勝ち組の定義

鳴海

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勝ち組の定義

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 普段の生活の中で、北村樹がファミリーレストランに入ることはほとんどない。

 食事をするなら、値段が高くても自分の好みに合う料理を出してくれる店を選ぶし、美味いコーヒーを飲みたいと思えば、街角にある昔ながらの小さな喫茶店に足を運ぶことにしている。

 それなりに稼ぎはある。専業で作家をしている北村の本はそれなりに人気があり、新刊が出るたびにそこそこの売り上げを上げている。
 独身なので、稼いだ金は誰に気兼ねすることなく、自分の好きなように使うことができた。

 だから北村は我慢などせず、自分の気に入ったものになら惜し気もなく金を使う。そうやって心からの満足を得ることが生きた金の使い方であり、それができるからこそ仕事もがんばれると北村は思うのだ。

 使い古された言葉ではあるが、人生とはまさに有限である。その限りある人生を、少しでも勝ち組としていきていきたいと北村は考えていた。

 北村にとって勝ち組とは、できるだけ我慢せずに好きなことをして生きることを許された人間、と言い換えることができる。
 そして今のところ、北村は自分が勝ち組の枠に入る人生を送っていると、自信を持って言える生活を送っていた。

 そんな北村だが、人間社会の中で生活している以上、嫌なことを我慢しなければならないことは当然ある。それがまさに今の状態で、嫌いなファミレスに入って窓際の席に座り、向かいの席に座る大学で知り合った後輩を前に、北村は隠そうともせずに面白くない顔をしていた。

 その目の前の後輩、二才年下の石原大輔は、現在二十六才の会社員である。

 高校まではサッカー小僧だったと本人がたまに話題に出すに相応しく、いかにもスポーツマンといった見た目の逞しい肉体と高身長、日に焼けた浅黒い肌をしている。今は元気なくしょぼくれた顔をしているが、普段は明るく爽やかタイプの男前で、昔から女によくモテることを北村は知っていた。

 北村自身、女に好まれる端正に整った容姿の持ち主である。中肉中背、肌が白い上に眼鏡をかけているせいで、いかにもインドア派に見えてしまう。しかし、実際は健康のために週に一、二度はジム通いをしているため、服を脱げば所謂「細マッチョ」な体つきをしている。付き合う女たちからは、脱いだ時のギャップが堪らないとなかなか好評である。

 だから当然のごとく、石原に負けず劣らず北村も女にはモテてきた。そのことも、自分が勝ち組であると北村が自負する材料の一つとなっていることは言うまでもない。

 そんな見目の良い男二人が、金曜の夜に二人だけでファミレスの席についているのだ。言うまでもなく、周囲の女たちの視線を集めていた。

 北村が面白くない顔をしている原因の一つがここにあった。

 いい年をした男が二人、ファミレスで食事しているのである。北村の価値観で言うと、自分たちは低収入でうだつの上がらない人間だと周囲に吹聴しているのも同然の行為だった。

 知らない相手にどう思われても、北村は気にしない。しかし、自分をこんな状況に置く原因となっている目の前の後輩には、多少なりとムカついているのも事実である。

 昨日の夜、突然連絡をしてきた石原から懇願されて、急遽会う約束をさせられた北村は、それだけで既に機嫌が悪かった。

 石原はいつも急に連絡を入れてきては、かなり強引に会う約束を取り付けてくる。しかも、待ち合わせ場所はいつもこのファミレスか、通りの少し先にある大衆居酒屋かのどちらかである。

 どちらの店も値段が安い分、不味くはないが特別美味しいわけでもない食事や酒、つまみしか出してこない。

 自分が呼び出したのだからと言って、いつも石原が金を出す。しかし、北村の口に合わないこの店の料理を奢ってもらえても、正直少しも嬉しくないというのが北村の本音だった。できればもっと良い店に行きたいと思う。

 時々ではあるが、たまには自分が奢るから別の店に行こう、と北村が提案することがある。そのたびに石原は真面目な顔でいつも決まってこう言った。

「俺の頼みで来てもらったんですから、先輩に金を出してもらうなんてできませんよ。先輩は有名な作家で、仕事もめちゃくちゃ忙しいのに俺のためにわざわざ時間作ってくれて、それだけでも十分ありがたいんですから。いいです、分かりました、先輩の行きたい店に連れて行って下さい! 大丈夫です、もうすぐ給料日だし、俺が払います。あ、その店ってクレジットカードは使えますよね?」

 そんなことを言われたら、他の店に行きたいなどと言えなくなってしまう。たまに会う時の石原が決まって金欠状態であることを北村は知っているからだ。

 石原は北村と同じ名門大学出身である。成績もかなり優秀だったので、有名な大手商社への就職を見事に果たした。本人から話を聞く限り、そこでの人間関係や仕事ぶりも悪くないらしく、それなりに上手くやっているらしい。当然、そんな大企業で働く石原の給料が少ないわけがない。

 けれども北村と会う時の石原は、決まっていつも金欠なのだ。それには当然ながら理由がある。

 石原が北村に会いたいと連絡してくる時。それは大抵において、付き合っている彼女と上手くいかないから相談にのって欲しいだとか、既に彼女にこっぴどく振られた後で、愚痴や彼女とのこれまでの思い出話を聞いて欲しいだとか、とにかく女関係の話を聞かされる時ばかりなのである。普通の雑談も少しはするが、女関連の話の量に比べれば、おまけ程度でしかない。

 石原曰く、交際相手たちのことは、いつでも出来る限り大切にするよう心がけているとのこと。付き合いの中で金をケチることもない。むしろ、使い過ぎるくらい金を使って自分の愛を表現しているらしい。

 欲しがるものは惜し気もなくプレゼントするし、高級なレストランにも頻繁に連れて行く。旅行時には離れのある老舗の宿屋か、四つ星以上のホテルにしか予約を取らないなど、かなり大盤振る舞いしているそうだ。

 石原がいつも金欠な理由。それはようするに、女に貢ぎまくっているせいなのである。

 これまで石原から何度も女の相談をされてきた北村である。石原が女とどんな風に付き合うのか、歴代彼女の数だけ聞きたくもないのに逐一報告を受けてきた。

 自分を呼び出す石原が毎回決まって金欠なことも、その理由も、だから北村はよく知っていたのである。

 だからこそ腹が立つ。自分は一応先輩で、急に呼び出された挙句に話を聞いてやっている立場である。それなのに、どうしてこんなに安い飯や酒を奢られるだけで納得しなければならないのか。

 女にはアホかと思うくらい貢ぐくせに、自分に対する扱いと比べると、差がありすぎに思えてならない。いや、女に貢いでいるからこそ、北村に使う金がないのではあるが……。

 そもそも、女のことを聞かされることも、北村にとっては迷惑以外のなにものでもないのだ。たまに会えば彼女との関係について鬱々と愚痴を聞かされたり、楽しかった時の思い出話を延々と馬鹿みたいに語られる。

 それらはすべて北村にとってみれば、他人事のどうでもいい話でしかない。

 では、なぜ北村が石原の誘いを断らず、面白くもない話を聞かされることが分かっていながら、毎回呼び出されるたびに会ってやっているのか。

 昔からの知り合いだから、という理由も勿論ある。

 なんだかんだと言いながら、わざわざ時間を割いてやるくらいには北村は石原を気に入っていた。女関連では面倒臭いが、これで石原はなかなか人懐っこくて可愛げがある人間なのだ。しかも、能力的にはかなり優秀と言える。

 大学時代、北村は人付き合いを面倒に思い、周囲に対して分かりやすく壁を作り、人を寄せ付けないオーラを出しまくっていた。そんな北村に何度も話しかけてきたのは石原くらいのものである。

 しかも石原は、キャンパスで会った北村に自分が話しかけるたび、どれだけ迷惑そうな顔をされても邪険にされても、気持ちの良い笑顔で挨拶をし続けた。最終的に根負けした北村が返事をするまで、毎日毎日にこやかに声を掛け続けたのである。

 そのあまりのしつこさに、なんて空気の読めない奴なんだと最初の頃は苛ついた北村だったが、慣れてしまえば自分に向けられる裏表も下心もない単純な好意が心地良くなった。

 大学生の頃、既に作家として活動をしていた北村の出した本は全部読んでいるらしく、新刊が出るたびに一生懸命目を輝かせながら感想を聞かせてくれた。

 人間というのは所詮単純な生き物で、自分に好意を向けてきたり褒めてくる相手のことを嫌えないものなのだ。北村とて例外ではなく、気が付けば石原に絆され、かわいい後輩として懐に入れてしまっていたのだった。

 大学を卒業して社会人となった今では、他人との親密な関係をあまり好まない北村にとって、石原は最も友人らしい付き合いを続けている唯一の相手となっている。

 とはいえ、北村が石原からの誘いを断らない理由は、そういった感情的な意味合いからだけではない。実はそこにはもう一つ理由があって、それには北村の職業が大いに関係しているのだった。



