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間引き
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一つの球根から、二つの花が咲くことが時々あるらしい。
共に日差しを浴び、
共に天に向かって伸び、
共に美しい花を咲かせる。
一つの花を咲かせるものより、大きな花を咲かせることは難しいかもしれない。
でも、自分は一つより二つだと思う。
だって、それだけで特別だと思えるから。
大風や大雨、日照りだって…。
苦しいことは、共に励まし合って耐え抜く。
柔らかな陽光、乾いた土に染み込む慈雨。
喜ばしいことは、共に分かち合って天に伸びる。
共に生きることの出来る存在がある、ということは、どれだけ美しく、かけがえがないことだろうか。
ただ一つだけ、疑問がある。
片方の花が枯れるとき、もう片方も、きちんと枯れることが出来るのだろうか?
生まれたときから、いや、生まれる前から一緒なのに。
散るときが、別々なんて、そんな残酷なことがありうるのだろうか?
そんなことばかりを悶々と考えていた双葉美月は、すれ違った看護師に挨拶をされて、我に返りながら無言で頭を下げた。
リノリウムの床材と、白い壁と天井が、ここが病院であることを嫌でも思い出させて、美月は表に出さないように苦虫を噛み潰す。
この場所は、自分を現実に引き戻す。
諦めきったような人々の顔と、それを見慣れた連中の貼り付けたような仮面の笑顔。
ここには、死と慣れ親しんだ空気が充満している。
桜色のロングスカートを揺らし、もう目を閉じていても迷わず向かえる病室を目指す。
突き当りにある休憩室の大きなガラス越しに、青々とした空が見えた。
こうして、風光る景色を見ながら病室を訪れる度に、美月は思い知る。
世界は、自分たちの都合など見向きもしていないということを。
ノックを二回する。音が小さかったからか、中から返事はない。
あるいは、ここを尋ねる人間は医者か看護師か、自分ぐらいなものだと、彼女が知っているからかもしれない。
「入るね」わざと明るい声を出す。
こういうことが上手くなったのは、あまり喜ばしいことじゃない。
扉を開けて、彼女が横になっている場所に視線を向ける。
真っ白な衣装に身を包み、瞳を閉ざした少女が寝台に横たわっていた。
そのあまりにも穏やかな表情に、もしや、という不安が湧き上がったが、慎ましい胸が規則的に上下しているのを見て、美月はほっと胸を撫で下ろす。
開けっ放しになった窓から、春風が舞い込んでくる。
目に見えぬ桜の花びらが部屋の中で踊り、室内の換気を手伝う。
波打つスカートにそっくりな動きで、カーテンが風に揺れていた。
美月からしてみれば、何もかもが白で統一されたこの部屋は、酷く隔絶された印象を受けるものだった。
ここで暮らす人たちは、病院から一歩外に出た世界の住人――私たちとは、違うのだと言われているみたいで、癪に障る。
窓際に移動して、カーテンを少しだけ開ける。風を受ける面積の減った布地は、はためくことをやめた。
カーテンを開けた音が眠りの妨げになったのか、ベッドのほうから寝返りを打ってシーツが擦れる音と、かすかな声が聞こえた。
叶うことなら、まだ眠らせていてあげたかった。
夢の世界は優しい。
少なくとも、この世界よりは。
「…美月?」
振り向けば、寝ぼけ眼をこすりながら、わずかに上体をもたげた少女がこちらを見ていた。
声も、顔立ちも、髪の色も質も、自分に瓜二つの少女を見て、美月は微笑んだ。
「まだ寝てていいよ、美陽」
「ううん、大丈夫。何かお話しようよ、眠るのは飽きちゃった」
「そう…、分かったわ」
美月は、美陽のベッドのそばに置いてある椅子に腰を下ろした。
鏡写しのようになった二人。違うのは、髪型がロングか、セミロングかという点ぐらいだ。
美月の片割れである、双葉美陽がこの白の牢獄に閉じ込められて、もう数年が経っていた。
眠りと覚醒を繰り返す日々は、ほとんど全てのものを美陽から奪った。
そしてそれは、双子の姉である美月すらも、がらんどうにすることを意味する。
病魔が、美陽の持ち前の陽気さだけを唯一残していったことは、幸福でもあり、残酷でもあっただろう。
「今日も天気がいいわね。後で散歩でもする?」肩にかかったロングヘアを振り払い、美月が言う。
