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四章:仮面で奏でし恋の唄(前編)

第12話 カーニバル、二日目(3)

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 その影を追う。狭い道を走り、日影が多い道を通り、錆びれた建物だらけの道を通り、一本道を走る。

「メニー!!」

 あたしは叫んだ。その後ろ姿をあたしは間違えない。

「メニー!!」

 嫌いな奴の姿ほど、覚えているものだ。

「メニー!!!」

 ――――――――――足が止まった。

 裏通りのようだ。人影はなく、日が建物の隙間から漏れている。建物と建物に挟まれた一本道のはずなのに、あたしが求めるその姿はどこにも見当たらなかった。

 でもあたしは確かにその後ろ姿を見たのだ。だから呼んでみる。

「メニー」

 あたしの足が一歩進んだ。

「どこにいるの」

 あたしの足が一歩進んだ。

「お姉ちゃんよ」

 あたしの足が一歩進んだ。

「迎えに来たの」

 あたしは口角を上げて一歩進んだ。

「ねえ、出て来てよ。いるんでしょう?」

 呼んだ。

「メニーってば」

 呼んだ。

「メニー」

 あやす時の呼び方で、犬を呼ぶように、猫を呼ぶように。

「メニーメニーメニーメニーメニー」

 メニーを呼ぶ。

「メニー」

 隠れる所なんてない。この先に行けば、必ずその姿はある。

「心配したのよ。メニー。お姉ちゃんと一緒に帰りましょう」

 足を一歩進ませる。

「メニー」

 呼ぶ。

「メニー」

 その名前を呼ぶ。

「メニー」

 呼んだら、



「誰かお探しですか?」




 振り返ると、女性が壁に背を置いて立っていた。

 腰まで伸びた金の髪。珍しい金の瞳。色気のある腰が妙に目立ち、身長が高く、とても美しい。それだけじゃない。

(でかっ…)

 豊満な胸にあたしの視線が行ってしまう。

(ABCDEFGH……どれ? どれだ? クソ。でかい…! あたしのすとんとした胸よりも、はるかにでかい…!)
(服装から見てもただの庶民)
(たかがタナトスの住人のくせに…)
(くっ…! 腹立つ…!)

「迷子?」

 女性がくすすっと笑う。

「交番まで送って行きましょうか? お嬢さん」

 あたしは13歳のスイッチを押した。

「あのぉー、あたしのぉー、妹を、見ませんでしたかぁー?」
「妹?」

 女性が瞬きした。

「どんな子?」
「10歳の女の子なんですけどぉー、えっとねぇー、お姉さんみたいに同じ金髪のぉー、ふわふわな髪の毛のぉー、すーーーっごく可愛い女の子なんですぅー」
「すーーーっごく可愛い女の子?」
「そうなのぉー! あたしぃー、捜しててぇー!」
「そんな子、いたような」
「え?」
「いなかったような」

 くすすっ。
 また女性が笑う。

「……あの」

 あたしはにこりと笑った。

「迷子なんです。妹が。だから捜してて」
「そうなんだ」
「見ました?」
「誰を?」
「女の子」
「君の妹さん?」
「ええ。迷子の妹」
「いたような、いなかったような」

 女性が笑う。

「いたかも」

 女性が笑う。

「いなかったかも」
「あの」

 あたしは口角を下げた。

「からかってるんですか?」
「くすす。そう怒らないで」
「怒ってません。あたし、捜してるだけですから」
「君、唄遊びって知ってる?」

 あたしは眉をひそめる。

「唄遊びが、何か?」
「即興で何か作ってみて。それ次第で妹さんのこと、教えてあげてもいいよ」

 あたしははっとして、一歩女性に近づいた。

「ねえ、お姉さん、やっぱり見たの?」
「さあ? どうだったかな?」
「ねえ、あたし、いたいけな女の子なの。虐めないで」
「虐めてないよ。ただ、そんな子いたかなと思って」

