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ソフィア
図書館司書と夢の君(1)
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夢を見た。
それは、テリーがソフィアから離れる夢。
それは、テリーがソフィアではない人を選ぶ夢。
それは、テリーがソフィアとは結ばれない夢。
それは、テリーが、ソフィアを愛してない夢。
――この男の妻になることを誓いますか?
――誓います。
ソフィアの目の前で、テリーが愛を誓う。向かいにいるのは、知らない男。それでもテリーは幸せそう。だめ。だって、テリーは私の恋人。
(待って)
待って、テリー。
(私は、君のもの)
でも、その君が、他の誰かのものになるなんて。
(待って、行かないで)
――ソフィア、待ってるんだぞ。
――お土産をたくさん買ってくるからね!
(行かないで)
「……」
衝撃的すぎて、ソフィアの目が覚めた。滝のような汗を噴き出し、徐々に胸が締め付けられるような、そんな感覚。
(テリー?)
慌ててベッドから抜け出す。
(テリー?)
らしくもなく胸がざわつく。
(テリー?)
扉を開ければ、――カーテンの閉ざされた部屋で、テリーが安らかに眠っていた。
「……」
起きるにはまだ早い。
「……」
ソフィアがずるずると地面に座り込んだ。
(らしくもなく、悪夢に溺れたか)
あれはただの夢。
(テリーはここにいる)
ベッドに近づく。
(テリーが、いる)
尊い額に、優しいキスをする。
「……」
テリーの寝顔を見つめる。まだ一時間は眠れる。でも、今日はなんだか、寝たい気が起きない。
(……)
ソフィアがベッドに潜り、テリーを抱きしめ、ふう、と、そこでようやく安堵の息を吐いた。
(テリーがいる)
恋しい君。
(……テリー)
朝、目覚まし時計の音と共に、テリーが目覚めて、ぴし、と固まった。それもそのはず。隣では、何よりも美しい女が自分を大切に抱きしめているのだから。今日も素敵な笑顔。きらきらきらきら。
「……おはよう。テリー」
「……はよう……」
「今日、大学だよね。お弁当は?」
「……ニクスと、アリスと、……学食で、ランチを……」
「そう」
優しく優しく頭を撫でられる。
優しく優しく抱きしめられる。
そこでテリーは思った。
(はっ!!)
ソフィアを睨む。
「あんた! どこの馬の骨の男と浮気したのよ!」
「テリー、寝ぼけてるの? 私は浮気なんかしないよ」
優しく優しくキスをされる。
「今日も愛してるよ。愛しい君」
「……あたし達、昨日の夜、一緒に寝てないわよね?」
「……そうだっけ?」
「……」
「そんなことより、学校に行く支度しなくていいの?」
「……」
テリーがむくりと起き上がり、大きなあくびをした。
(ねむ……)
その間抜けな顔すら愛しくて、ソフィアがくすっと笑った。
(*'ω'*)
エメラルド大学の図書館では、今日も美しいソフィアが働いていた。みんなソフィアに会うためだけに図書館に訪問するまで、彼女は大人気だ。何も変わらない。これが日常。美しくて、美人で、親切なソフィアに、みんなの心が撃ち抜かれる。しかし、テリーはなんだか違和感を感じていた。
(……なんか変)
いつもより、なんというか、
(目が据わってる気がする)
「テリー、あまりじろじろ見たら失礼だよ」
「ニクス、ソフィアの様子が変なのよ。あいつ、浮気してるに違いないわ」
「そ、ソフィアさんが、浮気ですって!?」
アリスが興奮の眼差しで振り返ったので、ニクスがアリスの手を引っ張り、再び三人で固まった。
「アリス、声が大きいよ!」
「ごめんなさい。ニクス。でも、ソフィアさんに限って、浮気だなんて」
「あいつ、今朝からなんだか様子がおかしかったのよ。あれはね、好きな人が出来たって目だったわ」
「寝不足じゃない? 最近曇りが続いてるし。ほら、ソフィアさんって気圧に弱かったでしょ」
「アリスならわかるでしょう? あの目よ。あの目!」
アリスがソフィアを見た。目があった。ソフィアがにこりと笑えば、アリスが赤面して顔を二人に戻した。
「ソフィアさんと目が合っちゃった……」
「浮気よ! 浮気してるんだわ! あたしというものがありながら! 絶対そうよ!」
「テリー、落ち着いて。天気が晴れたら心も晴れるよ」
「このまま、なーなーな付き合いをするなんて御免だわ! 白黒はっきりさせてやる!」
ああ、こうなったらテリーは手がつけられない。きっと満足するまでやるんだろうな。あーあ。あたしは知らないよ。テリー。ニクスが呆れたため息を。アリスは唇をなめて、楽しそうに作戦会議のノートを取り出すのであった。
「それで? どうやって白黒つけるの? ニコラ」
「簡単よ!」
テリーがペンを立てた。
「あたしの魅力を、あの女に見せつけてやるのよ!」
その晩、テリーがアイスを突き出した。
「ソフィア! アイス食べましょう!?」
「うん。いいよ」
「食べさせてあげる!」
ずいっと、棒のアイスを向けられる。
「さあ! どうぞ!」
きょとんとするソフィアを見て、テリーが内心にやりとする。
(女はね、好きな相手に尽くすものよ。あたしの華麗なリードする姿を見て、心を奪われるといいわ!)
