推しに会ったら地獄でした

刈部三郎

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呼び出しの翌日、地獄の始業ベル。

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昨夜のDM。

“ねぇ。会いたいんだけど”

“来てよ、みれいさん”

“りのちゃんにも会いたいよ?”

その三行が、私の精神を破壊し続けている。
寝られるわけがなかった。
むしろ、生きる気力が半分くらい蒸発した。

朝になり、私は枕を抱えたまま天井を見つめていた。

「……昨日の、全部夢ってことにならないかな……?」

返事は当然、天井からは返ってこない。
現実は残酷だ。

推しが私の“裏の顔”を知り、
さらに“呼ぼうとしている”という非現実。

いや、現実なんだけど現実であってほしくない現実。

私は頭を抱えた。

「どうしよう……これ逃げるのって可能なの……?」

正直、“仕事として”来店要請されたら断れない。
でも、相手は推し。
しかも、裏の顔を明るみに出された状態。

ただの依頼じゃない。

推しが“私の秘密を握っている”状態。

……胃が痛い。
人生でこんなにも胃が痛む日があるなんて思わなかった。


スマホが突然鳴り、思わず飛び跳ねた。

【非通知設定】

「……え、いや、待って、怖っ……!」

震える声で出る。

「もしもし……?」

『……りのちゃん?』

聞き慣れた、甘いようでどこか抜けている声。

那加森廣樹。
推し本人。

心臓が咳き込むほど跳ねた。

『DMじゃ返事遅いかなと思ってさ。電話のが早いでしょ?』

いや、早いとかじゃないんだよ。
心臓の寿命が縮むんだよ。

「ひろ……えっと、廣樹さん……なんで電話……」

『だって、返事くれないから。昨日のさ、見た?』

「み、見ましたけど……!」

『じゃあ、来てよ』

直球すぎる。
逃げ道ゼロすぎる。

「いや、その……私、そういうつもりじゃ……!」

『え? でも来てくれるよね?
来てくれないと俺、けっこう凹むよ?』

出た。
甘えた声に潜む圧力。

可愛いのに、怖い。

「……今日……は……?」

『今日の夕方、スタジオ空けてるよ。
みれいさんでも、りのちゃんでも。
どっちでもいい。会えるなら』

どっちでもいいって……
それはもう逃げられないって意味じゃん。

『場所、送っとくね』

通話が切れる。

私は、ベッドに倒れ込んだ。

「おわった……終わった……!」

地図アプリを片手に、
言われたスタジオへと向かう。

キッズ服に短いスニーカー。
白前髪+金襟足。
どう見ても「星川りの」だが、
どう見ても“みれい”でもある。
(変装に使えるほど違う見た目じゃない)

受付で伝えると、
スタッフが慣れた顔で案内してくれた。

「ハーモニアさんのところですね。どうぞ」

慣れてるって……
推しのスタジオが日常感覚で存在してるとか反則。

私は震える手でドアノブを掴んだ。

ガチャ。

「——来た」

部屋にいたのは廣樹ひとりだった。

黒いパーカーに、ゆるい黒髪。
アヒル口気味の笑み。
160cmの小柄な体に、異様な存在感。

推しが、近い。
近い。
近すぎる。

「りのちゃん? それとも……今日は“みれい”?」

やめろ。
その名前で呼ばないで欲しい。
推しに言われるには刺激が強すぎる。

「り、りので……!」

廣樹は一歩近づいてきた。
距離感が……人間じゃない。

猫が近づくみたいに、ふわっとした動きで。

「会えて嬉しい」

「……っ!」

直視できない。
顔が熱い。
推しが笑ってる。
生きててよかった世界第一位の瞬間。

でも——

『みれいさんでもいいよ?』

昨日のメッセージが頭をよぎる。

私は震えながら言った。

「あの……その……私のこと、どうして……!」

「あぁ。髪色で分かったよ。
あんな特徴的な子、他にいないし」

「……っ……!」

「でも、なんで隠すの?
俺に言えばいいのに」

めちゃくちゃ言う。
簡単に言わないでほしい。

「言ったら……嫌われると思って……!」

本音が漏れた。

廣樹は、少し目を丸くした。

そして、ゆっくり笑った。

「……りのちゃんさ」

「?」

「俺、そんなに軽くないよ?」

……え。
え、どういう意味?

