僕のツンデレハイスペ婚約者が今日も可愛い ~それはそれとして婚約からは逃げさせてもらいます~

槿 資紀

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第三話

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「ベリル伯とはずいぶん順調らしいな」

 ニヤニヤと、纏わりつくような、忌々しい視線。

 週に一度のアデルバートとの晩餐の習慣が始まって、2カ月ほど経った頃のことだった。

 一週間で最も幸福な瞬間を終えれば、次にやってくるのは、憂鬱な休息日。反吐が出るような実家から一歩も出られず、息の詰まるような1日を過ごさなければならない。

 鈍重な憂鬱で軋むような肋骨に鞭を打ち、嘆息しながら帰宅すれば、僕を出迎えたのは次兄だった。

「……ええ、不束者には勿体ないほど、目をかけていただいております、ダニエルお兄様」

「不束者、なあ……ハハ。ああ、全くだ。お前ほど重篤な欠陥を持ったはこの世にいないだろうよ。ベリル伯もお可哀想に」

 閉じた日傘の柄を握りしめる。僕のことを侮辱するだけならまだいい。でも、この次兄は、僕を通じてアデルバートのことを侮辱し、悦に浸ることで、自らのコンプレックスを慰めんとする慮外者なのだ。

 アデルバートはお前如きが哀れんでいいような御方じゃない。愚かだと蔑んでいた自身の兄が有望視されるようになり、後継者としての地位を盤石にしたことで、最早この家で日の目を見ることもなく、さりとて立身の気勢すら持たず腐っているだけのお前が。

「なんだその生意気な目は。つけあがりやがって……としての自覚が足りないんじゃないか? 俺が何度躾けてやってもこの体たらく……所詮、まがい物はまがい物でしかないんだろうな。あの取り澄ました顔の貴公子が使用済みの中古品を宛がわれるなんて、ハハッ、あの顔を思い出しただけで笑いが止まらん。お似合いだよ、全く!」

「黙れよ、僕に構っている暇があったら乗馬の練習でもしたらどうだ。学園を卒業してもう2年だぞ、どれだけ馬に蹴られたら叙勲を受けられる日が来るんだ? ああ、それとも、この家に死ぬまでしがみついて生きるのか? サミュエルが跡を継げば馬小屋くらいにしか居場所はないぞ。馬糞を集める仕事くらいしかお前には出来ないだろうから。ハッ、馬の尻から落ちてばかりのお前にはお似合いだな、恥さらしが」

 次兄はとんでもない形相でこちらに詰め寄り、僕の腹めがけて勢いよく蹴り倒した。胃の中のものが込み上げてくるが、必死で飲み下し、床に蹲る。

 次兄はそんな僕をズルズルと引きずり、地下室へと連れ込んだ。11歳まで僕の部屋だった場所だ。僕にとって、最悪の思い出しかない空間。

 始めは、この次兄もどうにか懐柔しようと努力した。しかし、この兄の僕に対する憎悪は並大抵のものではなく、穏便な対応を貫いた結果、反吐が出るような蹂躙を受けた。以降は何もかも無駄であると判断した次第である。

「そこまで言うなら、お前を練習に使ってやるよ。こっちの騎乗は悪くないぜ、知ってるだろ」

 冷たい床に引き倒され、四つん這いの状態に転がされる。こんな貧弱な体では、必死の抵抗もただ体力を消耗するだけの無用の長物だ。一度だけ次兄の股間めがけて渾身の蹴り上げに挑戦するも、舌打ちひとつであっけなく押さえつけられる。

 ああ、知ってるよ、下手くその早漏だってな。

 そう言ってやりたかったが、この部屋に積み重なった悪い思い出が五感を苛み、出るのは情けない涙と嗚咽だけ。背後から喉奥を絞り上げるような不快なせせら笑いが聞こえる。

 ああ、早く、早く、このクソ野郎をこの家もろとも地獄に叩き落としてやりたい。僕がこれまで味わった惨めさを、何十倍にもして返してやるのだ。

 頬をきつく噛んで、吐き気を抑える。鼻腔に、ツンと酸っぱい鉄の味が広がった。

 僕がどんな目に遭おうが、アデルバートが穢されることは絶対にない。そんな未来は、僕がすべて握りつぶす。

 彼は何も知ることなく、輝かしい未来をひた歩むのだ。

 ああ、ざまあみろ。

 +++

「単刀直入に言うが、俺は君のことが嫌いだ、オルグレー嬢」

 2年生になり、皇太子殿下が生徒会長として選出された。教養課程の首席であるからか、僕も役員に指名され、任命式に出席するよう招集を受け、やってきた生徒会室でのことだった。

 部屋には、皇太子殿下と彼の乳兄弟であるという近侍だけが待ち構えており、面食らいつつ首を下げれば、挨拶の一言もなく、前述の氷点下もいいところである評価を賜ることになった次第である。

