画一式無個性アルカディア

稲尾みい

文字の大きさ
2 / 10

2.「ハジメ」後編

しおりを挟む
――――なかった。
代わりに響いたのは、刃が何かと酷くぶつかりあう音。そして感じたのは、刺すような冷気。

「なっ、」

 何かを言おうとした制服の男の言葉は途中で止まり、地面に勢いよく倒れ込む。それから、身体を急に引っ張られて誰かに抱き上げられる。

「安心してくれ! 俺たちは君を助けに来たんだ」

 僕を背負った――この世界にはそぐわない、変わった格好をした、それでいてこの世界では珍しいほど非常に体格の良い――男は、そう言った。
 ――何がなんだか、全く理解できない。理解出来なくとも、時間は進んでいく。
 僕の理解できる範囲内で説明すると……この世界ではありえないぐらい綺麗な容姿の、しかも男か女かもわからないような人が、床や壁、あるいは空中から氷を生み出して黒制服たちを倒していた……ように見えた。僕を背負っている男の人も、戦っていた。男の人は、氷を生み出したりなどはしていなかったが……ひたすら、とんでもなく鋭い蹴りと重いパンチで、黒制服を圧倒していた、と思う。

「ここまでやればいいだろう。リキヤ!」

 長い金髪をなびかせながら、氷を生み出していた人が叫ぶ。その声に、僕を背負う男の人が応えた。

「オーケー、ルカ! 君、ちょっと揺れるが我慢してくれよ!」

 そういうと、ルカと呼ばれた人と、僕を背負う男――リキヤと呼ばれた彼は、二人同時に下の段へ飛び降りる。着地と同時に、地面には氷の華が咲き、この状況でもまだ黙って死刑台の方を見ていた奴らはそのまま氷の一部になった。一部、避けるような動きをしていた奴らも居たが、それはごく少数だったように見える。
 氷に巻き込まれなかった奴を蹴散らしながら、二人はどんどんと突き進んでいく。施錠されていると思われる硬い自動ドアを、リキヤは渾身の一撃で破壊した。
 そして、そのままどことも知らない場所へと二人は走っていく。僕はリキヤに背負われたまま。
 少し遅れて、背後から大勢の足音が響き出す。それに臆することなく、二人はどこかへ向かって走っていた。



「ルカー! リキヤー! こっちこっち!」

 しばらく移動し続けていると、遠くから声が響く。声のした方に視線をやると、そこにはまだ幼年期であろう――ルカと似たように、しかし彼(彼女?)とは違う愛らしさを感じる、性別の区分のつかない――子がこっちに向かって手を振っていた。

「ミコト! ルート構築は!?」

 ルカが言うと、ミコトと呼ばれた子はすぐに返答する。

「完璧だよっ! 追っ手を撒くのも考慮済み!」
「さすがミコトだな! よし、走るぞ!」

 ミコトと合流した時点で、三人はさらに早いスピードで通路を駆け抜ける。白いだけだった通路は次第に色褪せていき、錆や黒ずみ――老廃を示す証拠が増えていく。
 三人は迷わずに通路を進んでいる。直進するときは直進、ミコトの指示で右折左折、また直進を繰り返す。時折ルカが、氷の壁を生成して通路を塞ぐ。それらを繰り返しているうちに、追っ手の足音は次第に離れていくようだった。

「ミコト、あとどのくらいだ?」

「もう少しなんだけど~、まだ撒けてない奴いるかもしれないから、もーちょっと迂回したほうがいいかも。リキヤ、まだいける?」
 
「はっはっは、余裕だ! このくらいの重み、むしろ丁度いいまであるぞ!」

「……あっそ。相変わらず筋肉バカだね」

 僕では考えきれないほどの距離を走りながら、信じられないほど楽しそうで、無意味な感情のやりとりを彼らは繰り返す。
 僕は、ひたすら彼らに圧倒されて、言葉の一つすら出せずにいた。もしかしたら、口も開きっぱなしだったかもしれない。



 あるところで急に三人は立ち止まり、錆と汚れに覆われた衛生的ではない壁のほうに向き直る。ルカが懐からカードのようなものを取り出し、壁にある見たことのない機械に当てると、今まで壁だと思っていた扉が急に開いた。
 三人がその中に入ると、扉はまた閉まる。
 中は、外と同じように古びていた。僕らが過ごしていた全てが真っ白な世界とは大違いだ。
 無意味な装飾のついたソファー(古びているが)、無意味な柄のついた布、何の意味があるのかわからない物が、たくさん……。

