クールな義兄の愛が重すぎる ~有能なおにいさまに次期当主の座を譲ったら、求婚されてしまいました~

槿 資紀

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第二話 希望

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 おにいさまは、公爵家にやってきたその日から、殆ど僕につきっきりで、面倒を見てくださるようになりました。

 どんなお医者様もお手上げだった僕の発作を、唯一鎮めることのできるおにいさま。

 発作が起これば起こるほど、僕の体は死に近づいていくことだけ明らかだった現状を憂いていらっしゃったお父様もお母様も、いたく感動なさっておいででした。

 おにいさまは、昼夜を問わず、僕が発作を起こせば、必ずその気配を察知して、僕のもとに飛んできてくださいました。

 僕の代わりにイェントの次期当主となるべく、日夜勉学や鍛錬に励んでいらっしゃるというのに、本当にいかなるタイミングでも、僕を優先してくださいました。

 物静かで、感情をあらわにすることはなく、必要なこと以外は口を開かない、どこまでもクールなおにいさまですが――僕に寄り添ってくださる時の一挙手一投足に、僕への配慮を欠かさない、優しい御方です。

 僕のおにいさまへの敬愛は日に日に募るばかりでした。おにいさまが触れてくださるだけで、心が躍り、たまらなく嬉しい気持ちになりました。でも、どうしてでしょうか。

 おにいさまに優しくされればされるほど、ズキズキと胸が切なく痛んで仕方がなかったのです。

 自分の浅ましさが浮き彫りになるようで、いたたまれませんでした。

 僕は、ただ息をしているだけで、ずっとおにいさまを振り回し続けています。

 おにいさまは、僕の直感に違わず、類稀なる才覚をお持ちでいらっしゃいました。おにいさまの優秀さは瞬く間に評判になりました。

 剣術を始めて半年で、指南役との手合わせに完勝してしまったり、二年後に受験を控える、我が国の最高学府、王立学院の難関入試問題を、初見ノーミスで解いてしまわれたりと、逸話には事欠きません。