「……ありがとう」
ソフィアが微笑み、そっとアイスに近付いた。
(うっ)
テリーが固まる。
ソフィアが横髪を耳をかけ、口を開く。中から赤い舌がアイスを舐めた。
テリーがゴクリと唾を飲んだ。
ソフィアの舌がアイスを舐めた。
テリーの手が震えてきた。
(……っ)
ソフィアの舌が動いてる。
(ソフィアの、舌)
いつも、キスされてる時に、入ってくる、舌。
「っ!」
アイスが溶けた。テリーの手にたらんと垂れてくる。
「はぎゃっ!」
「ん、溶けちゃった?」
(ふへ)
ソフィアがテリーの手を持ち、――その指を舐めた。
「……」
テリーが俯く。それをソフィアが見つめる。
「……」
テリーが肩を震わせる。ソフィアが微笑み、また指を舐めた。
「テリー」
「……」
「今日、一緒に寝よう?」
「……別に、いいけど」
「うん。じゃあ、そうしよう」
ソフィアがまた、ぺろりと、指を舐めた。
(あかーーーん!!)
ソフィアと眠るベッドで、充血させた目をくわっと開く。
(これ、あかーーーん!!)
ソフィアにまんまとやられてしまったようだ。心が。
(好き!!!!!)
ソフィアが寝ていることを確認して、ぴと! とくっつく。
(好き!!!!!)
「うーん……」
(はっ!)
ソフィアの腕が動き出し、そっとくっついたテリーを抱きしめた。
「……テリー」
(はっ!! 寝言!?)
テリーが耳を澄ませた。
(何よ! どんな夢見てるのよ! わくわく!)
「……茄子くらい、食べなよ……」
「……」
「すやぁ……」
凄まじくソフィアの寝顔を睨んだ。
「……茄子、嫌いなんだもん……」
ソフィアにくっついたまま、瞼を閉じる。
「茄子なんてね、この世からなくなればいいのよ。あんな臭い野菜」
……テリーが眠りについた。さっきまで荒かった鼻息は穏やかになり、深呼吸になり、間抜けな顔で眠ったのを見て、ソフィアが瞼を上げた。
「……」
テリーを抱きしめる。
「テリー」
その手は震えている。
「テリー」
大丈夫。テリーはここにいる。目の前にいるのに。
「テリー」
ソフィアが囁いた。
「愛してる」
柔らかな頬に、キスをした。
(*'ω'*)
双眼鏡を構え、今日も今日とて、アリスとテリーがソフィアを観察する。
「ニコラ、今日のソフィアさんの服を見て。谷間が見えるわ。すごくセクシー」
「あいつ、いつの間にあんな服持ってたのよ。なんか最近買ったとか言ってたけど、何よ。なんでよりにもよって胸を見せてるのよ……!」
「暑いからじゃない?」
ニクスが二人に振り向いた。
「ねえ、二人とも、恥ずかしいよ。テストも近いし、勉強しようよ」
「ニクスは甘い!!」
「ニクス、ニコラは本気なの!」
「あの女、絶対何か隠してやがるのよ!」
「夜に直接聞いたらいいでしょう?」
「直接……!」
女は、真っ向勝負ってこと!?
「上等よ!」
「あ。あたし、なんか余計なこと言ったかも」
「ニクス、教科書忘れたから見せて」
「アリス、忘れすぎ」
(あたしが、あいつに直接問いただしてやるわ!)
テリーが腕を組んで仁王立ちをした。
「さあ! ソフィア! 話してもらおうじゃない! あたしに何を隠してるの!?」
「くすす。ばれちゃったか……」
玄関で笑うソフィアを見て、テリーがはっと息を呑む。
「な、何よ!」
……ソフィアがケーキを取り出した。二人分。
「匂いで気付くなんて、流石だね。テリー」
「……」
「ほら、チョコレートケーキにイチゴが乗ってるやつ。好きでしょう?」
「……うん」
「手洗ってくるから、冷蔵庫に入れておいてくれる?」
「……うん」
「お願いね」
テリーの横を通り過ぎると、ふわりとした匂いがして、テリーがはっとする。
(はっ! これは!)
メニーの匂い!
「お待ち!」
「んー?」
「証拠を掴んだわ! もう言い逃れできないわよ!」
洗面所までテリーが追いかけてくる。ソフィアは手をキレイキレイにした。
「あんた! まさに! 浮気してるでしょう!」
ソフィアがタオルで手を拭いた。
「メニーの香水の匂いがしたわ! はっはーん? そういうこと? あたしに近付いたのは、メニーに近付くため? はっ! そんなことだろうと思ってたわ!」
ソフィアが振り向いた。
「さあ! 白状なさい! 浮気したんでしょ!」
「うん。した」
「っ」
テリーが目を見開き、固まり、黙り――涙をほろほろと落とした。床に水たまりが出来上がる。
「……したの……?」
「してないよ」
「今、したって、言った……」
「そう言わないと、納得しなかったでしょ」
「……メニーの匂い……」
「ケーキを買う時に会ったんだよ。駅まで送っていった」
「……」
「頭冷えた?」
「……」
テリーが後ろに振り向いた。
「……ケーキ、冷蔵庫に入れてくる……」
とぼとぼと歩き始めた瞬間――後ろから、ソフィアに抱きしめられた。
(ひゃっ)
驚いて手の力が緩み、ケーキの箱を落とした。
「あっ、け、ケーキ……!」
「後でいいよ」
ソフィアに顎を向けられる。
「今は……」
(な、なに?)
なんで、そんなに切ない目で見つめてくるの?
「テリー」
(あっ)
唇が重なる。熱さに胸が高鳴る。瞼を閉じ、眉を下げ、テリーが羞恥と緊張から体を震わせると、ソフィアが微笑んだ。
「テリー」
「ん」
「こっち向いて」
体ごと振り向かされて、向き合う。正面からソフィアが抱きしめてくる。
「ま、まって、ソフィー、ケーキが……」
「これだけ求めあってるのに、このタイミングを逃すつもり?」
「け、ケーキの、箱、落としちゃってるから!」
「私が後で型を整えるから」
また唇が重なる。
「ん」
ケーキの箱を残して、洗面所の扉が閉じられた。
「あっ」
テリーが壁の端に追い詰められてしまう。ソフィアが優しく屈み、優しく、唇をテリーの首筋に触れさせた。
「あっ……」
すくむ肩にもキスをして、至るところにキスを落とす。
(こ、こんな、キス、されたら……!)
