?」

(……ん?)

「好きなんだよ。……ケーキ」

 特に好きなのは、苺のケーキ。

「……テリーが、苺のケーキみたいな匂いする……」

 テリーが、俺の好きな匂いをつけてる。

「テリー」
「もっと、」
「もっと、もっと」
「もっと、その匂い、俺に嗅がせて?」

 そう言って、キッドがあたしの首元に鼻を摺り寄せてきた。その瞬間、あたしの脳内で火山が爆発する。

(ひゃあああああああああああああああ!!!)
(何だこれ何だこれ何だこれ!!)
(逆効果じゃないのよ!!)

 戸惑い驚き混乱後の、パニックパニックパニック。

「あの、あたしじゃなくて、香水の!」
「うん。あとで」

 すんすん。

「今はこっちがいい」

 すんすん。

「お、おやめ! そんなに、まじまじと人の匂いを嗅ぐんじゃないの!!」

 すんすん。

「ちょ! そこには香水つけてなくって……!」

 すんすん。

「あっ……待って。だから、違うんだってば……!」

 すんすん。

「待って! やめて! ひゃっ! な、何するのよ!」

 すんすん。

「なっ! やめっ! ワキはやめて! やめて!!」

 すんすん。

「あんた、ばかじゃないの!? ワキに香水はつけてないわよ!」

 すんすん。すんすん。

「ワキだけ重点して匂いを嗅ぐなあーーーーー!!」

 すんすん。

「やめてぇ……! お願いやめてぇええ……!! 嗅がないでぇ……! ワキはやめてぇえええ……!!」

 すんすん。

「やめてっ……! やめっ……! やめてっ……! もう、やめて……!!」

 すーーーーーーーーう。
 はーーーーーーーーあ。

「やめろおおおお! そこで深呼吸するなーーー!!」

 顔を真っ赤にして叫べば、

「……」

 キッドが黙った。石像のように動かなくなる。

「……キッド……?」

 動かない。

(……なに、こいつ…。押さえてきたり、黙ったり。情緒不安定なの? このまま、やっぱり臭いや、あははーとか言ったら承知しないわよ。ぱーんって叩くわよ。ぱーんって)

「……嫌だな。これ」

 ぽつりとキッドが呟いて、あたしはきょとんとする。

「え?」
「ドレス」

 キッドが不満そうに顔をあげて、ぶすっとした表情を浮かべる。

「邪魔」

 ドレスが邪魔。

「テリーの匂いじゃなくて、布の匂いも混ざってる」

 邪魔。

「柔軟剤の匂いなんてどうでもいいんだよ」

 邪魔。

「俺はテリーの匂いが嗅ぎたいのに」

 邪魔。

「テリー」

 キッドが、真顔で、あたしに言った。

「脱いで」
「阿呆か!!!!」

 その顔に、パンチする。

「いたっ!」

 キッドが顔を押さえた隙に、あたしは急いでベッドの端に逃げ込み、自分の胸元を押さえ、振り向き、じろっとキッドを睨んだ。

「脱ぐわけないでしょう! ばぁーか!!」

(この変態!!)

 キッドが殴られた顔を撫でながら、ベッドの端で縮こまるあたしを見て、眉をひそめる。

「だって、せっかくのお前の匂いが、そのドレスのせいで台無しなんだぞ」
「黙れ! くたばれ! お年頃の女の子によくもそんな恥ずかしいこと言えるわね! はしたない! 汚らわしい! 破廉恥な奴!! すけべ!! えっち!!」
「ああ、それは認めるよ。でも、テリー限定ね。さあ、わかったら脱いで」
「脱ぐか! あんたにあたしの綺麗なお肌を見せろっての!?」
「夏に散々見せてたじゃん」
「うるさい! 暑かったのよ! 今は冬よ! 寒いじゃない!」
「俺が温めてあげる。さ、脱いで?」
「お断りよ!」
「……そう」

 キッドが頷く。

「わかったよ」

 無理強いは良くない。

「テリーに嫌われたくない」

 脱がなくていい。

「そうだな」

 あ、わかった。こうしよう。

「それ」
「ぎゃっ!?」

 キッドがあたしの足を掴み、ひょいと上げる。あたしはスカートを押さえて、悲鳴をあげた。

「ぎゃああああああああ! 何よ! 離せ! テリー様の足に触るなんて! 50万年早くってよ!!」
「だって、お前が脱がないって言うから」

 フリルの付いたお気に入りの白いくつ下を、するすると脱がされる。

「お前の匂いが一番感じやすい足を嗅ぐことにするよ」

 ――は?