 いいや、

「いたかもしれない」

 くすすっ。
 また笑い出す。

「お姉さん、あたし真剣に捜してるの。見たなら見たって言ってよ」
「見たかもしれないし見てないかもしれない。どっちが正解かな。唄遊びに付き合ってくれたら教えてあげる」
「…唄を作ればいいの?」
「うん。素敵なのを聴かせて」
「どんな唄ですか?」
「じゃあ、『月』に因んだ唄で」

 あたしは即座に考える。

(月)
(月…?)
(月………)

 ……………………。

 あたしは、すっと息を吸って――――唄った。


 月よ、ああ、月よ
 そなたは美しいぞ
 えっとね
 金に輝いてるわね
 えっとね
 なんか光ってるの
 きらきらーって
 えっとね
 中に兎がいてね
 お餅つきしてるの
 まあすごい


「……………………………」

 女性が黙った。あたしも黙った。

(……ふふ)

 素晴らしい。

(なんて素晴らしい唄なのかしら)

 あたし、完璧よ。ぐっと拳を握り締める。

(ああ月よ、で掴んだわね)

 あたし、唄のプロになれるかもしれない。

「ぶっ」

 と思ってたその直後、突然女性が吹き出した。

「あははははははは!!」
「え?」
「何その唄!!」

 女性が腹を抱えて笑い出した。

「あははははは!! そんなおかしな唄、は、初めて聞いた! あははは! ははははは! あーーーははははは!」

 ぽかんとするあたしを、女性が涙を拭きながら見た。

「ねえ、もっとこんな感じで出来ないの?」

 女性が息を吸って、呼吸を整わせ―――唄った。


 美しき光よ
 闇の中に輝くダイヤモンド
 あなたの輝きは真似できず
 どれを磨いても届かない
 その光を求めよう
 夜に輝く我らの月よ
 今宵もあなたを求め
 その光を盗みたい


「月よ! ああ月よ! だって! あはははははは!!」
「………」
「なんで唄の中にえっとねが出てくるの! 接続詞! 接続詞!!」
「……………」
「まーすごい! ぶっくくくくく!!」
「…………………」
「ぎゃはははははははははは!」
「何よ!!」

 あたしは顔を真っ赤にさせて、ぎゅっと拳を違う意味で握り締めた。

「いいじゃない! 人がどんな唄作ろうが! 何笑ってるのよ! お前如きの庶民の女が! ええ!? あたしは貴族よ!? 馬鹿にしてんじゃねえぞ!! こらぁ!!」
「ふふふ! そんなに怒らないでよ」

 女性がにやけ、面白いものを見つけたような目で、再度あたしを見てくる。

「ねえ、もう一個だけ作ってみてよ」
「もういい! 誰がお前と唄遊びなんてやるか! 人の唄を馬鹿にしやがって! 最低よ! このおっぱいでか女!」
「分かった。じゃあ、次こそ教えてあげる。ねえ、もう一回だけ」
「………チッ」

 舌打ちして女性を睨んだまま次のお題を待つ。

「じゃあね」

 微笑んだ女性がお題を提案した。

「今、巷で噂の『怪盗パストリル様』って知ってる?」
「……知ってるけど」
「ふふっ。その人に因んだ唄で」
「……………」

 パストリル様に因んだ唄?

(ふん。こいつ馬鹿ね。栄養がおっぱいに行ってるんだわ。パストリル様に因んだ唄なんて、あたしにしてみれば朝飯前よ!)

 あたしは息を吸って―――唄った。


 街の大人が騒ぎ出す
 怪盗出たと騒ぎ出す
 彼って素敵
 今宵も盗んでるの
 ハートと宝を我が物に
 乙女の泥棒パストリル
 金髪が素敵なの
 身長が高いの
 なんて素敵なパストリル
 まあすごい



(……決まった)

 あたしはぐっと拳を握った。

(あまりの素晴らしい唄に、この女、感動して泣くに違いない。拍手をして、あたしの唄を馬鹿にしたことを悔いるがいいわ)