「……力、抜けちゃった?」
テリーの太股の間に挟まれた長い膝が、テリーを支える。甘い吐息を囁かれ、テリーが首を振った。
「そ、そんなわけ、ないでしょ……!」
「へえ」
見下ろせば、震える足。
「その割には、足が震えてるよ?」
「ち、違うもん……。これは、違うん、だから……!」
生まれたての子鹿のようにがくがく震えているが、ソフィアにしがみついて、何とか立ち上がる。テリーは何としても意地を見せたかった。
(あたしは、立派な女としての魅力を見せるのよ! ここで倒れたら、か弱い女と思われて、本当に浮気される!)
「あ、あたし、きもちよく、なんて……」
ソフィアに唇を押し付けられた。
「んんっ!」
舌に舐められる。
「んっ!」
アイスを舐めてたソフィアを思い出せば、胸が激しく暴走を始める。
「ん、んん! んぅ!」
(だめ! そんなキスされたら、おかしくなる……!)
「んっ、んっ、んんっ、ふみゅ……」
(ソフィーとのキス、……気持ちいい……)
――ソフィアと一緒に地面に座り込む。くたりと脱力した体に力は入らない。
潤んだ瞳を見上げれば、近くにある黄金の瞳が見つめ返してくる。そんなに見られたら、穴が開いてしまう。
何を言う前に唇が重なり、
手が重なり、
指が絡み、
熱い舌が絡み合い、
求め合い、
潰れるほど抱きしめられて、
胸がぴったりくっついて、
また鼓動を鳴らして、
ソフィアの熱を感じて、
体がかっと熱くなり、
また指に力を入れてしがみつくように握れば、ソフィアの舌に犯される。
それがまた気持ちいい。
胸の鼓動も、熱も、キスも、全てが気持ちいい。
「……ソフィー……」
ソフィアの熱い息が耳にかかった。
「ひゃ」
「愛してる」
囁かれる。
「テリーだけ」
「……」
「愛してるよ」
意識がぼんやりする中、キスをされる。視界にはソフィアしか見えない。
「テリー」
恋しい人しか見えない。
ソフィアが服を脱いだ。
(*'ω'*)
「ニクス、アリス、心配かけたわね。あたし達、もう大丈夫だから」
テリーがにこやかにノートを広げた。
「ソフィアはね、あたしにメロメロなの。だから浮気なんて絶対にしないの」
「メロメロなのはどっちだか」
「ニコラったら、今日は上機嫌ね! 紅茶飲む?」
「ありがとう。飲むわ。アリスの紅茶好きなの」
「こらこら。図書館では飲食禁止」
ニクスに怒られながらも、テリーは晴れやかな気分であった。
(ソフィーったらほんっとーーーにしょーーがないのよねーーー! あたしに! メロメロすぎて! あーーー! あたしって、罪な女!!)
くるん! とカウンターに振り向けば、ソフィアが今日も仕事をこなしている。
(せいぜい頑張りなさい! 愛しいあたしが見てるわよ!)
「おー。こんなところに暇つぶし」
「おふっ」
クレアが顎から乗ってきて、テリーが潰された。
「ちょ、退きなさいよ!」
「今日は演劇サークルもない。テリー、遊べ」
「嫌よ!」
「こんにちは。クレアさん」
「やっほー。クレア」
「こんにちは。ニクス、アリス。ほう? 勉強中か。あたくしが教えてやろうか?」
「結構よ!」
「テストも近いだろう? お前単位取れてるのか?」
「うるさい! どうせギリギリよ!」
クレアはふと感じた。おっと、何やら殺気を感じるな。ちらりとその方向を見れば、黄金の瞳が、今にもクレアを殺しそうな目で睨んでいた。
「……」
クレアがにっこりーん! と笑って、テリーに抱きついた。
「テリー、今夜は暇か? 終電の時間まで遊ばないか? 明日は休みだし」
「あんた、仕事はいいの?」
「あたくしにも遊ぶ時間が必要なんだ。ほれ、遊べ! 付き合え!」
「……」
ソフィアのスマートフォンが鳴った。ソフィアが中を見る。
――今夜遅くなりそう。
ソフィアが返信した。
だめ。
(……ん?)
テリーが返信する前に、メッセージが来た。
今夜はだめ。
スタンプ(ㅅ>ω•*)
「……」
わかった。
スタンプʕ·ᴥ·ʔ
テリーがクレアを見上げた。
「今夜、部屋でゆっくり映画見るの。やめておくわ」
「それなら映画館に行こう」
「クレア。今夜はやめておく」
「……そう。残念」
くひひ。
「図書館に来て良かった」
「あ?」
「楽しいことがあったから」
クレアがにやけた。
「お前、今夜気をつけたほうがいいぞ」
「何よ。遊ばなかったからって誘拐する気!?」
「アリス、今夜どうだ?」
「行けるわ」
「なら一緒に行こう」
「ええ! いいわよ!」
「ニクスはどうだ?」
「テスト勉強があるので」
「ニクスは将来有望だな」
「クレア、何かあったら勉強教えてくれる?」
「もちろんだ。アリスにならいいぞ」
テリーが振り向く。ソフィアは笑顔で仕事をこなしている。
「……」
(ま、そんな日もあるわよね)
何かしら。今夜遅くなるから、ご飯作っててほしいとか?
(……仕方ないわね。ソフィーったら)
今夜はカレーにしよう。そう思って、テリーが机に向き直した。――そして、その背中を、ソフィアがちらりと見たのであった。気づかないテリーはスマートフォンでレシピを検索し始める。
(ソフィアの胃袋を捕まえるために、いいものを作らないと!)