 北村が公募の新人小説賞で大賞を獲得し、ノンジャンルの大衆小説家としてデビューを果たしたのは、大学一年がもうすぐ終わるといった頃のことだった。その小説がベストセラーに片足を突っ込むくらいの売れ行きを見せたことから、出版社はすぐに腕利きの担当編集者を北村につけた。その彼の尽力もあって、大学に在学中から本を数冊出版し、順調にファンと収入を増やしていった北村は、大学を卒業すると同時に専業作家として自立することになった。

 つまり、一度も就職することなく作家となったのである。

 子供の頃から話を作ることも書くことも好きだった北村は、小説家になれたことにかなり満足していた。が、社会人経験のない自分の経験の浅さについては、このままではいつか面白い小説が書けなくなるのではないか、薄っぺらい内容の作品しか書けなくなるのではないかと、いつも不安を抱えていた。

 家がそこそこ裕福だっただけに、仕事と名の付くものはアルバイトでさえも未経験である。

 勿論、小説を書く前にはしっかりと取材をする。たくさんの人から話を聞かせてもらう。しかし、もっと身近にもっとリアルに、一般社会で普通に生きる人々の体験談をより自然な形で聞きたいと北村は思っていた。そう、まるで自分が実体験しているかのように感じられるほど、感情面その他すべての話を赤裸々に聞きたかったのだった。

 そんな欲求を解消してくれる人物が、定期的に会って話を聞かせてくれる石原だったのである。

 無理矢理聞かされる女絡みの話や、会社で起きたちょっとしたエピソードなど、そういった話を親しい友人の立場から聞けることは、北村にとって小説の資料を手に入れるための貴重な手段となっていたのだった。

 石原の話のほとんどはどうでもいい内容ばかりだし、女の話なんて北村にとってはくだらないとしか言い様のないことばかりである。

 けれど、たまに興味を引かれるエピソードが紛れ込んでいることがあり、それを当事者本人の口から話してもらえることは、たまらなくリアリティがあるだけでなく、その出来事をより身近なものとして北村に感じさせてくれた。その体験は、ほとんど友人がおらず、インドア派で家に引き籠ってばかりいる北村を、小説家としてたまらなく興奮させてくれた。

 そうやって石原から仕入れた話に脚色を加えて面白味を増し、小説の中にエピソードの一つとして組み込むことがたまにある。当然ながら、事前に石原の了承を得てのことだ。

 自分の話が小説になり、少しでも北村の役に立っていることを、石原はとても喜んでいるようだった。

 そういった具合に、石原に会って話を聞くことには、北村にとってそれなりにメリットがあるのだった。話のほとんどは、ありふれたどこにでも転がっているような内容ばかりであるが、とはいえ、たまに面白い話が混じっていることも事実である。そして、それは人間関係の乏しい北村をかなり助けてくれているのだ。

 実を言うと、言葉と態度には出さないものの、北村はかなりの感謝の気持ちを石原に対して持っていた。食事が口に合わないだけではなく、感謝の気持ちのお返しとしてたまには自分が奢ると北村は言うのだが、石原は断固としてそれを受け入れようとしない。

「いやだって俺、いつも辛気臭い話ばっかり先輩に聞いてもらってるし。先輩が俺に付き合って愚痴聞いてくれること、本当にありがたいって思ってるんです。俺ってなぜだか友達とか同僚から一目置かれてて。実際はたいしたことないのに、凄いヤツだと思われているっぽいんです。そういうヤツらには愚痴なんて言いにくいでしょう? 先輩だけなんですよね、俺が思いっきり本音や愚痴を言って、情けないところさらけ出せるのは」
「そ、そうか」
「先輩は俺が体面取り繕うことなく素でいられる、本当に本当にありがたい存在なんです。だからせめて金くらい払わせて下さいよ。毎回ファミレスばっかりで申し訳ないですけど」

 そんなことを少し照れ臭そうに笑いながら言うものだから、北村としても石原のことを「ダメな部分があるけれども慕ってくるから放っとけないかわいい後輩」とする思いが深まるし、急に呼び出されて苛ついても、ついつい「アイツはホントに仕方がないヤツだな」なんて思って会うことを承諾し、下らない話に付き合うことになってしまうのだった。

 そして今回も前日に突然連絡がきて、いつものファミレスに呼び出された北村は、美味くも不味くもない料理を奢られていたのだった。向かいの席のしょぼくれた顔をした石原は、相も変わらず女のことについて、延々とくだらない愚痴や思い出話を話し続けている。

 実は昨日、しばらくの間かかりっきりになっていた長編小説を無事に脱稿できた北村である。昨夜はとにかく寝た。不足していた睡眠をたっぷりと補った。そして、本来ならば今日、夕食にはいつもより多めに金をかけ、豪勢な食事と酒で自分を労う予定だった。それが脱稿後の北村が行うルーティンだった。

 それなのに。

 今、北村の目の前にはたいして美味くもない食事しかなく、その上つまみになっているのは、石原がどんな風に女に振られたかという、実にどうでもいい話ばかりである。

 確かに昨夜、北村はしっかりと睡眠をとったし、久し振りにゆっくりと身体を休めることができた。しかし、完全に疲れが抜けたわけではない。蓄積された疲労が身体の奥底にまだ残っている。更にはいつものルーティンを行えず、がんばった自分にご褒美として金を思いっきり使い、労うこともできないこの状況。

 そう、この時の北村は、ストレスと疲労のせいでいつもより少しだけ……いやかなり、忍耐力を低下させていた。

 いつもなら石原の話を聞きはしても、そのほとんどを右から左へと聞き流す。適当に相槌を打ち、たいして考えもせずに慰めや応援の言葉をかけるばかりだった。

 正直なところ、石原の女事情など北村にとってはどうでもいいことでしかない。聞いても面白くない。勿論、かわいがっている後輩なので、幸せになって欲しいという思いはある。が、女に貢がされて振られるのもまた石原の選んだ人生である。好きにすればいいじゃないか、というのが本音といったところだった。

 しかし、今回はいつもとは少し違う。脱稿に対する自分へのご褒美を邪魔され、疲れも完全にはとれていない状態の北村は、本人も無自覚に忍耐力が低下していて、石原の話にかなりイライラしていた。

 石原の話はいつもと同じで女のことばかり。本当にくだらない。しかも、今回は既に女に振られた後であり、特に相談があるわけでもなく、石原はただぐずぐずショボショボと未練がましい言葉を吐くばかりである。

 それでも北村は我慢した。あともう少ししたら、このくだらない食事会もお開きになるだろう。そこまでの辛抱だ。耐えろ、耐えるんだ、俺!

 そう自分に言い聞かせながら、北村はなんとか我慢して石原の話を聞き続けたのだった。

 それなのに。ファミレスでの愚痴だけでは話し足りなかったのか、石原は事もあろうに食事の後、これから一緒に居酒屋へ行こうと北村に提案してきたのである。

「ね、先輩、行きましょうよ。俺、もう少し先輩と話がしたいです!」

 話したことで多少は気も晴れたのか、石原は笑顔でそう誘ってきたが、誘われた側の北村は普段と変わらない顔の裏で、実は堪忍袋の緒をブチブチブチッと引きちぎりまくっていたのである。

 あまりにも怒ったせいで、いつもなら即座に断って家路につく北村が、この時は珍しく石原からの誘いにのり、共に居酒屋に行くことを了承したのだった。

 勿論、優しさからそうしたワケではない。

 ファミレスでは大人しく石原の話を聞いてやった。優しい言葉も少しはかけたし、慰めるようなことも言ってやった。

 しかし、それもここまでだ。

 居酒屋では空気読んだり気を使うことは一切やめて、思っていることを包み隠さず洗いざらい石原に言ってやろうと北村は思ったのだった。

 そんな北村の心境に気付くことなく、石原は珍しく北村が二件目に付き合ってくれたことに大喜びしていた。店員の案内で隅の奥まったテーブル席につくと、にこにこしながらメニュー開いて北村に渡す。

「先輩、なに飲みます?」
「生ビールだ。大ジョッキで!」
「おおっ、珍しいですね! 先輩、今夜は飲む気満々ですか!! いいですよ、どれだけでも付き合います。今日は金曜日だから、明日は俺も会社休みだし」
「浮かれるな、バカ」

 嬉しそうな石原を北村は冷たく睨みつけた。

「これまで遠慮して言わずにいたことを、今夜は全部言わせてもらうことにする。そのための景気づけだ!」

 注文を取りにきた店員に、酒といくつかのつまみを注文する。すぐに運ばれてきたジョッキを手に持つと、北村は勢いよくビールをあおった。

 元より酒には強い体質で、ビールなどかなりの量を飲まなければ酔い潰れることもない。ジョッキの中身を半分ほど一気に飲んだところで口を離すと、北村は手に持ったそれをドンッとテーブルの上に叩きつけるように置いた。そして、キッと石原を強く睨む。

「前々からお前には、一言ひとこと言ってやりたいと思ってたんだ」
「は、はいっ」

 説教が始まりそうな気配に、石原が背筋を伸ばした。

 そんな従順な後輩の態度に機嫌を少し回復させた北村が、またビールをグビッと喉に流し込む。テーブルの上には石原が注文した乾き物を中心とした簡単つまみが、すでに色々と並んでいた。