「…………ん?」

 女性がきょとんと瞬きした。

「………お嬢さん、まさか、今のが唄?」
「え?」
「ぶふっ」

 女性が吹き出した。

「あーーーーーーはははははははははははははは!!!!」

 壁をばんばん叩く。

「あはははははははははははは!!!!!」

 その場に座り込んでしまう。

「ああ! 駄目! ちょっと待って! 何その天才的な唄!」

 女性の笑い声が止まらない。

「ぎゃはははははは!! あははははははは!!」

 まって、笑いが止まらない。何その変な唄。

「まーすごい! あはははははははははははは!!」
「何よ!!」

 あたしは顔を真っ赤にさせて、眉を吊り上げた。

「言われたテーマで唄ったじゃない! 馬鹿にしやがって!」
「お嬢さん、天才すぎるよ。いや、天才すぎて言葉が……ぶふっ!」

 ぎゃははははははははははははは!!

(きいいい! むかつく! 何なの! この女!!)

 親指を噛んで煮え切らない想いの中女性を睨みつけると、爆笑していた女性の笑いが収まってきて、あたしの顔を見て、また笑い出して、あたしのイラっとした顔を見て、また笑い出して、ようやく、ようやく笑いを抑えた。

「ふふふふっ、あー、面白かった。久しぶりにこんなに笑った。あはは、いやいや、実に良かった。お嬢さん」
「で」

 あたしの低い声が強く出された。

「妹は?」
「くすすっ。それがね、残念ながらそんな子、ここを通らなかったよ」
「……はあ?」
「金髪の可愛い女の子だっけ? 私はずっとここで空を眺めてぼうっとしていたんだけどね、そんな子は通らなかった。私が気づいた時には、お嬢さんがここを走ってきたんだよ」
「じゃあ最初から、そう言えばいいじゃない!」

 かちんときたあたしは来た道に振り返る。

「時間の無駄だったわ!」
「ふふふっ、残念だったね」
「何よ! にやにやして! これだから庶民は嫌なのよ!」

(……じゃあ、あの後ろ姿は誰だったわけ?)

 いや、もういい。今は考える余裕は無い。

(このいけ好かない女から離れたい!)

「さようなら!」

 ふいっとそっぽを向いて来た道を戻ろうとすると、手首を掴まれた。

「ねえ、ちょっと待って」

 振り向くと、女性があたしの手首を掴んでいた。じろりと女性を睨む。

「…なんですか? お姉さん。あたしに謝罪でもしたいの?」
「くすす! そんな怒らないでよ。せっかくのカーニバルなんだから、もっと楽しい顔しないと」
「誰のせいだと思ってるのよ! 本当、最低。子供をからかうなんて、しちゃいけないんだから!」
「君、いくつ?」
「さっ」

 あたしは言い直す。

「13歳!」
「おや、十も離れてる。私は23歳」
「大人げないお姉さん、離してくれない? あたし、もう行きますから」
「お名前は?」
「おい」

 あたしの目がさらに鋭くなる。

「大人だからって調子に乗らないことね。あたしを誰だと思って?」
「さあ? 誰だろう? お名前は?」 
「はっ! なぜこのあたしがどこの馬の骨とも分からないあんたみたいな女に名乗らなくてはいけなくって? 貴族をなめないでくれる?」
「唄遊びで遊んだ仲じゃない。ねえ、教えて? お嬢さんの名前」
「しつこいわね! 離しなさいよ!」

 腕を強く振ると、女性の手が離れた。

「おっと、怖い怖い」

 おどけて言うのも、腹が立つ。

「10歳も離れてる大人が子供をからかって最低よ! 恥を知りなさい!」
「大人だからからかうんだよ。ふふっ。特に、君みたいな子は反応がとても面白いから」
「最低! くたばれ!」
「くたばれ?」

 くすす!!
 また女性が笑い出す。

「あはは! 貴族って皆気が強いのかな? くたばれねえ。くすす! 余計に知りたくなっちゃった。ねえ、名前なんて言うの?」
「知らない人には名乗っちゃいけないのよ! お姉さん!」
「ソフィア」
「え?」