「え、ほんと?やったぁ!」と破顔した美陽は、直後、一瞬で顔を曇らせて首を傾げる。「でも、先生から許可が出るかな?」
「ええ、大丈夫よ。先生を説得して、お許しを貰ってるの」
「おぉ、さすが美月、どうやってあの先生を説得したのやら…」
嘘だ。本当は説得なんてしていない。
でも、許可が出たことは本当。
というよりかは、もう、事前にしていた外出許可の申請が不要になっただけだ。
「私が頭良いの、知ってるでしょ?」
「うわぁ、嫌味だなぁ。私も美月くらい頭が良ければ、大学だって行けたのにさぁ」
「…そうね」
言葉を失いかけ、俯きそうになった美月は、何とかそれをこらえて、笑ってみせた。しかし、それは失敗に終わったようで、目頭がじんと熱くなり、視界がかすみかける。
美陽はそんな美月の顔を見て、困ったように口元を歪めた。
昔なら、絶対にしなかった笑い方だ。
「ごめん、ごめん。冗談だよ、泣かないで、美月」
かつては、美しい陽光しか知らなかった笑顔に、暗雲が立ち込めていた。
「ご、ごめんなさい」慌てて涙を拭いながら、美月が呟く。
「いや、私のジョークのセンスが悪かったんだから、謝んないでよ」
冗談っぽく告げる美陽が、酷く哀れに映る。
「美陽…、どうして、貴方が…」
ほとんど独り言のようにして言った美月の言葉に、ふぅ、と美陽はため息を吐いて答える。
彼女は、美月の嘆きを聞き飽きていたのだ。
「ねえ美月、楽しいこと、考えようよ」
「楽しいこと、なんて…。あるわけないじゃない」
「もぅ、頭良いのに馬鹿だなぁ、美月は。これじゃあ、どっちが病人か分からないよ」
そう言って朗らかに笑う表情が、青白い顔に不似合いだった。
また美月は目頭が熱くなり、言葉が出てこなくなる。
そんな美月を見て、美陽はいよいよ呆れた表情で肩を竦めた。
「あるよ、絶対。美月となら、必ず見つかる。どこでだって、いつだって、どんな体だったって」
眩い光を放つ美陽のオニキスの瞳を見て、美月は唇を噛み締め、泣くことを必死に止めようとした。
彼女が強く咲こうとしているのに、同じように咲けない自分が、憎たらしくて仕方がなかった。
医者の言うことが悪い冗談ではなく、真実であるならば。
春が死に、夏が芽吹く頃に、
私の片割れの花は散る。
嫌味なほど健やかに咲く、私を置き去りにして。
共に日差しを浴び、
共に天に向かって伸び、
共に美しい花を咲かせる。
一つの花を咲かせるものより、大きな花を咲かせることは難しいかもしれない。
でも、自分は一つより二つだと思う。
だって、それだけで特別だと思えるから。
大風や大雨、日照りだって…。
苦しいことは、共に励まし合って耐え抜く。
柔らかな陽光、乾いた土に染み込む慈雨。
喜ばしいことは、共に分かち合って天に伸びる。
共に生きることの出来る存在がある、ということは、どれだけ美しく、かけがえがないことだろうか。
ただ一つだけ、疑問がある。
片方の花が枯れるとき、もう片方も、きちんと枯れることが出来るのだろうか?
生まれたときから、いや、生まれる前から一緒なのに。
散るときが、別々なんて、そんな残酷なことがありうるのだろうか?
そんなことばかりを悶々と考えていた双葉美月は、すれ違った看護師に挨拶をされて、我に返りながら無言で頭を下げた。
リノリウムの床材と、白い壁と天井が、ここが病院であることを嫌でも思い出させて、美月は表に出さないように苦虫を噛み潰す。
この場所は、自分を現実に引き戻す。
諦めきったような人々の顔と、それを見慣れた連中の貼り付けたような仮面の笑顔。
ここには、死と慣れ親しんだ空気が充満している。
桜色のロングスカートを揺らし、もう目を閉じていても迷わず向かえる病室を目指す。
突き当りにある休憩室の大きなガラス越しに、青々とした空が見えた。
こうして、風光る景色を見ながら病室を訪れる度に、美月は思い知る。
世界は、自分たちの都合など見向きもしていないということを。
ノックを二回する。音が小さかったからか、中から返事はない。
あるいは、ここを尋ねる人間は医者か看護師か、自分ぐらいなものだと、彼女が知っているからかもしれない。
「入るね」わざと明るい声を出す。
こういうことが上手くなったのは、あまり喜ばしいことじゃない。
扉を開けて、彼女が横になっている場所に視線を向ける。
真っ白な衣装に身を包み、瞳を閉ざした少女が寝台に横たわっていた。
そのあまりにも穏やかな表情に、もしや、という不安が湧き上がったが、慎ましい胸が規則的に上下しているのを見て、美月はほっと胸を撫で下ろす。