 全ては、他に類を見ない才覚と、それに裏打ちされた、おにいさまご自身のたゆまぬ努力によるものです。

 きっと、おにいさまは、僕の発作にさえ邪魔されなければ、もっと、自己研鑽のために時間と労力を充てることができる。

 そうすればもっと、それはお父様にも及ぶか、あるいは容易く超えてしまうような、凄まじい方へと成長なさるはずなのです。

 元をただせば、おにいさまがイェントの名と重圧を背負うことになったのも、僕がこんな情けない体たらくだったからです。

 それなのに、おにいさまは、悲壮なまでの覚悟をして、ご自身が公爵家を受け継ぐからには、完璧でなくてはならないと、自らに厳しく課していらっしゃいました。

 おにいさまと二人、長い夜を朦朧と過ごして、揺れるろうそくの明かりに、読書をするおにいさまの横顔が照らされているのを見つめるひと時。

 僕は、あろうことか、ずっとこの時間が続けばいいのにと思ってしまいました。

 自然と涙が溢れました。早く、僕から、おにいさまを解放して差し上げなければと、そんな強迫観念に苛まれました。

 その日はひときわ体調が悪く、少しでも気を抜けば発作が起こり、全身を切り刻むような魔力反応に苛まれる夜だったのです。

 おにいさまは、片時も僕の傍を離れず、臥せる僕の手を取って、ずっと魔力を注いでくださっていました。

 それでも、寝ずの看病をするには、おにいさまはまだ幼く、うっすら船をこいでいらして……僕は自暴自棄になって、そっと、おにいさまの手を離しました。

 おにいさまの魔力を絶たれた瞬間に、魔力が暴走して、心臓すら止めかねない状態にも関わらず、僕はそうしました。

 今夜、一思いに死んでしまえば、僕がこれ以上おにいさまを縛ることはなくなると思ったのです。

 たちまち、激しい痛みが胴体に重くのしかかりました。内臓が悲鳴を上げ、声も出ない苦悶に瞠目し、ベッドが音を立てるほど、全身が痙攣して止まりませんでした。

 おにいさまはすぐにお気づきになって、立ち上がったご様子でした。何かを仰っていましたが、僕の耳ではそれを聞きとることは出来なくなっていました。

 やがて、嘘みたいに全身の痛みがなくなり、温かく柔らかいものに全身を包まれるような心地がやってきました。

 これで、楽になれるし、おにいさまも楽になるのだと、安心して意識を手放しました。

 しかし、そんなのはただの自惚れで。僕は、数日の昏睡の末、ふたたび目を覚ましました。

 傍らには、やはり、いたくやつれたご様子のおにいさまがいらっしゃいました。

 僕の覚醒を悟り、部屋の外に出て何かを叫んだあと、また僕のもとへ歩み寄ってくる姿を、僕は何も考えられない頭でただ見つめました。

「そう……失敗、してしまいましたか」

「リエル……どうして」

「終わりにしたいって、思ったんです……ケホっ、これ以上、おにいさまの、大事な時間を、奪いたくない……こんなことが続くなら、いっそ、と……」

「二度と、そんなこと、考えないでください……っ」

 おにいさまはベッドの傍らに膝をつき、僕の手を取って額に当て、俯いてそう言いました。

 呆れと、怒りと、安堵。沢山の気持ちが重なって、複雑に揺らぐ声が、僕の心をザラリと撫でました。

 滅多に感情を表に出さないおにいさまが、こんな風に取り乱すなんて、思いもよらないことでした。

「ごめん、なさい……結局、迷惑をかけるだけですね、僕は……」

「誰かが、一度でも、迷惑だと言いましたか」

「……いいえ、でも、僕には、未来があるかもわからないのに、もったいない、です」

 おにいさまの時間、労力、それが、全部を無駄にするかもしれない僕に注がれ続けている。何て虚しいことだろうと思うのです。

「無駄になど、するつもりはありません」

「え……」

「無駄になど、なりません」

「おにいさま……」

「俺が、守ります。あなたの未来も」

 いつになく、きっぱりと、おにいさまは言いました。見開いた目から、勝手にボロボロと涙が零れました。僕は、なんてことをしてしまったのだろうと、ようやく気付きました。

 おにいさまはハンカチで僕の涙を甲斐甲斐しく拭ってくださいます。少しでもこすれて僕の肌を傷つけないように、ガラス細工に触れるような手つきでした。

「どうして、そこまで……?」

「あなたは、俺がここにいる意味だから」

「おにいさまが望んだことではないでしょう……お父様の言いつけだって、僕がいなくなりさえすれば、それまでのことではありませんか」

「俺の望みは、あなたがこれからも生きてくださることです」

 おにいさまの背負う重荷を、少しでも軽くしたいと思っていました。でも、僕のその独りよがりが、僕に注いでくださったおにいさまのお心を、台無しにするところだったのです。

 応えなければ、あんまりだと思いました。ここまでしていただいたからには、僕がするべきは、おにいさまのお心に報いることだと、ようやく思い至りました。

「ごめんなさい、おにいさま……僕、おにいさまに手を握っていただいている間、とても幸せです。ずっとこうしていたいって思うくらい……でも、そんなこと思っちゃいけないって、僕は、おにいさまの足枷だから、おにいさまをずっと縛っておきたいと思うのと同じことだと思って、そんな自分が嫌になってしまったんです……」

 おにいさまは、何もおっしゃいませんでした。でも、僕の手を、ぎゅっと、優しくも、しっかりと握ってくださいました。

 そして、ほんの少しだけ、微笑みかけてくださいました。言葉にするよりも、よほど雄弁なさまで、自然と、強張っていた全身の力が抜けていくのが分かりました。

 この時、僕は決意しました。おにいさまが望んでくださるように、生きることを諦めず、なおかつ、おにいさまの足枷にならない生き方に手を伸ばそうと。

 初めて、自分の人生に希望を抱いた瞬間でした。
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