クールな義兄の愛が重すぎる ~有能なおにいさまに次期当主の座を譲ったら、求婚されてしまいました~

槿 資紀

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第十九話 本能(sideアウレール)

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 俺の魔力容量の半分ほどを注ぎこんでようやく、リエルの発作はおさまった。

 そのまま医務室へ連れて行けば、もとよりリエルはここ数日ずっと寝込んでいたという事実を知らされた。

 心因性の食欲不振と不眠が何カ月も続いていて、ついには高熱を出して起き上がれなくなったところを、友人たちに連れてこられたのだという。

 どんな薬を処方しても一向に高熱がおさまらず、不可解に思って一時帰宅を勧めていたが、と……校医は静かな面持ちでこちらを見据えてきた。

「根本的な問題を解決しないことには、同じことを繰り返すだけでしょう。ともあれ、一度お帰りになって、今後どうするかをお考えになった方がよろしいかと」

 自身の内面の醜悪さから目を逸らすために、俺はずっと、リエルを避け続けていた。すなわちそれは、リエルを守るという、自分の本懐を果たすことからも逃げていたのと同義だった。

 こんなことになるまで、リエルが追い詰められていたことすら、俺は知らずに、のうのうと独りよがりの自己嫌悪に浸っていたのだ。

 結局、一時帰宅という形で、リエルには、実家で療養をしてもらうことになった。説明をするにも、学院でリエルに何が起きていたのかを把握しておらず、義両親にも合わせる顔がなかった。

 リエルを実家に送り届け、すぐさま俺は学院に戻り、状況の把握に乗り出した。風紀委員長としての任期満了が一カ月後に迫っていたため、職権乱用に惜しみはなかった。

 リエルが有象無象の輩によってどんなに苦しめられ、追い詰められていったか――リエルの友人たちに聞かされた、耳を疑うような事実の数々。すんでのところで踏みとどまっていた俺の正気は、たちまち崩壊した。

 守れなかったどころか。リエルは、誰よりも、俺の存在に苦しめられていた。

 常に落第の危機に瀕しているような劣等生。虚弱体質で剣も振るえないような出来損ないの分際で、俺から跡継ぎの座を奪おうとしている厚顔無恥の愚か者だと謗られ。

 俺には、分家筋から拾われた卑しい養子の分際で、血筋の正統な男子を次期当主の座から引きずり下ろした身の程知らずとせせら笑う口で、である。

 強大な権威を持つイェントの名を貶めんと、互いの存在をダシに、悪意の籠った風評をばらまき、娯楽にする。

 強大な権威を持つことが許されたのは、他に何を犠牲にしても、王家を、この国を守ることを定められ、数百年もの間それを果たしてきたからだというのに。

 俺に対する罵詈雑言ならばまだいわれはある。それに、俺はリエルと義両親以外の有象無象には全く興味が割けず、そういった声も、虫の音と同等かそれ以下の煩わしい雑音として無感情に処理するだけのことだった。

 しかし、どこまでも純真で、ひたむきなリエルは、それを真正面から受け止めてしまった。そもそも、俺が公爵家に拾われたころから、自身の体質をいたく気に病んで、自らの命を捨てようとしてしまうほど、思い詰めやすい性格なのだ。

