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4章
第31話
しおりを挟む——空気が一気に重たくなった気がした。瞬時に、身の危険すら感じた。
「全裸で……謝罪ですか?」
「はい」
「それは……やりすぎじゃないですか?」
「誰もいないし、大丈夫ですよ」
「いや、そういう問題ではないと思うんですけど……」
「だって今回の件って、言ってしまうと藤原さんが悪くないですか?」
え、あたしが悪いの? ——いや、違う。これは違う気がする。
「いえ、期待を持たせたのはあるかもしれません、ですが……」
「ほら、期待を持たせたの悪いじゃないですか。スイばっかり謝って、藤原さんが謝らないのって、変ですよね?」
「スイさん、落ち着いてもらっていい……」
スイさんが包丁を取り出した。
「です……か……」
自分の手首に向けた。
「謝ってくれないなら、ここで死にます」
「いや、もちろん謝りますよ。でも、全裸は違くないですか?」
「だって今スイ、すごく炎上してるんですよ!? 藤原さんのせいで!」
それは自分の行いのせいではないか。
「藤原さんの誠意が見たいんです!」
「スイさん、落ち着いて……」
「藤原さんまでスイが悪いって言うんですか!?」
いや、あなたが悪いだろ。
「もう死ぬ!!」
包丁を手首に向けられる。
「死ぬから!!」
「ちょちょちょちょ!」
「だって謝らないもん! スイに死ねってことでしょ!?」
「謝ります! すみません! 本当にすみません!」
「服脱げって言ってんだよ!」
「どうしたんですか! スイさん! 落ち着いてください!」
「全部藤原さんのせいでしょ! なんでスイが謝らないといけないの!? おかしいじゃん!!」
「包丁! 危ないですから! 包丁!」
「いいから……」
スイさんが包丁を投げ捨て、あたしの胸ぐらを掴んだ。
「脱げって言ってんだよ!!!」
——その瞬間、スイさんの肩が掴まれた。そして、思い切り殴られた。
「っ!」
スイさんが地面に倒れ——殴った本人が——西川先輩が、あたしの顔を両手で掴んだ。
「大丈夫?」
「……っ」
「痛い!」
鼻血を出したスイが喚き出した。
「血! 血が出てる!」
「救急車呼んで!」
高橋先輩が叫び、足音が聞こえる。佐藤さんが倒れるスイの前にしゃがみ、言った。
「スイさん、これはもう犯罪です」
「違う! 佐藤さん! 血が出てるの!」
「はい、なので救急車を呼んでます。申し訳ないんですけど、もう手に負えません」
「月ちゃんに殴られた!」
「はい、そうですね」
「血が出てる! 訴えるから!」
「訴えるの? いいよ」
西川先輩がスイさんのスマートフォンを向け、ずっと録画していた映像を見せた。
「これさ、SNSで拡散したらどっちが悪いって判断されるかな?」
「……」
「スイ、誰も裏切らないって言ったよね?」
「……」
「うん。もういいよ」
西川先輩があたしの腕を掴んだ。
「好きにして」
西川先輩に腕を引っ張られ、廊下に出る。そして高橋先輩にスイさんのスマートフォンを渡した。
「これ、好きに使ってください」
「……なんで一緒に活動してるんですか?」
「なんででしょうね」
西川先輩が鼻で笑い、あたしの腕を引っ張った。あたしの目が足元を見る。西川先輩の長い足が大股で歩くから、小走りでないとついていけない。西川先輩に聞かれた。
「窓とかない会議室ある?」
「そこの角の……Dって書かれたところ……」
「あ、あれね」
防音機能のある機密事項会議の時に使われる部屋。監視カメラもない。そこに二人で入り——ドアを閉めると、ゆっくり椅子に座らされ、西川先輩がしゃがみ、あたしの顔を見た。
「何された?」
「……えっと……すみません、頭……真っ白で……」
「だろうね」
「えっと……大したことないです……えっと……」
西川先輩の顔を見ていると、心に安堵感が蘇ってくる。
「えっと……えっと……」
視界が潤み始め、体が震え出し、涙が伝った。
「大したことないです……」
「オッケー。わかった」
西川先輩があたしを強く抱きしめた。
「落ち着いたら聞くわ」
「……ん……」
あたしの両手が、西川先輩の上着を強く掴んだ。若干、呼吸が乱れそうになる。それを西川先輩が落ち着かせるように背中を撫で、あたしはようやくゆっくり呼吸ができるようになった。鼻水と涙が西川先輩の服に滲む。そこで、自覚した。ああ、怖かったのかと。心臓がドクドク鳴って、思った以上に怯えていたのだとわかった。だが、いつまでも怯えているわけにはいかない。あたしは大人で、運営側の人間で、夢を売る職人で、もう子供ではないのだ。
「……すみません」
西川先輩の胸をそっと押し、テーブルに置かれたティッシュ箱に手を伸ばすと、先にそれを西川先輩が取り、あたしに差し出した。あたしはティッシュで大量の鼻水を押しつけ、丸めた。
「はぁ、びっくりした……」
