クールな義兄の愛が重すぎる ~有能なおにいさまに次期当主の座を譲ったら、求婚されてしまいました~

槿 資紀

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第二十話 成就

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 窓の外で鳥のさえずりが朝の訪れを告げています。今までに感じたことのない疲労感と倦怠感で、全身が泥になったような気分がしました。

 光を感じた目が、自然と開きました。たちまち、僕を見下ろすおにいさまが、さめざめと泣いていることに気付きました。

「どっ……えっ、あ、ぁう、あの、なにが」

「ころしてくれ」

「はい⁉」

「あなたは、こんな目に遭っていい人ではない……あなたをこんな目に遭わせた俺はこの世に存在してはならない下等生物だ……」

「本当に昨日の貴方と同一人物ですか……?」

 僕も混乱のあまり、よく考えたら支離滅裂な問いかけをしてしまいました。昨晩はあれほど熱烈に僕のすべてを望んでくださったのに、次は殺してくれなんて。

「貴方は、むごい御方です。せっかく、喜んで、僕のすべてを捧げようと思ったのに。欲しいものが手に入ったら、もう満足なのですか? 貴方に捧げた僕はどうなるんですか? もろとも死ねばいいのでしょうか」

「は……」

「教えてください……貴方は、僕の全てを手に入れて、どうなさりたいのですか。結婚と仰いましたが、あれは本気なのでしょうか」

 おにいさまは、いたく目を泳がせ、瞬きを繰り返しました。あ、だとか、う、だとか、そんな呻き声を漏らして狼狽え、やがて、ガクリと首を項垂れ、スンと鼻を啜りました。

「け、結婚は、したい。だが、同じくらい、消えてなくなりたいとも思っている……」

「その、どちらかと言えばどっちですか?」

「……わからない」

「わからないですか……困りましたね」

 その二択なら迷わず結婚を選んでほしかったところです。それならまずは、消えてなくなりたいと思う原因から明らかにして、その原因を取り除けないか探ってみましょう。

「消えてなくなりたいと思うのは、昨晩、僕と一線を越えてしまったから?」

「――部分的に」

「……部分的に、とは?」

「俺は、欲望に任せて、あなたを求めてしまった。俺には、あなたを求める資格などないのに。それでも、どうしても、あなたを渇望してしまう。こんなことなら、消えてなくなったほうがいい」

「どうして、資格がないと思うのですか?」

「何にかえても守ると誓ったのに、俺は、自分の卑劣さを受け止められず、あなたから目を背けた。そのせいであなたは傷つき、悪意に晒され、苦しんだ。俺が苦しめたんだ。贖罪すらも果たせなかった分際で、貴方を求めるだけ求めて……俺は、あなたを穢すことしかできない、醜いケダモノだ」

 あなたの傍に在りたい。そんな自分が許せない――おにいさまは、振り絞るような声で、そう仰いました。

 おにいさまほど美しく、毅い御方を、僕は知らないというのに。おにいさまはきっと、自らに課す理想が高すぎるのです。どうして、卑劣などと思うのでしょうか。

「僕は、貴方の人生を消費して、ようやく生きることができた人間です。もとより、貴方が守るべき人間ではありません。邪魔者を邪魔だと思うことの、何が卑劣なのでしょう。貴方から奪うことしかできなかった僕を、それでも守ろうと思ってくださったのですよね? 貴方のどこが醜いと言うのでしょうか」

「違う……あなたは、俺のことを、ひどく誤解している。俺は、もとより、あなた以外の何かを求めたことなどない。あなたは、ご自身が順当にイェントの跡継ぎになられることを、俺がいる手前、いたく気に病んでいたようだが――俺は、イェントの跡継ぎから降ろされること自体に一切の不満はなかった」

 クラクラと眩暈がしました。そもそも、そんな根本的なところから認識が食い違っていたなんて。しかし、それならば、なぜあのような態度を? 僕がイェントの当主になることに不満を抱いていなければ考えられないような素振りでいらしたはずです。

「では、何がご不満だったと……?」

「……あなたが当主になれば、当然、イェントに相応な名家の令嬢と結婚することになる。俺でない誰かが、あなたの伴侶として、あなたの人生に深く食い込むのだと思うと、気が狂いそうになった。もし、あなたが、虚弱な体質のままであれば、こんなことにはならなかったのだろうかと――俺だけが、あなたの特別でいられたのだろうかと、そんな醜悪な考えを抱いてしまうほどに」