 そんなリエルに、あろうことか、俺はどんな態度を取った? それがリエルの心を傷つけているのだと分かってなお、リエルから目を背けた。

 頼れるはずがない。どんなに苦しんで、追い詰められていても、きっと、自身に背を向ける俺になど、助けを求めようなんて思えなかったはずだ。

 リエルの心を支えていたのは、寧ろ、第四王子の方だった。

 あるとき第四王子は、大事な話があると言って、人気のない校舎裏に呼び出し、自身が薬指に嵌めていた指輪を、沈痛な面持ちで俺に差し出した。

 言われた通りにその指輪へ魔力を流せば、たちまち、脳内に第四王子とリエルのやり取りが再生された。彼とリエルが話していたのは、殆ど、俺のことだった。

 あんなにも酷い態度を取り続けていた俺を、なおもリエルは慕い続けてくれていた。脳の奥が重く痺れ、気付けば涙が流れていた。

「今一度、教えてくれるかい。キミは、リエルのこと、どう思っているの」

「あ……愛して、いる。彼なくては、生きる意味も分からなくなるほどに……っ」

「ねえ、ボクらの英雄ヒーロー。キミは、どうしたい? あの子のために、ボクらができる贖罪ってなんだろう。当てつけって言ってもいいかもしれないけどね」

 仄暗い瞳をして、不穏に微笑む第四王子。彼に差し出された手を、俺は迷わず取った。

「――学院内を浄化する。リエルが戻ってきたとき、誰も彼を傷つけないように。徹底的に見せしめる」

「うん、そうこなくっちゃね」

 それから、俺と第四王子は結託し、任期満了の日が迫るなか、持てる権限を最大限にふるって証拠と証言を集め、リエルを追い詰めた連中の悪事を摘発した。生徒会の主催するプロムナードの日に、金輪際日の下を歩けなくなるよう、晒し上げたのだ。

 しかし、流石は深謀のヒェンブリーゼと言うべきか、首謀者のラヴィーナ・シャルテーヌについては、あくまで周囲を煽動したという証言を得るにとどまった。

 そして、そのすべての証言を「事実無根です」という言葉一つではぐらかし、居直ってみせたのだ。

 それしきで誤魔化せるほど、隙のない立ち回りをしていたのも事実だった。

 学外からの侵入者がリエルを襲った事件についても、手引きをしたのは間違いなくラヴィーナ・シャルテーヌであるはず。

 悪名高きヒェンブリーゼの暗部が動いたのでなければ、学院の不落の魔法防護セキュリティを突破できるはずがないのだ。

 証拠が残っていないのが何よりの証拠なのだ。自他共に認める魔法の天才、第四王子の解析をもってしても、術式への干渉の痕跡を見つけることができなかった。

 侵入者があったという事実がある以上、すでに術者が死んでいるとしか考えられない状況である。

「本当に事実無根であれば、堂々としていればいいことです。誰がとは申しませんが、少なからずお心当たりがあったから、お隠れになったのではなくて? そうでなかったにしろ、身分と相応の責務ある者として、多少の風当たりの強さにも耐えられるようでなくては、時間の問題であったことと存じますわ」

 嫣然と笑みを浮かべ、いけしゃあしゃあと言い放った女狐。実行犯は体よく尻尾切りされ、次の日には学院を去っていき、諸悪の根源は優雅にダンスを踊って、円満に卒業を迎えるという、胸糞の悪い顛末となった。

 とは言え、元来の目的であった、学院の一斉浄化については、おおかた果たすことができた。報いを受けるべき人間は、俺ひとりとなった。

 卒業の日、俺は、勘当を乞うため、義父のもとを訪ねた。イェントから勘当されたという事実を得てから、ヒェンブリーゼ侯爵家を襲撃し、そのまま往生しようと思っていた。それくらいしか、償う方法を思いつかなかったのだ。

 しかし、顔を合わせるなり、義父は開口一番に、思いもよらないことを口にした。

「リエルは、もう、ここを発った。学院も退学すると。もう、王都に戻るつもりはないらしい。きみに、全てを譲ると、そう言っていた」

「あ、ぁ……」

 鈍器で頭を殴られたような衝撃。目ははっきりと見えているのに、目の前が真っ暗になったような、そんな気分がした。

「あの子は、どうやら、きみの存在がイェントに不可欠であることは分かっても、きみにとって、自分が不可欠であることは分かっていなかったようだ……その様子だと、きみ自身も、事実を伝えることを怠ったのだな」

「もうしわけ、ありません……俺は、おのれの醜悪さから目を逸らすのに躍起になり、彼に降りかかる悪意を見過ごしたのです。俺は、彼を守る人間には値しない、卑劣な人間です。義父上、どうか、リエルを呼び戻してください。去るべきは彼ではなく俺です。そのつもりで、俺は……」

「どちらに去ってもらっても困るんだ。説得を試みたが、妻もリエルも意志が固くてな。引き留めようとする私には、行先も教えてはくれなかった。連れ戻しに行くと思っているのだろう。事実、私はそうするからな」

 すべては、イェントと王家のために――義父は、超然としたまなざして、遠くを見つめながらそうおっしゃった。千里の未来を見据えたような佇まいだった。

「表向き、療養だと言っていられるのは、三年が限度だ。それ以上は誤魔化しきれない。きっとあの子は、噓偽りのないきみの気持ちを受け取らなければ、決して納得しないだろう」