 その中から枝豆を手に取ると、北村はそれを石原の顔にビシッと向けた。

「お前さ、聞かせてもらうけど、これまで山の様に彼女がいた中で、本気で好きになった相手が一人でもいたのか?」
「え?」
「たいして好きでもないのに、ただ見た目が綺麗だとか、可愛いからとか、向こうが好き好き言ってくれるからってだけの理由で付き合ってたんじゃないのか?」

 その問に、石原は即座に答えた。

「否定はしません。でも、付き合う最初のキッカケなんて、誰でもそんなもんでしょう? 両片想いからの交際なんて少女漫画みたいな展開、現実にはそうそうありませんよ」

 石原からの反論に、北村も当然だと言わんばかりの表情をする。

「中高校生ならいざ知らず、そんなの当たり前だ。俺が言ってるのはそういうことじゃなくて、付き合った後の話だ。お前、付き合った彼女たちに、最後まで本気になれないままだったんじゃないかって、そう聞いてるんだよ」
「そんなことはないと思うけど……。だって俺、彼女たちのことすごく大切にしてましたよ? 金だってガンガン使ってきたし」
「それはアレだろ? 好きだから貢いだんじゃなくて、機嫌を取るために貢いでただけだろ? 喜ぶ顔がみたいからとか、そういった本気の思いでプレゼントしたことがあるのか? 金をかけることと愛情の有無に、必ずしも相関があるワケじゃないぞ」
「うーん……そんなことないと思うけど。でも、好きじゃなかったら、フラれたからってこんなに落ち込まないんじゃないですかね。やっぱり俺、ちゃんと彼女たちのことが好きだったと思うな」

 それを聞いた北村が鼻で嗤った。

「落ち込んでるのは、フラれたからじゃなく、今回も短期の付き合いにしかならなかったことに対してだろ? 好きな女の気持ちが離れたことが悲しくて落ち込んでるワケじゃないんじゃないか?」
「ええ~っ、ち、違いますよ!」
「思い出して見ろ。お前には大学生の頃から途切れることなく女がいたが、その頃から長く続く相手はほとんどいなかった。でも、当時のお前は落ち込んだりしてなかっただろう? 相性が良くなかったのかな、みたいなことを適当に考えただけで、すぐにまた別の女と付き合ってた。その頃から自分を振り返って、なにが悪くてフラれたのか、どうするべきだったのか、しっかり自己分析して反省し、次に生かすことをしていれば良かったんだ。そうすれば、お前も今頃はかわいい彼女と、腰を据えた付き合いができていただろうにな」

 言いながら、北村は大学時代を思い出していた。そう、あの頃から石原は、こと女のことに関してだけは少しも成長できていないように見える。

 基本的に一人でいることを好んでいた北村とは異なり、石原はいつも多くの友人知人たちに囲まれていた。見た目もいいし、リーダーシップを上手くとれるタイプの頼りになる石原は、良き友人としては男から好かれ、彼氏にしたい対象としては多くの女たちに標的にされ、いつも纏わりつかれていた。

 だから当然、石原にはいつだって彼女がいたし、その彼女と別れても、すぐに新しい彼女ができた。そんな入れ食い状態が、石原から女というモノを学ぶ機会を失わせたのだろうと北村は思う。女に困ったことがないせいで、別れる原因が自分にある可能性など、石原は考えたこともなかったのだ。

 お陰でいい年をした今になっても、石原は女とまともに付き合うことができないでいる。だからフラれる。それを不憫に思わなくもないが、これまで楽をしてきたツケを払っているだけと言えば、間違いなくそうなのだ。石原の自業自得と言える。

 そう思っていたからこそ、北村はこれまで石原にそのことを教えたことはなかった。自分で気づくまで放っておくつもりでいたのだ。

 しかし、どれだけ待っても石原は気付きそうにない。大学を卒業して社会人になって四年経った今でも、ずっと同じことを繰り返している。このままではきっと、五年後も十年後も、下手すれば二十年後だって、石原は今と変わらないだろう。年齢ごとのセクシーさや渋みが加わることで女にモテ続け、フラれ続けることになる。そして、そのたびに北村を呼び出し、しょぼくれた顔で愚痴を言うのだ。

 想像しただけで北村はウンザリしてしまう。

 チラリと石原を見てみると、どうも北村の言ったことが納得できないらしく、不貞腐れたような顔で酒を飲んでいる。

「石原、お前さ、女に振られる時に言われてこなかったか? 本気で好かれている気がしなかったとか、愛されていない気がしてたとか、一緒にいても寂しかったとか」

 石原の顔に驚きが浮かぶ。

「な、なんで知ってるんですか?!」
「分かるさ。彼女たちも感じてたんだ。お前が本気では自分を好きじゃないってことを」
「だから、ちゃんと好きでしたって!」
「となると、ちゃんと好きなのに、それが彼女たちに伝わるような接し方ができていなかったってことだ」
「でも俺、本当にかなりがんばってたんですよ? デートだって頻繁にしたし、メールやSNSでの連絡のやり取りも面倒がらずにやった。それに、これはさっきも言ったけど、プレゼントだっていっぱいした。これ以上なにをしたら気持ちが伝わるのか、もう俺にはさっぱりですよ!」
「その気持ちってヤツが元からお前にないことが、そもそもの問題なんだと俺は思うけどな」
「だからっ、気持ちはありますって!」

 北村は持っていたジョッキの中身を飲み干すと、歩いていた店員に同じものを注文した。そして、少しだけ逡巡した後、できればこれは言いたくなかった、でも言わなきゃ伝わりそうもないから仕方がないと決断して、真面目な顔を石原に向けた。新しいビールジョッキが届き、運んできた店員がテーブルを離れたタイミングで口を開いた。

「あのな、もし本当にお前が付き合ってた彼女のことを本気で好きだったとして、デートやらプレゼントやら他にも色々と、彼氏としてやるべきことをキチンとしていたのにフラれ続けているのだとしたら、それこそ最悪だぞ」
「え、どういうことですか?」
「お前のためだと思ってズバリ言わせてもらうが、それってつまりお前がセックスが下手ってことになるからだ」
「は……」
「お前はセックスが下手だからフラれ続けてるんだよ。それ以外に考えられない」

 北村に指摘された内容を理解した石原が、顔色を無くしてフリーズした。が、すぐに再起動して北村に食ってかかる。

「俺っ、セックス下手じゃないですよ! それに、セックスが下手だとかいう理由くらいで、女は好きな男を捨てないでしょう?!」
「普通は捨てないだろうな、あまりにも酷いセックスしてなけりゃ」
「…………」
「ただ、さっきも言ったけど、俺はお前がセックス下手でフラれたんじゃなく、そこに気持ちがなかったからフラれたんだと思っているけどな」
「うっ……」
「そうは言っても、確かにセックスがあまりにも酷すぎてフラれた可能性もあるか。どうなんだ? お前、これまでの彼女たちをちゃんと満足させてあげられてたのか?」
「多分、大丈夫だと思うけど……言葉で確かめたことはないからなぁ」

 うーん、と石原が黙り込む。過去の付き合いを色々と思い出し、セックスが下手だと言った北村の言葉を否定する出来事を捻り出そうとしていることが見て取れる。

 はぁ、と北村はため息をつく。

「お前知ってるか? 前戯はな、濡らして入れやすくするためにやるんじゃないんだぞ」
「え?!」
「それに、女の身体は開発してやって初めてちゃんと感じるようになるんだ。処女で胸触られて感じる女はほとんどいないって話だぞ。そうじゃない女は生まれついての敏感体質か、あるいはオナニー大好きで自己開発してる場合がほとんどだそうだ」
「マ、マジですか」
「付き合いのあった女たちから聞いた話では、だいたいがそうらしい。俺の経験からしても、だいたいがそんな感じだった」
「え……ええー……」
「とはいっても、皆が皆そうというワケじゃないだろうけど。でも、ほとんどの女は開発される前、クリトリス以外で感じるのは難しいみたいだ。でも、男がちゃんと愛撫してやって、イイとこ見つけてやってしっかりと愛撫してやれば、皆感じれる身体になる。それには時間も手間もかかるし、かなり大変だけど、愛があれば自然にできることなんだ。むしろ、好きな女を自分の手で開発できることは、男にとって喜びでしかない。男が処女を好むのはそれが理由だ。単純に初物好きのアホもいるけどな」
「…………」
「好きな相手にじゃなきゃ、体の開発なんてただの面倒臭い作業だよ。既に別の男に開発された女の方が楽でいい。ただし、開発済の女には昔の男の影がちらつくから、その女を本気で好きな場合は、昔の男に対する嫉妬心で苦しむことになる。まあ、それはそれで大人の恋愛の醍醐味とも言える。嫉妬も恋愛のスパイスだからな。昔の男よりもっと感じさせて、歴代最高の男になってやろうと奮闘するのも恋愛あるあるの一つだし」