 初対面とまでは言わないが、殿下とは皇室主催の夜会などで謁見したことのある程度の面識だ。不敬を働く以前の問題である。

 心当たりがあるとすれば。

「アデルはどうして君のような人間を構うのだろうか。その一点だけだよ、彼について気に食わない部分があるのは。その目を見ればわかる。清廉で貞淑な淑女の鑑のように取り繕ってはいるが、君もあのオルグレー侯爵の娘、悪辣にして陰険な本性を持ち合わせた奸悪に違いない。俺はその本性を白日の下に晒し、アデルの目を覚まさせるため、君を役員として指名したんだ」

 その実、僕の父であるオルグレー侯爵は、皇太子殿下と相対する皇太后派閥に属しており、皇太子殿下とは政敵に当たる。しかし、皇太子派筆頭であるラリマー公爵家に、僕を使って渡りをつけたのは、どのような政局に陥っても利権にしがみつくためだ。

 大陸きっての軍事先進国である隣国と先祖代々密接なかかわりがあるオルグレー侯爵家は、我が国の皇室よりも、交易交渉における優越を保持している。そのため、いずれ殿下が即位した時のためにも、皇太子派はアデルバートを人質に差し出すしかなく、成立してしまった婚約なのである。

 皇太子殿下はそんなアデルバートを無二の兄貴分としてこよなく慕っているのだ。そんな彼からすれば、僕ほど鬱陶しく、目障りな人間はいないだろう。

「畏れながら、リシャール皇太子殿下……僕も、全くの同意見です」

 折っていた膝を正し、顔を上げて、真っ直ぐと目の前の二人を射抜く。

 殿下は目を見開いた。近侍も同様の反応である。当然だ。女子生徒の制服に身を包んだ、侯爵令嬢だと思っていた相手から、やや高めとは言え、まごうこと無き男の声が飛び出したのだから。

「オルグレー侯爵家の罪業は僕だけにとどまりません。そのすべてを、ご覧に入れたく存じます。そして、どうか、ご助力を賜りたく……オルグレー侯爵家を滅ぼすために、貴方様のお力が必要なのです」

 悪魔のように美しく微笑んでみせた。殿下は気圧されたように生唾を飲んだが、やがて、満月のような瞳に煌々とした気勢を漲らせ、犬歯を剥き出しに笑ったのだった。

 そもそも、僕が長兄に近づき、ありもしないメンツを立ててやったのは何故か。それは、長兄の任される侯爵家の事業や、決裁に回される書類、帳簿などをすべて把握するためである。

 あの手段を選ばぬ強欲な父のことだ。フォークで少し突くだけで、後ろ暗いことのひとつやふたつ、すぐにでも詳らかになるだろうと思っていた。そしてそれは正しかった。

 むしろ、父は僕の想定以上のことをやらかしていた。父は領地の孤児を人身売買目的で隣国へ連れて行き、裏社会の競売の後ろ盾としてその利益をせしめていたのだ。

 その莫大な利益は、皇国に申告していない最新鋭の兵器の購入に充てられていた。そして秘密裡に近隣の悪徳領主たちを引き入れ、みるみる勢力を増強していっていたのだ。

 あろうことか、父は、隣国を後ろ盾にし、国家転覆を企てていたのである。

「帳簿の不正など、証拠は僕がすべて押さえています。殿下には、オルグレー侯爵家一族郎党を残らず断罪していただきたいのです。勿論、

 国家転覆の企てとは、裁判も飛ばして即時処刑の沙汰を下せるほどに重い罪だ。直系の血族は皆根絶やしにするのが妥当な大罪である。

「……殊勝な心掛けだと言いたいところだが。お前は、証拠を盾にして、何を要求しようと言うのだ?」

「一般市民として生まれ変わるお許しを。ありのままに生きることのできる人生を保障していただきたく、お願い申し上げます」

「それだけか? ハッ、薄気味の悪いことを。何を企んでいるのだか知れたものではない」

「いいえ、殿下。髪を刈り上げてみたい、日焼けしてみたい、息の詰まらない服を着たい、疲れはてるまで野外を駆け回ってみたい、道ゆく素敵な女性に何気なく声をかけて袖にされてみたい……それだけのために、僕は、肉親や血を分けた兄弟の命をたやすく売り飛ばせるのです」

 僕が2歳の時に儚くなった母譲りのアッシュブロンドは、今や腰まで伸びた。曇りの日でも日傘をさし、病的なまでに白い肌には、くすみ一つだに許されていない。虚弱な体つきと骨ばった骨格が目立たないよう、素肌の露出どころか、体型が露わになる服装すら禁じられている。

 偽りだけで塗り固められた、今にも窒息してしまいそうなこの人生から脱するために。それがどんなに悍ましいことか知りながらも、僕は。

「つくづく、お前はアデルの伴侶に相応しくない」

「畏れながら、当然かと。僕は男ですから。相応かを論じる以前の問題でございます」

 王太子殿下は鋭く舌打ちした。互いに好都合な話を持ち込んだつもりだったのに、この反応だ。どうあれ、僕のことは気に食わないのだろう。どうだっていい。そう遠くない未来、この方とも金輪際縁を切ることになるのだから。

 アデルバートと、同様に。僕にとっては、雲の上の人として、ただ仰ぎ見るだけの存在になるのである。
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