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五章:おかしの国のハイ・ジャック(前編)

第17話 10月12日(1)

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 ぴろりろりろりん、というふざけた音で目を覚ます。

(ん……)

 その後に、じりりりりり! と目覚まし時計が鳴る。

「っるさい!」

 ぱぁん! と叩くと目覚まし時計が止まる。

(んん……? さっきの間抜けな音は何……?)

 ぐるんと振り向けば、GPSと呼ばれる機械が目に入る。

(ん……? これか……?)

 ぼんやりする目で手に持って眺めると、新着メッセージが来ている。

(げっ……。キッドからだ……)

 指でぽちぽちと弄って確認する。

『おはよう、テリー。今朝は気持ちよく目が覚めたから、お前にもこの気持ちを分けたくてメッセージを送るよ。見てごらん。太陽の温かい光が俺のように感じるだろう? 寂しくなったら太陽を見て、俺の笑顔を思い出してね。俺に会えなくて寂しがってないかい? ああ、きっとすごく寂しがってることだろうね。安心して。俺は分かってるよ。お前とは意思疎通。気持ちも体も通じ合ってる。お前の言いたいことも、願ってることも分かるよ。大丈夫。良い子にしてれば、早く会えるから。今日も愛してるよ。ハニー』

 おえっ。これが一通目。二通目を開く。

『お前、寝過ごしてないか? 遅刻しても俺は知らないよ。早く起きろ』

(朝からイライラするメッセージ……)

 確かに、眠いのよ。生理中で、すごく眠いのよ。

(昨日の夜もメッセージ送って来たくせに、しつこい奴ね……)

 ああ、眠い。

(二度寝する前に出よう……。ベッドから抜けるのよ。あたし……ファイト……)

 ふらふらと起き上がり、ベッドから抜けて立ち上がる。今日は貧血気味の朝。

(……寒い……)

 欠伸をしながらクローゼットを開けて、スノウ様に買ってもらった服を着て、スノウ様に買っていただいたパンツを穿いて、靴下と動きやすい靴を履いて、髪の毛を二つのおさげにして、小指に指輪をはめて、ジャケットとミックスマックスのストラップが揺れるリュックを持ち、部屋から出る。下に下りれば、リビングでじいじがテーブルに皿を並べていた。下りてきたあたしに気づき、手を止めて微笑む。

「おはよう。ニコラや」
「おはよう。じいじ」

 挨拶して、階段を下りる。ソファーに荷物を置いて、顔を洗うために洗面所に行く。狭い洗面所で顔を洗い、棚に置いてあるタオルで顔を拭く。

(眠い……。……ちゃんと寝たのに眠い……。生理のせいだわ……。……眠い……)

 タオルを元の場所に戻してリビングに戻ると、野菜を挟んだボリューム満点のサンドウィッチが用意されていて、あたしは椅子に座る。じいじがあたしの傍にコップを置き、牛乳を注いだ。

「我らが母の祈りに感謝して、いただきます」

 握った手を離し、サンドウィッチを頬張る。

(うん。今日も美味……)

 じいじもあたしの正面に座って、食事を始める。

「明日は休みか」
「ええ。今日行けばお休み。二連休」
「頑張ってきなさい。休みがあると思えば、いつもの倍頑張れるはずじゃ」
「変な客さえ来なければ、あたしだって何ともないのよ」

 サンドウィッチを口の中で噛みながら、眉をひそめる。

「昨日みたいな奴が来なければいいけど」
「ああ、昨晩話していた男かい?」
「アリスが可哀想だったわ。貴方の言う、客じゃない客よ。招かれざる客。あんな奴くたばってしまえばいいんだわ」
「もう来ないさ」
「同じ人は来ないかも。でも似た人ならまた来るわ。ああ、嫌だ嫌だ」

 お菓子屋なのに、なんでこんなに接客で困らないといけないのよ。

「イライラする。うんざりだわ」
「頑張っておいで」
「ええ。明日は休みだもの。頑張ってくる」

 サンドウィッチをゆっくりと食べ進め、食べ終わる。

「ご馳走様でした」

 立ち上がり、お皿とグラスをキッチンの洗い場に運んで置いてから、キッチン台で鎮痛剤を飲みこむ。その後に洗面所に行って歯を磨き、うがいして、歯を綺麗にすれば、洗面所から出て、時計を確認する。