 と、そこまで一気にしゃべったところで、北村は石原に問いかけた。

「お前さ、好きな女を気持ち良くさせたいと思ってセックスしてるか? 相手の感じている姿を見るだけで自分も感じて幸せになったりとか、そういう経験がちゃんとある? セックスは自分が気持ち良くなるためにするもんじゃないんだぞ? 二人で気持ち良くなるために、愛を確かめ合うためにやる共同作業なんだ」
「それは……」

 少し考えてから、石原は背中を丸めながら小さな声で答えた。

「もしかしたら、ないかも」
「だとしたら、お前はこれまで交際相手の体を使ってオナニーしてただけってことになる。だからフラれるし、別れ際に一緒にいても寂しいとか、愛されていない気がするとか言われるんだ。思い出してみろ。お前はいつも付き合い始めて半年以内にフラれてきたが、たまに一年近く付き合いが続く女もいたことあったろ? それって相手が処女だったり、性的経験が少ない初心な女ばっかりだったんじゃないか?」
「あー……、た、確かにそうだ」
「自分を愛してくれている男とのセックスがどれだけ気持ちいいか、それを知らない女だけがお前と長く付き合えたんだよ。プレゼントとかに金をかけてもらえてるから、自分は愛されているとそっちで勘違いして。それでも少しずつ寂しくなっていったんだろうな。ホント、これまでのお前の女たちには同情するよ。ハッキリ言わせてもらうと、お前なんかとは別れて正解だと思うね!」
「うっ」

 青褪めていた石原だったが、なにかを思いついたのか、顔を上げて北村に反論した。

「自分で言うのもなんだけど、俺はこれまでかなりの数の女の子と寝てきました。で、その経験から言わせてもらうと、胸とか乳首で感じない子は一人もいませんでしたよ。皆触られて気持ち良さそうにしてた。声だって出てたし。先輩の言うことを全否定はしないけど、でも、俺はちゃんと女の子を気持ち良くしてあげられてたと思います」

 そこからか。そこから説明しなくてはならないのかと、流石の北村も呆然とした。

「ばーか、そんなの演技に決まってるだろう。女は感じてなくてもそう演技するもんなんだよ。胸を男に愛撫されたら、女は感じた声を出すものだって思い込んでて、それを実践してるだけの女もいただろうしな。いずれにしろ、本当に感じてた女なんてひと握りだよ、きっと」
「ってことは、俺は騙されてたってことですか?! 感じたフリの演技なんて……なんか俺、すごくショックだ……」

 落ち込む石原の頭を北村は思いっきりひっぱたいた。

「お前のことが好きだからやってくれたんだろうが! じゃあなにか? お前は友達が誕生日に物をくれた時、それがたいして欲しくない物だったとして、それを友達に馬鹿正直に言うのか? 言わないだろう? 嘘でも笑顔でありがとう、嬉しい、欲しいと思ってたって言うだろうが! それはどうしてだよ?!」
「だって悪いじゃないですか。せっかく俺のために用意してくれたのに。プレゼントが欲しくない物だったとしても、プレゼントをくれようとしたその気持ちは嬉しいし、それに、俺が喜んで見せた方が友達だった嬉しいだろうし」
「彼女たちも同じだろう? お前を喜ばせたくて演技したんだよ。お前は彼女たちに好かれてた。だからお前に触られて気持ちいいフリをした。お前はショックを受けるんじゃなくて、彼女たちに感謝して謝罪すべきところだぞ」
「謝罪?」
「だってそうだろう。それほどまでお前に健気に尽くそうとしてくれた歴代の彼女たちを、性欲解消の道具としてしか扱ってこなかったんだからな。本来なら、お前は彼女たちに演技ではなく本物の快楽を与え、本気の喘ぎ声をあげさせなきゃならなかったんだ。それができず、彼女たちに気を使わせ、演技させた自分の不甲斐なさを反省しろ! 情けなく思え! 今すぐ心の中で土下座して詫びろ!」

 そこまで言ったところで北村は思った。

 石原は確かに交際相手に金を使って貢いできた。高価なプレゼントをしたし、有名なレストランに連れて行ったし、旅行にだって連れて行った。しかしそれは言い方を変えると、デリヘルを呼んで対価として金を払うことと同じだったのではないだろうか。

 そう思った途端、目の前の男らしく整った顔をした爽やかイケメンの石原という男が、とんでもないクソ野郎に思えてきてしまった北村である。勿論、石原はわざと自分の彼女たちを軽く扱ったわけではない。本人の意識としては好きだから付き合っていたし、しかも大切にしているつもりだった。

 しかし、結果だけ見ると……。

 石原と出会ったのは八年前。北村は石原が大学一年の頃から知っている。

 当時から男女問わず先輩後輩含めて友人は多く、皆から頼りにされ、慕われているようだった。だからまさかこんな残念人間だったなんて、北村も今の今まで思ってもみなかったのである。

 とはいえ、その残念な部分が女性との付き合いに限定されていることは、不幸中の幸いと言えるのではないだろうか。実際、石原は会社ではエリート社員として出世街道を駆け上がっている最中のようだし、ということは、上司や先輩、同僚たちとは上手く関係を築いているということだ。

 北村自身、これまでただの先輩後輩として石原と付き合ってきたが、たまに女の愚痴を聞かされること以外、特に嫌な思いをさせられたことはない。むしろ、相手の望む距離感をしっかりと量ることのできる付き合いやすい人間だと思っていた。頭の回転も速いので会話していても楽しいし、話題も豊富で飽きることもない。

 北村は大きなため息をついた。目の前の石原は、北村から散々怒られたせいで、まるで飼い主に叱られた子犬のように小さくなってしまっている。耳と尻尾がぺちょんとなってしまっている幻覚が見えるようだ。

「先輩、俺って結局、セックスが下手ってことなんですか?」
「いや、違うだろ。相手に気持ちがないから、セックスも適当になったってだけだよ、きっと」
「ううう、それって結局は下手ってことなんじゃ……」
「ばーか、AV男優じゃあるまいし、好きでもない相手に本気のセックスできる方がおかしいだろうが。誰とでも最高のセックスができる男より、好きな人とだけ気持ちを込めたセックスできる男の方がマシだと思うぞ。少なくとも俺はな」
「それは……確かにそうかも」

 北村はぐびぐびと手元にある酒をあおった。

 今の返事からも分かる。石原は悪い奴じゃない。そう悪い奴じゃないんだ。根本的には石原はものすごくいいヤツだと北村は思う。ただこれまで女というものを、あまりにも学べていないだけなのだ。そう、問題は性に関してのみなのである。

「お前もかわいそうと言えば、そうなのかもな」

 そんな北村の呟きを耳にして、落ち込んで俯いていた石原が顔を上げた。不思議そうな顔をする。

「かわいそうって? 先輩の話が本当なら、かわいそうなのは俺じゃなくて、これまでの俺の彼女たちの方じゃないですか」
「うん、まあな。彼女たちがかわいそうなのは間違いない。けどな、俺に言わせればお前だってかわいそうだよ」
「どういうことですか?」
「だってお前、あれだけたくさんの女と付き合ってきていながら、想い合う者同士でする本物のセックスのすごさ、未だに知らないままなんだろう? 俺に言わせれば、そんなセックスだったらやらない方がましだし、相手に気を使う分だけ面倒だ。それなら自分で処理した方が好き勝手できていいとさえ俺は思うな」
「そ……そんなにすごいんですか、先輩の言うところの本当のセックスって」

 中学生の男の子が「セックスってそんなに気持ちいいの?」と脱童貞した兄に目を輝かせて話を強請るような、そんな純粋な興味を見せる石原の様子に、北村は可笑しくて思わず笑みが零れそうになってしまう。

 まあね、と笑いを堪えながら頷いた北村に、石原は「あれ?」となにかに気付いたように首を傾げた。

「先輩も大学の頃は彼女いたこともあったけど、卒業後はいませんよね? 確か、セフレとしかしてないんでしょう?」
「まあな」
「どうしてですか? 想い合う同士のセックスじゃないなら、自分で抜いた方がマシだって言ってたのに」
「ああ、それは……」

 確かに石原の言う通り、北村はここ数年、特定の交際相手を作っていない。小説を書くことが楽しく、他のことに煩わされ、時間を取られることを嫌ったからだ。

 とはいえ人間である以上、北村にも性的欲求はあるし、たまには人肌も恋しくなる。だから、数人のセフレを確保しているのだった。

 互いに私生活へは不干渉。これが北村がセフレに求める最も重要な条件である。付き合い方は単純で、どちらかが性の欲求にかられた時に連絡を寄越し、双方の都合が良ければ会ってセックスする。当然ながら、都合が悪ければ断ってもいい。

 北村のセフレたちは、元々が友人や彼女だったりする相手ばかりで、一番関係が短い相手でも四年以上の付き合いがある。使い捨ての適当な相手ではなく、セックスを楽しむための良きパートナーというのが、北村の持つセフレたちへの認識だった。

 セフレたちには言ってある。セックスする時だけは互いを本物の恋人だと思い、それに準じた行動をとろう、と。その方がよりセックスを楽しめるから、と。セフレたちは喜んで北村からのその提案を了承してくれている。