 女性が微笑む。

「私の名前。ソフィアというの」
「……名前だけは綺麗ね」
「ありがとう」
「さようなら」
「ちょっと待って」

 また手を掴まれる。

「何よ!」
「ねえ、名前教えてよ。私は教えたんだから」
「嫌よ! 誰が教えるか! べーだ!」

 舌を出すと、ソフィアと名乗った女性がくすすっ、と笑った。

「……こんなことなら、あの時、名前を訊いておくべきだったな」
「もう帰るわ! 手を離して!」
「待って」

 手を引っ張られる。

「うぎゃっ!」

 ソフィアが身を屈ませて向かい合わせになる。あたしの顔を覗き込んだ。

「ねえ、名前教えて?」

 腰を掴まれて、手首を掴まれて、拘束状態。

「な、何よ! 離しなさいよ!」

 あたしがぎょっとして後ずさろうとすると、腰を引き寄せられ、元の位置に戻される。

「何怯えてるの? 私は君の名前が聞きたいだけ」
「もう会うことなんてないから聞かなくたって困りはしないわ! あたし他所から来たの!」
「じゃあ思い出に聞かせて。なんて言うの?」
「言わない!」
「教えて」

 金の瞳が、きらりと光った。

「名前、なんて言うの?」

 ―――――一瞬、くらりと目眩がして、はっとして、あたしの足が地面に立つ。首を振り、瞬きをする。

「ねえ、名前は?」

 訊いてくるソフィアを思いきり睨んだ。

「しつこい!」

 途端に、ソフィアがきょとんとした。

「え?」

 ソフィアの手を叩く。ソフィアがあっけなく離れた。呆然とした目であたしを見下ろす。

「しつこいのよ! 名前が何よ! なんだっていいでしょ!」

 怒鳴ると、ソフィアがぽかんとして、―――首を傾げた。

「………?」
「ふん! 最低!」

 来た道に戻ろうとして、また手を掴まれる。

「ふひっ!?」
「んー? 何かおかしいなあ?」
「な、何よ!」
「そういえば、あの時もそうだった…」
「ちょっと、離してよ!」
「おっかしいなあ? あれれ? おかしいなあ?」

 にこりと微笑んで、ソフィアがあたしを見つめる。あたしも、その目を見る。

「ねえ、どこから来た子なの?」

 金の瞳が、またきらりと光った気がした。光った気がすれば―――また、目眩。くらりと、視界が歪んで、ふらりと頭が痛くなる。

(………っ)

 壁にもたれる。

(………目眩が)

 あたしは首を振って、瞬きをして、頭を押さえて、後ずさった。

「……最悪。悪い大人に虐められて気分が悪くなったんだわ。目眩がする……」
「目眩?」

 ソフィアがあたしの顔を覗き込む。

「大丈夫?」
「もういい。いいからさっさと手を離して!」
「お名前は?」

 金の瞳がまたきらりと光った。あたしの視界がちかちかする。

「ん、んん…」

 首を振る。

「き、気分が悪い…。……最悪……」
「…………………………」

 ソフィアがあたしを見る。微笑んで見る。何も言わない。笑顔のまま黙り込む。あたしは後ずさった。

「ソフィアさん。あたし、気分が悪いの。もう帰るわ。さようなら」

 来た道を歩こうと足を出せば、

「待って」

 今度は肩を掴まれた。

(今度は何よ…! 気分が悪いって言ってるじゃない!)

 振り返ってぎろりと睨む。
 ソフィアは、優しく微笑んであたしを見下ろす。

「ねえ、飴は好き?」
「飴?」

 あたしはその質問に首を振る。

「とてもキャンディを舐めたい気分じゃないの」

 あたしは一歩前に歩く。

「本当に気分が悪いの。もう帰る」
「ううん、ちょっと待って。ちょっとでいいの。本当に、あとちょっとだけ」
「何よ、しつこいわね…!」
「ねえ、私の目を見てくれる?」

 え?