(うん。いつも通り)

 ケープを羽織って、リュックを背負う。

「行ってきます」
「馬車に気をつけての」
「はい」

 頷いて家から出る。外に出ると、秋の風が顔に当たる。少し肌寒い。

(曇りか。また雨降りそう……)

 そんなことを思いながら、ゆっくりと足を動かす。一本道を進み、建物が見えてきて、入って、建物を進み、人が歩いていて、道を進み、人とすれ違い、広場に入って、噴水前に行く。街から見える時計台の時計は、9時34分。

 リトルルビィは既にいる。あたしを見て手を振った。

「ニコラ!」
「おはよう」
「おはよう!」

 挨拶して、いつものように、店に向かって二人で歩き出す。

「金曜日ね! ニコラ、今日頑張ればお休みよ!」
「なんか嬉しそう。どこか出かけるの?」
「秘密!」

 リトルルビィがニコニコ微笑み、あたしに首を傾げた。

「ねえ、ニコラは明日どこかに出かけないの?」
「特に用事はないけど……」
「西区域辺り来たりしないの?」
「西区域?」

 なんで?

「……特に用事はないけど……」
「あのね、ニコラ、西区域の通りって、いっぱいお買い物出来るのよ! 服屋さんとか多いでしょう?」
「ああ、確かにあそこって多いわね」
「ニコラ、見に行けば? 明日土曜日だし! そうね、午後とかに!」
「午後か。まあ……散歩がてらにいいかもね……」

 うーん。

(引きこもってキッドの部屋のボードゲームで遊ぶつもりだったんだけど……。ドレスを見て歩くのもいいかも……)

 最近、ドレスが恋しくなってきたわ。流石に。だっていつもパンツなのよ。ニコラちゃんだって、ドレスくらい恋しくなるのよ。

「あら、おはよう、ルビィちゃん。ニコラちゃん」
「おはようございます! マリアさん!」
「おはようございます」

 粉屋のマリアに挨拶をして、ふと、呟く。

「……粉屋か……」
「ん? ニコラどうかした?」
「別に……」

 顔を上げると、また声をかけられる。

「やあ、ルビィ。ニコラ」
「ダービーさん! おはようございます!」
「おはようございます」

 雑貨屋のダービーに挨拶して、また二人で足並を揃えて歩く。店の前に着くと、向こうからアリスがのんびりと歩いてきた。

「やっほー。二人ともおはよー」
「おはようアリス!」
「おはよう」

 挨拶して、三人で店の中に入ると、奥さんがレジの準備をしていた。あたし達を見て微笑む。

「おはよう。三人とも」
「おはようございますー!」
「おはようございます!」
「おはようございます」

 アリスとリトルルビィとあたしが挨拶する。奥さんがよしよしと頷き、アリスを見た。

「アリス、カリンから聞いたよ。昨日大変だったんだってね」
「そうなんですよ、奥さん! もう私、怖くて怖くて震えてたんですよ! 碧いウサギだったんです! 一人きりで震えてたんです! 涙目だったんです!」
「今日は私がいるから大丈夫だよ。でもちょっと午前中は厨房で旦那の手伝いをするから、アリスにレジを任せてもいいかい?」
「えー……」
「大丈夫。終わったらすぐに隣に行くから」
「はーい」

 アリスが渋々承知して、三人で荷物置き場に行く。

「あーあ、またレジかー」
「断れば良かったのに」

 言うと、アリスがあたしに微笑む。

「そういうわけにもいかないわよ。トラウマがあるなら、さっさと克服しないとね」

 それに、

「明日は出かけるの。そのためにも、今日はたくさん働いて、お給料アップを狙うわ!」

 アリスがぐふふふと笑う。

「よーし! 今日も頑張るぞー! えいえいおー!」
「えいえいおー!」
「……おー」

 アリスとリトルルビィが元気よく腕を上げ、あたしはつられてゆっくりと腕を上げる。今日もアルバイトの一日が始まる。


(*'ω'*)


11時。ドリームキャンディ。


「ちょっと、あんた、ロールケーキは?」
「ん?」

 洋菓子の棚の前で、社長と奥さんが会話している。

「……なかったか?」
「売り切れたってカリンが言ってたでしょ」
「……ん」
「ちょっと、しっかりしてよ? 疲れてるんじゃないの?」
「……ん……」
「リトルルビィ」