「だからセフレ相手でも、それなりにいいセックスはできてるんだ。とは言っても、本物の恋人とするのと比べると、やっぱり質は落ちるけどな」
「うーん、やっぱりよく分からないな。好きな相手とそうじゃない相手とするセックスに、そんなに違いが出るもんですか? セックスはセックスですよね。やることは同じじゃないですか」

 それを聞いただけで、やはり石原には本気で好きになった女が一人もいないのだと、北村は確信させられた。言うことがあまりに子供じみている。中高生レベル、いや、今時の中学生は早熟らしいし、もしかすると小学生レベルかもしれない。

「やることが同じでも、気持ちの有り無しでまったく違うものになるんだよ。本当の恋人同士のするセックスはな、自分が気持ち良くなるよりも、好きな相手を気持ち良くしてあげたいっていう気持ちの方が優先される。その気持ちをお互いが持っているから、思いやりに溢れたセックスになるんだ。だからこそ、相手の自分に対する想いの深さが態度や行動からダイレクトに伝わってくる。それがいかに人を幸せにしてくれるのか……。どんな時でも、言葉ではなく態度から伝わってくる自分に対する愛情ほど人を幸せにするものはないだろう? それが裸で抱き合っている時なら、尚更だよ」
「う、う~ん……?」

 ピンときていない顔の石原。

 まあ、仕方ないなと北村は思った。経験したことのない者には理解が難しいだろうと思う。

 とそこで、北村はものすごく石原のことが憐れに思えてしまった。この後輩は本当に良い奴なのだ。仕事はできるし人付き合いも上手い。顔も良ければ背も高くて身体だって逞しい。見るからに頼りがいがありそうだし、親切で気さくで素直だ。

 それなのに、女に対してだけは不器用らしく、あの人生観が変わるほどの気持ちの良いセックスをいまだに体験したことがないと言う。あんなにモテるのに!

 実を言うと、この時の北村はそれなりに酔っていた。泥酔というほどではない。元々酒には強い方である。けれども普段飲み慣れない安酒を、この居酒屋に入ってから既に二時間近く、ずっと飲み続けていた。

 最初はビールばかりだったが、その内に注文が面倒になり、石原が酒を注文する時には同じものを自分の分まで注文するように申し付けておいた。焼酎、日本酒、カクテルと、とにかく運ばれてきた酒を片っ端から飲んでいる。

 そのせいだろう。普段に比べて北村の思考はかなりユルユルになっていた。だからつい、かわいそうで憐れな後輩である石原に、こんな提案をしてしまったのだった。

「石原さぁ、もし良かったら互いを思いやる気持ちのいいセックス、俺がさわりだけでも教えてやろうか?」
「――――え?」
「今から俺の家に行ってヤるか? 実は昨日脱稿したばかりでな。しばらく忙しくて俺も溜まってるから、今夜はセフレを呼び出すつもりだったんだよ。疲れてて自分からはあまり動きたくないから、どうせ男を呼ぶつもりだったしな。俺としても、ちょうどいいと言えばちょうどいいんだ。まあそうは言っても、お前が嫌じゃなければって話だけど」

 北村は手の中にあったウィスキーグラスに口を付けながら石原を見ると、問うように首を傾げた。

 対して石原は、無表情なのに目だけ大きく見開いて硬直するという、本気の驚きを見せていた。

「……え、せ、先輩って、男もいける人なんですか?」
「あれ? 言ってなかったか? そう、俺、男も女もどっちも好きだ。脱稿後だけは呼ぶのは決まって男だけど。流石に疲れてるし、相手を揺さ振って楽しむよりは、自分が思い切り揺さ振られたい気分っていうか」
「脱稿後は決まって男……それはつまり、セフレの中に男がいるってことですか?」
「ああ、一人だけ男がいる」
「セフレに男……一人だけ……脱稿後は必ず男と……」

 石原が不快そうな顔をした。ブツブツなにやら呟きながら眉根を寄せている石原に気付いた北村は、そこでハッとして己のしでかした失態に気付いた。慌てて石原に言い繕う。

「あー、すまん。もしかしてお前、男は生理的にダメなタイプか? だったら気色悪いことを言って悪かった! さっきのセックス教えるウンヌンは忘れてく――――」
「いえ、ぜひ教えて下さい。今すぐお願いします」
「は? え、でも、大丈夫なのか?」
「本物のセックスってやつに興味があります。よろしくお願いします」

 言うが早いか、石原は北村を連れて席を立つと、会計を済ませてあっと言う間に店を出た。即座にタクシーを拾い、運転手に北村のマンションの場所を伝えて向かわせる。

 二人が飲んでいた居酒屋から北村のマンションまでは、歩いても十分くらいの距離しかない。そもそも、石原がいつものファミレスを食事場所に指定しているのは、北村のマンションに近いという理由からである。そのファミレスのすぐ傍にある居酒屋から北村のマンションまでは、タクシーに乗ると五分とかからずに到着してしまう。

 大学を卒業する直前くらいから、北村は今のマンションに住んでいる。石原も何度か遊びに来たことがある場所だ。だから北村は、普通だったら自宅にセフレは招かないのに、つい深く考えることなく友人枠として石原を連れて、一緒に自宅マンションへ帰ってきてしまったのだった。

 タクシーを降りてマンション内に入ると、オートロックを解除して二人は自動ドアを抜けた。その先にあるエレベーターに乗り込みながら北村は言う。

「近いんだから、タクシーなんて乗らなくて良かったのに。お前、金ないだろう?」
「ここまでのタクシー代くらい持ってますよ。それより、少しでも早く先輩のマンションに着きたかったから」
「ふ~ん?」

 エレベーターを降りて北村の部屋に到着し、鍵を開けて中に入った途端、一息つく間もなく北村は石原からバスルームに追いやられた。

「先輩、先にどうぞ。俺は後から使わせてもらいますんで」
「そうか? 客より先に悪いな」

 北村としても、居酒屋で体中に付いた色々な悪臭を一刻も早く落としたいと思っていたところである。冷蔵庫のミネラルウォーターを好きに飲むように石原に指示すると、これ幸いとバスルームへと入り、身体の汚れを洗い落とした。

 この後セックスすることも忘れていないので、尻の洗浄もしっかりと行った。ついでに指を使ってかなり念入りに自分で解した。これまでの話の流れや様子を見る限り、石原は男と寝るのは初めてらしい。挿入まであまり面倒がない方がいいだろうと判断したからだ。

 それにしても、と北村は思う。まさか石原とセックスする日が来るとは思ってもみなかった。

 熱いシャワーを浴びたお陰か、今はかなり酔いも覚めてきているが、居酒屋での北村は自分で思う以上に酔っていたらしい。そうでなければセックスを教えようかなど、そんな無茶苦茶なことを石原に言いはしなかっただろう。

 しかしまあ、思慮が足りずに誘ってしまったとはいえ、それを受けたのは石原の意思である。ここまできてセックスの相手を逃すつもりは北村にはなかった。

 原稿にかかり切りで、ずっと自分で抜くことさえしていない。もう本当にかなりご無沙汰で、正直、北村としても我慢の限界だったのである。射精がしたいのは勿論のこと、人肌も恋しくてたまらなかった。

 後孔を右手を使って念入りに解していると、知らず知らず左手が陰茎に伸びていった。既に硬く勃起したそこは、少しの刺激で弾けそうなほど猛っている。優しく包み込むように触れるだけで、痺れるような快感が北村の下半身を震わせた。

「あー、マズいな。……くっ、きもち……」

 左手を動かして陰茎を扱く。握る力が次第に強くなっていき、動かす速度も増していく。弄る内に後孔もかなり柔らかくなり、指を余裕で二本までは飲み込めるようになった。三本もいけそうだが、取り合えず今は二本で十分だ。

 その二本の指を動かして奥を探り、見つけた前立腺をピンポイントで刺激した。途端に生まれた甘い快感が、尻中から陰茎へと伝わってくる。鈴口からはいやらしくトロトロと汁が零れて、それがまた気持ち良くて堪らない。上から降ってくるシャワーの刺激すら快感に変わる。

「ああっ、くそ……んっ……」

 シャワーの音にかき消されて、陰茎を扱く時に出るいやらしい水音は一切外に響かない。それをいいことに、北村は左手を更に強く上下に動かし出した。

 ガチガチに勃起した肉棒が熱い。すぐにでも弾けてしまいそうだった。

 とりあえずこのまま一回出してしまおうと思い、北村が動かす手に力をこめつつ息を止めて歯を食いしばろうとしたその瞬間、急にバスルームのドアがガチャリと音を立てて開いた。

「え?」

 驚いた北村は前と後ろからぱっと手を離した。そして、首ごと視線を入口ドアへと向ける。

 そこにはスーツの上着を脱いでネクタイをとり、ワイシャツのボタンを上から三つ目まで外したラフな姿の石原がいた。一人で快楽に耽っていた北村の痴態を見て、驚いたのか固まっている。