 ぞっと血の気が引く。
 キッドを見上げる。
 キッドは、不気味なほど、あたしの足を見て、うっとりしている。

「だって、脱がないんだもんね?」

 仕方ないさ。

「俺、お前のここの匂いも嫌いじゃないんだ」

 言っただろ?

「癖になりそうだって」

 ここも、お前の匂いだから。

「ほーら、いい匂い。本当に、くくっ。……いい匂い……」

 すんすん。

「やめろおおおおおおおおおおおおお!!」

 悲鳴に近い声が部屋に響く。だが、キッドは止めない。あたしの足に形のいい鼻をくっつけさせる。すんすん。

「やめてええええええ! キッド! そこは、本当に! 本当にだめ!!」

 汚い臭い醜い汚らわしい、その蒸れた足の臭い。

「あああああああああああ!! やめてえええええ! やめてええええええ!!」

 思わず顔を隠して、足とキッドを見ないようにして、必死に片方の足を暴れさせて、キッドに抵抗する。蹴り上げてやる! その可愛いお顔、蹴り上げてやる!!

「くくっ、テリーってば……。……照れちゃって可愛いな……」

 軽々と、足を押さえられる。

「うわああ!?」
「そんなに暴れなくても、何も怖くないよ? 俺がお前の匂いを嗅いでるだけなんだから」

 もっと嗅いであげるよ。

「ほら、見ててもいいよ」

 むしろ見てなよ。

「テリーの匂い、最高」

 すんすん。

「いやああああああああああああ!!!」

 はしたないいいいいいいいいいい!!!!

「やめて! 匂い! やめて! 嗅がないで!!」
「いい匂いだよ。テリー」
「嫌だっつってんだろ! やめろ!!」
「煽るお前が悪いんだよ」
「あたしがいつ煽ったって言うのよ!」
「俺のあげた香水をつけてきた挙句、プレゼントの香水が、テリーの花。これを煽ってないって言うの?」
「……」
「……俺、好きだよ。テリーの花の匂いも。自然な香りでさ、ハーブみたいな、爽やかな匂い。……くくっ。いいのを選んできたね。テリー」
「……言っておくけど、それ、人気がなくて、売れ残ってたやつなの!」
「……売れ残る? これが?」
「そぉーよ! ハーブ系って人気がないのよ。みんな、甘い匂いが好きだから! だから、テリーの花の香水はいつだって売れ残ってるの!」

 それを、あんたにプレゼントしてやったわけよ!

「おっほっほっほっほっ! どうよ! キッド! ざまあみろ! あたしはね、こういう女なのよ!」

 わかったら、

「さっさと婚約解消……」
「テリー」

 キッドが笑う。

「お前は、本当に不器用だな」

 キッドがあたしの足を下ろして、よちよちと膝と手で歩いて近づいてくる。

「ちょ、な、なによ!?」
「くくくくく」
「こ、この、やろうっての!? 上等よっ……」

 ベッドの端に再び縮こまるあたしの前にキッドが座り、頭を寄せてきて、そのまま、こつん、と、優しく額を重ねられる。

「っ」

 顔が近くて、思わず黙る。

「そんなに売れ残るなら、俺がつけてあげる」

 そうなったらどうなるかな?