 奥さんに呼ばれて、リトルルビィが二階から駆けてくる。

「はい!」
「あのね」

 ……。

「あら、何を言おうとしてたんだっけ」
「奥さんってば」

 リトルルビィがくすくす笑った。

「ロールケーキのことですか?」
「ああ、そうそう。嫌だわ。私ったら。今この人と話してたところだっていうのに!」
「ん? ……ロールケーキがどうした?」
「もう、あんたってば! とうとうボケたの? だから、ロールケーキが売り切れて……」

 ……。

「あら、なんだっけ」
「今日はロールケーキ出せないってことでいいですかね?」

 リトルルビィの言葉に、ああ、そうそうと奥さんが頷いた。

「それでお願いできる?」
「はい!」
「嫌だわ。私まで。変な夢を見てから妙に忘れっぽくてね」

 奥さん達の話を聞いていたアリスが、じっとカレンダーを見ていた。

「私は忘れちゃいけない。たとえジャックが来たとしても、忘れちゃいけないのよ……」

 じっと、明日の日付を見て、意気込んだ。

「絶対に忘れちゃいけない!!」
「大事な用事?」

 品出しをしながら訊けば、アリスの目が輝き、あたしに振り向く。

「はっ! そうだわ! ニコラ!」
「ん?」
「ニコラ、明日って空いてる?」
「明日?」

 あたしはきょとんとする。

「なんで?」
「ふふふ。……秘密よ、ニコラ。聞いて驚かないでね……。腰も抜かしちゃ駄目よ……?」
「な、何よ……」

 ごくりと固唾を飲み、不敵に笑うアリスを見つめる。

「何があるっての……?」
「実はね……?」

 アリスが、目をきらっきらと輝かせた。

「キッド殿下ファンクラブ限定情報! 土曜日に限定グッズが販売される! キッド様グッズ販売のイベントがあるのだああああああ!!」

 あたしは眉を八の字にへこませた。一方、アリスは笑顔。

「今回のグッズは! Tシャツ!! キッド様Tシャツ! 欲しい! すごく欲しい! というわけで、ニコラ!」

 アリスがびしっと指を差して、

「明日、13時に噴水前で待ち合わせよ!」
「ねえ、Tシャツなんて本当に欲しいの?」

(どうせキッドの絵が描かれてるだけでしょ)

「いくら?」
「2000ワドル!」
「高くない!? 安くてもTシャツって500ワドルってリトルルビィから聞いたわよ!?」
「いいの! キッド様のためなら! キッド様を身に着けられるなら! いいの!!」
「ふっ! アリスってば目がいいね。キッド様のファンだったなんて、君の目の付け所は最高だよ」

 突然、横からヘンゼが声をかけてきて、アリスとあたしがぎょっと飛び跳ねた。

「ひゃっ!」
「ぎゃっ!」
「どうも。お二人さん」
「俺もいるぞ!」

 ヘンゼの後ろからにょきっとグレタが出てきて、アリスが思わず目を見開く。

「グレタさん!」

 アリスがカウンターから、グレタに頭を下げた。

「あの、昨日はありがとうございました! 本当に助かりました!」
「とんでもない! アリス!! 今日も君の笑顔は最高だ!!」
「え、えへへ、照れちゃうなあ」

 アリスがほんのり頬を赤く染めて、頭を掻く。その姿に、ヘンゼの目がはっと見開かれ、顔を青く染める。

「しまった! 弟に先を越された!!」

 自分が口説いて喜ばせる前に、弟のグレタがやってしまった!!

「くっ…!! グレタ! よくも俺だけの特権を!!」
「兄さん! どうした! 何を怒っている!」
「畜生! お前なんかにゃ負けないぞ!」

 そう言って、あたしを見下ろす。

「赤い髪のキュートなチェリーちゃん。今日のおすすめのお菓子を俺に教えてくれるかい?」
「あたし品出ししないと」
「案内してくれるのかい? なんて優しいんだ! 今日も君のキャットでキャッツなホットでチャーミングなおめめは愛狂しいよ!」
「はいはい」

