この恋で、夜を越えて

吉柳ひさめ

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二章

真紅

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「これを」


借りた手拭いを返す口実で、宏雅は料亭水鶴へ寄ったが、葵はいなかった。

それなら、店に留まる理由も無かったが、榊財閥次期当主を即座に帰すわけにもいかないようで、座敷に通されてしまった。
仕方なく、出されたお茶を飲んで、ぼんやりと庭を眺めていた。

━━そのとき。

「あ!」

という小さな声が聞こえて、バラバラと何か落ちる音がした。襖の向こうに、誰かいたようだった。

……気まぐれに。
ほんの気まぐれだが、その声の在り処が無性に気になって、何となく襖を開けた。

次の間の向こう。
もう一枚、襖が開け放っていて、小さな机の周りにクレヨンが散らばっていた。それを男の子が、拾い集めているところだった。

この前の――葵の妹の子。
つまり葵の甥っ子か、と宏雅は思った。
子供が顔をあげて、こっちを見る。

「風邪、引かんかった?」

人見知りとは無縁のようで、宏雅を見てその子は言った。

「……風邪?」

「この前、水かけられとったやん」

見られてたか……と、宏雅は困ったように微笑んだ。

「ああ、うん……平気」

曖昧に返事をすると、その子は、にこっと笑った。

……似てる、葵の笑顔と。

「怖かったなあ、あのおっちゃん」

宏雅は、思わず吹き出した。
財閥当主で、偉い重鎮の立場となっても、子供にかかればこの程度。

「そうだな」
久しぶりに愉快な気持ちになって、宏雅は取り出した煙草を口にくわえた。
「煙草、体に良うないよ」
ライターで、火を点ける宏雅を見て男の子が言った。昔、葵に良く言われた言葉だな、と懐かしくなる。

「……良いんだよ。長生きするつもり無いから」

言い慣れた言葉を呟くと、宏雅は煙草を深く吸い込んで、煙を天井に流した。白い煙がぶつかって、空気に溶けるように消えていく。
消えて……何処へ行ったのか。
全てが、失った者へ繋がるようで、哀しくなった。

「ふうん。煙草って美味しいの?」
ちらちらと見てくる、子供らしい好奇心旺盛な眼差し。それを跳ね除けるように、顔を顰めてみせた宏雅は即答した。
「まずい」
「じゃ、なんで吸うの」
子供は首を傾げて、子犬みたいな瞳で宏雅を見上げた。
「つらいことを……誤魔化す為、かな」
「よう分からんわ、僕」
「うん。俺も、よく分からない」
ははは、と笑った。無邪気な問いかけが、面白かった。

「あおちゃん、煙草を吸わないよ」
「そうか」
口の端が上がる。
そうだった。銀座の女なのに、煙草を吸わなかった。美しい笑顔が懐かしく浮かんだ。
「あおちゃん、僕のこと好きやってん。だから元気でいて、いっぱい遊びに行こうって」
子供が嬉しそうに笑う。
「うん」
微笑ましいな、と思った。
男の子が、クレヨンを握り直して、さらさらと紙に色を塗った。
「何、描いてるんだ?」
宏雅が、少し近づいて覗き込む。赤い薔薇に囲まれた笑顔の女性だった。

「あおちゃん、薔薇が好きやねん」

「……知ってる」
宏雅は、記憶を辿るように目を細めて、返事をした。
「僕、あげたことあるんよ。ピンクのカーネーションでなくて、真っ赤な薔薇を買ったんや。あおちゃん好きって言うてたから。次あげる時は、花束にしようかなあ」
子供が夢見るように言うから、つい本音が出た。

「……金かかるんだぞ、薔薇って」

銀座の店から溢れるほど、葵に薔薇を贈った事がある。宏雅が泥酔した翌日の事だ。花屋へ注文して、匿名で届けさせた。
数日後『あの葵ママが結婚するらしい』と界隈で噂になってると聞き、出張先の空港から、わざわざ電話した事を思い出す━━お前、結婚するのか?と。

「お金って、いくら?」
「百万円」

宏雅のせいで、あの日は銀座の花屋すべてで薔薇が売り切れになったと揶揄されて、面白かったのを思い出した。葵の口紅のような真紅色。

「それどのぐらい?ポケカ百枚くらい買える?」
「さあね」
最近の、子供の流行りが分からない宏雅は、言葉を続けた。

「大きくなったら、稼げる仕事をしろよ。好きな女に、好きなだけ花を贈れるくらい」

「ふうん」
じっと宏雅の顔を見てから、男の子が聞いた。
「あおちゃんのこと、好きなの?」
「……っ」
言葉に詰まる宏雅を気にせず、子供は楽しげに絵を描きながら、言った。
「僕、好きやねん。お嫁さんにするわ」
鼻歌混じりに言う。
「……三親等以内だと、無理だぞ」
「しんとう、って何?」
きょとんとした子供が、宏雅を見つめた。
「色々と結婚できない決まりがあるんだ、世の中には」
ため息をついた宏雅が言った。それを聞いて、子供は笑った。

「好き同士が一緒になれるのが、一番良いのにね」


……胸に刺さる言葉だった。
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