「国中がお前の名前の香水を求めるよ」

 テリーの花の香水はたちまち人気商品だ。

「……それはそれでムカつくな」

 キッドがむっとする。……なんでむっとするわけ? あたしはきょとんと、キッドを見上げる。

「……なんでムカつくの?」
「だって、テリーの花の香水が売れちゃったら、もうお前にプレゼントしてもらえなくなるだろ」

 独占したいから、あたしの名前の香水つけてって、言ってもらえなくなる。

「それは嫌だ」
「そんなこと、誰も言ってない」
「言ってるよ。言葉で示さなくたって、行動がそう言ってる」
「あんたね、何でもかんでも自分の都合に置き換えて考えるのやめなさい。悪い癖よ」
「事実そうなんだから仕方ないだろ?」
「そんなことないもん」
「あるよ。……その証拠に、今日もその王冠の指輪をつけてる」
「気に入ってるの」
「俺があげた香水だってつけてる」
「……あえてつけてきたのよ。婚約解消できるかと思って」
「するわけないだろ? 俺の好きな匂いをつけてるお前を嫌いになるもんか」
「重たい女だと思うかと思って……」
「テリー、……重たいくらいがちょうどいいよ。だって、テリーに、重たいくらい想われるんだろ?」

 全て、愛しいが故に。

「普段、俺を気持ち悪いって暴言吐くテリーが、俺のことが好きで好きで堪らないって想ってくれるんだ」

 ぞくぞくぞくぞくぞくぞくぞくぞく。

「ああ、いいね。それ。ぞくぞくする」

 キッドがにやけた。

「ねえ、一回でいいから、テリー、……キッドが好きって言って?」
「誰が言うか。あんたなんかに恋しないって、もう決めたの!」
「キスしてるのに」
「あんたがしてきたんでしょ! 手を掴まれたら抵抗も出来ないじゃない! 抵抗出来ないか弱い少女の唇を無理やり奪うなんて、乱暴者!」
「人間ってね、キスしたらした分、相手を好きになるんだって」
「知らないわよ。そんなの」
「だからさあ」

 俺が言いたいのは、

「これだけ顔が近いんだよ?」

(へ)

 キッドが、顔を少し斜めに傾ける。

「テリー」

 ほら、目を瞑って。

「続き、しよ?」

 ちゅ。

「んっ」

 びっくりして目を見開く。キッドの綺麗な顔が目に入る。

(……。……やっぱり、顔だけは好み。……顔だけは)

 キッドの唇が離れる。でも、すぐにくっつく。

 ちゅ。

「……んっ」

 肩がぴくりと揺れる。キッドが力むあたしの腕を優しく掴む。繊細に、撫でるように掴んで、また唇を離して、今度はキッドが瞼を上げる。

(あ、青い目)

 その目を、じっと眺める。

(こいつ、特に目が綺麗なのよね。このまま見てたら、まじで吸い込まれそう)

 目を開けたまま、その目があたしを見ていて、あたしも見ていて、

 ――ん?

 ちゅ。

(っ……!)

 はっとした。目が合っていたことに気づいて、慌てて瞼を閉じる。

(あたしのばか!! 恥ずかしい!!! 気まずい!! 無理!!)

 ぎゅううっと固く目を瞑ると、唇が離れた際に、キッドが微かに笑った音が聞こえた。

(おまっ! この! 笑いやがったな!? あたしが本来の年齢の姿なら、あんたなんてぷつって潰してやってるところだってのに!)

 視界が暗いまま、また、くっつく。ちゅ。

「……んぅっ」

 来るとわかっていたのに、やっぱり慣れなくて、鼻から声が漏れた。眉を下げて、ぎゅっと体を強張らせると、キッドが唇を離し、今度はあたしの頬にキスをした。

 ちゅ。

「んゃ、も、ちょ……!」

 ちゅ。

「し、しつこい!」

 両手で肩を前に押そうとすれば、その手をひょいと簡単に掴まれて、握られる。

「あっ」

 左手が、キスされる。

 ちゅ。

「……っ」

 キッドがあたしの左手にもう一度キスをした。その姿が、美しすぎて、思わず、顔が熱くなる。

(見た目だけは……! 見た目だけはいいのよ……!)