その夜、テリーが材料をキッチン台に乗せた。そして……はっと気がついた。
「あ! ナン忘れた!!」
(ソフィアはナンが好きなのに!)
「……はあ。だる……」
テリーがエプロンを外し、財布と買い物袋を持って外に出ていった。その数分後、入れ替わるようにソフィアが帰ってきた。
「ただいま」
部屋の中は静かであった。
「……」
ソフィアは思った。テリーは今日、アルバイトもなかったはずだ。出かけるのも止めた。
じゃあ、この時間は部屋にいるはずだ。
(テリー?)
部屋は暗い。
(テリー?)
ソフィアが部屋の電気をつける。
(テリー?)
部屋を探し回る。
(テリー?)
キッチンには食材が置かれているが、目に入らない。
(テリー……?)
ソフィアがテリーの部屋に入った。
(テリー)
いない。
(テリー)
棚を探す。いない。
ベッドの下を探す。いない。
クローゼットを開ける。いない。
いない。いない。いない。どこにもいない。
(テリー)
部屋中を探し回る。
(テリー)
がちゃりと、扉が開いた音がした。
「っ」
「うわっ! 何これ!」
荒らされた玄関と廊下を見て、テリーが悲鳴をあげた。
「ど、泥棒!?」
ソフィアが物置から出てきた。ナンを袋に入れたテリーがソフィアを見て顔をしかめた。
「ちょっと、掃除するなら掃除するって言っておいてよ! あたしの部屋に入ってないでしょうね?」
「……」
「あーあ、もう。引き出ししまってよ。邪魔じゃない」
テリーが歩いてくる。
「ナンを買い忘れたのよ。見て。大きいのがセールになってたわ。夜のスーパーっていいわね……」
――ソフィアに抱き寄せられた。
「うぷっ」
「出かけないでって言ったよね?」
テリーがきょとんと瞬きした。
「なんでこんな真似するの?」
「……だから、今日カレーなのよ。ナンを買い忘れたから……」
「そんなの、私が買ってくるから」
「仕事から帰ってきて疲れてるでしょ。いいから座ってて」
「私が作るよ。テリーが座ってて」
「いや、あたしが」
「反抗しないで」
「は? 反抗ですって? あんた、さっきから何言ってるの?」
「君こそどうかしてる。ねえ、毎回恋人の目の前で浮気して楽しい?」
「はあ? 浮気って何のことよ?」
「そうだな。今日は殿下に触られてたかな」
「あんたの上司でしょ」
「すごく仲が良さそうだった」
「ちょっと、何なの? ソフィア、一回離れて」
「やだ」
「ソフィア!」
「やだ!」
「やだって何よ! 子供じゃないんだから!」
「子供大人で言うなら、君なんて全然子供だ。だったら私の言うことを聞くべきだ」
「あんた何様なのよ!」
「テリー!」
「放しなさいよ!」
「っ」
ソフィアが強くテリーを抱きしめた。
「むぎゅっ」
黙ったままテリーを抱きしめ潰す。
「……」
テリーの手が伸び、ソフィアの背中に優しく触れ、ゆっくりと叩く。
「ソフィア、……カレー作らないと」
「……」
「……ね、一回座りましょう。それがいいわ」
ソフィアがテリーを腕に抱えた。
「おっふ」
そのままリビングまで行き、壊れ物のように優しくソファーに置けば、自分も座り、テリーの肩に顔を埋めてきた。
「……ソフィー」
「このまま」
綺麗な金髪が垂れる。
「お願い。まだ、このまま……」
「……どうしたのよ」
「……」
「もう」
テリーがソフィアを優しく抱きしめた。
「ソフィー?」
「……」
「ねえ、カレー作らないと。あんたの好きなナンを買ってきたから」
「そんなの好きじゃない」
「はあ? カレーにはナンでしょう?」
「テリーが好き」
テリーがソフィアに抱き寄せられた。
「テリーしかいらない」
「あのね、そういう話じゃ……」
「テリーじゃなきゃ、やだ」
「……ソフィー?」
肩が濡れていることに気付き、テリーがはっとした。
「ソ、ソフィー? どうしたの? ねえ」
ソフィアは黙って抱きしめるだけ。だから余計に心配になる。
「どうしたのよ! どこか痛いの? 生理?」
「……」
「ティッシュ!」
「……」
「ソフィー、ねえ、ソフィーったら」
よしよしよしよし。
「お腹痛いの?」
よしよしよしよし。
「ねえ、どうしたの? ソフィー」
「テリー」
耳元で囁かれる。
「したい」
テリーがきょとんとした。
「嫌なら突き飛ばして。優しくできそうにない」
「……突き飛ばしたら、あんた、どうするのよ」
「……部屋にこもるよ」
「……ばか。放っておけるわけないでしょ。そんな状態で」
テリーが再びソフィアを抱きしめた。
「……今するの?」
「うん」
「……疲れてないの?」
「それよりもテリーに触りたい」
「……痛くしない?」
「どうかな? わからない」
「痛いのは嫌よ。苦しいのも嫌」
「恥ずかしいのは?」
「……それは」
テリーが目を逸らした。
「……ソフィーがそうしたいなら、……我慢する」
ソフィアがテリーを腕に抱えた。
「おっふ」
今度は自室。
「そ、ソフィー……」
闇に包まれた黄金の瞳がテリーを見下ろした。
「……痛くないなら、その、……好きにしていいわ。……付き合うから」
「……今の言葉、後悔しないでね」
ソフィアの目は笑ってないが、口角は上がってる。それがまた不気味だが、何か違和感を感じた。何か、怯えているような、怖がっているような。
(……痛くないといいけど……)
ソフィアの部屋の扉がゆっくりと閉まった。
それは、テリーがソフィアから離れる夢。
それは、テリーがソフィアではない人を選ぶ夢。
それは、テリーがソフィアとは結ばれない夢。
それは、テリーが、ソフィアを愛してない夢。
――この男の妻になることを誓いますか?