「い、石原……」
「あ、す、すみません。俺、あんまり先輩が遅いから心配になって……酒も入ってるし」

 気まずそうな石原に対し、北村はそれどころではなかった。射精寸前に邪魔が入ったのである。しかも、未だに体は吐精を期待して熱く昂ったままであり、早く射精したいという思いに頭も体も埋め尽くされていた。

 既に石原には北村がなにをしてたのかバレていることだろう。であれば、もう取り繕うのも面倒臭い。北村は切羽詰まった顔で石原に言った。

「悪いけど、もう少しだけ外で待っててくれ。俺も処理したらすぐに出るから」

 同じ男なのだ。今ので石原にも伝わったはず。

 そう思っていた北村が驚いたことに、石原は出て行くどころかバスルームに入ってきた。シャワーで濡れることも構わずに北村のすぐそばに立つ。

「先輩、一人でするなんてダメですよ。気持ちいいセックス、俺に教えてくれる約束じゃないですか?」

 そう言うと、舐めまわすように北村の全身に目を向けてきた。そうなってくると、着衣したままの石原に対し、自分だけ全裸なことが北村には恥ずかしい。なにせ北村のアソコは勃起状態なのだから。

「す、すぐにベッドで教えるから、今は外に出て待っててくれ」
「俺、教えてもらえるなら場所はどこでもいいな。ってか、もうここでいいんじゃないですか?」
「え」

 驚く間もなく北村はキスされた。喉の奥まで犯されそうな深い深いキスをされるのと同時に石原の逞しい腕で抱きしめられ、腰をぐいと引き寄せられた。シャワーで濡れた石原のスラックスに北村の勃起した陰茎が押し付けられる。ただそれだけの刺激が堪らなく気持ち良くて、石原にいきなりキスされた緊張が北村の中から霧散した。無意識に、更なる快感を求めて北村は自分の股間を石原の足に擦りつけてしまう。

 それに気付いた石原が小さく笑った。

「俺、男の身体なんて抱けるか少し不安だったけど、先輩ならまったく問題なさそう。先輩、思ったより筋肉あるんですね。もっとひょろっとしてると思ってた。それに、前から思ってたけど肌がめちゃくちゃ白い」

 股間からのゆるやかな快感に蕩けていた北村の陰茎を、石原は躊躇することなくそっと握った。

「んっ」

 ビクリと北村の身体が震えた。石原が手をゆっくり動かす。そのたびに北村の口から抑えようもない熱い息が漏れた。目を閉じて眉根を寄せ、苦しそうな顔で快感を我慢している北村の様子に、石原はほうっと悩ましい息を吐いた。

「ヤバい、すごく煽られる。先輩、俺に触られて気持ちいい?」
「あ、んっ、気持ちい……からっ、もっと、もっとちゃんと触ってくれ……んっ……あ、た、頼むから」

 そう言って上目遣いに自分を見る北村の潤んだ目を見て、石原の心臓がドクンと大きく跳ねた。今の一瞬でなにかのスイッチが入ったらしい石原は、その場にゆっくりと膝をついた。目の前の北村の屹立をためらいなく口に含む。同時に右手の人差指の腹で、北村の後孔を優しく撫でた。探るようにしながらゆっくり奥に潜らせていく。

 驚いたのは北村である。

「え、嘘だろ……あっ! ん、んんっ……い、石原、やめっ、だ、だめだ!」

 まさか男との性交が初めての石原が、こんな真似をするとは思っていなかった。いきなり自分の勃起したモノを咥えられて、快感よりも驚きの方が大きいあまり、北村は感じるよりも焦ってしまう。

「そんな、こと、しなくていいんだ」
「でも先輩、気持ち良さそう」
「いや、それはもう……すごく気持ちいいけどっ。でも、お前は男は初めてだし、嫌なことをさせたいワケじゃな……んあっ」
「俺も男のを咥えるとか絶対に無理だと思ってたんですけど、先輩のは嫌じゃないし、少しも汚いだなんて思わない。それどころか……」

 石原は頭を前後に動かして、北村のペニスを口に出し入れし始めた。動かされるたび、北村の股間にえも言われぬ快感が沸き起こり、内腿が痺れるように震えてしまって立っていることが辛くなる。特に深く咥えられ、口内で舌を使って裏筋や亀頭、根本を舐めまわされると、石原の舌が触れている部分が溶けてしまいそうなほど気持ち良くて、たまらない愉悦に涙が滲んだ。

 石原は口淫しながら後孔への愛撫も忘れていない。指の数もいつの間にか三本にまで増えている。やがて陰茎から口を離すと、興味深そうに指で後孔の奥を探り始めた。

 北村は突然してもらえなくなった口淫に焦がれるあまり、苦しくて涙をボロボロ流してしまう。乳首をぴんと尖らせ、陰茎をビクビクンと震わせながら石原に懇願した。

「あ、ああ……前、前も触ってくれ。さっきみたいに舐めて、はぁ……頼む、からっ」
「先輩、すごくエロいな……」

 舌を突き出した石原が、北村のそそり立った竿の先端、鈴口だけをくすぐるように舐めた。ビクンと激しく北村の全身が震える。気持ちいい。けれどもっと深くまで口に含んで欲しくて北村は見悶える。

「石原、もっと深く……おねがっ……根元まで咥えて……もっ、我慢できなっ」

 更に強請ると、石原は亀頭部分までを口に含んでくれた。その状態でまた鈴口を舌先でくすぐられて北村は腰が砕けそうになる。

 それじゃ足りない。
 もっと奥まで咥えて欲しい。

 けれども石原はそれ以上深く入れてくれようとせず、舌先で亀頭の境目や鈴口を舐めることしかしてくれない。

「あ……はぁ…………ああー…」

 焦らされ続けた北村の我慢はもう限界で、ついには思考も朦朧としてしまう。

 もっと奥まで含まれたい。舌で思いっきり舐めまわされたい。
 根本までの熱と快感が欲しくてたまらない。

 考えるのはもうそのことだけになっていた。それ以外のことを考える余裕はない。

 もしも今、思いっきり腰を振って、猛った肉棒を石原の温かくて滑りのある口の奥までねじ込んだら、一体どれくらい気持ちいいだろう。北村がそんなことを朦朧とした頭の奥で考え、亀頭から伝わってくる快感にビクビク体を震わせた時、石原が言った。

「奥まで欲しかったら、腰を動かしていいですよ。俺、じっとしてるから」

 それを耳にした途端、北村はもう我慢できずに石原の口へ腰をぐいと突き入れた。石原の喉の奥に亀頭が届き、ジンとした快感が沸き起こる。痺れるような激しい快楽が北村の腰から体中へと広がった。

 北村は本能に従うように更なる刺激を求め、今度は自然と腰を引いた。すると、それまで触られていなかった北村の後孔に、石原の指が三本入ってきた。

 腰を押しては石原の口奥まで陰茎が入り、引いては尻穴深くに指が入ってくる。どちらに動かしても信じられないくらいの快感が北村を襲う。

 その後はもう、狂ったように北村は腰を振り続けた。

 押しても引いても肉棒と尻奥から強い快感が沸き起こり、それが体中に広がって暴れまわる。自分の動きに合わせて生まれる快楽の嵐に、北村はもうなにも考えられず、ひたすら腰を振ることしかできずにいた。

 動きを止めようと思っても止められない。快楽を求めて腰が勝手に動いてしまうのだ。

「あっ、もうだめだ、イ……もうイくっ……イくっ!!」

 やがて北村は全身の筋肉を強張らせながら、激しく射精した。大量の精子を石原の口内に吐き出してしまう。こんなに気持ち良く大量に射精したのは何年振りだろうと、北村は蕩ける頭の奥でボンヤリと思った。

 乱れた呼吸を整えながら、北村は跪いたままの石原に視線を落とした。口元を自分の手で押さえる石原の喉が、何かを飲み込むかのように動くのが見えて、まさかと慌てて北村もその場に膝をつく。

「おまっ、まさか飲んだのか?!」

 眉をしかめた石原が黙ったままで頷いた。

「バカだな、そんなの吐き出してよかったんだ」
「……でも、飲めそうな気がしたから。実際、全部飲めたし。それより、先輩が気持ちよさそうで、それが嬉しかった」

 そう言って、石原は笑顔を見せた。

 ジワリと北村の頬が熱くなる。見ると、スラックスの布の下で石原のソレが大きく勃起しているのに気付いた。

「!」

 北村の尻の奥がジクジクと疼いた。

 さっき射精した時、口淫と同時に尻奥も指で弄られた。それはそれで気持ち良かったが、長さが足りずに物足りなく感じたのも事実だった。

 今、北村の目の前には、布の下に隠れているものの、勃起した石原の肉棒がある。見るからに大きなそれを自分の尻穴に捻じ込んでもらえたら、それはどれほどの快感を生み出すことだろう。一度でも想像してしまったら、もう我慢できなかった。

 北村は石原の両頬に手を添えると、そのままキスをした。顔を傾け、口を開き、舌で石原の唇を舐める。するとすぐに石原も口を開き、二人は貪るように互いの舌を絡め合わせた。

