推しに会ったら地獄でした

刈部三郎

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明日も空いてるよ?”のDMは、呪い。

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家に帰ってベッドに倒れこんだまま、
私は画面をじっと睨んでいた。

“今日来てくれてありがとう。
またすぐ会おうね。”

“明日も空いてるよ?”

この二行が、
眠りを完全に破壊した。

天井のシミがドクロに見えるレベルで眠れない。
胃が、もう存在を放棄している。

「……明日って……仕事……」

私は本業を二つ、裏の仕事を一つ抱えている。

・漫画家(締め切り)
・小説家(プロット地獄)
・デリヘル嬢(シフト調整)

どれも大事。
どれも欠ければ生活が崩れる。

でも……推しの“行こう”には逆らえない。

「どうしよう……断ったら嫌われるかな……」

推しに“嫌われる”なんて、死刑宣告と同義。

悩みながらスマホを握っていると
また通知が来た。

【那加森 廣樹】

ヒッッ。

心臓が変な跳ね方をした。

震える指で開く。

“今電話していい?”

……逃げ場がない。

「は、はい……大丈夫です……!」

と、即レスしてしまう私は完全なるオタク。

すぐに着信が来た。

「りのちゃーん?」

甘い。声が甘い。
あのボーカルで有名な廣樹の声が、
私の耳元にダイレクトに届いている。

寿命が3年縮んだ気がする。

「今日、帰った後どうしてた?」

「す、すみません! なんか、ドタバタしてて……!」

「ドタバタ?」

私は視線を泳がせる。

「……メンタルが……」

電話の向こうでクスッと笑う音。

「あはは、りのちゃんかわいい。
そんなに緊張してたんだ?」

「そ、そりゃしますよ!!」

「昨日のDM、びっくりした?」

「……びっくりなんてもんじゃ……」

「そうだよねぇ。
でも、俺ほんとに会いたかったんだよ」

その“会いたかった”が、
軽いのに重い。
甘いのに刺さる。

私はごくりと唾を飲んだ。

「……なんで、そんな……」

「ん? 逆に聞くけど、なんで逃げたの?」

「逃げ……っ!? 逃げてない……!」

「逃げてたよ?」

声のトーンがほんの少しだけ低くなった。

柔らかいのに、ゾクッとする温度。

「俺の前だと、君いつも逃げ腰」

「ち、違……!」

「ほんとは好きなんでしょ?」

「ちょ……!」

「隠すの、ばれてるよ」

息が詰まる。

自分が“推しを推してること”を推し本人に指摘される
この世界線の破壊力。

私は布団に顔を埋めた。

「う、うぅ……!」

「明日さ、またスタジオ来てよ。
颯真も涼河もいるし」

「……っ……!」

「会いたいから」

心臓が焼けるように熱くなった。

言葉に全部含まれている。
逃がさないよ、って。

「……い、行きます……」

そう答えるしかなかった。


翌日。

私は再びスタジオへ向かった。
キッズ服に、白前髪+金襟足のまま。

昨日と違うのは——
道すがらずっと、
胸の奥で変な熱が渦巻いていること。

“推しに会う”
それだけでもう心臓が忙しい。

スタジオの前に着いた瞬間、
もう膝が笑っていた。

トントン。
ノックをして扉を開ける。

「あ、りのちゃん! 今日はちゃんと来たな」

颯真が軽いノリで笑いながら手を振る。

「こんにちは。無理してない?
昨日緊張してたでしょ?」
涼河が優しく声を掛けてくれる。

そして——
奥から、ゆっくり近づいてくる影。

「……来た」

那加森廣樹。

黒いパーカー。
眠そうな目。
アヒル口のまま、まっすぐ私を見る。

「りのちゃん」

その一言が心臓に突き刺さる。

「昨日さ」
近づいてくる。
距離がバグっている。
あと10センチで触れる。

「帰っちゃうの早かったよね?」

「ひ、広樹さんが怖いこと言うからです……!」

「怖いこと言ってないけど?」

「めちゃくちゃ言ってました!!」

「あれ、俺の普通だよ?」

は?
普通???

「てかさ、昨日の帰り、返信遅かったよね?」

「そ、それは……!」

「なにしてたの?」

責めてるわけじゃないのに、
質問の仕方が、妙に重い。

颯真が横から割って入る。

「おい廣樹、詰めるな詰めるな」

涼河も笑う。

「落ち着けって。りのちゃん困ってるよ」

廣樹はぷいっと横を向く。

「……べつに困らせてないし」

いや困ってるんだよ!
推しはなぜ自覚がないの!