 見た目だけいいその王子様が、あたしの手にキスをする。愛おしいと言いたげな目で、あたしの手を、――あたしの汚い手を――あたしの罪で汚れた手を――あたしの、大罪の死から逃れた手を。

(あ)

 だめだ。

 やめて。

(やめろ)

 キスするな。

(やめろ)

 その綺麗な唇を寄せるな。

(やめろ)

 その綺麗な唇を、寄せてはいけない。



 やめろ。




 お前は、汚れるべきじゃない。





「お」

 手を引く。キッドは離さない。

「おやめ」

 キッドは離さない。

「やめろって、言ってるのよ」

 期待なんてしない。

「離してよ」

 期待したら、ショックが大きいの。

「やめて」

 キスしないで。

「期待、させないで」

 そんな希望は、もたないほうがいいと、あたしは知ってるの。

「やめて」

 どうせ裏切るなら、最初から。

「あたしを好きなんて、言わないでよ」

 勘違いする。

「そんな言葉いらない」

 何もいらない。

「お願い、離して」

 キスしないで。愛さないで。

「放っといて」

 もう満足?

「はやく、婚約解消して……」



 その綺麗な目で、あたしを見ないで。






 キッドは離さない。




「やだ」


 キッドは笑った。


「俺は思ったことを言ってしまう正直者なんだ」


 キッドは笑う。


「テリーが好き」


 キッドは笑う。


「それが素直な気持ちだ」


 キッドは笑う。


「俺、思ってる以上にお前が好きなんだ」
「本当に、自分でもすごいなって思うくらい」
「残念だけど諦めて」

 離さない。

「お前が嫌だって言っても、もう決められているんだ」
「お前と俺は運命の赤い糸で結ばれている」
「諦めて」
「期待するしか道はない」
「俺を好きになるしかないんだ」

 わかったら、

「……そんな顔しないで」

 お願い。

「また何を考えてるの?」

 よそ見しない。

「俺だけを見てて」

 キッドがあたしの顎をすくう。上に上げられたら、あたしはその手の言うことを聞くしかない。自然とキッドを見上げてしまう。その綺麗な目に、目が奪われそうになる。

(あ、これ、だめ)

 キッドの罠だ。

(遊ばれてる)

 誰が正直者よ。お前はただの嘘つきじゃない。

「や……」

 目を逸らせば、

「逃がさない」

 キッドの唇が、あたしの頬に落とされる。

「あっ」

 首にキスされる。

「あ、キッ……」

 首筋にキスされる。

「……はっ……」

 浅い呼吸をすれば、

「テリー」

 キッドがあたしの耳に口を寄せる。

「愛してるよ」

 掠れた声で言われて、

「好きだよ」

 単純で簡単な言葉を囁かれて、

「大好きだよ」

 簡単に、心臓を高鳴らせるあたしがいる。

「……うそ……つき……」

 小さな声で呟けば、キッドがくくっと、笑う。

「本当にそう思ってる?」

 嘘つきはお前だろ?

「素直になっていいよ」

 俺が許してあげる。

「ほら、テリー」

 俺を感じて。

 ――ちゅ。

 耳にキスされる。

「あ」

 ――ちゅ。

 耳の下にキスされる。

「……あ……」

 キッドの唇を感じる。

「……ん……」


 なんて言えばいいんだろう。言葉で、表現するなら、これは、


(……気持ちいい……)


 その唇と、キッドのぬくもりが、

(心地好い)

 キスされる。

(気持ちいい)

 キスされる。

(気持ちいい)

 キッドの手が動く。

(温かい)

 キッドの手が、あたしの胸元へと移動する。

(キッドに抱きしめられてるぬくもりが、温かい)

 ぷちっと、第一ボタンが外される。首にキスされる。

(気持ちいい)

 ぷちっと、第二ボタンが外される。うなじの近くを、キスされる。

(気持ちいい)

 ぷちっと、第三ボタンが外される。首にキスされる。

(気持ちいい)

 ぷちっと、第四ボタンが外される。扉がノックされた。

「キッドや」

 どんどん。強くノックされた。

「さっき、テリー殿の悲鳴が聞こえていたのに、急に声が聞こえなくなったぞ」

 どういうことだ。

「お前、何している」






 ――はっとした。

 体が硬直した。下を見下ろせば、ドレスのボタンが外されていて、あたしのキャミソールが丸見えだった。

(へ……!?)