 じっと、その金の瞳を見上げる。ソフィアも、あたしに顔を近づけた。金の瞳が、ずいっと、近くなる。

(な、なに…?)

「ねえ、もう一回訊くね?」

 ソフィアが訊いた。

「名前、なんて言うの?」

 綺麗な金の瞳がきらりと輝いた。途端に、頭が凄まじくがんがんした。視界がちかちか光出す。ふらふらと視界が回る。でも、――倒れるまでもない、ただの立ち眩みのような、軽い目眩。だけど頭が痛い。はーーーあ、と溜まった息を吐いて、しつこいソフィアを見上げる。

「………名前は、知らない人に教えるなって、ママにきつく言われてるの。……だから言わない」

 あたしがそう言うと、ソフィアは呆然と、目を丸くして、微笑んで、あたしの肩を握った手に、力を込めた。

(え?)

「……………ふふふふ! 面白い子だねえ」

 手は離れない。

「ねえ、もうちょっとだけお話ししようよ。最近、何か美味しい飴を舐めてない?」
「も、もういいでしょ…!? あたし、気分が悪いのよ!」
「じゃあさ、魔法についてどう思う? ほら、昔、魔法使いっていたでしょう?」
「も、もう、帰りるの! やめてよ…!」
「駄目。もうちょっとだけ」
「あの…」
「ねえ、誰? 君誰なの? なんで効かないの?」
「なに…?」
「ねえ、名前」

 名前、教えてよ。

「お嬢様!」

 凛とした声が響く。はっと振り向くと、サリアが駆けてきた。そっと、ソフィアの手が離れた。

「どこまで行ったのかと思えば」

 サリアが胸を撫で下ろし、あたしに駆け寄った。

「もう、駄目じゃないですか。勝手に走り出したりして」
「……っ、サリア…」

 おぼつかない足取りでサリアに抱きついた。

「頭痛い…」
「罰が当たったんです。お嬢様。帰ったらお仕置きです」

 サリアがあたしを抱きしめ。ソフィアに頭を下げた。

「失礼。お嬢様が勝手に走り出してしまって。悪戯好きな方でして。何かご無礼をしませんでしたでしょうか?」

 ソソフィアがふっと笑い、首を振る。

「いいえ。私が引き止めてしまったんです。とても面白い唄を作ってくださるお嬢さんだったので、ついもっとお話をと思ってしまって」
「そうでしたか」
「こちらこそ申し訳ございませんでした。ご気分が優れないようですので、お早めに休ませてあげてください」
「お気遣いありがとうございます。行きますよ。お嬢様」

 あたしの肩を抱いて、サリアが歩き出す。あたしもついて行く。

 後ろから声が響く。

「じゃあね、お嬢様」

 くすすっと、笑い声。

「尊いひと時を、ありがとう」

 くすすっと、また笑い声。
 後ろを振り向こうとすると、サリアに引っ張られる。

「行きますよ」

 サリアがあたしに帽子を被せ、早足で元の道を歩いていく。建物を抜けて、影を抜けて、また何もない草原だらけの景色に戻っていく。サリアの実家の前を素通りして、その道を淡々と進んでいく。レンガの道を歩く。ひたすら歩く。風が当たる。

(……はあ)