今日は「本命曲の仮歌」を試してみることになった。

私はマイク前に立つ。

昨日よりも、もっと緊張する。

颯真「大丈夫大丈夫! 深呼吸しろ」

涼河「声、ほんと綺麗だからね。自信もって」

そして廣樹が言う。

「りのちゃん。俺のほう見て歌っていいよ」

「無理!!!!!」

「なんで?」

「緊張して死にます!!」

「死なないよ?」

いや、死ぬ。

でも……
その言い方が妙に優しくて、
逆らえなくて。

私は、結局、廣樹の方を向いて歌い始めた。

♪——

曲が始まる。

私は目を閉じて集中した。

声が出た瞬間、
昨日と同じように三人の空気が変わった。

颯真「あーやっぱすげぇな」

涼河「音程安定しすぎだよ。表現力もいい」

そして廣樹は——
じっと私を見ていた。

曲が終わる。

……沈黙。

沈黙のあと、廣樹がゆっくり歩いてくる。

「りのちゃん」

「ひ、ひぃ……!」

「……俺の曲、こんなに綺麗に歌ってくれてありがとう」

言葉は優しいのに、
声が少し掠れていた。

涼河が言う。

「廣樹、気持ち入りすぎてるよ」

颯真も笑う。

「お前、完全にりのちゃんの声ハマってんじゃん」

廣樹はむすっとした顔で言う。

「悪い?」

「悪くないけど……」颯真
「重いよ?」涼河

廣樹はアヒル口で言い返す。

「重くない。普通」

いや重いよ。
誰がどう見ても重いよ。

休憩中、控室にて。

颯真と涼河は別室に呼ばれて、
私と廣樹だけが残った。

嫌な予感しかしない。

ソファに座ると、
廣樹がすぐ隣に座ってくる。

「ひ、広樹さん近い……!」

「なんで?」

「なんでって……!」

「俺が近いの嫌?」

「ち、ちが……!」

「じゃあいいじゃん」

ダメだ。
思考が溶ける。

廣樹は、少し俯きながら言った。

「……ねぇ、昨日さ」

「はい……」

「帰ってから俺のこと……考えてた?」

「っ……!」

心臓をわしづかみにされたような感覚。

「……少し……」

「あ、少しなんだ」

「違っ……全部じゃ……!」

「全部? へぇ……」

顔が熱い。
死ぬ。

廣樹は、私の前髪に手を伸ばす。

白い前髪をそっと摘んだ。

「これさ。俺の真似だよね?」

「っ……!」

「嬉しい」

……え。

「真似されるの、俺嫌じゃないよ。
むしろ……」

顔が近づく。

近い。
ほんとに近い。

「もっとしてほしい」

ドクン、と心臓が跳ねた。

「もっと……俺のこと好きになってよ」

息が止まりそうになる。

だから私は、震えながら言った。

「……私なんかでいいんですか……?
裏の仕事してて……変な見た目で……」

廣樹はすぐに言った。

「いいよ?」

即答だった。

「りのちゃんじゃなきゃ嫌」

その瞬間——
胸の奥が、苦しくて痛くて、それでも嬉しくて。

逃げたいのに、逃げられない理由が
はっきり分かってしまった。

私は、この人が好きすぎる。

涼河と颯真が戻ってきた。

「おーい、そろそろ次の曲やるぞ」

「りのちゃん大丈夫?」

その時、廣樹がぽつりと言った。

「りのちゃんは俺のだから」

「………………え?」

颯真「言い方!!!」

涼河「完全に独占欲出ちゃってるよ廣樹」

広樹はムッとして言う。

「事実だし」

事実って何。
事実って何なの。
私いつ所有物になったの。

頭が真っ白になった。

けれど、
心臓だけは……
すごい速度で暴れていた。


スタジオの帰り、
私は夜風にあたりながら深く息を吐いた。

「……だめだ……」

もうだめだ。

推しの優しさも、
推しの距離感も、
推しの言葉も、
全部が胸に刺さって抜けない。

苦しいのに幸せで、
怖いのに嬉しくて、
逃げたいのに会いたい。

推しに会えるのは天国だと思っていたけど——
これはもう、

甘くて苦しい“独占地獄”だ。

スマホを見ると、
また廣樹からDM。

“明日も……会える?”

私の人生、完全に捕まった。
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