――誓います。
ソフィアの目の前で、テリーが愛を誓う。向かいにいるのは、知らない男。それでもテリーは幸せそう。だめ。だって、テリーは私の恋人。
(待って)
待って、テリー。
(私は、君のもの)
でも、その君が、他の誰かのものになるなんて。
(待って、行かないで)
――ソフィア、待ってるんだぞ。
――お土産をたくさん買ってくるからね!
(行かないで)
「……」
衝撃的すぎて、ソフィアの目が覚めた。滝のような汗を噴き出し、徐々に胸が締め付けられるような、そんな感覚。
(テリー?)
慌ててベッドから抜け出す。
(テリー?)
らしくもなく胸がざわつく。
(テリー?)
扉を開ければ、――カーテンの閉ざされた部屋で、テリーが安らかに眠っていた。
「……」
起きるにはまだ早い。
「……」
ソフィアがずるずると地面に座り込んだ。
(らしくもなく、悪夢に溺れたか)
あれはただの夢。
(テリーはここにいる)
ベッドに近づく。
(テリーが、いる)
尊い額に、優しいキスをする。
「……」
テリーの寝顔を見つめる。まだ一時間は眠れる。でも、今日はなんだか、寝たい気が起きない。
(……)
ソフィアがベッドに潜り、テリーを抱きしめ、ふう、と、そこでようやく安堵の息を吐いた。
(テリーがいる)
恋しい君。
(……テリー)
朝、目覚まし時計の音と共に、テリーが目覚めて、ぴし、と固まった。それもそのはず。隣では、何よりも美しい女が自分を大切に抱きしめているのだから。今日も素敵な笑顔。きらきらきらきら。
「……おはよう。テリー」
「……はよう……」
「今日、大学だよね。お弁当は?」
「……ニクスと、アリスと、……学食で、ランチを……」
「そう」
優しく優しく頭を撫でられる。
優しく優しく抱きしめられる。
そこでテリーは思った。
(はっ!!)
ソフィアを睨む。
「あんた! どこの馬の骨の男と浮気したのよ!」
「テリー、寝ぼけてるの? 私は浮気なんかしないよ」
優しく優しくキスをされる。
「今日も愛してるよ。愛しい君」
「……あたし達、昨日の夜、一緒に寝てないわよね?」
「……そうだっけ?」
「……」
「そんなことより、学校に行く支度しなくていいの?」
「……」
テリーがむくりと起き上がり、大きなあくびをした。
(ねむ……)
その間抜けな顔すら愛しくて、ソフィアがくすっと笑った。
(*'ω'*)
エメラルド大学の図書館では、今日も美しいソフィアが働いていた。みんなソフィアに会うためだけに図書館に訪問するまで、彼女は大人気だ。何も変わらない。これが日常。美しくて、美人で、親切なソフィアに、みんなの心が撃ち抜かれる。しかし、テリーはなんだか違和感を感じていた。
(……なんか変)
いつもより、なんというか、
(目が据わってる気がする)
「テリー、あまりじろじろ見たら失礼だよ」
「ニクス、ソフィアの様子が変なのよ。あいつ、浮気してるに違いないわ」
「そ、ソフィアさんが、浮気ですって!?」
アリスが興奮の眼差しで振り返ったので、ニクスがアリスの手を引っ張り、再び三人で固まった。
「アリス、声が大きいよ!」
「ごめんなさい。ニクス。でも、ソフィアさんに限って、浮気だなんて」
「あいつ、今朝からなんだか様子がおかしかったのよ。あれはね、好きな人が出来たって目だったわ」
「寝不足じゃない? 最近曇りが続いてるし。ほら、ソフィアさんって気圧に弱かったでしょ」
「アリスならわかるでしょう? あの目よ。あの目!」
アリスがソフィアを見た。目があった。ソフィアがにこりと笑えば、アリスが赤面して顔を二人に戻した。
「ソフィアさんと目が合っちゃった……」
「浮気よ! 浮気してるんだわ! あたしというものがありながら! 絶対そうよ!」
「テリー、落ち着いて。天気が晴れたら心も晴れるよ」
「このまま、なーなーな付き合いをするなんて御免だわ! 白黒はっきりさせてやる!」
ああ、こうなったらテリーは手がつけられない。きっと満足するまでやるんだろうな。あーあ。あたしは知らないよ。テリー。ニクスが呆れたため息を。アリスは唇をなめて、楽しそうに作戦会議のノートを取り出すのであった。
「それで? どうやって白黒つけるの? ニコラ」
「簡単よ!」
テリーがペンを立てた。
「あたしの魅力を、あの女に見せつけてやるのよ!」
その晩、テリーがアイスを突き出した。
「ソフィア! アイス食べましょう!?」
「うん。いいよ」
「食べさせてあげる!」
ずいっと、棒のアイスを向けられる。
「さあ! どうぞ!」
きょとんとするソフィアを見て、テリーが内心にやりとする。
(女はね、好きな相手に尽くすものよ。あたしの華麗なリードする姿を見て、心を奪われるといいわ!)