廣樹は、私の手をそっと取る。

触れた瞬間、体が電気みたいに跳ねた。

「嫌いになるわけないでしょ。
むしろ……」

アヒル口がゆがむ。

可愛いはずの笑顔が、どこか妙に深い。

「興味わいただけ」

興味。
その一言で、足から力が抜ける。

「ねぇりのちゃん。
俺のこと、ほんとは好きでしょ?」

「っ……!」

「隠しても無駄だよ」

——心臓が止まるかと思った。

廣樹の声は軽いのに、
言葉だけがやけに重い。

「おーい廣樹、音確認したぞ。……って、あれ?」

ドアが開き、颯真と涼河が入ってきた。

颯真がニヤッとする。

「りのちゃーん、来たんだ?
やっぱ可愛いなその髪」

涼河は穏やかに微笑む。

「こんにちは。昨日はありがとうね」

二人が来てくれたことで、
ようやく呼吸が戻った。

廣樹は、露骨に不満そうに言う。

「……なんで来たの? 今、話してたのに」

「いやこえーよお前の距離感!!」
颯真がツッコミを入れる。

「りのちゃん困ってるじゃん」
涼河も苦笑。

廣樹は不満げに腕を組む。

「俺は別に困らせてないけど?」

三人のやり取りはコントみたいで、
そこだけが救いだった。

颯真が言った。

「せっかくだし、今日仮歌のテストしてく?」

廣樹も頷く。

「りのちゃんの声、聴きたいし」

正直、緊張で死ぬ未来しか見えないが、
ここまで来て逃げるわけにもいかない。

マイクの前に立つ。
喉が乾いている。

「大丈夫だよ」
涼河の優しい声が背中を押す。

音が流れ始める。

私は深呼吸して、歌った。

——その瞬間、部屋の空気が変わった。

音程がどうとかではなく、
声が出た瞬間、三人とも動きを止めた。

颯真は目を見開く。

「……ガチで上手いな」

涼河は微笑む。

「綺麗だねぇ。声も感情も」

廣樹は、ずっと私を見つめていた。

曲が終わっても、動かない。

「……もっと聴きたい」

その一言に熱がこもっていた。

颯真が笑う。

「はい廣樹、落ち着け」

涼河も肩を叩く。

「でも……確かにいい声だね。
ねぇ、りのちゃん。
この曲、CDの仮歌……やってみない?」

「えっ……私が!? 本番ですか!?」

「まだ仮だけどね。でも候補としてはあり」

夢じゃない。
夢より怖い夢。

廣樹が近づき、
私のヘッドホンをそっと外した。

顔が近い。
近すぎる。

「ねぇ、ほんとに……
なんで俺の前から逃げようとしたの?」

「な、なんでって……!」

「俺が嫌い?」

「ち、違……違います!」

「じゃあ、ちゃんと来てよ。
みれいでも、りのでも。
どっちでもいいから」

――逃げられない。

推しの声は甘いのに、
言葉は鎖みたいに重い。

◆6 ——帰り道、気づいてしまった。

スタジオを出た時、
膝から力が抜けた。

「あ……私……終わった……」

推しに裏の仕事がバレ、
推しに指名され、
推しに距離詰められ、
推しに逃げ道を塞がれた。

普通なら喜ぶはずなのに。

胸が、ぎゅっと痛む。

推しに好かれるって、こんなに苦しいんだ。

震える手でスマホを見ると、
新しいDMが届いていた。

“今日来てくれてありがとう。
またすぐ会おうね。”

“明日も空いてるよ?”

やめて。
心臓がもたない。

でも、
どうせ私は——
呼ばれたら断れない。

推しと会うのは天国のはずだったのに、
なんでこんなに苦しいのか。

それはたぶん、
私の推し——那加森廣樹が、

“甘い顔をした地獄”
だからだ。
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