 さっと顔を青くする。

(あれ……!?)

 顔を上げれば、キッドが横目で扉を睨んでいる。

(あ……!?)

「……だめ」

 ここで終わるのはだめ。

「テリー、続き」

 小声で言って、唇を首元に寄せてきたのを見て、



 あたしは悲鳴をあげた。


「いやああああああああああああああ!!! 助けて!! ミスター・ビリー!!!!」

 こいつの罠にまんまとハマるところだった!!

「キッド!! 開けなさい!!」

 扉が乱暴に叩かれる。キッドが青ざめるあたしをぎゅっと抱き締め、

「チッ」

 思いきり、舌打ちした。

「良いところだったのに……」
「何が良いところよ! エロガキ!!」
「キッド!!」
「あーはいはい。開けるよ。開ければいいんだろ。……畜生……」

 キッドがぼそりと呟いて、あたしを放し、ベッドから離れる。あたしは慌ててボタンを締めていく。

(キッドの誘惑にはまるところだった! 怖い! 怖い! 怖い!!)

 このガキ、怖い……!!

 キッドが扉を開ける前に、ポケットに手を突っ込む。

(ん?)

 内鍵を、扉に隠された穴に突っ込んだ。――それを見て、またあたしの血の気がさーーーーっと引いていく。

(と、閉じ込められてた……!)
(また扉が開かないようになってた……!)
(あたしは、逃げられない状況だったってこと?)
(怖い怖い怖い怖い!!)

 キッドが物凄く不満そうな顔で扉を開ける。開けた先のビリーは、鋭い目でキッドを睨みつけていた。

「キッドや」
「はい」
「何をしていた」
「何もしてない」
「扉の細工を使っていたな」
「テリーはすぐに逃げようとするからね」
「何をしていた」
「プレゼントを貰っていただけだよ」
「貰って、何をしていた」
「貰って」

 くすっ。

「ちょっと、お礼を」

 キッドの笑みが、ビリーの目をどんどん鋭くしていく。

「手は」
「出してない。じいやが邪魔してきたからね」
「テリー殿、出されてませんか?」
「助かりました!!!!」

 こくこく頷くと、ビリーが微笑んだ。

「よろしい」

 そしてキッドを睨みつけた。

「相手の年齢をわかっているのう?」
「わかってるよ。13歳でしょ」

 でもさ、ビリー、考えてよ。

「俺、初体験13歳だよ」
「お前を軸にするな!!」

 ビリーが怒鳴り、キッドが目を瞑る。

「わかってるよ……。……わかってるってば……」

 ちらっとあたしを見て、

「……13歳だもんね」

 まだほんの子供だよ。テリーは。

「わかってるよ」

 キッドがむすっと、頬を膨らませる。

「わかってるってば」

 あたしから視線を逸らし、ビリーを睨んだ。

「何もしてないよ! 本当に!」
「誕生日だからと言って、何をしても許されると思うなよ」
「わかってるよ! 何もしてないってば!」

(ワキと足の臭いを嗅がれたけど……)
(……無理やりキスされたけど……)
(……ん……? これ十分セクハラされてるんじゃ……)

「でも、じいや、俺、ちょっとくらいテリーに構っても許されると思うんだ」

 王子としての仕事も全部引き受けた。全部完璧にこなした。言われた通りにした。

「おまけに」

 父さんの代わりに、隣国への出張まである。

「おかげで半年以上もこっちに帰れない」

 どうしてくれるんだ。

「その前に、せっかく、久しぶりに、久方ぶりに、待ち焦がれていたテリーに会えたっていうのに……」

 キッドが眉をつりあげた。

「なんで邪魔してくるんだよ!!」
「お前が王子と公言したんだ! 仕事がくるのは当たり前だ!!」
「もう嫌だ! テリーと遊びたい! テリーといたい!!」
「わがまま言うな!!」
「あー! うるさいうるさい! そうやって怒れば俺が言うこと聞くと思ってるんだろ! 嫌だね! テリーを目の前に何もしないわけないだろ! 俺の婚約者だぞ! 俺の未来のお嫁さんだぞ!」
「レディに対する振舞い方を忘れたか!! もう一回勉強してこい!!」
「テリーはレディじゃない! 俺だけのプリンセスだ!!」
「キッド! いい加減にしなさい!」
「あー! もう、うるさい! 無理!!」