 とろりと口端から唾液を零しながら、それでもキスを止めずに北村は言った。

「あ……石原、尻に欲しい。お前のを入れて。奥、いっぱいお前ので突いて欲しい」

 驚いたように石原は唇を話した。そして、一瞬だけ獰猛な獣のような目で北村を見たかと思うと、立ち上がり、すぐさまスラックスのベルトを外してファスナーを下ろした。そこから勃起した太くて長くて赤黒い雄の象徴を取り出す。

 その時すでに北村は壁のタイルに両手を付き、石原に向かって誘うように腰を突き出していた。

「挿入れてくれ、石原。早くそれを挿入れて!」
「煽り過ぎですよ、先輩っ!」

 石原は陰茎に手を添え、亀頭の先端を北村の尻穴にくちゅりと当てた。途端にその淫靡な穴が、まるで石原のモノを吸い込もうとするかのごとくぱくぱくとうごめいた。

「どこもかしこもいやらし過ぎです。もうこのまま挿入れますよ!」
「早く挿入れてくれ。あ…もう、我慢できない。はやくっ、欲しい!」
「くそっ」

 ぐちゅり、とまずは亀頭が石原の中に入った。それだけで、堪らない快感が北村を襲う。更にゆっくりゆっくりと、肉を割り開くようにして石原の熱い屹立が奥へと分け入ってくる。途中、亀頭のカリ部分が前立腺を擦った時、北村が背をのけぞらせ、身体を震わせて大きな声をあげた。

「あああっ、そこっ!」
「ここ、すごく好きですね。擦ると中がめちゃくちゃ締まる」
「ああ、好きっ、そこすごい好きっ。いっぱい擦って!」
「いいよ、ホラ、いっぱい擦ってやる」
「あああぅぁっ!!」

 頭がおかしくなりそうなほどの気持ち良さに、北村の鈴口からはトロトロと汁が滴り落ち続けて止まらない。石原が腰を振るたび北村の身体は歓喜に震え、中が締まってそれが今度は石原に堪らない快感を与えた。

 北村からのおねだりに応え、しばらく入口近くの前立腺をごりごり擦っていた石原だったが、やがて我慢できなくなって最奥に向かって腰を突き上げた。

「!!!」

 ずん、と石原の亀頭が一番奥まで届き、そこを強く突かれた瞬間、北村は声にならない声をあげた。ビリビリと感電したかのような激しい快感が全身を襲う。体中が痙攣し、あまりの気持ち良さに息ができなくなり、見開いた目からはボロボロと号泣するかのように涙が零れ落ちた。

「あ……ああ……あー……」
「くっ」

 締め付けが強すぎるあまり、石原は動けなくなってしまう。ぎゅうううううと北村の腸壁が締まり、石原の肉棒を温かく刺激する。痺れるような甘い愉悦に、石原の射精感も高まってしまう。

「先輩、ちょっ……締め過ぎだから。これじゃ持たない!」
「だ、だって……これ、すご……奥、気持ち……」
「はぁ、先輩の中、すごく熱くて俺も気持ちぃ」
「中、溶けるぅ……」
「うん、俺ももうジッとしてるの無理だから、ちょっと動きますよ」

 言うが早いか、石原は腰を思いきり引いた。そして、ずちゅんと力強く最奥を突く。

「かはっ」

 触れられてもないのに、北村の乳首が石のように硬くなった。石原が腰を振る勢いに揺さぶられる北村の身体は、全身がピンクに染まって色っぽく、汗がじっとりと滲み出て、まるでフェロモンをまき散らしているようだ。そのフェロモンに狂わされたかのように、石原は夢中になって腰を引いては突き上げた。

 ふと石原が気付くと、北村が苦しそうにしながらも顔を後ろに向けていた。なにかを強請るような懇願するような目で石原を見る。腰をぐいと奥まで押し込み、二人の身体が近付いたところで石原は北村の口元に耳を寄せた。

「なんですか、先輩」
「あ……キス」
「は」
「もうイきそ……から、キスしながらイきたい」
「!」

 石原は更に北村の奥、限界まで肉棒を押し込み、身体を密着させて首を伸ばした。北村も最大限首を後ろに向けながら、それと同時に舌も伸ばす。石原はそれに自分の舌をくちゅりと付けた。

 二人の舌が触れったところから、なんとも言えないジワリとした温かい快感が生まれた。これまでに感じたことのない、その優しい心地良さに浸りながら石原は思った。ああ、すごく幸せだなあと。

 やがて少しずつ二人はキスを深くしていき、重なり合った唇の奥で更に舌を絡め合い、互いの唾液を飲み合った。そのまま石原はまた腰を振り始めた。言葉にできないほどの快感の中で、二人はほぼ同時に達したのだった。



 その後、バスルームを出て場所をベッドに移した二人は、翌朝まで休むことなく交わり続けたのだった。が、その内容は北村が当初考えていたものとは、まったく違うものだった。

「俺にセックス教えてくれるんですよね?」

 そう言うと、石原は爽やかな笑顔を見せた。

「だったらほら、早く教えて下さいよ。どうすればいいんですか?」
「え?」
「どこを触って欲しいです? どんな風になにして欲しいですか? 言ってくれないと、俺はなにもできませんよ? だって俺、セックス下手らしいから勝手にやらない方がいいでしょう?」

 実際、石原は北村が言葉で強請ったこと以外、なにもしようとはしなかった。

「 ほら、先輩、早く俺にどうすればいいか教えて下さいよ。俺は早く先輩に触りたいし、早くまた先輩の中に入りたい。ね、早く言葉で言って教えて」

 色を滲ませた瞳を向けられ、熱っぽくそんなことを言われてしまっては、もう北村も抗えなかった。

「あ……乳首、乳首弄って欲しい……」
「どんな風に? 指で? それとも口で?」
「……まず指がいい」
「指でどうすればいい?」
「ゆ、指でつまんで……クリクリして」
「片方だけでいいんですか?」
「両方ともがいい」
「はい、じゃあ俺に分かりやすく全部繋げて言って下さい。誰のなにを誰のなにでどうして欲しいんですか?」

 羞恥のあまり、既に北村は真っ赤である。これ以上はもうなにも言いたくない。しかし、言わなければ石原はなにもしないつもりらしい。北村は恥ずかしさのあまり涙目になりながら、小さな声で絞り出すように言った。

「い、石原の指で両方の乳首をつまんで弄って……」
「誰の乳首? はい、最初からね」

 北村は更に真っ赤になりながら言った。

「あ……い、石原の指で俺の、俺の乳首を両方同時につまんで……」
「うん、それから?」
「クリクリ弄って欲しい」
「なんでそうされたいんですか?」
「だって……だって、気持ちいから! 言ったから、早く触ってくれ!」
「かわいいな、先輩。いいよ、やってあげる」

 石原が言葉通り、北村の乳首を両方同時に指できゅうと強めにつまんだ。それだけで北村は気持ち良さのあまり胸を突き出すように上半身をのけぞらせた。更につまんだ乳首を捻るように弄られると、そこから沸き起こった快感が背骨を伝って陰茎や後孔まで届き、一気に血を集めて勃起を促しつつ尻奥をジクジクと疼かせた。

「あ……ああ……、気持ちい、いしは……きもち……」

 快感に身体をびくびく震わせる北村を見て、石原が目を甘く蕩けさせる。

「すごくいやらしい。先輩、次は? 次はなにして欲しい?」
「次は……」
「うん」
「舐めて欲しい。乳首いっぱい舐めて」
「舐めるだけ?」
「吸って。いっぱい舐めた後、強く吸って欲しい。あっ……乳首クリクリ気持ちぃ……ん、甘噛みもされたい」

 そんな風にして、北村は一晩中、自分の性感帯の場所や好きな愛撫のされ方、更には好みの体位についてまで、洗いざらい包み隠さずしゃべらせられたのだった。それらはすぐさま石原の手により、嘘を言っていないか間違いがないかをその場で確認されたのだった。

 どうやって確認したか。それは勿論、北村の身体に実際に愛撫を加えて確かめられたことは、今更言うまでもないだろう。

 そんなことをされていたため、北村は翌朝になって太陽が昇ってしばらく経ってもまだ眠らせてもらえず、ひたすら喘がされ、感じさせられ、陰嚢が空になるまで射精させられた上に、最終的にはメスイキまでも何度かさせられたのだった。全身が快楽と白濁にまみれになった甘い甘い濃厚な夜だった。



 翌日の夕方近く。

 目が覚めた北村は、喘ぎすぎて枯れはてた喉を水で潤すと、石原に頭を下げた。

「お前のこと、セックス下手とか言ったことは取り消す。これまでの彼女たちと恋人同士のセックスができていなかったって言ったこともだ。昨夜のお前を見る限り、ちゃんとお互いを思いやるセックスができてたみたいだ。勝手に決めつけ、余計なことを言って悪かった」

 石原は首を横に振った。

「俺の方こそ、先輩から言われたことを思い知りました。俺、これまでの彼女たちと、昨日みたいに二人で感じ合うセックスしたことありませんでした。俺ホント、これまで彼女たちの体使ってオナニーしてただけだったんだなって、心底思い知りました。それと……」