「……ありがとう」
ソフィアが微笑み、そっとアイスに近付いた。
(うっ)
テリーが固まる。
ソフィアが横髪を耳をかけ、口を開く。中から赤い舌がアイスを舐めた。
テリーがゴクリと唾を飲んだ。
ソフィアの舌がアイスを舐めた。
テリーの手が震えてきた。
(……っ)
ソフィアの舌が動いてる。
(ソフィアの、舌)
いつも、キスされてる時に、入ってくる、舌。
「っ!」
アイスが溶けた。テリーの手にたらんと垂れてくる。
「はぎゃっ!」
「ん、溶けちゃった?」
(ふへ)
ソフィアがテリーの手を持ち、――その指を舐めた。
「……」
テリーが俯く。それをソフィアが見つめる。
「……」
テリーが肩を震わせる。ソフィアが微笑み、また指を舐めた。
「テリー」
「……」
「今日、一緒に寝よう?」
「……別に、いいけど」
「うん。じゃあ、そうしよう」
ソフィアがまた、ぺろりと、指を舐めた。
(あかーーーん!!)
ソフィアと眠るベッドで、充血させた目をくわっと開く。
(これ、あかーーーん!!)
ソフィアにまんまとやられてしまったようだ。心が。
(好き!!!!!)
ソフィアが寝ていることを確認して、ぴと! とくっつく。
(好き!!!!!)
「うーん……」
(はっ!)
ソフィアの腕が動き出し、そっとくっついたテリーを抱きしめた。
「……テリー」
(はっ!! 寝言!?)
テリーが耳を澄ませた。
(何よ! どんな夢見てるのよ! わくわく!)
「……茄子くらい、食べなよ……」
「……」
「すやぁ……」
凄まじくソフィアの寝顔を睨んだ。
「……茄子、嫌いなんだもん……」
ソフィアにくっついたまま、瞼を閉じる。
「茄子なんてね、この世からなくなればいいのよ。あんな臭い野菜」
……テリーが眠りについた。さっきまで荒かった鼻息は穏やかになり、深呼吸になり、間抜けな顔で眠ったのを見て、ソフィアが瞼を上げた。
「……」
テリーを抱きしめる。
「テリー」
その手は震えている。
「テリー」
大丈夫。テリーはここにいる。目の前にいるのに。
「テリー」
ソフィアが囁いた。
「愛してる」
柔らかな頬に、キスをした。
(*'ω'*)
双眼鏡を構え、今日も今日とて、アリスとテリーがソフィアを観察する。
「ニコラ、今日のソフィアさんの服を見て。谷間が見えるわ。すごくセクシー」
「あいつ、いつの間にあんな服持ってたのよ。なんか最近買ったとか言ってたけど、何よ。なんでよりにもよって胸を見せてるのよ……!」
「暑いからじゃない?」
ニクスが二人に振り向いた。
「ねえ、二人とも、恥ずかしいよ。テストも近いし、勉強しようよ」
「ニクスは甘い!!」
「ニクス、ニコラは本気なの!」
「あの女、絶対何か隠してやがるのよ!」
「夜に直接聞いたらいいでしょう?」
「直接……!」
女は、真っ向勝負ってこと!?
「上等よ!」
「あ。あたし、なんか余計なこと言ったかも」
「ニクス、教科書忘れたから見せて」
「アリス、忘れすぎ」
(あたしが、あいつに直接問いただしてやるわ!)
テリーが腕を組んで仁王立ちをした。
「さあ! ソフィア! 話してもらおうじゃない! あたしに何を隠してるの!?」
「くすす。ばれちゃったか……」
玄関で笑うソフィアを見て、テリーがはっと息を呑む。
「な、何よ!」
……ソフィアがケーキを取り出した。二人分。
「匂いで気付くなんて、流石だね。テリー」
「……」
「ほら、チョコレートケーキにイチゴが乗ってるやつ。好きでしょう?」
「……うん」
「手洗ってくるから、冷蔵庫に入れておいてくれる?」
「……うん」
「お願いね」
テリーの横を通り過ぎると、ふわりとした匂いがして、テリーがはっとする。
(はっ! これは!)
メニーの匂い!
「お待ち!」
「んー?」
「証拠を掴んだわ! もう言い逃れできないわよ!」
洗面所までテリーが追いかけてくる。ソフィアは手をキレイキレイにした。
「あんた! まさに! 浮気してるでしょう!」
ソフィアがタオルで手を拭いた。
「メニーの香水の匂いがしたわ! はっはーん? そういうこと? あたしに近付いたのは、メニーに近付くため? はっ! そんなことだろうと思ってたわ!」
ソフィアが振り向いた。
「さあ! 白状なさい! 浮気したんでしょ!」
「うん。した」
「っ」
テリーが目を見開き、固まり、黙り――涙をほろほろと落とした。床に水たまりが出来上がる。
「……したの……?」
「してないよ」
「今、したって、言った……」
「そう言わないと、納得しなかったでしょ」
「……メニーの匂い……」
「ケーキを買う時に会ったんだよ。駅まで送っていった」
「……」
「頭冷えた?」
「……」
テリーが後ろに振り向いた。
「……ケーキ、冷蔵庫に入れてくる……」
とぼとぼと歩き始めた瞬間――後ろから、ソフィアに抱きしめられた。
(ひゃっ)
驚いて手の力が緩み、ケーキの箱を落とした。
「あっ、け、ケーキ……!」
「後でいいよ」
ソフィアに顎を向けられる。
「今は……」
(な、なに?)
なんで、そんなに切ない目で見つめてくるの?
「テリー」
(あっ)
唇が重なる。熱さに胸が高鳴る。瞼を閉じ、眉を下げ、テリーが羞恥と緊張から体を震わせると、ソフィアが微笑んだ。
「テリー」
「ん」
「こっち向いて」
体ごと振り向かされて、向き合う。正面からソフィアが抱きしめてくる。
「ま、まって、ソフィー、ケーキが……」
「これだけ求めあってるのに、このタイミングを逃すつもり?」
「け、ケーキの、箱、落としちゃってるから!」
「私が後で型を整えるから」
また唇が重なる。
「ん」
ケーキの箱を残して、洗面所の扉が閉じられた。
「あっ」
テリーが壁の端に追い詰められてしまう。ソフィアが優しく屈み、優しく、唇をテリーの首筋に触れさせた。
「あっ……」
すくむ肩にもキスをして、至るところにキスを落とす。
(こ、こんな、キス、されたら……!)