 とりあえず、チョコレートの袋でしょ。連れて行けばいいんでしょ。二階に上がると、ヘンゼも後ろをついてくる。

「ところで、ニコラ、君もキッド様にも興味があるのかい?」
「無い」
「でも、アリスとそういう話をしていたじゃないか」
「あたしがキッド様に興味あるって勘違いしてるのよ。それだけ」
「おっと、それはいけない。ニコラ」

 ヘンゼが微笑む。

「『レオお兄ちゃん』のことだけじゃなくて、キッド様のことにも関心を向けておくべきだと思うよ。あの方は素晴らしい人だからね」
「ええ、存じ上げてるわ。貴方、兵士なんだっけ? キッド様を見たこともあるんでしょうね」
「ああ、この目でばっちりと。あの人の話、聞きたいかい?」
「アリスに言ってあげて。すごくファンだから」
「君だって聞きたいだろ?」
「結構」
「遠慮しなくていい。大丈夫。お兄さんはそんなことで妬かないよ。安心して」
「結構」
「あの方はね」

 あたしが断っているのに、ヘンゼがにこにこしながら口を開いた。

「偉大なお方だ。お兄さんは、人間として尊敬している」
「貴方、レオの部下なんでしょう?」
「もちろん、君の『レオお兄ちゃん』のことだって敬ってるよ。それとこれとは別ってこと。今はキッド様のお話」
「ああ、はいはい」
「君も知っての通り、あの方は外見も中身も美しい。あの方ほど万歳と叫んで気持ちいい方はいない。あ、もちろん、レオお兄ちゃんは別ね」
「はいはい」
「普段はすぉーごく優しいお方さ。でも注意して。キッド様が苺ケーキを食べる時に、忘れていた提出書類を目の前に置いたら、斬られるよ。本当に斬られるよ。キッド様もキレるし、苺ケーキも切れるし、書類も切れるし、お兄さん達も斬れるよ。命からがらさ。大戦争さ」
「へーえ」
「ああ、そういえば、知ってる? ニコラ」

 二階へ行ってもヘンゼの話が続く。

「去年の仮面舞踏会に、キッド様も参加されていたんだよ」
「ああ、確かあれで初めてキッド様が登場されたものね。悪の怪盗様と戦ってたキッド様はとても美しかったわ。本当にびっくりしちゃった」
「うんうん。そうだよね。とても美しかったんだ」

 ヘンゼは微笑みながら頷く。

「キッド様が王子って名乗ったのは、あれが初めてだった」
「ええ、らしいわね」
「でも、その前に」


「あの方の正体を知らずに、ダンスを踊られたご令嬢がいるんだ」


 ヘンゼが微笑む。


「ほんの一曲だけだった。しかも途中で停電した」
「だけど」
「その一曲。たった一曲」
「仮面を被っていたにも関わらず」
「見張ってたお兄さん達も、見惚れてしまうくらい」
「すごく、楽しそうに、踊っていたよ」
「愉快そうだったな」
「二人とも、大切に手を握り合っていた」
「見つめあって、何か会話もしていた」
「楽しそうに、少し戸惑ったように」
「ご令嬢が殿下の足を踏んでいたな」
「でも殿下は笑ってた」
「キッド様があんな風に笑うのは、実に珍しいことでね」
「我々に見せたことのない笑顔だった」
「一方、ご令嬢は少し恥ずかしそうだった」
「しかし、また踊りだして」
「楽しそうにくるくる踊ってた」
「殿下がすごく楽しそうだった」
「ご令嬢も楽しそうだった」
「不思議な光景だったよ」
「お兄さんは見てて、こう思った」
「まるで」
「お互いに」
「身分なんて関係なく」
「性別なんて関係なく」
「年齢なんて関係なく」
「一人の人間として」
「恋に落ち合っている若者を、見ているような気分だと」