「すまなかったな。手荒な真似をして」
 僕が部屋の内装に見惚ていると、リキヤが僕を床に下ろす。

「っていうかさぁ、感謝の一言も言えないわけ~? ボクらもかなり命がけだったんだから、せめて少しぐらい言葉がほしいよね~」
「ミコト、無茶を言うんじゃない。今のさっきで、この子に現状が理解できているはずがないだろう」
「わかってますぅ~! 情緒を育てるための冗談ですぅ~!」
 リキヤとミコトが、楽しそうに話している。それを尻目に、ルカがボクに視線を落とした。

「君、『この世界は狂っている』と言ったな」

 ルカの目は細められている。若干の威圧感を感じながらも、僕は静かに頷いた。
「その思想はどこからだ? 処分された誰かの意思を継いで? それとも、」
「……僕の、意思」
 僕が食い気味に答えると、ルカは「ほう」と呟く。
「僕は、ずっと思っていたから……おかしいと、この世界が。だから、もう処分されるのなら、最期に言ってしまっても、いいと」
 思ったように言葉が出ない。それでも僕は、彼らに意思を伝えるためになんとか言葉を捻り出し続けた。
「教えて、ほしい……あなた達は?」
 ルカを見つめると、彼は少しだけ表情を緩めた。

「改めて紹介しよう。私は七蔵司 竜華(ななぞうし るか)」
 ルカの自己紹介に、ミコトとリキヤが続く。
「ボクは百見 尊(ももみ みこと)!」
「俺は雑賀 力也(さいが りきや)。よろしくな」
 ナナゾウシルカ。モモミミコト。サイガリキヤ。……聞き慣れない形式の名前に、僕が混乱していると、ルカが付け足す。
「その反応も無理はない。これは前時代形式の名前で、今では君のようにナンバーだけで呼ばれる人間が殆どだからな」
 前時代形式の名前……と聞いて、僕は少しだけ思い当たる節があった。前に聞いた「歴史」とやらに出てきた覚えがある。彼らはそれを名乗っているのか……。

「私達は反政府組織『フライ・ハイト』。今は私、ミコト、リキヤの三人だけで動かしている、この世界に革命を起こすための組織だ」
「この世界に……革命を……?」
「君も言っただろう。『この世界は狂っている』と。その思想を持つ者の集まりだと思えばいい」
 世界が、狂っていると思う者の集まり……。
 その言葉を聞いて、僕は何故か目頭が痛くなって、だらだらと目から水を流してしまう。

「あ~、泣いてるぅ! ボクより年上なのになっさけないんだぁ!」
「無理もない。あの環境に居てはな」

 ルカが僕の目の前にしゃがみ込んで、手で僕の目から溢れる水を拭う。

 ようやく気づいた。僕は彼らの言葉を、やりとりを聞いて、ずっと感動していたんだ。そして今、ルカの言った言葉を聞いて、自分と同じような考えの人間が居たんだと、自分だけではなかったのだと、心の底から安堵したんだ。
 人間は「涙」というものを流す機能が備わっていると、生物学の話で聞いたことがある。それは目にゴミが入ったときに異物を追い出すための防衛機能として存在するらしいが、「涙」というのは感情にも影響して発生するらしい。
 きっと今の僕のこれは、感情に基づく涙だ。

「今日、審査があることは事前にわかっていた。だから私達は、その審査にもし引っかかる奴がいたら、ソイツを無理矢理ここに連れてきてフライ・ハイトの一員にさせるつもりでいた」
 僕の涙を拭う手を引き、ルカは再び真っ直ぐ僕を見つめた。
「だが……正直誤算だった。君のような、意思のある人間をここに連れて来られたのは」
 心なしか、そう言った彼の表情は初対面から今までのいつよりもずっと柔らかい。だがそれも一瞬のことで、すぐに表情は先程までの冷たいまなざしへと一変する。

「改めて君に問おう。私達と共に、この『狂った世界』に刃向かう気はあるか」

「…………!」
「右も左もわからないこんな状況で問われても困る、というのは承知の上だ。だが、どのみちもう賽は投げられている。君が望もうと望まざるとも、もう既に君はこの世界では異端だ。だからこそ、君自身の足で立つのか、それとも私達の言いなりになるのか、選択してもらいたい」

「僕自身の、足で……」

 選択。そんなもの、今まで生きてきて一度もやったことなどない。今までずっと僕は、決められたレールを歩かされていただけ。そしてそれはきっと、僕以外の大勢の人間も。
 僕はもう、何もなかった頃には戻れない。だけど今、強い力を持つ人から、世界を変えないかと手を差し伸べられている。
 ルカの言うとおり、彼らの言いなりになって生きるのは、もしかしたら今までと似ていて生きやすいのかもしれない。だけれどそれは、本当に僕が望むことなのだろうか?
 僕はずっと待っていたのではないか? こうやって、平坦で退屈で代わり映えのない日常から、刺激的で、建設的な未来を自分の力で切り開いていくような、そんな日々に生きることを――。