 おにいさまはぐったりと項垂れました。ようやく、おにいさまの核心に触れることができて、僕は肩にずっしりと何かが圧し掛かるような心地に苛まれました。

 おにいさまは、僕を守るということに、どうにも固執しすぎていらっしゃる。ただでさえ、今の僕の人生は、おにいさまによって齎されたものなのに。

 それ以上の特別がありましょうか。すべての特別の前提に、おにいさまという、覆しようのない奇跡があるのです。まだもそれ以上を望むなんて、欲張りな御方です。

 その途方のないまでの貪欲さで、脇目も振らず、ただ僕だけを求めてくださっている。ゾクゾクと、甘く強烈な法悦が込み上げました。

「俺は、俺の満足のために、あなたの苦悶の日々が戻ってくることを夢想した。あなたを守ると宣っておきながら、あなたの純潔を犯さんと欲した。こんな俺に、あなたの傍で生きる資格はない。だが、あなたなしでは、正気を保つこともきっとままならない。俺の空虚を埋めてくれるのは、あなただけだから。本当にどうしようもない。消えてしまいたい……」

「そういうことなら――うん、結婚しましょうか、僕たち」

 不自然に押しのけられたような空白が、僕とおにいさまの間に静けさとして現れました。おにいさまの周りだけ時が止まってしまったかのような、異様な空気感が漂います。

 ややあって、おにいさまは再起動を果たしました。なおも、よく分かっていないような目をなさっておいででした。

「……すまない、長々とややこしい話をされて、よく分からなかったよな。確かに、昨晩は欲望に駆られるまま結婚しようとは言ったが、それは叶ってはいけない願望だから消えたいという旨を伝えたくてだな」

「叶ってはいけないことなのですか? 実現こそ難しいですが、前例がないわけではありません。国益にかなう婚姻であると王家に認めて頂ければ、僕たちは結婚できるはずです」

「俺のようなどうしようもない人間があなたと結婚などしてはいけないだろう……!」

「だって……僕は、嬉しいです。大好きなおにいさまと結婚できるなんて、夢みたいです。それに、僕と結婚できないとお思いだから、消えてしまいたいんですよね? 僕は貴方にそんなこと思って頂きたくないので、何としてでも結婚しなければならないと思います」

 それに、おにいさまの存在が消えてしまうということは、即ち国家の損失です。世を儚むおにいさまを、僕との結婚でつなぎとめることができるなら、それはまごうこと無き国益に違いないでしょう。

 つまり、僕たちは絶対に結婚できるはずです。つくづく素晴らしいことです。

「ちゃんと、俺の話を聞いていたんだよな……? 俺がいかに醜悪な本性を持ち合わせた人間かを伝えたつもりなのだが」

「……? とんでもなく僕のことを愛してくださっているという話でしたよね? 僕、とびきり幸せ者だなぁって思いました。嫌われてしまったと思って、思い出すたびに眠れない夜を過ごしたんです。でも、勘違いだった。恋しくてたまらなかった、大好きなおにいさまに、嫌われる僕なんていなかった……ふふふ、よかった。ここまで生きてみるものですね」

「リエル……あなたは、その……無防備、すぎる」

「いけませんか? おにいさまにだけですよ。他の誰かに同じことを言われていたら、僕の魔鉱石が火を噴いたでしょう。僕は、おにいさまにとって、どこまでも都合のいい人間でありたいのです。それとも、はしたない僕はお嫌いでいらっしゃいますか……?」

 おにいさまは両手で顔を覆い、ぐう、と唸りました。そして、か細い声で、大好きだ、と仰いました。

「今一度、お聞きいたしますね。僕と、結婚したいと――そう、お思いですか?」

「けっこん、したい」

「ならば、結婚しますか?」

「あなたが、ゆるしてくれる、なら」

「それじゃあ、結婚しましょう」

「…………する」

 僕は、たまらなく愉快で、幸せな気持ちになって……おにいさまの、ご自身の顔を覆う両手の手首を掴んで、くいっ、と軽く引きました。

 すると、頬を真っ赤に染めて狼狽えたご様子のおにいさまのお顔が現れました。いとけなく、可愛らしい、愛おしさが溢れて止まらなくなるような面持ちでした。

 そっと、額同士を触れ合わせ、目を閉じました。おにいさまは、そんな僕をかき抱くようにして、甘い口づけをしてくださったのでした。
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