 ばたんと、キッドがまた扉を閉めた。がちゃんと、本来扉につけられている鍵をかける。

「キッド!!」

 ビリーが怒鳴る。

「もういいよ。どうせ半年こっちに戻れないんだ」

 扉を壊すなりなんなりすればいいさ。

「テリー」

 ビリーが怒鳴る中、ドアを叩く中、ベッドの端っこで呆然とするあたしに振り向き、また近づく。

「ほら、おいで」

 おいでと言いながら、キッドからあたしを胸の中に抱き寄せてくる。

「んっ……」

(苦しい……)

「半年もテリーに会えない」

 ぶすっとした声で、キッドが上から呟く。

「いいじゃん。少しくらい大人なことしたって」
「……あんたね……」
「だって、せっかくお前への想いを自覚したってのに」

 このタイミングで、出張。

「やだ……」

 甘える声で、あたしを抱き締める。

「……離れたくない……」

 寂しい。

「テリーに会えなくなる」

 寂しい。

「王様になりたいんでしょ? あたしよりもそっち優先なんだから、そっちに集中しなさいよ」
「……やだ……テリー……やだよ……」
「っ」

(また、なんて声を出すのよ……!!)

 ぐうううう……! こいつのこの声、本当に嫌だ……!!

(母性本能がくすぐられる……!!)

「ねえ、テリー」
「何よ」
「今日、泊まって?」
「ばかじゃないの?」
「今日だけだよ。一緒にいよう?」
「……今夜はベックス家でクリスマスパーティーがあるのよ」
「……メニーに構うわけ?」

 キッドがじろりと、目を鋭くさせる。

「いただけないな」

 そう言って、あたしのドレスのボタンを、またぷちっと外す。

「ひゃっ! ちょっと! 何を……!」
「キッド、開けなさい!」
「あー……やだやだ」

 キッドがボタンを第三まで外し、あたしの鎖骨辺りに顔を埋めた。

「な、なによ!」
「これだけでも残しておくよ」

 キッドがそう言って唇を寄せ、吸い上げるような変なキスをした。

 ――ぢゅうぅ。

「ひっ……!」

 びくっと肩を揺らすと、キッドがくすくす笑う。

「大丈夫。慣れるから」

 これから慣れるまで、お前だけにキスをするから。

「さてさて、そろそろ開けるか」

 あ、

「その前に」

 キッドがテリーの花の香水の瓶を、あたしに渡す。

「テリーがつけて」

 いつもみたいに。

「俺に香水つけて」
「……自分でやればいいのに」
「テリーにつけてもらいたいの」
「……ほざけ」

 瓶を開けて、三適ほど手に付けて、ぺたりとキッドの首に手を当てる。

「ふふっ」

 キッドが笑う。

「何?」

 訊けば、

「嬉しくて」

 ばかみたいな笑顔を浮かべて、

「テリーが俺に触れてくれることが、こんなに嬉しく感じるなんて、我ながら呆れてるよ」

 でも、ここまで想いが募っているということだ。

「テリー」

 キッドの顔が近づく。

「好きだよ」

(あ)

 ちゅ。

 唇を、奪われる。

(なっっっっ!)

 目を見開いて、カッと顔が熱くなって、肩を押すと、キッドがにやにやとにやけている。

「おしまいおしまい。はー。楽しかった」

(何よ……! 何よ何よ……! なんであたしが振り回されてるのよ……!)