「それ、は……」

「リエルを守れなかったことを悔いるなら、リエルがきみにものを捨てて逃げようなどという思い違いだけはやめてくれ。償いたいと言うのなら、今一度、誓ってくれ。必ずや、リエルを守り抜くと。リエルも、きみも、今のイェントには決して欠けてはいけない存在だ。醜くとも、構わない。きみのリエルへの思いの強さが正真正銘であることは、よく分かっている。きみが、不可能を可能にする男であることも」

「ですが、俺の願いは、決して実現してはいけないことです……」

「もはや、なるようになれ、だ。ヒェンブリーゼに嵌められるよりも悪いことなど、そうそうありはしまい」

「……連中は、必ずや、俺がこの手で根絶やしにします」

「あくまで、我らが粛清機構イェントは、王家のために存在することを忘れないように。アレはアレで我が国の役に立っている部分がある。一線を超える瞬間を見逃さないことが肝要だ」

 義父は忌々しげに吐き捨てた。しかし、向こうにその気があるのは一目瞭然である。娘を使ってイェントの正統なる後継者を排除しようとした。この企みは、間違いなく、イェントの盤石を突き崩す目論見あってのものに違いないのだ。

 いつか、必ずや、目にものを見せてくれると、ほの暗い決意を交わし合い、俺と義父は頷きあった。そして、俺はイェント騎士団の一部隊を任せられ、表向きは巡視と称しつつ、リエルを探して各地を巡る旅に出たのだった。

 一年経ち、リエルは一向に見つからなかった。心当たりだった義母の兄を当たってみるも、のらりくらりとはぐらかされた。

 そして、かわりに、ヒェンブリーゼの息のかかった地方貴族が、貿易商団を通じて異教徒の帝国と密通し、我が国の情報を流しているという事実を掴まされたのだった。

 イェントの名を背負っているからには、見つけてしまったものは対処せざるを得ない。俺はイェントの庇護する商会を使って貿易商団を少しずつ乗っ取り、帝国の動向を把握、情報の動きを攪乱・操作した。

 しかし、ヒェンブリーゼも一筋縄ではない。俺の動きをたちまち察知し、地方貴族の屋敷に火を放って証拠の隠滅を図った。

 関わった人間ごと事実を消し去ろうという姑息かつ非道な常套手段で知られる巨悪の頭が、あろうことか我が国の宰相を務めている。

 イェントの忠誠もこれでは甲斐がないというものである。

 帝国の動向にかかずらっている間にも、残酷に月日は過ぎ去った。気付けば帝国による侵攻が開始し、気付けば撃退に成功していた。

 もとより情報工作の時点で向こうの作戦は骨抜きにしており、侵攻を撃退すること自体は実に容易いもの。すべては、リエルの捜索の片手間だった。

 本意でない手柄ばかりが上がり、肝心のリエルが見つからない。他の何もかもがただただ煩わしく、焦燥感ばかり募っていく、常闇に飲まれたような暗澹たる日々だった。

 リエルが、俺を光の中に導いてくれたのだとばかり思っていた。しかし、それは全くの思い違いだった。

 リエルこそが、俺の光だった。人生の導となる、ただひとつの灯だった。

 俺が、リエルの命を救ったのではない。リエルがずっと、俺の心を救ってくれていた。

 俺は、リエルを通じてでしか、まともに、幸福も、喜びも、苦しみすらも、感じることができない、空虚な人間なのだと、つくづく思い知った。

 三年というタイムリミットが近づけば近づくほど、リエルへの激情が募っていった。自分が、理性なき獣に成り果てようとしていることを、じっくりと悟った。

 限界がすぐそばまで迫って、じりじりと追い詰められ、夜も眠れなくなった。そんなある日のことだった。

 ぶわ、と夜空に光が舞い上がった。三年ぶりに見た光はあまりに眩く、震えるほど美しかった。

 火を噴くような熱っぽい激情が全身を突き動かした。ついには、自分が獣に成り果て、この猛り狂う本能は、おそらく死ぬまで止まらないだろうことを確信したのだった。
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