 あたしの足が動く。

「へえ、そうなの」
「ああ」

 ヘンゼはにこにこ笑っている。あたしは棚に向かって歩く。

「そのレディは運がいいわね」
「素敵なマドモワゼルだったよ。俺がもう少し若ければ口説き落としたいほどだった」

 ヘンゼはにこにこ笑っている。あたしは棚の前で立ち止まる。

「でも怪盗様が現れたのね」
「そうそう」

 ヘンゼはにこにこ笑っている。あたしはチョコレートの袋を横目で見る。

「王子と知って、さぞ、そのマドモワゼルも興奮したことでしょうね」
「それはどうかな?」

 ヘンゼがにこにこ笑っている。

「そのご令嬢は、殿下の正体に気付いた直後、興奮するどころか、キッド殿下を殴った。しかもぐーで。びっくりしてしまったようだ。それでキッド殿下を殴った」

 ヘンゼが突然吹いた。

「ふ、ふふ!」

 ヘンゼが笑いだした。

「んふふふふふふ!!」

 ヘンゼが肩を揺らした。

「俺達はもう開いた口を閉じれなかったよ。だって、あの殿下を殴ったんだ。しかもキッド様に捨て台詞。くたばれって叫んでた。しかも逃げた。しかもキッド様が全速力で追いかけに行った。いやあ、見てて手に汗握ったよ。キッド様は、どうやら、そこまであのご令嬢に夢中だということだ。そして、リオン様も、どうやら最近、何かに熱中されているようだ」

 ――ねえ、

「愛しいニコラ、……知ってるだろう?」

 あたしは、ヘンゼに振り向き、微笑んだ。

「ヘンゼさん」
「うん?」
「今日のお菓子はどれにします?」

 訊けば、ヘンゼがにっこりと微笑み、体を屈ませ、あたしに顔を寄せた。

「そうだな。今日は甘い君をいただこうかな?」
「うふふ。冗談はその辺にして」
「冗談だと思う?」
「冗談でしょ。あたし14歳よ。大人が手を出したら犯罪よ」
「分かっているよ。しかし、犯罪の前に、君が一声助けてと言えば、一目散に駆けつける方々がいるだろう?」
「あら、そうかしら?」
「そうだとも。お兄さんだって、前みたいに君に言われたら、あの方々に殺されてしまう」
「あの方々って?」
「嫌だなあ。ニコラってば。そういうところが実にいじらしくて素敵だ」
「いじらしい? 何のことかしら」
「何のことだろうね?」
「ええ。さっぱりだわ」
「お兄さんもさっぱりだ」
「ええ。でしょうね」

 ニコニコ笑う。ヘンゼがニコニコ笑う。あたしも笑う。ニコニコ笑う。にこにこにこにこにこ。

(何なの?)

 微笑みながら、あたしは探る。

(ヘンゼル・サタラディア)

 何が言いたいの?

(今の話は)

 仮面舞踏会。

(完全に見られてる)
(完全にバレてる)
(テリー・ベックスであることも)
(キッドの関係者であることも)
(そのあたしがリオンと関わっていることも)

 この男は分かっている。

(でも黙ってる)

 あたしの事情を察して黙ってる。

(なんで?)
(何が目的?)

 あたしは微笑みながら、一歩、ヘンゼから離れる。

「ふふっ。ヘンゼさん、あたし、子供だから分からないわ。つまり、何が言いたいの?」
「おっと、警戒しないでおくれ。マドモワゼル」

 ヘンゼは笑い、一歩あたしに近づく。

「お兄さんはね。賞賛したいのさ。君は本当に、とても凄いことをしてくれているからね」
「ああ、そうだ。ニコラ、お兄さんの悩みを聞いてくれるかい?」
「お兄さんは前から非常に困ってる。板挟みだ」
「お兄さんだけじゃない。兵士は、皆が思ってる。あのお二人が手を取り合えば、どれだけ素晴らしいことになるかと」

 それが我らの願い。

「お兄さんは、城下町の皆と友達さ」
「友達は、幸せを願うものだろう?」
「願っているのさ」
「二人の距離は、非常に遠い」
「君は、唯一、あの二人の距離が近くなるための存在なのかもしれない」

 あたしは子供らしく笑った。

「なあに? それ。あたしよく分かんないけど、なんかすごく褒められてるの?」
「君も気付いている通り、あの二人には溝がある。不快な深い溝がある。それを、君が埋められるかもしれない」