「……力、抜けちゃった?」
テリーの太股の間に挟まれた長い膝が、テリーを支える。甘い吐息を囁かれ、テリーが首を振った。
「そ、そんなわけ、ないでしょ……!」
「へえ」
見下ろせば、震える足。
「その割には、足が震えてるよ?」
「ち、違うもん……。これは、違うん、だから……!」
生まれたての子鹿のようにがくがく震えているが、ソフィアにしがみついて、何とか立ち上がる。テリーは何としても意地を見せたかった。
(あたしは、立派な女としての魅力を見せるのよ! ここで倒れたら、か弱い女と思われて、本当に浮気される!)
「あ、あたし、きもちよく、なんて……」
ソフィアに唇を押し付けられた。
「んんっ!」
舌に舐められる。
「んっ!」
アイスを舐めてたソフィアを思い出せば、胸が激しく暴走を始める。
「ん、んん! んぅ!」
(だめ! そんなキスされたら、おかしくなる……!)
「んっ、んっ、んんっ、ふみゅ……」
(ソフィーとのキス、……気持ちいい……)
――ソフィアと一緒に地面に座り込む。くたりと脱力した体に力は入らない。
潤んだ瞳を見上げれば、近くにある黄金の瞳が見つめ返してくる。そんなに見られたら、穴が開いてしまう。
何を言う前に唇が重なり、
手が重なり、
指が絡み、
熱い舌が絡み合い、
求め合い、
潰れるほど抱きしめられて、
胸がぴったりくっついて、
また鼓動を鳴らして、
ソフィアの熱を感じて、
体がかっと熱くなり、
また指に力を入れてしがみつくように握れば、ソフィアの舌に犯される。
それがまた気持ちいい。
胸の鼓動も、熱も、キスも、全てが気持ちいい。
「……ソフィー……」
ソフィアの熱い息が耳にかかった。
「ひゃ」
「愛してる」
囁かれる。
「テリーだけ」
「……」
「愛してるよ」
意識がぼんやりする中、キスをされる。視界にはソフィアしか見えない。
「テリー」
恋しい人しか見えない。
ソフィアが服を脱いだ。
(*'ω'*)
「ニクス、アリス、心配かけたわね。あたし達、もう大丈夫だから」
テリーがにこやかにノートを広げた。
「ソフィアはね、あたしにメロメロなの。だから浮気なんて絶対にしないの」
「メロメロなのはどっちだか」
「ニコラったら、今日は上機嫌ね! 紅茶飲む?」
「ありがとう。飲むわ。アリスの紅茶好きなの」
「こらこら。図書館では飲食禁止」
ニクスに怒られながらも、テリーは晴れやかな気分であった。
(ソフィーったらほんっとーーーにしょーーがないのよねーーー! あたしに! メロメロすぎて! あーーー! あたしって、罪な女!!)
くるん! とカウンターに振り向けば、ソフィアが今日も仕事をこなしている。
(せいぜい頑張りなさい! 愛しいあたしが見てるわよ!)
「おー。こんなところに暇つぶし」
「おふっ」
クレアが顎から乗ってきて、テリーが潰された。
「ちょ、退きなさいよ!」
「今日は演劇サークルもない。テリー、遊べ」
「嫌よ!」
「こんにちは。クレアさん」
「やっほー。クレア」
「こんにちは。ニクス、アリス。ほう? 勉強中か。あたくしが教えてやろうか?」
「結構よ!」
「テストも近いだろう? お前単位取れてるのか?」
「うるさい! どうせギリギリよ!」
クレアはふと感じた。おっと、何やら殺気を感じるな。ちらりとその方向を見れば、黄金の瞳が、今にもクレアを殺しそうな目で睨んでいた。
「……」
クレアがにっこりーん! と笑って、テリーに抱きついた。
「テリー、今夜は暇か? 終電の時間まで遊ばないか? 明日は休みだし」
「あんた、仕事はいいの?」
「あたくしにも遊ぶ時間が必要なんだ。ほれ、遊べ! 付き合え!」
「……」
ソフィアのスマートフォンが鳴った。ソフィアが中を見る。
――今夜遅くなりそう。
ソフィアが返信した。
だめ。
(……ん?)
テリーが返信する前に、メッセージが来た。
今夜はだめ。
スタンプ(ㅅ>ω•*)
「……」
わかった。
スタンプʕ·ᴥ·ʔ
テリーがクレアを見上げた。
「今夜、部屋でゆっくり映画見るの。やめておくわ」
「それなら映画館に行こう」
「クレア。今夜はやめておく」
「……そう。残念」
くひひ。
「図書館に来て良かった」
「あ?」
「楽しいことがあったから」
クレアがにやけた。
「お前、今夜気をつけたほうがいいぞ」
「何よ。遊ばなかったからって誘拐する気!?」
「アリス、今夜どうだ?」
「行けるわ」
「なら一緒に行こう」
「ええ! いいわよ!」
「ニクスはどうだ?」
「テスト勉強があるので」
「ニクスは将来有望だな」
「クレア、何かあったら勉強教えてくれる?」
「もちろんだ。アリスにならいいぞ」
テリーが振り向く。ソフィアは笑顔で仕事をこなしている。
「……」
(ま、そんな日もあるわよね)
何かしら。今夜遅くなるから、ご飯作っててほしいとか?
(……仕方ないわね。ソフィーったら)
今夜はカレーにしよう。そう思って、テリーが机に向き直した。――そして、その背中を、ソフィアがちらりと見たのであった。気づかないテリーはスマートフォンでレシピを検索し始める。
(ソフィアの胃袋を捕まえるために、いいものを作らないと!)