 僕は、真っ直ぐルカを見つめ直した。
「この世界を変えられるのなら、……僕は、変えたい。そう思っています」

 僕の言葉を聞いたルカが、手をこちらへと伸ばす。
「よく言った。……ようこそ、反政府組織『フライ・ハイト』へ」

 その手をどうすればいいのか一瞬悩んだが、きっとこれは僕も同じ行動を返すべきなのだと感じて、僕はルカの方へ手を伸ばす。
 その手を、ルカが確かに掴んでくれた。少し遅れて、リキヤの大きく骨ばった手と、ミコトのまだ未発達な小さめの手が重なる。
「君を助けられてよかった。これからのフライ・ハイトは、もっと良くなっていくぞ」
 リキヤがそれを言い終わると、皆自然に手を離していった。

「さっきまでナンバー体だったワリにはしっかりてるじゃん! ……え~っと、……ねえ、名前どうするの?」
「なま、え? 僕の名前はNo.111111で……」
「ちっがーう! それは君の識別番号でしょうが! 名前だよ名前、『ルカ』とか『リキヤ』とか、そういうの! っていうか番号だと呼びにくいし!」
 面倒臭そうに、かつ少し怒り気味に言うミコトを、リキヤが「まあまあ」と宥める。
「俺達もな、元はナンバー体……君と同じで、識別番号しかなかったんだよ。でも、フライ・ハイトに来たときに、自分で新しく名前をつけたんだ」
「だから、……え~っと、君も! 早くなんか自分で名乗ってよ!」
「名乗って、って……急に言われても……」
「そうだなあ、俺もあの時は結構悩んだよ。でも、自分の好きな文字とか、響きとかで決めていいと思うぜ? 結局俺もそうしたんだよ」

 名前を名乗る……なんて難しいことを要求するんだろう、この人たちは。好きな文字とか、響きで決めていいと言われても、そうパッと思い浮かぶものではない。今まで学習してきたところから引っ張り出すにしても、そういう部分に思い入れがあるわけでは……。
 考え込んでしまった僕を見て、ミコトが声をかける。
「ねえ、そういえば。君、ナンバーがぞろ目なんだね。珍しいっちゃ珍しいよね、それ」
「ぞろ目……一が六個並んだナンバー、ということ?」
「そうそう。一部分だけ連続で、っていうのはいるけどさあ、全部一緒って結構珍しいよ」
「…………」

 一(いち)。一という数字は、零の次だ。零は存在こそするが、その存在は無の存在を表しているだけに過ぎない。真に「始まり」の数字であるのは、一……。
 一は始まり……始まりの数字。そして、僕は今から新しく始まる……。始まり、というものを、名前のように直すとしたら……。

「……始め、る」
 もう一度反芻する。
「始める。……始める、から『ハジメ』……」
 もう一度。
「僕は、ハジメだ」
 噛みしめるように、何度も呟いた。

 そんな僕の様子を、リキヤとミコトが興味深げに見ていることに気づいて、慌ててもう一度ちゃんと宣言する。

「僕は、始(ハジメ)。ルカ、リキヤ、ミコト。これから、よろしく

 早いな、流石だ! と自分のことのように褒め喜ぶリキヤと、え~単純すぎ! っていうか名字はつけないの!? と文句を言うミコト。はしゃぐ二人をよそに、ルカは冷静な、それでも冷たさばかりではないトーンで、僕に言った。

「いい名前だ」
 その目と声があまりにも優しくて、僕は思わず目を逸らしてしまった。

 ――今日、今から、違う日々が「始まる」。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

裏切りの代償

中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。 尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。 取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。 自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

🥕おしどり夫婦として12年間の結婚生活を過ごしてきたが一波乱あり、妻は夫を誰かに譲りたくなるのだった。

設楽理沙
ライト文芸
 ☘ 累計ポイント/ 190万pt 超えました。ありがとうございます。 ―― 備忘録 ――    第8回ライト文芸大賞では大賞2位ではじまり2位で終了。  最高 57,392 pt      〃     24h/pt-1位ではじまり2位で終了。  最高 89,034 pt                    ◇ ◇ ◇ ◇ 紳士的でいつだって私や私の両親にやさしくしてくれる 素敵な旦那さま・・だと思ってきたのに。 隠された夫の一面を知った日から、眞奈の苦悩が 始まる。 苦しくて、悲しくてもののすごく惨めで・・ 消えてしまいたいと思う眞奈は小さな子供のように 大きな声で泣いた。 泣きながらも、よろけながらも、気がつけば 大地をしっかりと踏みしめていた。 そう、立ち止まってなんていられない。 ☆-★-☆-★+☆-★-☆-★+☆-★-☆-★ 2025.4.19☑~

処理中です...