「もっと鼻かみな。涙も拭いて」
「すみません、大丈夫です。びっくりして、はぁ……」
「私らもびっくりだよね。駆けつけたらスイが暴れてたから」
「なんで来たんですか……?」
「スイが包丁買ってたってミツカから連絡来たんだよ。止めたほうがいいのか聞かれて、すぐに向かったら事務所行ったっていうから、行ってみたら……ツゥのこと探してて……スタジオにいるから、そっち向かったって……」
「……」
「ここまで反省しないとは思わなかった。もうあれダメだ。無理」
(……ガチで危なかったっぽい……)
「ちらっと映像確認したけどさ」
西川先輩があたしの両手を握りしめた。
「何言われたの?」
「……あの……今回の件は……期待を持たせる言い方を……あたしがしてしまったので……そのことについて……全裸で……土下座して……謝罪しろと……」
「ああ、もういいわ。キレた」
立ち上がった西川先輩の腰を全力で掴んだ。
「な、何する気ですか!」
「警察呼ぶ。犯罪だから」
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってください!」
「いや、犯罪だから。普通に」
「落ち着いてください!」
「無理無理無理。大切な人がこんなことされたら、流石に無理だわ」
「な、な。殴ったので! 殴ってくださったので!」
「いやいや、あれ正当防衛だから。もう一発くらい殴っておきベきだったね!」
「リンちゃん!」
強く、彼女の腰を抱きしめる。
「大丈夫だから……!」
「……ま、上の対応次第かな」
「……」
「どうすっかな。もうメンバーは四人になるだろうし、ダンスの振り付けも変えないとなぁ」
「……まだ卒業が決まったわけでは」
「ううん。契約違反と脅迫行為で強制脱退。前の事務所ならともかく、ここまでされたらこの事務所も納得するでしょ」
「訴えられますよ」
「臨むところだよ。今までのスイの犯した揉め事の証拠突きつければ、どっちが悪いかなんて明明白白だから」
「……」
「半年ごと、んー、悪い時は3ヶ月くらいで揉め事起こすんだよ。スイ。なるべく……まぁ、……五年活動してきたわけだからさ、このメンバーで上り詰めたいっていうのがあったから、全部に目を瞑ってきたよ。こっちが謝ればいいことには謝ってきた。でも……月子に手出されたら、もう残す理由がない」
西川先輩があたしの隣の椅子を引き、それに座った。
「おしまい」
「……」
「ツゥ何も悪くないよ。勝手に期待して勝手に勘違いして勝手に裏切られたって思ってるの、スイ一人だから。もういいから。記憶から抹消して」
「……強制脱退、したら、個人で活動するんですかね」
「するんじゃない? 配信以外のこと出来ないだろうし」
「悪口、言われますね」
「うん。でも今回ので裁判になったら、そこの内容についても言わないようにするだろうし、首絞めるのは本人だよね」
「いいんですか?」
「もうどうでもいい。好きにしたらいいよ」
あたしには——正直、スイさんの気持ちはわからない。あたしも心が強いとは言えない。でも、心が傷つけられる分、強い人間になれるんじゃないかと思ってる。優しい人間になれるんじゃないかと思ってる。自分がされたから相手に、ではなく、自分がされたから相手に優しくしようとする人間になれるんじゃないかと。だからミスは頭を下げるし、褒められたら贅沢するし、——でもそれを出来ない人間もいる。それはちゃんと、今回ので、きちんと受け止めよう。
きっと西川先輩は受け止めていた。だからこそ——今何を考えているんだろう。ずっとメンバーとして諦めずに信じてやってきたスイさんにここまで暴れられて——一緒に活動できなくなって――西川先輩は、何を思ってるんだろう。
「……ちょっと、外食しませんか?」
「……まだやってる店あるかな?」
「お酒飲みません?」
「……すごいね。ツゥ。私も酒飲みたいんだ」
「この後、行きましょうか」
「仕事は?」
「もう退勤します。……今夜は、流石に」
手元から、視線が上に上がる。
「先に外出てもらえませんか? 関係、知られたくないので」
「うん。わかった」
「ごめんなさい」
「キスしてくれたらいいよ」
何も言わず、あたしは西川先輩の頬に唇を押し付けた。その際に、耳打ちする。
「朝まで食事とお酒を飲みながら、ゆっくりできる場所ってご存知ですか?」
「ふふっ、なーに? オススメのお店でもあるの?」
「少し先にある」
囁く。
「レジャーホテル」
「……」
「撮影に行ったことがあって、食事も美味しいらしくて、快適そうでした。お風呂も広くて、お酒もシャンパンとかワインが豊富で……」
「……」
「……先出てくれます? 5分後に出ますから」
西川先輩が無言のまま、あたしから離れ、椅子を戻してから——会議室から出て行った。
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