その夜、テリーが材料をキッチン台に乗せた。そして……はっと気がついた。
「あ! ナン忘れた!!」
(ソフィアはナンが好きなのに!)
「……はあ。だる……」
テリーがエプロンを外し、財布と買い物袋を持って外に出ていった。その数分後、入れ替わるようにソフィアが帰ってきた。
「ただいま」
部屋の中は静かであった。
「……」
ソフィアは思った。テリーは今日、アルバイトもなかったはずだ。出かけるのも止めた。
じゃあ、この時間は部屋にいるはずだ。
(テリー?)
部屋は暗い。
(テリー?)
ソフィアが部屋の電気をつける。
(テリー?)
部屋を探し回る。
(テリー?)
キッチンには食材が置かれているが、目に入らない。
(テリー……?)
ソフィアがテリーの部屋に入った。
(テリー)
いない。
(テリー)
棚を探す。いない。
ベッドの下を探す。いない。
クローゼットを開ける。いない。
いない。いない。いない。どこにもいない。
(テリー)
部屋中を探し回る。
(テリー)
がちゃりと、扉が開いた音がした。
「っ」
「うわっ! 何これ!」
荒らされた玄関と廊下を見て、テリーが悲鳴をあげた。
「ど、泥棒!?」
ソフィアが物置から出てきた。ナンを袋に入れたテリーがソフィアを見て顔をしかめた。
「ちょっと、掃除するなら掃除するって言っておいてよ! あたしの部屋に入ってないでしょうね?」
「……」
「あーあ、もう。引き出ししまってよ。邪魔じゃない」
テリーが歩いてくる。
「ナンを買い忘れたのよ。見て。大きいのがセールになってたわ。夜のスーパーっていいわね……」
――ソフィアに抱き寄せられた。
「うぷっ」
「出かけないでって言ったよね?」
テリーがきょとんと瞬きした。
「なんでこんな真似するの?」
「……だから、今日カレーなのよ。ナンを買い忘れたから……」
「そんなの、私が買ってくるから」
「仕事から帰ってきて疲れてるでしょ。いいから座ってて」
「私が作るよ。テリーが座ってて」
「いや、あたしが」
「反抗しないで」
「は? 反抗ですって? あんた、さっきから何言ってるの?」
「君こそどうかしてる。ねえ、毎回恋人の目の前で浮気して楽しい?」
「はあ? 浮気って何のことよ?」
「そうだな。今日は殿下に触られてたかな」
「あんたの上司でしょ」
「すごく仲が良さそうだった」
「ちょっと、何なの? ソフィア、一回離れて」
「やだ」
「ソフィア!」
「やだ!」
「やだって何よ! 子供じゃないんだから!」
「子供大人で言うなら、君なんて全然子供だ。だったら私の言うことを聞くべきだ」
「あんた何様なのよ!」
「テリー!」
「放しなさいよ!」
「っ」
ソフィアが強くテリーを抱きしめた。
「むぎゅっ」
黙ったままテリーを抱きしめ潰す。
「……」
テリーの手が伸び、ソフィアの背中に優しく触れ、ゆっくりと叩く。
「ソフィア、……カレー作らないと」
「……」
「……ね、一回座りましょう。それがいいわ」
ソフィアがテリーを腕に抱えた。
「おっふ」
そのままリビングまで行き、壊れ物のように優しくソファーに置けば、自分も座り、テリーの肩に顔を埋めてきた。
「……ソフィー」
「このまま」
綺麗な金髪が垂れる。
「お願い。まだ、このまま……」
「……どうしたのよ」
「……」
「もう」
テリーがソフィアを優しく抱きしめた。
「ソフィー?」
「……」
「ねえ、カレー作らないと。あんたの好きなナンを買ってきたから」
「そんなの好きじゃない」
「はあ? カレーにはナンでしょう?」
「テリーが好き」
テリーがソフィアに抱き寄せられた。
「テリーしかいらない」
「あのね、そういう話じゃ……」
「テリーじゃなきゃ、やだ」
「……ソフィー?」
肩が濡れていることに気付き、テリーがはっとした。
「ソ、ソフィー? どうしたの? ねえ」
ソフィアは黙って抱きしめるだけ。だから余計に心配になる。
「どうしたのよ! どこか痛いの? 生理?」
「……」
「ティッシュ!」
「……」
「ソフィー、ねえ、ソフィーったら」
よしよしよしよし。
「お腹痛いの?」
よしよしよしよし。
「ねえ、どうしたの? ソフィー」
「テリー」
耳元で囁かれる。
「したい」
テリーがきょとんとした。
「嫌なら突き飛ばして。優しくできそうにない」
「……突き飛ばしたら、あんた、どうするのよ」
「……部屋にこもるよ」
「……ばか。放っておけるわけないでしょ。そんな状態で」
テリーが再びソフィアを抱きしめた。
「……今するの?」
「うん」
「……疲れてないの?」
「それよりもテリーに触りたい」
「……痛くしない?」
「どうかな? わからない」
「痛いのは嫌よ。苦しいのも嫌」
「恥ずかしいのは?」
「……それは」
テリーが目を逸らした。
「……ソフィーがそうしたいなら、……我慢する」
ソフィアがテリーを腕に抱えた。
「おっふ」
今度は自室。
「そ、ソフィー……」
闇に包まれた黄金の瞳がテリーを見下ろした。
「……痛くないなら、その、……好きにしていいわ。……付き合うから」
「……今の言葉、後悔しないでね」
ソフィアの目は笑ってないが、口角は上がってる。それがまた不気味だが、何か違和感を感じた。何か、怯えているような、怖がっているような。
(……痛くないといいけど……)
ソフィアの部屋の扉がゆっくりと閉まった。
応援ありがとうございます!
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