「じいやー。テリーがケーキ食べたいってさ」

 扉を開ければ、ビリーが呆れた顔でにやけるキッドを見ている。キッドがあざとい顔で首を傾げる。

「まだ残ってる?」
「大量に買ってあるからな。まだあると思うぞ」
「ほら、テリー、一緒に食べようよ」

 それで、

「俺にも、あーんってして」

 可愛くあたしに振り向くキッドに、ぼそりと呟く。

「……誰がするか……」

 熱い顔を俯かせて、呟いた。


(*'ω'*)


 24日の夜。街は静まり返っている。みんな、イベント会場に行っているようだった。

『キッド殿下の誕生日パーティー会場です! すごい盛り上がりですよー!』

 ラジオをつければ、女性アナウンサーの声が聞こえてくる。

「すごい盛り上がりだって」
「お姉ちゃん、行かなくてよかったの?」

 メニーがあたしの部屋の地べたに座り、チョコレートケーキを食べながら、首を傾げる。

「んー。別に行く必要ある?」

 あたしはメニーに背を向けて、自分の机でケーキを頬張りながらラジオを覗き込んでいた。

 あたしはお腹が痛いと言って断って、メニーは素直に行かないと言って、屋敷に残ってお留守番。呆れたママと、キッドを一目だけ見たことのあるアメリが目を輝かせて、パーティーが開かれた会場に出かけて行った。

 猫のドロシーがケーキを舐めて、にゃーと鳴いた。

「だいたい、あたしは王室が開くパーティーはもうごめんよ。また怪盗が出てきてわーわー騒ぎになったら、たまったもんじゃない」
「ふふっ。もうきっと無いよ。ソフィアさんも図書館で頑張ってるし」
「どうだかね」

 苺のチョコレートケーキを口に入れ、頬張る。

(……美味)

『あっ! キッド様!!』

 女性アナウンサーの声色が黄色からピンク色に切り替わる。

『お、お話、よろしいですか……?』
『はい、美しいレディ。今夜は来ていただいて誠にありがとうございます』
『あ、い、いえ……、私も、あの、仕事ですから……』

 アナウンサーもデレデレじゃないのよ!!

(ちょっと! そいつまだ17歳のクソガキよ!?)

『晴れやかな会場ですね……! 私も見た時、感動してしまいました……!』
『国の方々がわざわざ私のために集まってくださっているようで、なるべく広い会場を用意したのですが……ふふっ。入りきらないくらい、大盛り上がりで、感謝しかございません』
『あら……? あの、キッド様……、この匂い……』
『ああ、実は今日、少しおめかしをしてまして』

 王子様の明るい声が聞こえる。

『テリーの花の香水を、つけているんです』

 苺がフォークに刺さった。

『さわやかというか、自然というか、あの花の匂いがすごく好きでして、どうですか? 嗅いでみます?』
『えっ! あっ! そんな近くに!!』
『おや、抱きしめやすい体ですね。マドモワゼル』
『ひゃあああああ……! そんな、殿下! 公共の場で……! はあああ! だめぇ……!! とけちゃうううううう……!!』

 部屋に、静寂が訪れた。

「……」
「……お姉ちゃん」

 メニーが顔をしかめて、ケーキを食べた。

「キッドさん、相変わらずだね」

 あざとすぎない?

「テリーの花って……」

 わざとらしい。

「やっぱり関わらない方がいいよ。あの人」

 お姉ちゃんが可哀想。

「……お姉ちゃん?」

 メニーが返事をしないあたしを不思議そうに呼ぶ。あたしはため息をついて、ケーキを食べた。

「そうね。ものすごく呆れてる」

 あたしは呟く。

「テリーの花の香水?」

 あたしは呟く。

「あれ、超売れ残ってたのよ。香水屋さん行ってみなさい。メニー。売れ残ってるのが見れるから」

 ばかみたい。

「何やってるんだか」

 値引きされてる、売れ残った香水を、誕生日パーティーにつけてくるなんて。

「何考えてるのか、わかんない奴ね。本当に」
「お姉ちゃん?」

 メニーが首を傾げる。

「寒い?」
「寒くないわよ」
「でも」

 メニーがきょとんとして言った。

「耳、赤いよ?」

 あたしの手が硬直した。

「……あら、なんでかしらね? 寒いのかしら?」

 手でそっと、耳を隠す。

「……変なの」

 顔が熱い。

「ケーキ美味しいわね」

 メニーに背を向けたまま言うと、メニーが微笑んで返事をした。

「うん! チョコレートケーキ大好き!」

 メニーはご機嫌だ。あたしがキッドの誕生日パーティーに行かないと言ってから、すごくご機嫌なの。それって良いことじゃない。

 良いことよ。



 良いことなのに。



 なんでこんなに胸がどきどきしているんだろう。


(恐怖じゃない)
(緊張じゃない)