開けっ放しになった窓から、春風が舞い込んでくる。
目に見えぬ桜の花びらが部屋の中で踊り、室内の換気を手伝う。
波打つスカートにそっくりな動きで、カーテンが風に揺れていた。
美月からしてみれば、何もかもが白で統一されたこの部屋は、酷く隔絶された印象を受けるものだった。
ここで暮らす人たちは、病院から一歩外に出た世界の住人――私たちとは、違うのだと言われているみたいで、癪に障る。
窓際に移動して、カーテンを少しだけ開ける。風を受ける面積の減った布地は、はためくことをやめた。
カーテンを開けた音が眠りの妨げになったのか、ベッドのほうから寝返りを打ってシーツが擦れる音と、かすかな声が聞こえた。
叶うことなら、まだ眠らせていてあげたかった。
夢の世界は優しい。
少なくとも、この世界よりは。
「…美月?」
振り向けば、寝ぼけ眼をこすりながら、わずかに上体をもたげた少女がこちらを見ていた。
声も、顔立ちも、髪の色も質も、自分に瓜二つの少女を見て、美月は微笑んだ。
「まだ寝てていいよ、美陽」
「ううん、大丈夫。何かお話しようよ、眠るのは飽きちゃった」
「そう…、分かったわ」
美月は、美陽のベッドのそばに置いてある椅子に腰を下ろした。
鏡写しのようになった二人。違うのは、髪型がロングか、セミロングかという点ぐらいだ。
美月の片割れである、双葉美陽がこの白の牢獄に閉じ込められて、もう数年が経っていた。
眠りと覚醒を繰り返す日々は、ほとんど全てのものを美陽から奪った。
そしてそれは、双子の姉である美月すらも、がらんどうにすることを意味する。
病魔が、美陽の持ち前の陽気さだけを唯一残していったことは、幸福でもあり、残酷でもあっただろう。
「今日も天気がいいわね。後で散歩でもする?」肩にかかったロングヘアを振り払い、美月が言う。
「え、ほんと?やったぁ!」と破顔した美陽は、直後、一瞬で顔を曇らせて首を傾げる。「でも、先生から許可が出るかな?」
「ええ、大丈夫よ。先生を説得して、お許しを貰ってるの」
「おぉ、さすが美月、どうやってあの先生を説得したのやら…」
嘘だ。本当は説得なんてしていない。
でも、許可が出たことは本当。
というよりかは、もう、事前にしていた外出許可の申請が不要になっただけだ。
「私が頭良いの、知ってるでしょ?」
「うわぁ、嫌味だなぁ。私も美月くらい頭が良ければ、大学だって行けたのにさぁ」
「…そうね」
言葉を失いかけ、俯きそうになった美月は、何とかそれをこらえて、笑ってみせた。しかし、それは失敗に終わったようで、目頭がじんと熱くなり、視界がかすみかける。
美陽はそんな美月の顔を見て、困ったように口元を歪めた。
昔なら、絶対にしなかった笑い方だ。
「ごめん、ごめん。冗談だよ、泣かないで、美月」
かつては、美しい陽光しか知らなかった笑顔に、暗雲が立ち込めていた。
「ご、ごめんなさい」慌てて涙を拭いながら、美月が呟く。
「いや、私のジョークのセンスが悪かったんだから、謝んないでよ」
冗談っぽく告げる美陽が、酷く哀れに映る。
「美陽…、どうして、貴方が…」
ほとんど独り言のようにして言った美月の言葉に、ふぅ、と美陽はため息を吐いて答える。
彼女は、美月の嘆きを聞き飽きていたのだ。
「ねえ美月、楽しいこと、考えようよ」
「楽しいこと、なんて…。あるわけないじゃない」
「もぅ、頭良いのに馬鹿だなぁ、美月は。これじゃあ、どっちが病人か分からないよ」
そう言って朗らかに笑う表情が、青白い顔に不似合いだった。
また美月は目頭が熱くなり、言葉が出てこなくなる。
そんな美月を見て、美陽はいよいよ呆れた表情で肩を竦めた。
「あるよ、絶対。美月となら、必ず見つかる。どこでだって、いつだって、どんな体だったって」
眩い光を放つ美陽のオニキスの瞳を見て、美月は唇を噛み締め、泣くことを必死に止めようとした。
彼女が強く咲こうとしているのに、同じように咲けない自分が、憎たらしくて仕方がなかった。
医者の言うことが悪い冗談ではなく、真実であるならば。
春が死に、夏が芽吹く頃に、
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嫌味なほど健やかに咲く、私を置き去りにして。
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