 ヘンゼがあたしを見つめる。あたしがヘンゼを見つめる。

「俺は君に期待しているんだよ。ニコラ」

 ヘンゼが微笑む。

「ヘンゼ」

 あたしは微笑む。

「あたし、よく分かんない
「ふふっ。君はおとぼけちゃんだね」

 ヘンゼはにこにこしている。

「それでもいいさ」

 ヘンゼは体を起こす。

「困ったことがあったらいつでも相談してね。お兄さんが君を守ってあげるから」

 見て見ぬふりなんてしない。

「助けてあげるよ。いつだって」

 ヘンゼがぱちんとあたしにウインクすれば、

「兄さん!!」

 グレタがヘンゼの肩を掴んだ。ちらっと、ヘンゼがグレタに振り向く。

「あまりニコラに声をかけるな! 彼女は仕事中なんだぞ!」
「なんだよ。グレタ。嫉妬か? やめないか、見苦しい。俺は今、ニコラと大切な話をしていたのさ。それに知ってるだろ? ニコラは俺のお気に入りなんだ。この鋭い瞳がとてもキュートな子猫ちゃん。お兄さんはいつまでもお気に入りのニコラを見つめていたいんだよ」
「兄さん! 話し相手なら俺がいくらでもなってやる! ニコラは忙しそうだ!!」
「お前みたいな野郎と話したところで何も楽しくないよ。どうせならマドモワゼルと話したい! 照れた顔が見たい! 笑顔が見たい!」
「兄さん! やめないか! 兄さんだって、忙しい時に俺が声をかけたら殴るじゃないか!」
「当たり前だろ! お前の話は長いんだよ! 殴らないと終わらないんだよ!」
「兄さん! ニコラにも同じことをしているのが分からないのか!!」
「お前、自覚あるなら忙しい時に声かけるな!」
「兄さん! 俺は兄さんとお菓子の話で盛り上がりたいだけなんだ!」
「お前の話はどうせ将来お菓子の家を建築したいって話だろ! こっちはもう分かってるんだよ!」
「兄さん! 魔法使いは好きか!」
「魔法使い? 何だ? それ。またジャックのことか?」
「兄さん! お菓子の家には、魔女が住むんだ!」
「おいおい、子供に言う脅し文句を俺に言うのか? どういうつもりだ?」
「兄さん! 俺は魔女になりたい!」
「諦めろ。無理だ。そもそもお前は男だ。魔女は美しいマドモワゼルの一人だ。ごついお前には無理だ」
「兄さん! ミラクルくるりんくるりんぱ!!」
「ぐわああ!!! やーらーれーたーあー!」
「兄さん! これは購入だ!」
「グレタ、言っておくがそれは魔法の杖じゃないぞ。ガムが入ってる入れ物の杖だぞ」
「兄さん! ミラクルくるりんくるりんぱ!!」
「グレタ、それ署でもやれよ?」

「「…………………」」

「アリス!! これを購入するぞ!」
「おい、今の間はなんだ! グレタ! 待て! 逃げるな! グレタ!」

 大の大人二人が階段を駆け下り、お菓子を持って、アリスにお金を支払う。

(変な双子……)

 一階にあたしが戻ると、ヘンゼがあたしに手を差しだす。

「じゃあね、ニコラ。また来るよ」

 指をぱちんと鳴らすと、手の中から薔薇が一輪出てきた。
 あたしはそれを受け取らず、一歩下がり、笑顔で言う。

「オ買イ上ゲアリガトウゴザイマス」
「ああ! 素晴らしい! 君の棒読みは最高だ!」

 ヘンゼが感動して、胸を押さえる。それを胡散臭い目で見て、あたしは黙る。

(ヘンゼル・サタラディア)

 今日も銀髪をなびかせる国の兵士。

(……溝の深い二人ね)

 国の王子兄弟辺りに、心当たりがある。

(……言いたいこと、分かるかも)

 あたしがキッドに関わっているから、あたしがリオンに関わっているから、

(でも無理な相談よ)

 あの二人の溝の深さなんて、あたしには分からない。それに、二人の仲を取り持つ役に、あたしがなれるとは到底思えない。

(残念だったわね。ヘンゼ。傍にいる貴方は確かに肩身が狭いかも。同情するわ)

 ああ、そうだ。

(メニーなら、何とか出来るかも。キッドとも仲良いし、リオンと結婚もする。メニーなら二人を仲良くさせれるかも。いいわ。今度紹介してあげる。口説いたら駄目よ)

 さて、関係ないニコラちゃんは仕事しないと。棚に戻ろう。

「それでは、失礼します」
「失礼する!!」

 ヘンゼがにこりと微笑み、グレタをくわっ! と微笑み、店の扉を開けた。

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