 石原は優しくて甘く蕩けるような瞳を北村に向けた。

「好きな人とセックスする時、自分よりも相手を気持ち良くする方が優先になるってことも、相手が気持ち良さそうにしているだけで自分も気持ち良くなれるってやつも、心から理解できました。俺、あんなにセックスで気持ち良くなったのは、生まれて初めてだった。気が狂うかと思った」
「ん? んんん??」

 それはどういう意味だろうか。
 首を傾げる北村の顔中に、笑顔の石原がキスしまくりながら機嫌よく言った。

「気付いたんです。俺って多分だけど、大学で初めて会った時、先輩に一目惚れしたんじゃないかって」
「…………」
「あの頃はそのことに気付かず、二才年上なだけなのに小説家として成功している先輩を尊敬して憧れて、ただ仲良くなりたいだけだと思ってたけど、実は違った。俺、先輩のことが好きになったから、だから絶対に仲良くなりたかったんです。そうじゃなかったら、あそこまで露骨に邪険にされたり無視されたりして、それでもめげずに話しかけ続け、挨拶し続けるなんてできなかったと思うし」

 言われて北村も思い出してみる。そして、確かに石原の言う通りかもしれないと思った。他の人間に対する態度と比べて、石原の北村に対する態度は、昔から露骨に違っていたからだ。

 本人からも直接言われたこともある。「俺が思いっきり本音や愚痴言って、情けないところさらけ出せるのは先輩だけ」だとか「先輩といる時だけは体面取り繕うことなく素でいられる」など、どう考えても、北村には特別に気を許しているとしか思えない発言である。

 そうか、こいつは俺のことが好きなのか。

 そう思うと、自然と北村の口元に笑みが浮かんだ。不思議と気分が良く、心が浮きだつような楽しい気持ちになってしまう。

「……うん、まあ、お前が本心から告白してくれてるってことは理解できた」
「良かった。言い訳っぽく聞こえるかもしれませんけど、俺がこれまでの彼女に本気になれなかった理由も分かりました。俺、ずっと先輩が好きだったから、だから他の人を好きになれなかったんだ」
「だったら今なら分かるな? これまでの彼女たちに、いかにひどいことをしてきたか」
「はい。ホント、自分でも気付いていなかったとはいえ、申し訳ないことしました。彼女たちには謝っても謝り切れない」

 本気で反省しているのだろう。石原は肩を落として項垂れている。

 そんな石原を見て、北村は内心ひっそりと思っていた。自分も人に偉そうなことを言える立場ではない、と。

 人付き合いを面倒だと思う自分が、石原とだけはずっと付き合いを続けているのはどうしてなのか。石原からの呼び出しに、渋々ながらも必ず応じていたのはなぜか。仕事の邪魔になるなどと格好良い理屈をこねて、ずっと恋人を作らずにセフレとだけ付き合っていた理由は? 今夜した石原とのセックスに、これまで感じたことのないほど興奮し、感じてしまったのはどうしてなのか。

 考えればすぐに分かる。答えはすべて、あるひとつのところに集約されるからだ。

 北村は苦笑した。自分も石原に負けず劣らず、己の気持ちに鈍感だったらしい。

 隣でションボリと気落ちしている石原の唇に、北村は触れるだけのキスをした。驚いた顔をする石原に北村は言った。

「俺もお前と似たり寄ったりだったらしい」
「? なにがです?」
「お前が好きだ。俺も多分だけど、大学の頃からお前のことが好きだったんだと思う。気付いたのは今だけど」
「え、ほ、本当に……?」

 北村が少し困ったように頷いてみせると、石原が見たこともないほどその表情を輝かせた。逞しい腕で北村を自分の胸に引き寄せ、そのまま力強く抱きしめる。

「俺、先輩が好きです。本当に好きです。先輩、俺と付き合って下さい、お願いします。絶対に大切にしますからっ!」

 石原の必死な様子に、北村の口元は嬉しさでまた弛みそうになってしまう。自分はこんなにも表情豊かだっただろうかと思いつつ、口の弛みをなんとか堪えた北村は、自分も石原の背中に腕を回して抱きしめ返した。

「いいよ、俺もお前と付き合いたい。ちゃんとした恋人になりたいよ」
「本当ですか!」
「ああ」

 二人は照れくさそうに微笑み合った後、深いキスを交わした。



 その後、北村は石原が見ている目の前で、セフレ全員に電話をかけて関係を解消してみせた。そして、あらためて交際すること確認し合った二人は、日曜の夜に石原が自宅に帰るまで、ずっとイチャイチャして過ごしたのだった。









 実家暮らしの石原が家を出て、北村のマンションに転がり込んできたのは、それから一ヵ月後のことである。

 一人暮らしの長かった北村は、恋人とはいえ他人との共同生活にかなり不安があった。しかし、暮らしてみて分かったのだが、石原は一緒に住む相手としては、かなり理想的であると言えた。

 普通程度に綺麗好きで部屋はいつも整理整頓されているし、同棲を始めた頃はできなかった料理も、いつの間にか上手くなっていた。元々器用なので、取り入れた洗濯物をたたむのも手早くて綺麗だ。仕事中の北村の邪魔をすることは絶対にないし、執筆に集中しすぎるあまり適当になってしまう北村の食生活も、今では石原がしっかり管理してくれている。お陰で今、北村の身体の調子は絶好調である。

 石原の価値はそれだけではない。いつでも愛しい者を見る目を北村に向け、好きだ、愛してると甘く優しく囁いてくれる。言うまでもなく、夜の相性も最高に良い。

 共に暮らし始めて二年が経つ頃には、石原のいない生活なんて考えられないと言っても過言ではないくらい、北村にとって石原は、比類なき大切な存在になっていたのだった。

 執筆の途中、パソコンのキーボードから指を離し、身体のコリを解すために伸びをしながら北村は昔のことを思い出していた。そして、その頃の自分を浅はかに思う。

 石原と付き合う前の北村にとっての勝ち組とは、できるだけ我慢せずに好きなことをして生きることができる人間だ、と思っていた。そして、自分がその枠の中に入る優秀な人間であることを自慢に思っていた。

 ちゃんちゃら可笑しいと思う。その頃の未熟な自分が恥ずかしくて堪らない。
 今の北村にとって勝ち組とは、昔とはまったく別の定義を持っていた。

「愛する人がいて、その人に愛されて、お互いを大切に想い、その想いを継続させるための努力を惜しまずに続けられる。そういった相手と出会うことができた人間が勝ち組なんだろうな」

 人によってはこの勝ち組の定義、まったく別のモノなのかもしれない。けれども今の北村にとっては、これこそが紛れもない勝ち組の定義なのであった。そして、自分は勝ち組であると、北村は自信を持って言える相手に出会っている。

 その時、部屋のドアをノックする音が聞こえた。返事をするとドアが開き、そこから愛しい恋人が顔を出す。

「樹? そろそろ休憩する頃だと思って、向こうにお茶を用意したんだけど……邪魔したか? 少し早かった?」

 北村は惜しみない笑顔を恋人である石原に向けた。

「いや、ちょういど一息つけようと思っていたところだ」
「そっか。なら良かった」

 立ち上がった北村は石原の元へと足早に移動した。そして、その勢いのまま抱きついてしまう。

 いきなり胸の中に飛び込んできた恋人に、石原は驚いた様子を見せたが、すぐに幸せそうな優しい目で北村を見つめた。自分の腕を北村の背中に回してフワリと抱きしめ返す。

「どうした? 珍しいな、急に甘えたりして」
「休憩しようと思った時、同じタイミングで大輔が休憩に誘ってくれたことが嬉しかった。俺のこと、誰よりも分かってくれてるなと思って。そうしたらつい……。悪かったな、驚かせたか?」
「デレる樹は貴重だからな、俺は嬉しいばっかりだよ。でも、あんまりカワイイことされると、俺もキスとかいっぱいしたくなって困るな」
「だったらすればいい。あ、やっぱり……」

 北村は誘うような色のある視線を石原に向けた。

「キスよりもっとイイコトしよう。原稿も終わりまでのメドがついたしな。ここのところ、俺が忙しかったせいでずっと触れ合ってないだろ? もう我慢の限界だ。大輔に触りたい」

 石原が顔を輝かせた。

「そんなの大歓迎に決まってる。行こう! 今すぐ一緒に風呂に入ろう!!」

 そう言いながら北村の手を引き、足早にバスルームへと向かう石原があまりにも無邪気に嬉しそうだったから。そんな恋人を見ているだけで、北村も堪らなく幸せな気持ちになった。そして、あらためて思ったのだ。

 やはり自分は勝ち組だな、と。

 そして、自分が勝ち組でいられるのは、すべて石原のおかげだと、そうしみじみ思ったのだった。

 心が温かくなる幸福感に包まれながら、北村は自分の手を握る石原の大きな手を握り返した。そして、これから二人で過ごす楽しい時間を想像して身体を火照らせながら、バスルームへと急いだのだった。









end


※作中で登場人物が女についてエラソーに語ってますが、つっこまずにふわりさらりと読み飛ばして下さるとありがたいですm(_ _)m
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