限界社畜、異世界に連れ去られてよしよしされる

海野ことり

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【1】初めての拉致監禁-③

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 日影は目が覚めた時、手足に触れるサラサラとした布の感触にうっとりとした。
 清潔で滑らかで良い匂いがする。とても気持ちが良い。

「ん……ずっと触れていたい……」
 目を閉じたまますりすりっ、とシーツに頬を擦り付けた日影の頭の上から声が降ってきた。

「それもいいけど、お腹が空いてるんじゃない?」
「えっ?」
 誰だ、どうして、ここは一体?
 驚いてぱちりと目を開いた日影の瞳と男の瞳が、正面からまともにぶつかった。
 互いに無言のまま見つめあう。

「どう? 少しはすっきりした?」
 にこりと笑われて日影は顎を引いた。頷いたようにも、戸惑って表情を隠したようにも見えたが、男は気にせず話を続ける。

「まずは具の入っていないスープを飲んで、それからお風呂に入って、人心地ついたところで消化の良いものを食べよう」
「あんた誰?」
 男の長広舌を遮って日影が訊いた。警戒心バリバリの、猫なら耳も尻尾もピンと立っているだろう態度に男が小さく笑った。

「俺は折原おりはら翔太しょうた、二十六歳。バイク便のライダーをしている。昼間のあなたの様子が気になって、一応見に行ったら深夜だってのにいるし、倒れるし、意識も失って……これでも焦ったんだからね」
 悪戯っぽく咎めるように言った男の言葉に、日影はサーッと顔から血の気が引いた。

 そうだ、壊れたPC。作り掛けだったプログラム。それに会社に連絡も入れていない。
 クビになるにしても手順と言うものがある。どうしよう。
 静かにパニクる日影に、男――折原がゆっくりと言い聞かせるように言った。

「PCは片付けさせたし、有給休暇取得の手続きもした。あなたには最低でも、一週間はここにいて貰う。会社の事は心配しなくていい」
「はぁ!? 片付けさせたって、有給休暇って、何を言って――」
 混乱している日影に、折原は更に意外な事実を告げる。

「俺はあの会社の社長の息子なんだ。会社を継ぐつもりはないけど、社員一人くらいはどうとでも出来る」
「それは……脅迫か?」
 勘違いして鋭く睨んでくる日影を見て、折原は薄く笑った。
 確かに誤解されても仕方のない言い方だったかもしれない。
 だがそれならそれで手っ取り早い。

「そうだよ。クビになりたくなければ、俺の言う事を聞くんだ」
 あなたはいっその事クビになった方が幸せかもしれないけど、とは心中に留め置く。

「俺なんか脅迫したって仕方がないだろう!? お前が欲しがるようなものは、何も持ってない!」
「そうでもないよ」
 何も持っていないなんて、そんなことはない。けどきっと彼だけが、それを知らない。
 彼は自分の優秀さや魅力に気が付いていないし、それを大事にする方法も知らない。
 そして何故か容姿に関してもコンプレックスを抱いているようだ。

(磨けば十分に光るのに)
 そう思ったが、折原は取り敢えずお腹に何か入れた方がいいだろうと温かいスープを持ってきた。
 日影は手渡されたそれをふうふうと吹き冷まして啜り、身体に染み込むような優しい味わいに、瞳をじんわりと潤ませた。

「おいしい……」
「鰹節で出汁を取って、朧昆布を入れただけだけどね」
「?」
 何を言われているのか丸で分からないといった日影の表情に、折原が破顔した。
 どうやら彼は料理はからきしらしい。

「温まったらお風呂に行こう」
「行こうって――外に出掛けるのか?」
「いや、心配だから一緒に入るってだけ」
「冗談じゃない! 風呂くらい一人で入れる!」
「でも倒れた後だからね。それにスープ一杯くらいじゃ、体力だって戻ってないだろうし」
「じゃあ食べてから入る!」
「それもねぇ、どうかと思うよ。清潔というのは一番の病気予防なんだってさ。あなたも毎日、シャワーくらいは浴びた方がいいよ」
「ほっとけ……」
 日影は反射的に言い返したものの、自分が臭うことが恥ずかしかった。
 何日も会社に泊まり込んでいたから臭うのも当たり前だったが、自分ではすっかり麻痺していて、周囲への気遣いすら忘れていた。
 その事を若くてスベスベした良い匂いのする男から指摘されて、居たたまれない。

「じゃあ、風呂から出たら呼ぶから――」
「駄目。シャンプーするのも腕がだるいって言いそうだもの」
「ッ! 言わねぇよ!」
 嘘だ。本当は筋力の衰えた身体では上半身を起こしておくのだって億劫だった。ましてや、両腕を肩より高く上げて髪を洗うなんて苦行はしたくない。

「あのね、すぐにバレる嘘を吐くなんて、子供みたいだよ? ほら、浴室まで抱いて行ってあげようか?」
「ばかばか触るな!」
 日影は少しふら付きながらも一人で立ち上がって、浴室についていった。
 そして身体を隠すように背中を丸めて、ピカピカしたタイルの上に座り込んだ。

「それじゃ寒いでしょう。浴槽に入って、頭だけこっちに頂戴」
 このまま入ったらお湯が汚れるのに。日影はそう思ったけど言い出せなくて、大人しく湯船に漬かって頭を組んだ両腕に乗せた。
 シャワーを上から掛けられて、ミントの香りのするシャンプーで髪を洗われた。
 生え際から入る男の指が気持ちよくて、とろりと瞼が閉じてしまう。

「痒いとこは無い?」
「……うん」
 これ以上は無いくらい丁寧な手付きに文句などあろうはずがない。

(こいつ、何だってこんな事をしてくれるんだろう……)
 日影は不思議に思ったが余りの気持ちよさにそれ以上考える気が起きない。

(まあいいや。俺は脅迫されてるんだし、こいつは社長の息子だ。俺は反抗できる立場じゃない)
 逆らえないんだから、何も考えずにされるがままになっておけばいい。
 日影は思考を停止させて、身体まで洗われてしまった。
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