 この気持ちは、自覚してはいけない気がする。


(詮索は無しよ)


 顔が熱い。
 胸がドキドキする。
 心臓がぶるぶる震える。
 キッドの顔を、思い出す。
 キッドのぬくもりを思い出す。

「……さっさと出張に行っちゃえばいいのに」

 そしたら、この気持ちも治まるに決まっている。

「キッドがいなくなれば、勉強に時間を費やせる。メニー、今までよりもたくさん勉強して、遊ぶわよ」
「図書館も出来たしね! 本読みに行こうよ! お姉ちゃん」
「そうね。……それもいいかも」

 死刑さえ、回避できればいいのだ。
 幸せにさえ、なれたらいいのだ。
 それはキッドがいなくても、実現すること。

 机に置かれた小さなスタンドミラーを見て、背筋をぴっと伸ばす。

(ほら、素敵な貴族令嬢がいる)

 テリー・ベックス。

(今日も、とっても素敵な女の子)

 ……ん?

「あーーーーーー!」

 思わず声を出す。びっくりしたメニーがあたしに振り向いた。

「ど、どうしたの? お姉ちゃん」
「メニー! 明日部屋をくまなく掃除するように、メイドに言っておきなさい!」
「え?」
「あたしの綺麗なお肌が、虫に刺されてる……!」

 鎖骨辺り、赤く、なってる……!!

「この時期に?」

 メニーが首を傾げる。

「くそ! くそ! いつ!? 昨日出かけた時かしら……? それとも今朝? ああ、腹立つーーーー!」
「きっと虫さんもクリスマスだから、テンションが上がっちゃったんだよ」
「テンション上がっちゃったの問題じゃないわよ! このテリーの肌に……! よくも、……よくも……!」

 ぐぬぬっと唸り、鏡を見て唸り、怒って唸り、メニーがくすくす笑っている。ドロシーがメニーの足に頭を摺り寄せ、またケーキを食べる。

「……もう……最悪……」

 呟いて、うなだれる。
 ラジオからは、女性アナウンサーのテンションの高くなったとろけた声と、キッドの作られた硬い喋り方が耳に入る。

(とんだクリスマス・イブね)

 赤い魔法使いはクリスマス当日に、どんなプレゼントを用意してくれるだろうか?

(明日、靴下をチェックしないと)

 どうか、いいものが入っていることを願って。
 そしてどうか、死刑を回避出来る道に歩いていることを祈って、

(13歳の一年が終わる)
(来年は14歳)

 刻一刻と時間は近づいてきている。

 あと四年。

 ――その前に、来年は問題が、山積みだ。

(14歳の10月……)

 あの惨劇を思い出すだけで、体が震えあがる。

(今回はキッドがいる)

 その悪夢を少しでも回避できることを願って、あたしはひたすら祈る。
 これから起きる事件を知らないメニーは、能天気にケーキを頬張る。

「お姉ちゃん、キッドさんがまだ暴れてるみたい……」
「……暴れてるわね……」

 女性アナウンサーをおちょくり、メロメロにさせているキッドの声に呆れながら、メニーと、ドロシーと、ケーキを食べていく。

 外では、まだ、平和な外では、静かに雪が降っていた。





 ――後日、香水屋に男女関係なく、並びに並び、皆が値引きされたその香水を手に取った。予約まで殺到。テリーの花の香水は、たちまち、城下町の、国中の、人気商品となった。

 テリーの花の香水の棚には、以下の札が貼られた。

 SOULD OUT!(売り切れ!)









 SOULD OUTにご注意 END
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