 サリアの手をくいと引っ張る。

「サリア、座りたい」
「もう少し行きましょう」
「サリア、ごめんなさい。勝手に走って悪かったわ。座りたいの」
「もう少し我慢してください」

 サリアと歩く。タナトスの中心部まで歩き、また監視カメラの街並みに戻っていく。サリアが空いたベンチを見つけ、あたしを座らせた。

「さあ、テリー。こちらへ」
「ありがとう…」

 日陰に当たりながら、呼吸を整える。

「……ああ、何だったのかしら。目眩がすごかったのよ」
「テリー」

 サリアが横に座り、あたしの手を握った。

「駄目じゃないですか。勝手に離れたら」

 強く握られる。見上げると、サリアが真剣な眼差しであたしを見つめていた。

「タナトスには悪党がいるんですよ」
「ごめんなさい。サリア、分かってる。分かってるけど…」

 でも、

 あたしの視線が下に下がった。

「…メニーの後ろ姿が見えた気がしたの…。だから…」
「ええ、そうでしょうね」
「……え?」

 視線が再び上に上がる。サリアは複雑そうに目を横に向けていた。

「貴女はメニーお嬢様をお見かけしたのでしょう」
「…え」
「間違いなくメニーお嬢様です」
「……サリアも見たの?」
「見てません」

 ただ、

「『悪党』がいたので」
「パストリルがいたの!?」

 あたしは慌てて周りを見回す。

「サリア、どこ? 後をつけて、アジトを探し出すわよ!」
「今は駄目です」
「サリア、後をつけるだけよ!」
「駄目です!!」

 サリアが怒鳴ってきた。

「テリー! 何も考えずに真正面から突っ込もうとしないでください! 無力ほど怖いものはないのですよ!」
「でも…!」
「だまって」

 サリアがのけ反った。

「くだ」

 サリアが突っ込んだ。

「さい!!」

 ごんっ!!!!!!!

「っ」

 頭と頭がぶつかり合う。痛々しい音が響き、あたしは凄まじい痛みに頭を押さえた。

「………………」
「黙ってください」
「……サリア、あたし、何も言って……」
「黙ってください」
「………………」
「私なりのお仕置きです」

 サリアが自分の額を撫でた。

「貴女に何かあったら、私が怒られるのです。奥様にヤキをいれられます」
「………あの……ごめ………」
「黙ってください」
「…………」
「ああ、痛い」

 サリアが自分の額を撫で続ける。

「痛い。テリーが大人しくしてくだされば、こんなことしなくて済んだのに」
「………………サリア、あの」
「黙ってください」
「…………ごめ」
「ごめんなさいで済んだら兵士はいらないんですよ。テリー」
「……………………」
「反省してください」
「……………………」
「返事は?」
「はい…………」
「ああ、痛い」

 サリアが額を押さえた。

「テリー。私は憎くてこんなことしてるわけじゃないんですよ」
「………分かってます………」
「アンナ様もそうでした。感情に流されて、思い立ったら行動に移さないと気が許せないんです」

 だから止めるためには、

「頭突きをするしかなかった」

 ―――アンナ様、駄目です。まだお熱が…。
 ―――サリア、退いてちょうだい! 私は大丈夫だから!
 ―――ごん!!
 ―――…………大人しくしてるわね………。

「……サリア、ばあばには刺激が強かったんじゃ…」
「いいんですよ。彼女は石頭だったので」

 そうしないと無理をする。

「貴女もそうです」

 あたしの手をぎゅっと握る。

「私を困らせないで。テリー」
「………ごめんなさい」
「貴女がここへ来た理由は聞きました。貴女の気持ちも理解しました。けれど、あまりにも無鉄砲な行動はするものじゃありません」

 さっき、私が追わなかったら、どうなってたと思います?

「心を盗まれてましたよ」
「………何の話?」
「もう、目が離せないんだから」

 サリアがあたしの肩を抱き寄せる。

「駄目よ。テリー。勝手な行動をしては」
「………ごめんなさい」

 サリアの手を握り返し、頭をサリアの肩に預ける。

「ちゃんと考えて行動するわ。ごめんなさい」
「そうですよ。ここには悪党がいるんです。とても危険ですから」

 サリアがあたしの額に唇を寄せ、そっと、優しいキスをした。

「……無防備に動き回らないでください」
「………ごめんなさい」

 サリアの手が優しくあたしの帽子を撫でた。

「部屋に戻ったら、きちんと作戦会議をしましょう。慎重に」
「……ん」
「一から百まで可能性があります。考えるだけ考えましょう。時間は沢山ありますから」
「……サリア」
「はい」
「サリアを連れてきて正解だったわ」

 手を強く握る。

「守ってくれてありがとう」
「それが私の役目ですから」

 サリアが微笑んで、あたしの手を握り続けた。

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